卯月の日常

グルメ、旅、時々猫

相続放棄

2024年01月06日 23時27分47秒 | 家族


実は私には叔父(父の弟)がいたんですが、去年他界されました。
父の弟といっても、幼い頃養子に出ていて、私達とはあまり縁のない人でした。
伯父(父の兄)の他界をきっかけに多少なりとも交流が復活したのですが、
まあ色々ありまして、最近は疎遠になっていました。

そんな中、弁護士からの封書が届き、よくよく見てみると”相続“に関する通達でした。

簡潔に言うと……

叔父が他界した
実子二人は既に相続放棄した
叔母を含む私たち従兄弟で
叔父が持つ大阪の建物の相続をどうするか決めてもらいたい
放棄するならば、その手続きを踏んでほしい

こんな流れでした。

”目からウロコ……👀“
とはこのことで、一瞬なんのこっちゃと思いましたが、ようするに相続放棄をすればいいんだなと納得。

主人の指示通り、父の本籍地である富田林市役所から原戸籍などを取り寄せ、あれやこれやの書類を完成させました。

従兄に聞けば「ややこしいから弁護士紹介してもらった。」とのこと。
叔母たちもそれぞれ数万円を出して、頼むことにしたようです。
ま、それはそれで楽ちんだと思う。

私は印紙と封筒、書類代、併せて7000円ほどで放棄手続き完了。

従兄側の弁護士さんが手続きをした後に提出したため、更に無駄な出費を抑えることができました。
機転を利かせた主人に感謝✌

私にとって”縁の薄い人“と思っていたけれど、やっぱり血の繋がりはあるわけで………。
今回は想定外の事態でしたが、うまく収まって良かったです。
相手側の弁護士さんたちもすごく親切で、いい人でした。

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また一つの旅立ち

2022年12月29日 15時49分28秒 | 家族

12/24

本来なら楽しい夜を過ごすはずのクリスマスイブに、義父は旅立ちました。

享年79



アルツハイマー型認知症と診断されてから約十五年。
長い戦いがようやく終わりました。
涙を流したのは、駆けつけた施設で対面した時だけ。
とても穏やかな表情に肩の力が抜けました。

義母が不慮の事故で亡くなり、一人になった義父と生活する為、主人とともに大阪から富山に戻ってきましたが、これでようやく大きな仕事を終えた気がします。

ミーコが逝き、
父が逝き、
義父も逝ってしまいました。

とうとう本当に二人だけの暮らしが始まります。

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無意味な後悔

2020年11月28日 18時33分18秒 | 家族
 
毎日、父の遺影の前で手を合わせ、大好きだったお茶を供える。
遺影の中の父は、とても父らしい顔をしていて、思わず普通に話しかけてしまうくらい自然体。
 
楽しいことが好きで、
食べることが好きで、
人と話すことが好きで、
娘の私を大事に大事にしてくれた。
 
ほんの数年前は旅行もしていたのに。
いつの間にこんなことになったのか。
 
自身の介護ブログを読むと、その時の苦労が思い出されるけど、
そんな苦労を再び抱えることになっても、父に会いたいという気持ちが強い。
 
優しくしたい
もっともっと優しくしてあげたい
 
二人でドライブして、美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、生きている楽しさを味合わせてあげたい。
 
今更ながらの無駄な後悔です。
でも振り返れば、いろんなところへ行った痕跡があるんですよね。
写真もいっぱい。
笑顔の父が至る所に居て、ほんの少し慰められる気がします。
 
それでもやっぱり、寂しいですけどね。
会いたいと願う気持ちは日に日に強くなり、胸の中でずっしりと石化しています。
 
 
 
 
 
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また一つの別れ

2020年11月25日 14時52分00秒 | 家族
 
11月19日(木)深夜2時半過ぎ
父が他界しました。
86歳でした。
 
本日初七日のお参りが終わり、なんとなく気が抜けたこともあって、
自分の心を整理するためにもブログを書いてみようと試みました。
 
とはいえ、何を書く必要があるのか。
よくわかりません。
今回何よりも感謝すべきは、主人と共に父を見送れたこと。
コロナ下では難しいと思われた最期のお別れが出来たことです。
 
