うらうら楽しい日

花々楽しい日の妹ブログです。
トイプードル☆アンディ&チェリーの育児日記でもあります

また、不思議な話

2015-08-14 | 母のこと

母の新盆でもあるので、うちの家族4人と2匹で実家に行き
父と一緒に食事をしてきました

実家はマンションの1階です
オートロック式なので、いつも玄関のインターホンで
「開けて~」と言って解錠してもらっています

殿は車を停めに行ったので
私と子ども2人と犬2匹でマンションの入口から入り
自動ドアの前に立ち、インターホンを押そうとした時

誰もいないのに!
私たち以外の人が誰もいないのに!

す~っと自動ドアが開いたのです


父が解錠したのかな?とかも考えましたが
父は奥の部屋にいたし
私たちが家に入ってきてから着いたことを知ったぐらいなので
自動ドアの解錠なんて、そんなことはできません


たぶん

おそらく

母が開けてくれたんだと思います

 

母が元気だったころは
インターホンを押すと母が出て
「いらっしゃい!」と解錠し
玄関のドアから数歩出てきて
私たちを迎えてくれていました

よく来たね~ 大きくなったね~
って。。。


なので、今日のドアも
絶対母が開けてくれたんだと思います

よく来たね~ 大きくなったね~って

 

お花を飾り
(仏花はいやだったので黄色やピンクのかわいい花束を作ってもらいました)
お供えをして お線香をあげながら 母に言いました

今ここにいるでしょ? って(笑)

お盆の間はきっと
母も実家に住んでいると思います

 

TOP画像は母が白木のテーブルに
アクリル絵の具で描いたお人形の絵です
テーブルの脚の部分は
こういう風になっています


不思議な話

2015-07-23 | 母のこと

私の実家はマンションの1階なのですが、小さな庭があります

このマンションを(母が)買った理由は
関西から連れてきたマルチーズ2匹と
ゆっくり暮らせるお家がほしかったから

当時は犬2匹と一緒に住める賃貸マンションなどほとんどなく
内緒で飼っているのが見つかり、追い出されたこともあったので
母が決意して、縁もゆかりもない埼玉県に
「ここで暮らそう!」と、マンションを買ったのです

私は住み始めて数か月後に
結婚してそのマンションを出ました

若がお腹に入り、胎動を感じ始めたころ
麻衣ちゃん(マルチーズ・13歳)が亡くなりました
紫陽花の咲く6月でした

麻衣ちゃんのことを話すと長い長い話になるので
今回は書きませんが
私は「麻衣ちゃんごめんね」って謝ることがいっぱいありました
でも、最後はいっぱい抱っこして
いっぱい謝って いっぱいお礼を言って
母の腕の中で息を引き取る瞬間まで
麻衣ちゃんを見つめていることができました

小さな庭の隅っこに植えたガクアジサイの下で
麻衣ちゃんがよくおしっこをしていたから…と
母はそのガクアジサイのことを
「麻衣ちゃんの木」と呼ぶことにしました

毎年花をいっぱい咲かせてくれる紫陽花の木
「今年もいっぱい麻衣ちゃんの紫陽花が咲いたよ」って
母が切って持たせてくれていました

2010年6月のブログにも
その紫陽花を窓辺に飾っている写真(TOP画像)があります

先日父に会いに実家に行った時
麻衣ちゃんの紫陽花を思い出し
「今年も紫陽花咲いた~?」と聞きました

すると父が
「それが一つも咲かなかってん。。。」

え?どういうこと?

急いで庭に出てみました
葉っぱの緑は青々としていて
新芽もたくさん出ていて
元気そのものの紫陽花の木なのですが

花らしきものも つぼみらしきものも
ひとつもありませんでした

枯れてしまっているわけではないのに
毎年毎年咲いていたガクアジサイなのに
どうして今年は全く咲かなかったのでしょうか?

紫陽花も母がいなくなって寂しかったのでしょうか?
主を亡くした紫陽花が喪に服して
花を咲かせることを控えたのでしょうか?

でもきっと天国で
母と麻衣ちゃんは楽しく暮らしていると思います
紫陽花の花がいっぱい咲く庭で

*******

もう1匹のマルチーズの夏ちゃんは
若が歩き始めたころに亡くなりました
麻衣ちゃんが亡くなってから1年後でした

とても不思議なのですが
アンディは性格が麻衣ちゃんにそっくりです
アンディの中に麻衣ちゃんが入っているんじゃないかな?って思うほど
本当によく似ています(これは殿も言っています)

そして、チェリーは夏ちゃんによく似ています
チェリーの中に夏ちゃんが入っているんじゃないか?って思うほど
本当によく似ています(これも殿が認めています)
しかも、チェリーのお母さんの名前が「夏」
なっちゃんなのです!

