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広島に原子爆弾が投下される 昭和20年(1945)

2011-06-09 17:00:56 | 仰天二ユース

歴史のウラ話&「今日は何の日」です!


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2006年08月06日


広島に原子爆弾が投下される 昭和20年(1945)

毎年、8月6日になると広島市の平和記念公園で総理大臣も参列する式典が開催される。8月6日は、言わずと知れた広島原爆投下日である。

昭和20年8月6日の午前8時15分、世界初の原子爆弾が広島市に投下された。日本はこの頃、すでに沖縄島も占領され、残るは日本本土のみとなっていたが、軍部はそれでも戦争継続を訴え、国民に対し「一億総特攻」の気構えでいるように呼びかけた。この日本の姿勢を見て、アメリカ合衆国は、最近完成した新兵器である原子爆弾の投下をついに決めたのである。

命令を受けたアメリカ軍の長距離戦略爆撃機B29「エノラゲイ」号は、濃縮ウラン型の5トン原子爆弾「リトルボーイ(コードネーム)」を搭載して、何機かの同型機と共にマリアナ諸島のテニアン島を離陸。
8月6日の未明に広島市上空に到達していたというが、何度か上空を過ぎ去るのみであったという。朝になってからも、B29は上空を通り過ぎるのみであった。

しかし、これが当時の広島市民には最悪の結果となってしまったのである。広島市は、それまであまり空爆を受けることがなかったうえに、当日は上空を過ぎていくのみのB29を見て、いったん出した空襲警報を解除してしまったのである。これに市民も安心してしまい、いつもどおりの生活を始めてしまった。
むろん防空壕に入っていたとしても、放射能を浴びる可能性は高いが、炸裂地から離れた所なら、もしかしたら被害を抑えることができたのかもしれない。

一方で原爆を搭載したB29「エノラゲイ」は、広島上空で目標にすることになっていた相生橋を目視で確認。原爆投下目標は目視で確認することになっていたのだ。そして、ついに原爆は投下された。

エノラゲイ号から放たれた原子爆弾は目標となった相生橋付近上空580メートルあたりで核分裂による爆発を起こした。その瞬間、これまでにないくらいの熱戦と爆風が広島市を襲った。
原爆を落としたB29は、ただちに帰還の途についたが、爆弾が炸裂した時、機体が揺れて、「日本軍の反撃だ」と勘違いしたらしい。

被害については、建造物の倒壊範囲は、爆心地からおよそ2キロの付近までにおよび、付近の地表は一時的に4000度以上となったという。また、放射能も付近に撒き散らされ、即死もしくは負傷による死を免れた人も、放射能に被爆して、後遺症に苦しめられることになってしまったのである。

米軍は、この後8月9日に長崎にも原子爆弾を投下。未曾有の被害の実態を知った日本も、ついに無条件降伏するに至った。

※写真は広島市にある原爆ドーム(旧広島市産業奨励館)
⇒原爆ドーム近辺の地図(livedoor地図情報)

※原爆投下についてもっと詳しく知りたい方は、Wikipediaの「広島市への原子爆弾投下」を見ると、詳しいことがわかると思います。


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(キーワード)

●原子爆弾(げんしばくだん)

原子爆弾は原爆と略されることが多い。地上最悪の核兵器で、その威力は人類のみならず、地球そのものにも甚大な被害を与えるとされ、現在では国連で各国の核開発の抑制を進めている。

昭和20年(1945)の太平洋戦争末期、8月6日に広島、8月9日に長崎に投下され、21万人を越えると言われる犠牲者を出した爆弾である。原子爆弾は、核爆発によって炸裂した時の破壊力もすさまじいが、さらに辺りに放射能を撒き散らす兵器である。だから、爆風や熱戦による負傷を癒すことができた人も、放射能被爆により、重篤な症状に陥って亡くなっていった方も大勢おり、いまなお、被爆による症状に苦しむ人もいる。

日本にとっては「被害を受けた」といえる原子爆弾だが、実は日本でも極秘に開発は進められていた。しかし、開発にかけられる予算と人員が少なすぎ、しかも本土では原料となるウラニウム鉱石がなかなか見つからなかったため、結局開発には成功しなかった。一方、アメリカは原爆開発計画を「マンハッタン計画」として、大々的に開発を進め、完成に至ったわけである。

日本は、世界で唯一、原子爆弾を投下された国。その破壊力を身をもって体験した国なのである。現在、広島市では毎年8月6日に市内の平和記念公園で、犠牲者の慰霊式典を催している。現代に生きる日本人は、核兵器の威力、犠牲者のこと、いまなお後遺症に苦しむ人たちがいるということを後世に長く、広く伝え、人類としてもう二度と同じことを繰り返さないために努力していかなければならないであろう。


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今日も朝、小泉総理が広島平和記念公園の平和式典に参列していたようですね。テレビでもやっていました。

平和記念公園には小学生のころに一度だけ行ったことがありますが、ここにある資料館はすごいです。原爆の威力や、それがもたらす被害がすごい生々しくよくわかります。ここを見たら、誰もが「核兵器廃絶」に賛成するだろうと思えるくらいです。

まだ見てない方は、機会があったら一度行ってみてください。

※この記事は2006年8月6日に書いたものです。


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コメント一覧


1. Posted by ルーシー 2006年08月07日 07:56

 ぴのさん、おはようございます。

 あの忌まわしい原爆の悲劇から61年~今回もとても詳細な記事ですね。

 今なお後遺症に苦しまれる多くの方々やご遺族には、本当の意味での終戦はないと言われますし、あの出来事を風化させずに絶えず核兵器廃絶を唱えていくことが、後世に向けての我々の使命のひとつなのでしょう。

 当時、破竹の勢いでヨーロッパを恐怖に包んでいたナチス政権を打破するため~として当初開発された原子爆弾。 ドイツ敗戦後に皮肉にもその矛先は日本へ向けられました・・・

 ・・・戦争に勝者はいないのですし、各国のすみやかな協力のもと、徐々にでも核兵器を廃棄していってほしものです。

2. Posted by mansaku21 2006年08月08日 20:14

>ルーシー様
お返事遅れてしまってすみません。最近、何かと微妙に忙しくなってきました…。くそう。
核兵器については、日本が唯一その威力を喰らった国だということを考えると、やっぱり核兵器廃絶を唱えていくことは必要ですよね。
私は戦後の人間なので、原爆はもちろん、戦争も生で目の当たりにすることはありませんでしたが、平和記念公園の資料館を見てから、いろいろ戦争の記録などを見たりして、自分なりに戦争について考えるようにしています。戦争をせずに問題を解決できるようになっていってほしいものです。

3. Posted by 高橋 卓也 2007年08月10日 11:58

アメリカの人達は命を捨てて居るだけなのでしょうか、日本の事、恨んで居るのでしょうか、底の辺を詳しく教えて下さい

4. Posted by ぴの 2007年08月10日 16:48

>高橋様
詳しくといっても、私は専門家ではないし、感情面の話となると断定形では述べられないかと思います。

でも、戦争中に限って言えば、アメリカでは真珠湾攻撃を例に挙げて、「日本はだまし討ちをしたひどい国だ、リメンバー、パールハーバー。」といって反日感情をあおることで長期戦による厭戦感情を回避しようとしていたと言われているようです。


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