深夜一時頃、病院から電話があり、私はそれを二度無視してしまいました。
普段ならどれだけ寝ていてもスマホを手にとるのですが、
何故か瞼が開かなくて、そのまま終話ボタンを押してしまっていたのです。
間を空けずして自宅に架かってきた為、さすがに受話器を取りました。
しかし何かしらの不具合でそれも切れてしまい、隣で目を覚ました主人にかけ直すよう言われました。
頭がぼんやりする中、折り返すと、父がいる病棟に直結し、看護師さんが現状を説明してくださいました。
 
つい二日ほど前、『酸素濃度もよく、持ち直しましたよ!』と明るい声でおっしゃっていたのに、
『酸素がうまく取り込めない状態で、あまり芳しくない』と告げられびっくり。
主人の進言通り、「今から会えますか?」と尋ねました。
数瞬の後、「こんな状況ですし、来てくださっていいですよ。」と返事が。
慌てて支度し、車に飛び乗りました。 
 
家からおよそ20分はかかる病院です。
気は急きますが、事故だけは起こしてはいけない、と思い、安全運転で向かいました。
結局25分ほどかかり到着。
病院の正面玄関は閉まっていたので、電話で宿直室に開けてくれるよう頼みました。
およそ五分。
この時間すら惜しかった。
 
静まりかえった廊下を走り抜け、病棟に着くと、またしても自動扉が開きません。
インターホンで連絡し、ようやくエレベーターに。
 
待っていた看護師さんの案内で病室へ行くと、
父は酸素吸入されながらもやはり辛そうな呼吸を繰り返していました。
 
…………ああ、これはいつもとは違うな。
 
直感でそう思いましたが、もしかしたらまた復活するかもしれないという淡い期待がこみ上げてきます。
接続されたモニターでは、酸素濃度や心拍数が表示されていて、上がったり下がったりを頻繁に繰り返していました。
 
マスクを外し、父の手を握り、顔をのぞき込むと、目はぼんやり開いていて、
私を認識したのか、ほんの少しだけ力がこもりました。
けれど、私はもう、父が半分あの世へ旅立とうとしているのが分かりました。
しかしそれを引き留めるため、必死に呼びかけます。
私も主人も交互に手を握り、何かしらの奇跡を望んだのです。
 
 
 
 
病室に到着してから一時間と少し。
 
YouTubeで父の大好きだった石原裕次郎の音楽を耳元で聞かせ、汗を拭い、髪を撫で、何度も父の顔に寄り添いました。
時折辛そうに身を捩ると、看護師さんがやってきて、身体の位置を少し変えてくれたりします。
細くなった体、手足。
それを見て、少なからずショックを受け、こんな状態となっても生きていてくれることに感謝し、
私たちの到着を心待ちにしていてくれたのだと知り、涙が止まりませんでした。
 
主人がモニターを見ながら、数値を指します。
70を切る酸素量。
時間と共にそれは明らかに減っていきます。
 
彼の指摘通り、60を切る頃、父は深く大きな息を二、三度し、とうとうあの世へと旅立ってしまいました。
私は父の顔の間近で泣き続けました。
呼び続けました。
魂が抜ける瞬間を見ても、諦められませんでした。
 
やがて看護師さんとお医者様が到着し、父の心停止を告げられます。
それは旅立ってから5分ほど経った頃でした。
 
その後、お別れの時間を頂き、父の顔を何度も見つめ、ようやく納得しました。
 
 
私は父の43の時の子供です。
そして今私は、その時の父と同じ43歳です。
仕事で独立したばかりだった父は、どれだけ疲れていても毎日お風呂に入れてくれました。
その後も可愛がり方は尋常じゃなく、それを見て、母は逆に厳しくなったそうです。
この年齢から、子供を育てるのはさぞかし体力がいっただろうなと思います。
体の弱い母と娘の為、必死で働いてくれました。
家族の時間も大事にしてくれました。
優しくて、自分には厳しい父でした。
こんなにも別れが辛いとは思いもしませんでした。
15で亡くした母のときよりもずっと思い出は多く、一緒に過ごした時間が長いからかもしれません。
 
誰かが、「この年まで娘と過ごせるなんてあまりないことだから、幸せだったと思うよ」と言っていたらしいのですが、
そう思えば少しは救われます。
そしてその機会を与えてくれた主人、許容してくださった親戚の方たちには本当に感謝しています。
 