アンディとチェリーをかわいがることは
麻衣ちゃんと夏ちゃんの供養にもなると思っています

科学では証明されない不思議な話ってありますよね

あなたは信じますか?

私は結構信じています


サクランボの季節

2015-06-15 | 母のこと

今年 初のサクランボ

スーパーで見つけた時
母が好きだったなぁと思い
涙が流れてしまいました

1パック買って帰り、3つだけガラスの器に入れて
母の写真の前にお供えしました

美味しいねって食べてくれたかな?

去年の今頃はこんなに早く別れるとは思ってなかったのに
寂しいなぁ。。。


亡くなる1年くらい前から物が食べられなくなっていました
でも、お豆腐と温泉卵とさくらんぼだけは
おいしいねって食べることができていました

そのサクランボも季節が終わるとどこにも売っていなくて…
缶詰のサクランボ等も買ってみたりはしたけれど
甘いからって食べてくれなかったし

桜が咲いて、桜が散って
早くサクランボの季節になるといいねぇ~って
亡くなる直前まで話していたのを思い出し

今ならいっぱい持って行ってあげられるのにって
涙が流れてしまったのです 


母のこと(記録として)

2015-03-17 | 母のこと

早いもので、亡くなってから四十九日が経とうとしています
空を見上げると、なぜか母のことを思い出し
夕焼けの空に向かって
もうスイスイ歩けるようになった?
おいしいものいっぱい食べられるようになった?
天国ではお姉ちゃん(私の姉)と一緒にいるの?
などと、話しかけたりしてしまいます

私宛に、父宛に
母と友好のあった方たちからお手紙やメールを頂いているので
記録として、ここに書き写しておこうと思います
※文章は抜粋したり、一部変えたりしているところがあります


母の知人のTさんからの手紙(一部)
ご生前にお交わり頂きました折の
しなやかなお考え方と美しい笑顔
そして、朗らかなお話し声が偲ばれ
地上が寂しくなった思いを深くしております
紙面ではありますが慎んでご逝去をお悔やみ申し上げます

 

母の友人のYさん(中国人)からのメール(抜粋)
今度こそ時間を取って会いに行こうと思っていましたが、
心のゆとりがなく実現できなかったことを
いまになって後悔しています
寂しさで悔しくて悔しくてたまりません

お母様はいつも背筋がまっすぐで
踊り子のようにしなやかに歩き
いつも明るさいっぱいの笑顔で
ご相談に頼むたびに心と心の会話ができ
人生のアドバイスをしてくれました

音楽や芸術の感受性が高く
またいつもロマン溢れる夢を持っている
少女のような方でしたね
お母様は大連が大好きで
「私の第二の故郷だよ」という声が
今も私の耳に残っています

お母様は私が付き合っている友人の中で
一番尊敬でき、一番羨ましく、大好きな方でした
彼女のプラス思考を習って、彼女のように優しく
陽気満々の人生を送りたいです

 

以前同じマンションに住んでいたYさんの娘のHちゃん
父からのメール
ピンポンが鳴りました
出て見ると、子供2人を連れたHちゃん(ご主人も)が
「あーちゃん(=母)いますか?」と立っていました
その後、Hちゃんから送られてきたメールを転送します
 
 久々に会えるとワクワクしながら ビンポンしました
子供2人を連れては、なかなか遠出をすることもなくなっていました
あーちゃんから「元気してた?」と電話をもらっていて
「こっちに来たら 顔出してね」と言われていたのに
なかなか行く機会がありませんでした
 
昨日は近くで結婚式に呼ばれていて
その帰りに、時間も遅くないので
今だったらと思い 寄らせてもらいました
 
あーちゃんが描いてくれた 蝶やピンクのぞうさんの瓶
今でも 使わせてもらっています
とても残念で仕方ありません
お泊まりさせてもらったこともあり
私が遅く起きたら もう家に あーちゃんが来ていたりしたこと
まだ この間の事のようです
 
おじちゃん1人で寂しくなりますね
大丈夫ですか?
かなさんが近くにいるから来てくれますよね?
私もいますからね!
また連絡します

 

 


