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村上海賊の娘-11 来島村上水軍衆 

2014年05月18日 | 戦国時代

 ここ四国今治にある糸山公園から大島に向かって架かっている橋により、来島海峡を越えることができる。来島海峡に浮かぶ小さな島が来島で、このあたりを支配していたのが来島村上水軍である。 当時の水軍党首は来島通総、年はまだ若く実質的には村上通康が来島水軍をまとめていたと思われる。また村上吉継という家老が当主補佐をしており、かなりの実権を握っていた。村上吉継の本拠は甘崎城で、瀬戸内海一帯の水軍城の中では一番古く、古城島に建設された。古城島は、この一帯では一番霊験あらたかな大三島の東に近接して浮かんでいる。したがって村上水軍の中では来島水軍が歴史的には一番古いのかもしれない。ということで大三島についてもう少し詳しく触れる必要があるが、それは後ほどにして、その昔由緒のあった来島に代わって能島水軍が村上武吉の功績によって繁栄したということは、最初に記した。しかし系図にも現れているように、来島城主・村上通康の娘が村上武吉に嫁ぐことによって元吉、景親、琴姫を生んだことから、元々は来島水軍のほうが能島水軍よりも上位にいたと察する。能島が古来より上位にいれば、これはありえない。また、村上通康は河野通直の娘を娶っている。以前紹介したが、河野通直は河野水軍の党首であり、村上水軍は元々河野水軍の家臣なのである。その河野氏の娘を来島が娶っていることからも、昔の来島勢力のほどがわかる。村上通康は当時43歳の村上武吉よりも15歳年上である。従ってこの15年の間に両者は逆転したのだろう。村上水軍の因島、能島、来島を説明したところで、毛利兵糧輸送に戻ることとする。

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