小さいながらも本当に素敵なお葬式を終え、涙の初七日を過ごし、最高の仕上がりの遺影を前にこれを書いています。



もちろん、出来の悪い娘でしたから後悔は山のようにあります。
後から湯水のように湧いてくるんです。
でもきっと後悔のない別れなんて、数少ないんでしょうね。
ミーコの時すらそうでしたし。
 
去年に続き、大事な家族を亡くし、疲労困憊ですが、考えることもやるべきこともたくさんあります。
せめて一周忌まではしっかりしていないと、お骨納めという大仕事も待っていますからね。
 
親に対し、優しくする時間は案外少ないものです。
亡くしてから気付くことが多すぎて、どうしようもなく不快な気分ですが、
今はこの孤独を何とか乗り越えようと、必死で足掻いています。
 
必要なのは多くの思い出と写真。
そして己の我が侭を少し堪えて、相手を思いやることなんだろうな。
 
 
 
 
 
 
 
 
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久々に父達のこと

2020年06月21日 10時35分32秒 | 家族

 

 

昨年12月から入院継続中の卯月父。
コロナ騒動が起き、面会出来ない状態が続いておりましたが、金曜日、久々に顔を見てきました。

4月あたりから移動先の「施設」を探し続けていた私。
ここにきて「誤嚥性肺炎」にかかってしまった父。

いよいよ、レビー小体型認知症の末期に突入したことを理解させられます。
一時期は39度台の高熱があったのですが、今は平熱近くまで落ち着いていて、一安心。
ただ、少しでも固形(ゼリー食など)を口にすると誤嚥を起こすため、今は絶食、点滴で生活中です。
(唾液すら怪しい状況)
もちろん本人に理解は難しく、結局「拘束」することを承諾しました。

顔を見て、声をかけると、しっかりと返事は出来ます。
私と主人の認識も◎。
「喉が渇く」などの要望もきちんと口に出来ているようです。
父には妹が三人いるのですが(一人は数年前に他界)、「会いたいか?」と問えば「会いたいなぁ」と答える。
その叔母たちは週に何度も私へ電話してくるほど、心配してくれています。

可能ならば是非とも面会してもらいたい、と思い、即座に連絡しました。
相手もかなりお年ですし、実現出来るか不安でしたが、「いきたいわ」と仰ってくれました。
正直、コロナのこともあるので手放しでウェルカムは出来ません。
ただ父にとっても叔母達にとっても、残された時間はそう多くはないと感じます。

万が一、食事が口から摂取出来なくなると、あとは死を待つのみ。
※経管栄養に移行するつもりはないので
今現在はまだ意識もしっかりしているし、人を恋しいと訴えてくるし、できる限り望みを叶えてあげたいと思いました。


 

次に義父のことですが、いろんな意味で安定しています。
たまに熱を出すこともありましたが、手厚い看護のおかげですぐに復活。
施設側の気配りにも感謝しか出来ません。

もちろんこちらの施設も面会禁止で、今現在もそうです。
定期的に送られてくる写真ではほんのり笑顔だったりするので、元気なんだろうなと安心しています。
見事な介護手腕。脱帽です。

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近況1

2019年07月02日 11時28分04秒 | 家族

 

こんにちは、卯月です。

一ヶ月丸々お休みを頂いておりました。
本日より溜め込んだ色々を書き綴りたいと思います。

先日の沖縄記事(非日常で公開)はもう少し続きますが、ちょっとだけ小休止。
もちろんきちんと終わらせますのでご安心ください。


 

さて、4/23から入院している我が父もそろそろ退院する目処が立ってきました。

丸2ヶ月余り。

お医者様と看護師さん達のおかげで、まとまった睡眠がとれるようになり、家族としても非常に助かったと思っています。
ちなみに入院費は想像をちょっとオーバーしていて、約9万弱。
なかなかに痛い。
※うちの父は保険を勝手に解約していたので、余計に痛い(笑)

まあ、それでも介護がしやすくなったのだから、安いものです。
先日の外泊(二泊三日)も非常に穏やかで、食欲だけは人一倍でしたが、私たちが必要以上に煩わされることはありませんでした。
夜中3,4時頃に起きてゴソゴソしていても、すぐに静かになり、私たちの寝室の扉をノックされることもなかったです。

