「私立大学医学部なら簡単」は、今や都市伝説
国公立大学の医学部受験は難易度が高くてうちの子には難しいけれど、どうにかして医学部には合格してほしい…。私立大学医学部ならなんとか合格できるのではないか。
そんなことをお考えになっている保護者さまが少なくありません。「私立大学医学部に入るのは簡単である」あるいは「科目数も少ないのだからそれほど難しくないはずだ」という具合です。
とんでもない。
昨今、私立大学医学部に合格するための学力レベルは、以前に比べ、はるかに高くなっています。かつては私立大学医学部の最低ラインは、偏差値40~50台でしたが、今や偏差値60~65まで上がっているのをご存知でしょうか。もはや、私立大学医学部の偏差値は、国公立大学医学部の偏差値とほとんど変わらなくなっているのです。以前はともすると簡単に入れると思われていた私立大学の医学部。でも、今はほんの一握りの人たちだけがくぐることを許される狭き門。これが、現在の私立大学医学部受験の実情です。
わが子の医学部受験を支えるには、現状把握が必須
ここで、「え、私立の医学部ってそんなに厳しいの?」と思われる方もいらっしゃるでしょう。以前は、「国公立の医学部には手が届かない受験生が私立の医学部を受験するものだ」という考えを持っている方も多くいました。
令和のこの時代において、「私立大学医学部なら簡単」という状況はまったく存在しないのです。
「国公立大学医学部は難しくても、私立大学医学部なら簡単に入れるはずだ」といった考えは、まさに過去の価値観がそのままになってしまっている典型的なケースです。
もし、本稿をお読みになって「ドキッ」とされたなら、それは医学部合格を目指す方や保護者さまにとってチャンスです。
これから立ち向かう医学部受験の現状がどのようなもので、どのくらいのレベルであるかを正しく知ることが、医学部合格に近づく第一歩です。
『孫子』という兵法書に出てくる有名な一節に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉があります。あえて簡単に言うと、この教えは、「勝負においては敵情と自分を客観的に知ることが大切である」という意味です。医学部受験は、まさに戦いそのものです。
今、大切な我が子が立ち向かおうとしている医学部受験は、保護者さまたちの時代とはまったく異なります。
国公立大学にせよ私立大学にせよ、とにかく医学部志望であれば、現在の医学部受験を取り巻く状況をまずは徹底的に理解しなくてはなりません。求められる学力レベルだけではなく、医師になるための制度も変化しています。医学部受験の難易度だけでなく、医学部そのものを取り巻く状況が変化しているわけですから、それに伴い、情報や考え方、価値観をアップデートさせていく必要があります。
仮に医学部受験の現状を正しく理解せず、いつまでも誤った解釈でいると、大きな失敗をしてしまいます。例えば、私立大学医学部が難関になっていることを知らないがゆえに、必死で戦っている我が子に「私立でも受からないのか?」と言ってしまい、モチベーションを下げてしまうなどです。医学部受験の現状を知っていれば、日頃の発言や声のかけ方から変わってきます。医学部受験という難敵に立ち向かっている受験生を、正しくサポートするためにも、保護者さまには、医学部受験の状況を正しく把握していただきたいと思います。
繰り返しますが、まず大切なのは、「現在の医学部受験を取り巻く状況を正しく理解すること」。医学部受験のスタートはそこからです。
知っておくべき“医学部受験の今”
全国の医学部の数は、国公立大学が51校(防衛医科大学校を含む)と私立大学が31校で、合計82校あります。これら82校の入学定員総数は約9400人。これに対して、医学部志願者数は毎年約13万人。単純に計算すると、倍率は13.8倍、13~14人に1人しか合格することができないということです。
私立大学医学部に限定して考えても、令和3年度の入試では、私立大学医学部の志願者数が約9.4万人に対し、私立大学医学部の定員数は3584人でした。倍率は26.2倍です。これは驚異的な数字だと言わざるを得ません。
私立大学の医学部志願者は、ここ10~20年で急増しており、近年はその高い状態を維持している状況です。直近の数年間、わずかに志願者数が減少していることを受けて、「従来よりも医学部に入りやすくなっているのではないか?」と尋ねられることがありますが、そうではありません。
ここで大学受験全体の状況を見てみましょう。近年の少子化の影響から、受験者数は毎年数万人単位で減少しています。もちろん共通テストを受験せずに大学進学する受験生もいますが、全体として大学受験者数が年々大きく減っていることをイメージしていただきやすいかと思います。医学部の受験者数も減ってはいるものの、大学受験者数の減少幅に比べると、実はその減少幅は微々たるものなのです。
なぜ医学部志願者数が増えたのか?
