淡河城の近くには羽柴勢に破れて自刃したという淡河定範の墓がある。自刃というのは別所長治記にあるらしいが、断定はできていないようである。ここ淡河合戦の地は、今では周りを住宅に囲まれた小さな公園となっていて戦死の址碑が建てられている。碑に弾正忠と刻まれているが、これは律令での官位であって、現在でいう警察のような役職である。淡河合戦の様子は淡河城址にある祠の中にありました。先に淡河城主・淡河定範は別所長治の伯父というふうに紹介したが、系図としては次のように、別所長治の父方の叔母が淡河定範に嫁いでいる。三木城陥落の前年に淡河城が陥落したことがわかる。
赤松則祐1314-1372後醍醐天皇の皇子・護良親王に従って吉野・熊野を転戦
┣赤松義則1358-1427
┣赤松時則
┣赤松満則1366-1392
┗赤松持則
┗持祐-別所祐則-別所則治-別所則定
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┗別所就治1532-1570別所則定
┣別所安治1532-1570
┃ ┣別所長治1558-1580
┃ ┣友之1560-1580 ┣竹姫竹-1580
┃ ┣治定1561-1579 ┣虎姫 -1580
┃浦上氏 ┣千松丸-1580
┃ ┣松丸 -1580
┣吉親 -1580 照子1558-1580波多野秀治の妹
┣重宗1529-1591
┗女子
┣?
淡河定範1539-1579