で・・・・

結局一日中、うつらうつらしている状況(テレビも観ない)なので、退院後はデイサービスに送りだそうと思っています。
週三回でまずは様子見。
その後、どうなるかわかりませんが、適度にショートステイを交え、楽な介護を目指そうかと。
心配事は主人が出張で留守がちな為、一人で対応出来るかどうか。
ま、それもこれもやってみないとわかりません。

ここでちょっと愚痴を。

病院はとても快適で、皆さんベテラン揃い。
すごくよくしてくれました。
しかし、退院を前に私達も考えることが多く、取り敢えず帰宅してもらおう!・・・なんて気楽な事も出来ず、色々相談したり調べたりしていたんです。

でもまあ・・・・何と言いますか・・・・・・

「退院日」「今の状況」を逐一尋ねられて、ちょっとイラッとさせられるんですよね。
もちろん病院に長居していても、あまり良いことが無いのは理解しています。
ただデイサービスの施設にしろ、ショートステイの施設にしろ、
皆それぞれ事情がありますし、受け入れ体勢が整わないとあっさりNOを突きつけられます。

実際、私自身、かなりの葛藤があり・・・・

果たしてデイサービスで介護をやっていけるのか。
本当は施設を探した方がいいんじゃないか?

悩みに悩みまくりました。

ちなみにうちの近辺の施設は月額12-14万ほど必要です。
(もちろんもっと高い時もある)
当然、金銭的な事が頭を過ります。
しかし今の父の状況は比較的落ち着いているわけだし、ここは頑張ってみようか?と思い至ったわけです。

ベテラン看護師さんたちの言いたい事は解りますが、少しモノの言い方というものを勉強して欲しい。
介護者というのは常に追い立てられている感じがするのです。
何を聞かれても、即座に答える事に抵抗があるのです。
日常生活と介護の二足わらじは、あれこれ悩む場面が増えます。
悩んだ末の間違いなら諦めもつきます。
焦って決断するのはさすがに厳しい。
アドバイスを頂けるのはとても有り難いのですが、どちらにせよもう少し猶予をくれ!と言いたいんです。


まあ、こんな事を言っても、どうしようもないのはわかってますけどね。

結論から言えば、

さっさと方針を決めて、とっとと退院しろ!

・・・ってなわけです。

これはどこの病院も大なり小なりあると思われます。
(以前、義父がお世話になっていた病院もそうだった)

 




おかげさまで私のケアマネさんはとーっても優しくて、聞き上手な女性。
(義父の時も素晴らしい人だった)
いつも頼りにしまくっています。



しかし人間、なかなか思うようには死ねませんね。
これは我が身に置き換え、いつも考えています。

父の口癖は「僕も親父みたいにコテン(脳溢血で他界)と死ぬんや」でしたが、到底そうなるとは思えない。

それでも私は唯一の娘で、相手は唯一の親。
死に水をとる人間は私しかいないのです。

今となっては好きな旅行も、食べ歩きも出来なくなってしまいましたが、
父が残りの人生を少しでも楽に生きれるよう・・・・気を遣いたいと思います。

その前に私がくたばるかもしれないが・・・・苦笑。


 



 

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父の入院

2019年04月25日 13時20分10秒 | 家族

 

 

え~・・・唐突ですが、父が入院しました。
やっとこさ訪れた、検査&診察日の23日に。

その日の内に入院を決めたのは、そうでもしないと睡眠不足とストレスでどうにかなるかもしれないと思ったからです。
医師の提案は二つでしたが、私はやはり入院医療保護入院)を選びました。

朝、病院へ行く前には考えても居なかった結果。
父を散髪に連れていって、喫茶店でモーニングを食べ、「今日は比較的調子いいな・・・」と思っていたんですがね。

病院に到着した途端、

「眠い」
「なんかしんどいな。年やしな。」
「ここどこや?」
「何しに来たんや?」

の連発。
ただでさえ気圧の上下で頭痛が激しいのに、これはなかなかに辛かった。
だから余計、先生に泣きつく形になったのかもしれません。

入院=薬の調整

・・・・・なのですが、実際どのくらいの時間がかかるのかは不明。
(いまのところ三ヶ月予定)