医学部志願者数がこれほどまでに増えたのには、いくつか要因があります。
まずは、東大・京大などの理系学部を目指していた受験生が、医学部を目指し始めたことです。昨今の不況の中、大企業に就職すれば安泰という考えが揺らぎ、それまでは医学部以外の学部を目指していた優秀な人たちが、医学部を目指すようになりました。
日本の医師免許には更新や定年の制度がありません。一度医師免許を取れば、定年がないため、自分が望む限り働き続けることができます。どれだけAIが発達してもなくならない職業であり、今後も人々から求め続けられる職業です。そういった意味でも、医師という職業に魅力を感じる受験生が増えていると考えられます。
さらに、医療による社会的課題解決のため、そもそもの医学部定員が増え、受験形式のバリエーションが増えたこと、また、全国の進学校が、成績優秀な生徒に医学部への進学を勧めるようになってきたことなども、医学部全体の志願者数が増えた一因です。
私立大学の医学部に焦点を当ててみると、これらの要因に加え、学費軽減の流れから、今まで受験を考えていなかった一般家庭まで受験者層が広がったことも、医学部志願者数の増加につながったと言えるでしょう。
また、2004年に導入された「医師臨床研修制度」が、医学部の中でも特に私立大学の受験者数を大きく増やしたと考えています。
医師臨床研修制度というのは、診療に従事しようとする医師は、医学部卒業後2年以上、厚生労働大臣の指定する病院において研修を受けなければならないという制度です。
この制度が導入されるまでは、医学部を卒業した研修医は、卒業した大学の医局に入り、医師としてのキャリアをスタートしていくという慣習がありました。厳密な決まりがあったわけではないのですが、出身大学と繋がりのない病院に入るのはハードルが高く、出身大学の医局に就職したほうがいろいろな面で働きやすいという風潮もありました。しかし、この医師臨床研修制度が導入されてからは、出身大学とは関係なく、他の大学病院や市中病院で研修を受けるという選択をする研修医が増えました。そして研修を終了した後も、出身大学に関わらず、自分の希望する病院へ就職することができるようになったのです。
では、この制度によって私立大学の医学部受験がどのように変化したのでしょうか。従来と比較して、「どの大学の医学部を卒業したのか」という点が重要視されなくなってきたということが、受験生の大学選びに強く影響しました。
出身大学がその後のキャリアに大きく影響を及ぼすとなれば、自分の医師としての将来を考えて、どの大学、どの医学部で学ぶかを慎重に選ぶべきであると考えるのは当然でしょう。しかし、この医師臨床研修制度が始まったことにより、出身大学にこだわるよりも、いち早く医師になることを優先する人が増えたのです。その結果、国公立大学や偏差値上位の大学に限定せず、立地や施設、カリキュラムや合格可能性で、自分と相性の良い私立大学の医学部を志望校とする受験生が増えました。
このように、医学部全体の志願者数が増えて競争が激化したことに伴い、国公立大学医学部の難易度上昇に続いて、私立大学医学部の難易度も大きく引き上げられたのです。
ここまでで私たちがお伝えしたいのは、近年大学受験者数が全体的に減少傾向にあっても医学部の志願者数はほとんど減っておらず、国公立大学、私立大学に関わらず激戦が続いているということです。30年前、あるいはそれ以前と今では医学部受験を取り巻く状況がまったく違うということをご理解いただけたでしょうか。