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3浪で日大医学部へ 「神の手」磨いたパチンコ通い(さくら教育研究所)

2024-04-01 | 日記

 天皇陛下の執刀医として知られる天野篤・順天堂大学医学部付属順天堂医院長(61)。埼玉県立浦和高校(浦高)時代は、麻雀(マージャン)に明け暮れた“不良高校生”だった。だが、医者となってからは一転、努力と持って生まれた才能が開花し、心臓外科手術の第一人者への階段を一気に駆け上がった。

 3浪の末、日本大学医学部に入学した。

 浪人中も麻雀から抜け出せず、それどころか、パチンコにもはまりました。多いときは、毎日のようにパチンコ通い。開店と同時に台の前に座って、調子のいいときは、誰よりも早く打ち止め。逆に、5時間ぐらい粘って打ち止めを達成することもありました。

 別に将来の仕事に役立つからとパチンコを始めたわけではありませんが、今思うと、結果的にパチンコは手術の腕を磨くのに役立ったと思います。

 レバー式のパチンコで打ち止めまで続けるには、手先の繊細なコントロールと、それをいかに続けることができるかがカギ。手術も一定の操作の繰り返しなので、手先の器用さと、毎回、いかに同じ動きを再現できるかが成功のカギとなります。ただ、もちろん、実際の手術の腕前は、医者になってからの訓練と実践を積み重ねた成果であることは言うまでもありませんが。

 3浪もすると、さすがに早く親を楽にさせてあげたいという気持ちが強くなり、がぜん勉強に気合いが入りました。3浪もしたら医学部以外への進学は格好がつかないと思ったことも、やる気になった理由です。

 麻雀もやめ、受験対策もしっかりするようになりました。すべての教科を満遍なくやるのではなく、例えば化学など得意教科はやればやるほど明らかに点数が伸びるので、得意科目を重点的にやる勉強方法も身に付けました。自分の好きなことに集中すれば必ず成功できるという考え方は、この時に身に付いたものです。

「心臓外科医としてやっていけるという手ごたえを感じたのは症例数3000を超えたぐらいから」という

 心臓外科医となってからは、評判が評判を呼び、瞬く間に売れっ子に。

 天野は手術がうまいという評判が立つと、それが口コミで広がって患者さんが全国から来るようになり、その人たちを手術して結果を出すと、またそれが口コミで広がるという好循環が生まれました。30代後半ぐらいから、普通なら出会えないような著名な方の手術も多数担当するようになりました。

 これまでに7500ぐらいの数の症例を担当してきましたが、心臓外科医としてやっていけるという手ごたえを感じたのは3000を超えたぐらいから。自分が他の外科医より優れているんじゃないかと思ったのは、5000あたりからだったと思います。昨年の症例数は、病院長になったこともあり少し減りましたが、それでも約400。今年は若手に責任とチャンスをより与えたいので、もう少し減りますが、1日1例、365例くらいは担当したいと思っています。

 とにかく、優秀な外科医になるには数多く手術すること。そして日ごろの訓練と努力が非常に大切です。また、外科医は勝負師の側面も併せ持っていなくてはなりません。いざメスをふるう時に、言い訳したり気持ちが逃げたりするタイプの人間では、だめです。

 そして、人との出会いを楽しめること。私は、手術を通して様々な人と出会い、それが自分の成長につながりました。

 天皇陛下の心臓冠動脈バイパス手術の執刀を任された時は、すでに十分な経験を積んでいたので自信はありました。そして何より自分にとってよかったのは、陛下を担当した後の5年間で、それまでの20年間に匹敵するくらいの成長を経験できたことです。それくらい陛下は人として素晴らしい方。陛下が国民と共にいらっしゃる限りは、私も患者と共にいよう。そう自分に誓いました。

 最近は、外科医志望の高校生への支援に力を入れている。

 医者になる時に外科医を選んだのは、人より3年遅れていたので、その分1日でも早く1人前になりたかったから。外科医の方がその可能性が高かった。もう一つは、テレビドラマ「白い巨塔」の影響です。野心むき出しの主人公、財前五郎が芸者に囲まれて食事をするシーンを見て、外科医は格好いいなと思いました(笑)。

 真面目な話、外科医は格好よくなくてはいけないと思っています。最近は外科医のなり手が減っていますが、それは若い人が憧れるような格好いい外科医がいないからだと、私は考えています。

 4年前、浦高の医学部志望の生徒3人を、夏休み期間中、手術室に招いて私の手術に立ち会わせるという試みをしました。

 現在の浦高校長の杉山剛士先生から、生徒のために何か協力してもらえないかという話をいただき、だったら私たちも外科医不足で困っているので、外科医の仕事を実際に見てもらい将来の進路選択に役立ててもらおうと。まあ、現役時代、不真面目な生徒だったことへの贖罪(しょくざい)の意味もありました。

 それ以降、毎年、浦高以外からも含めて医学部志望者を手術に立ち会わせ、さらには手術前後に患者と面会させるという体験学習を続けています。参加する高校生には、手術のことだけでなく、外科医になることの覚悟だとか、医学部生には1人平均1億円という莫大なお金が費やされているのだから、1日でも早く医者になって、受けた恩を社会に還元しなさいといった話もします。

 心臓外科は結果が見えやすいので、みんな話をよく聞いてくれます。体験後の感想で、約8割が将来は外科医になりたいと言ってくれているので、目論見は順調です。

 浦高の生徒を見ていると、自分の浦高時代を思い出すこともありますね。不良生徒でしたが、麻雀にしてもスキーにしても、いろいろなことに興味を持ちました。自分の可能性を信じ、夢を見させてくれた高校時代というのは、60歳を過ぎてもこうして前を向いて進んでいける原動力になっているのかなと思います。