無事、夜、静かに寝られる生活を取り戻し、また我が家に帰ってきて欲しいと・・・・
そんな風に思える自分にも驚かされましたが、本心です。
主人の予想はそんなにも楽観的ではありませんが。

取り敢えず、父が落ち着くまで、せっせと病院に通うことにします。
今日も先ほど行ってきたのですが、クリームパンと家で淹れたお茶を美味しそうに口にしていました。
(入院中、陶器のコップはダメなので、湯呑みを持参し、水筒に熱々の煎茶を入れていった。もちろん全て持ち帰る。)

しかしやはり夜寝ていないのか、やたらと「調子悪い」を連呼。
うーん・・・・・まだまだ道のりは長そうです。

 

※ちなみに病棟は「精神科」なのでばっちり鍵付きです。

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あらら?

2019年03月30日 18時51分05秒 | 家族

 

 

人って、思い込みが激しいと、わりと過ちを犯すんですね。

自己反省と共に、また一から色々考えたいと思います。

卯月の「介護なんて大嫌い」 

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初めてのデイサービス

2019年02月28日 08時42分21秒 | 家族

 

昨日、父は初めてのデイサービスへ。
朝八時半~夕方四時半までのサービスです。
送迎付き、昼飯付き、というのがありがたい。

今のところ、週一の月四回で検討していますが、おおよそ月額5000円ほどで受けることが出来ます。【要介護1】
その間、電話は架かってこないし、心配事もなくなるし、万々歳。
伸び伸びさせてもらいました。
〔帰宅後の感想、特になし!〕

しかし自宅に一人きりだと寂しさもひとしおなんですよね。
だから映画を観に行ってきたんです。

【七つの会議】

池井戸潤氏の作品はわりと好きなんですが、今回は主演、野村萬斎氏に注目。
すっごーくクセのある演技で、シリアスな内容ながらも肩の力が抜けるような………ゆるーい感じで観ることが出来ました。

相変わらずというか、香川照之さん熱演!
及川光博さん、少しおとなしめ?
片岡愛之助さん、やっぱり顔面かっこいいですね。
豪華なキャスティングなのに、ちょっとしか出てこない方達もいらっしゃって、すごく贅沢。

内容は恐らく一時間ドラマで完結できるようなものでしたが、野村さんのマニアックな演技のおかげで最後まで楽しく鑑賞出来ました。


のんびり出来るのもこれでしばらく無理かな。
仕事──しなくちゃ。

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介護申請の結果───

2019年02月17日 21時24分59秒 | 家族

 

老猫

老人

必要なのはただ一つ。

そう介護ですね。


別ブログでも書いておりますが、実父が「要介護1」になりました。

これで本格的な介護生活に突入です。

ここのところ、ストレスで憤死しそうになる事が多々あって・・・・
しかしケアマネージャーさん(可愛くて優しい)も決まり、
本人もようやくデイサービスなど、通う気持ちになってきたようで助かりました。

記憶力は本当にありません。
五秒前に言ったことも留まらない時があります。
そのくせ、囲碁(PCゲーム)への情熱はハンパない!
偏りまくってますね。

デイサービスの中でも囲碁を楽しめる場所があるらしく、そこを中心にお世話になろうかと思ってます。
最近はすっかり朝夕の違いが解らなくなってきているので、これで生活のリズムが取り戻せたらいいな。



なーんて・・・


前向きに考えたらこんな感じですが、来るべき現実は地獄ですよー!
認知症患者の自宅介護なんて絶対に地獄。

『親の面倒を看るのは当たり前だろ!?』

そんな風に思ってたら、自分が先に死にますよー!
過度なストレスは死を呼び寄せます。
ようするに病気です。

『ストレスに感じなきゃいいじゃん?』

はい、無理です。
優しくあろうとすることも、話をさらりと受け流そうとする事も、全てストレス!
私は実父に接していて、初めてそれを知りました。

義父のときは、そこまででもなかった。
他人だからでしょうね。
だから主人の苦労も解りました。


とにかく

前回同様、自分たちの人生を優先的に考えながら、楽な介護を目指します!



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