前回紹介したのは安宅船。今回は小早について記す。小早というのは小型の早船という意味からもわかるように戦闘には向いているが、船体の全長を覆う甲板、つまり総矢倉が存在しないため防御力は低い。毛利水軍や村上水軍では焙烙火矢や投げ焙烙を武器にしていたため、小型・快速の小早が主力艦であった。写真の小早は能島水軍の村上武吉、景親のものを実物大で再現したもので、村上水軍博物館に展示されていた。いよいよ1576年7月の木津川河口の戦いが始まるが、そこでの主役がこの小早なのである。ここで小早に乗り込む人数であるが、水夫20人と兵10人が基本である。関船の場合は小船の倍、安宅船の場合は水夫100人、兵50人となる。兵糧を運ぶ場合には兵の代わりに兵糧が積み込まれる。すると毛利・村上の水軍は全部で2万人を悠に超えることになるが、兵力は3千から4千というところである。
北畠親房 乃美宗勝の妹
┗北畠師清(信濃村上氏) ┣景隆
┣義顕:因島 ┏村上吉充?-? 青影城主
┃ ┗村上亮康?-1608
┣顕忠:能島 村上武吉1533-1604
┃ ┣元吉1553-1600
┃ ┣景
┃ ┣景親1558-1610
┃ ┣琴姫(養子:実父は村上通康)
┃ ┃┣秀元(毛利輝元養子 長府藩祖)
┃ (来島城主)┃毛利元清1551-1597(穂井田家)
┃ 村上通康┃
┃ 1519-1567┣娘
┗顕長:来島 ┣得居通幸1557-1594
┣来島通総1561-1597当主
┃・・村上吉継? 当主補佐 甘崎城本拠
河野通直の娘