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村上海賊の娘-3 一向宗 

2014年05月09日 | 戦国時代

 一向宗というのは大坂本願寺のことである。しかし当時は石山本願寺といったほうが良いかもしれない。本願寺第8世の蓮如は法主を実如に譲り、自身は京都山科にある本願寺の南殿に隠居した。ここを山科本願寺という。その頃から大坂への布教活動は定期的に行われており、大坂に坊舎の建設が開始され、これが後に石山本願寺となる。実は当時大坂という名称は存在せず、難波という呼び方が一般的であった。後にこの地を大坂と名づけたのは石山本願寺の蓮如なのである。蓮如の時代から約70年経った頃の本願寺座主が顕如・第11世である。このときには大坂本願寺と呼ばれ、難波の真ん中に位置し、そこは大阪城の跡地にあたる。現在も大阪城内には蓮如の石碑がある。ところで、この本願寺派はもともとは親鸞の教えに従う門徒であったが、蓮如の後継者である実如の時代に摂津、河内の門徒衆の反対を押し切るかたちで、武装集団へと変貌していく。

 経緯を少し解説する。細川勝元の嫡男・細川政元1466-1507は守護大名・管領の足利氏の庶流であったが、将軍をしのいで事実上の最高権力者となっていった。このとき足利将軍・義材は畠山政長と共に畠山義豊討伐のために河内国へ出兵する。一方京都に残留していた政元は日野富子・伊勢貞宗と組んでクーデターを起こしたのである。つまり以前に将軍候補に推げた清晃を第11代将軍に擁立しようというのである。この1493年に起きたクーデターを明応の政変という。かくしてクーデターは成功し、畠山家の勢力は衰え、足利義材は京都・龍安寺に幽閉された。一方石山本願寺法主・顕如の義兄に当たる細川晴元は細川氏本家京兆家当主である。

 蓮如の後継者実如は明応の政変以降、細川政元から参戦を求められるようになる。やがて本願寺は武士勢力という位置づけが濃厚になり、実如の後継者・証如の代では兵数10万まで膨れ上がったという。強大な力を蓄えた本願寺に対して恐れをなした細川政元は、三好長慶を擁して石山本願寺の制圧にかかる。この頃本願寺の指揮官として赴任したのが下間頼盛、「村上海賊の娘」に登場する坊官の下間頼龍とはもちろん縁がある。細川晴元らとの抗争の中で寺領を拡大していった石山本願寺は顕如の時代となり莫大な財力を誇ることとなる。ここに立ちはだかったのが織田信長なのである。1570年石山本願寺の明け渡しを要求したことから石山合戦は始まる。この合戦は10年以上も続くことになるが、開戦6年後の1576年が「村上海賊の娘」の舞台となる。 

藤原不比等-房前-真盾-内麻呂-真夏-濱雄-家宗817-877-□-資業(日野薬師)-□□-経尹
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┗日野有範?-?(崇徳天皇の侍講)
  ┣親鸞1173-1263(日野忠範)
 吉光女┣範意   
    ┣小黒女房 ┏如信1235-1300(本願寺第2世) 
    ┣善鸞1217-1286
    ┣明信
    ┣有房   小野宮禅念
    ┣高野善尼  ┣唯善1253-1317
    ┣覚信尼1224-1283
   恵信尼1182-1268 ┣覚恵1239-1307
           ┣光玉尼 ┣覚如1271-1351(本願寺第3世)
         日野広綱 中原某娘┗善如1333-1389(本願寺第4世) 
                   ┗綽如1350-1393(本願寺第5世)
                    ┗功如1376-1440(本願寺第6世)
                     ┗存如1396-1457(本願寺第7世)
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蓮如1415-1499(本願寺第8世:中興の祖) 
  ┣順如1442-1483
  ┃ 
  ┗実如1458-1525(本願寺第9世)
   ┗円如1489-1521
     ┗証如1516-1554(本願寺第10世 九条家猶子)
      ┣顕如1543-1592(本願寺第11世)      ⇔ 織田信長
   庭田重直娘┃大坂本願寺・一向宗      1570-石山合戦
        ┃下間頼龍1552-1609(顕如の坊官-寺侍)
        ┃┣播磨新宮藩主・池田重利 
        ┃池田恒興の養女
 
      ┃       
        ┣教如1558-1614(東本願寺第12世)

        ┃ ┣尊如 
        ┃ ┣観如  
        ┃ ┗宣如1602-1658(東本願寺第13世)渉成園は隠居所 
        ┃  ┗琢如1625-1671(東本願寺第14世)大谷大学を創設 九条道房養子
        ┃   ┣常如1641-1694(東本願寺第15世)
        ┃   ┃┗真如1682-1744(東本願寺第17世)
        ┃   ┃ ┗乗如1744-1792(東本願寺第19世)
        ┃   ┃  ┗達如1780-1865(東本願寺第20世)
        ┃   ┃   ┗厳如1817-1894(東本願寺第21世)
        ┃   ┃    ┗現如1852-1913(東本願寺第22世)
        ┃   ┃     ┗彰如1875-1943(東本願寺第23世)
        ┃   ┃          ┗闡如1903-1993(東本願寺第24世)
        ┃   ┃           ┗興如1925-1999(東本願寺第25世)
        ┃   ┃            ┗聞如1965- (東本願寺第26世)
        ┃   ┗一如1649-1700(東本願寺第16世)
        ┃    ┗海彗
        ┃     ┗従如1720-1760(東本願寺第18世)
        ┃冷泉為益娘(元誠仁親王妃)
        ┃ ┣准尊1585-1622(室:毛利輝元養女)
        ┣顕尊
        ┣准如1577-1631(西本願寺第12世)
        ┃ ┣良如1613-1662(西本願寺第13世)
        ┃准勝┗寂如1651-1725(西本願寺第14世)
        ┃   ┗住如(西本願寺第15世)
        ┃    ┗湛如(西本願寺第16世)
        ┃     ┗法如1707-1789(西本願寺第17世)
        ┃      ┗文如(西本願寺第18世) 
        ┃       ┗本如1778-1828(西本願寺第19世)
        ┃        ┗広如1798-1871(西本願寺第20世)養子
        ┃         ┗明如1850-1903(西本願寺第21世)
        ┃          ┣九条武子1887-1927
        ┃          ┣大谷尊由
        ┃          ┣鏡如1876-1948(西本願寺第22世)室:籌子
        ┃          ┗浄如
        ┃       ┏籌子 ┣勝如1911-2002(西本願寺第23世)
        ┃       ┣九条紝子┗即如1945-(西本願寺第24世)
        ┃       ┗節子(皇后) ┣専如1977-
     ┏如春尼(三条公頼娘)       範子┣
     ┗三条の方(武田信玄室)       古川流豆美

石山本願寺の祖・蓮如の石碑は大阪城跡地にある

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