今月末に家族+父とで関西に行き
納骨してきます

20年以上会っていない父方の親戚(関西在住)の方々も
たくさん来てくださる予定です
皆様と私の家族とは初対面です
こんなことでもないと
なかなか会えないもんなんですね

母が残してくれた有形のもの 無形のものを
ひしひしと感じています

四十九日の法要で住職さんが言っておられました
亡くなった方はどこに行くのでしょうか?
浄土真宗では、
自分を生んでくださったご両親の元へ帰ると言われています

母は祖父母の元へ
姉は母の元へ
みんなで仲良く暮らしていることと思います 


愛の挨拶

2015-02-07 | 母のこと

式で流す曲のご希望はありますか?と聞かれたので
エルガーの「愛の挨拶」と
アルビノーニの「アダージョ」をリクエストしました

聞かれたのがお通夜の直前だったにもかかわらず
奏者の方が弾いてくださり
静かで美しいメロディーを流してくださっていました

出棺の時はエルガーの「愛の挨拶」でした
甘く美しいメロディーが
母の旅立ちにぴったりの曲だったと思います

祭壇はピンク色の花でいっぱいでした

式に来てくださった方に見て頂こうと
前日に母の作品を持って行き部屋の片隅に置いていたのですが
当日式場に入ると


母の作品を展示してくださっていました


お人形がお花を持って座っています


刺繍の作品はイーゼルに立ててくださっていました
これ以外にも油絵やアルバムやパスポートなど
まるで母の個展の様


母の遺影はとびきりの笑顔の写真

※これは遺影の元写真(一部)です
まだ赤ちゃんの若を抱いている写真でした
かれこれ19年前(笑)

告別式では
色々な方からいただいたメッセージや弔電を抜粋して
読んでいただきました

素敵な言葉をたくさんいただいたので
ここに記させていただきます

* * * * * * * * * * *

 

かなちゃんちでお会いしたお母様の優しい笑顔を、       
今でもくっきり覚えています。       
私の拙い恋の終わりを見守ってくれたお母様は       
かなちゃんとともに、私の人生の中で重要人物のおひとりなのです。       
たくさんの愛につつまれて旅立たれたお母様は、       
大空でご家族皆様を見守ってくださっていると思います。       
Hさん(私の高校の同級生)


いろいろお世話になりました。       
人生の節目節目でかけてもらった言葉を思い出しています       
その時は深く考えなかったけれど、今にして思えば私の心の中を       
見透かしての励ましの言葉だったのだなぁと胸が熱くなります。       
母もたくさんのことをお母様から学んだと感謝していました。       
ご冥福をお祈りいたします。       
Sさん(私の小中高の同級生)    
       
       
感性の鋭い華やかな方       
学ぶことが多くすばらしい方       
さみしくなります       
ご冥福をお祈りします       
Fさん(母の友人)
       
       
家庭訪問でお目に掛かった若い日の素敵なお姿が思い浮かびます 
岩倉のお部屋もとてもいいセンスが行き届いていて
感心したのも忘れません。      
私が26歳の時でしたから、41年前です       
なるほど「おっかなえ(先生が私につけた愛称)」のご家庭だと思ったものです       
ご冥福を心よりお祈りします       
F先生(小学校の時の担任の先生)
    
       
       
驚きと悲しみでいっぱいです。       
いつも明るく、バイタリティ溢れた方で、       
太陽のような叔母ちゃん。       
信じられない思いです。       
お通夜も告別式も行けず、叔母ちゃんとお別れできなくて       
申し訳ありません       
京都の地で叔母ちゃんのご冥福をお祈りしております       
Cさん(母の姪)      
       
       
晩年のお付き合いはありませんでしたが       
はつらつとしたお姿しか浮かびません       
ただただ寂しい限りです       
Mさん(母の姪)


いつまでもピュアな気持ちを持ち続けたあーちゃん。       
私の心に沢山の思い出を残してくださいました。       
お話した膨大な時間を決して忘れません。       
本当にありがとうございました。       
Hさん(私の小中高の同級生)  
       
       
お母さんの茄子の煮物が美味しくておかわりしました。       
たくさんほめてもらえたことも忘れません。ありがとう。       
Nさん(私の大学の同級生)


驚きました。電話でお話ししたのはいつだったでしょうか
また電話頂戴と言っていただいていたのにそのままになって
その時はとてもパワフルな感じでしたのに
私が知っていたころは岸恵子に似た華やかなきれいな方で凛として
お父様とお似合いだといつもうらやましく思っていました
なんでもおできになって…
お母様のご冥福お祈りいたします
K.Mさん



