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黒田官兵衛31 別所長治・照子首塚

2014年05月30日 | 戦国時代

 別所一族が自害すると、家老三宅治忠を含む多くの殉死者が出たという。長治夫婦の首は羽柴秀吉の本陣・本要寺に送られて首実験をうけた後、織田信長の許へ送られたという。そして雲龍寺の住職が長治夫妻の首を貰い受けて埋葬したという。現在は首塚として後世に語り継がれている。

 由緒の記
羽柴秀吉の軍勢を向かえうつこと一年十ヶ月、天正8年正月17日申の刻三木城主別所長治公は将兵、領民の身がわりとなり、一族とともに自刃その壮烈なる最期は武士の鑑みとして永く語り継がれ、その遺徳は正に永遠にして不滅であります。 昭和17年、帝国在郷軍人会三木分会によって当首塚の補修が為され、さらに昭和48年3月、別所公奉賛会は、さきに三木城再興の構想趣意に賛同され寄進された浄財と首塚修復に当り寄せられた市民有志の浄財を以って茲に玉垣を建立、併わせて照子夫人の霊を合祀いたしました。これは実に公の遺徳を偲ぶ三木市民の強い心のあらわれでありまして茲にその由緒を刻み、永くこれを顕彰するものであります。 

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