不思議な事ですが────
あれほど猫が好きだったはずなのに、余所の猫───例えばネットで見かけるニュースなどへ嫌悪感を抱くようになった私たち。
夕べ、主人がその事を暴露したので、私も同じ状況に陥っていると伝えました。
トイレに置いてある、猫日めくりカレンダーを見て吐き気がするという彼。
これまた重傷です。
『今はそんなもんかもしれんよ?傷が深すぎたらそうなるって、どこかのサイトにも書いてあったし………』
それを聞き、少しホッとした様子を見せるものの、複雑なんでしょうね。
あれほど猫好きだったのに・・・とかなりのショックを受けていました。
・・・
今朝、四時半頃目が覚め、ミーコの気配を探しましたが、当然ながらどこにも無くて、胸がギリギリと絞られました。
居ない
居ない
いつもなら主人の腕の中
いつもならハウスの中で背中を向けている
いつもなら────
ぞっとする現実が辛くて、また泣きました。
夢の中でいいから会いたいのに、夕べの夢は大人になってからの友人と中学時代の同級生で旅をしていました。
酒を酌み交わしながらも、心底楽しめていない自分に気付き、『早く帰らなきゃ』と焦る私を、彼女たちは引き留めます。
結局は喧嘩になるんですけど……
帰りの電車の中で、「あれ?なんで帰らなきゃならないんだっけ?」と首を傾げるオチ。
疲れる夢でした。
午前中…………
とことん沈み込んだ気分で買い物に出かけ、あまりの目眩からカフェに寄りました。
炭酸を飲みながら、この苦しみからどうやって抜け出そうか・・・と縋るようにサイトを探していたら、まさしく今の私にドンピシャの記事が見つかったのです。
愛猫を亡くしたあなたへ
https://www.nekobu.com/blog/2017/04/post-1279.html
どうやら私はミーコの死に囚われ過ぎていたようです。
手の中で消えていく儚い命に大きなショックを受け、その時の姿が頭の中でリフレインしていたようなんです。
何も出来ず、ただ見送るしかなかったから、無意識に自分を責めていた。
ミーコの苦しみしか頭に浮かんでこなかったんです。
二十年という長い月日の中のミーコを思い出せば、それは笑いと幸せに満ちたものだったのに………何故か遠くへ追いやってしまっていた。
ブログで過去の写真を紹介していたくせに、ちっとも楽しい思い出を呼び起こしていなかったんです。
この記事を読んでから、気持ちが改まり、とても前向きになれた気がします。
花を飾り、蝋燭を買い、優しい気分で語りかける。
苦しみも痛みもない世界を走っているミーコを想像したら、喜びが溢れてきます。
まさかこんなにも早く一つの大きな岩を乗り越えられるとは!
もちろん寂しさはそこはかとなく漂っていますが、苦くて重い気持ちが軽くなったことは確か。
あとはミーコの在りし日の写真を色んなところに飾り、思い出話に花を咲かせたいと思います。
「どーでもええけど、時々お魚供えてや?」