他にもたくさんの優しいお言葉を頂きました
本当に本当にありがとうございました

母のことですので
きっと天国でも大好きな人たちのことを
全力で守ってくれると思います


追悼(母の過去記事のまとめ)

2015-02-02 | 母のこと

私の母は、私なんて足元にも及ばないくらいの
ハンドメイダーでした

幼少の頃から、私の服は母の手作り
リカちゃんの服から傘などの小物まで母の手作り
「ロンパールーム」や「おかあさんといっしょ」で使われていたおもちゃがほしいと言えば
家にあるもので似たようなものを母が手作り
幼稚園に寄贈したぬいぐるみは数知れず

ドライイーストなどがない時代からパンを焼き
デラックスなケーキを焼き(ピンク色のクリームの薔薇の花の飾りなどがついていました)
マドレーヌにシュークリームにキャラメルも手作り
籐でできた籠や籐製の各種小物入れ 
 畳くらいの大きさのパネルに貼ったフランス刺繍の大作
アートフラワーで豪華な花を作り 油絵を描き トールペイントをし・・・

「どんだけ器用なんだ?」という疑問さえも起きないくらい
ありとあらゆるハンドメイドで行きつくところまで行っては
次へ次へと移っていました

私が中学生の時はお人形の先生でした
布製のお人形を作ったら友達から「教えてほしい」と言われ
ちょっと教えてみたらクチコミで広がり
芋づる式に生徒さんが増え
火曜と木曜は私が学校から帰ると
生徒さんとお土産のお菓子で部屋がいっぱいでした

ご近所に住んでいた宝塚スターさんのお母様も
母の人形教室の生徒さんで
その方経由で母の人形はたくさんのタカラジェンヌの元へも
嫁いで行きました

でも ある日「もうやめるわ」と言ったかと思うと
人形教室をフェードアウト
今度は自分で作りたい人形を作ることに没頭し始めました

過去に1度だけ有名な雑誌のハンドメイド大賞に応募したことがあるのですが
その時「ファインワーク賞」をいただいたのがこの子です
※ 人形教室で教えていたのはこのタイプの人形ではありません


ほとんどの人形は嫁いでしまっていますが
この子を含め数人だけが
今も実家の母の部屋で座っています

 


ベルト部分はグログランのリボンにお花の刺繍をしたもの
チロリアンテープじゃないところが母らしい(笑)

 


靴にも刺繍
靴下もペチコートも帽子もアクセサリーも
全部母が作っています

 


目もまつ毛も唇も・・・

これらのお人形は昔からずっと家にいましたが
自分がハンドメイドにはまった今見ると
改めてその凄さがわかります

この後、母は更に進化します

ジュモーやブリュといったヨーロッパのビスクドールに憧れ
クラフト用の粘土で顔や手足を作る人形の制作に打ち込み始めました

その頃作った人形も少しだけ残っています
(欲しいと言った方にどんどんあげていたので、ほとんど残っていないのです)

 


ガラス製の目と、カールした髪の毛は買ったものですが
ほかはすべて母が作っています


最初は次々と新しい人形が生まれていましたが
そのうち「違う!バランスが悪い!」と
顔を作っては壊し 作っては壊し・・・

そのうち、作ることをやめてしまいました


先日実家へ行った時
「作りかけのお人形をそのまま取ってあるんだけど
あんたが続きを作ってみない?」と言われました

箱を開けると・・・

作りかけの顔 そして手足

これを私にどうしろと言うのでしょうか?

あまりにもすご過ぎて・・・
「無理」としか言えませんでした

2010 3.14 記

 

人形は作るだけでなく、油絵でも描いていました


この頃母は油絵を習っていましたが
先生(洋画家)とは作風が違ったので
教室で描いてくる絵(主に静物画)と、家で自由に描く人形の絵は
まったく別物でした

後にトールペイントを習ってからは、アクリル絵具で描くようになりました
お人形の絵は今でも(実家に)いっぱいあります
トイレにも飾られています(笑)

2010.4.21 記

 

母の手編み






どんな精神状態でこれらを編み続けていたのか
私にはさっぱりわかりませんが
私がOL時代、会社から帰ってくると
確実に猛スピードで編み進められていました
手編み経験者の方ならわかると思いますが
横に糸を切り替えるのって、大変ですよね
これだけ入り組んでいると・・・

2010.4.17 記

 

母の刺繍

これは私が関西に住んでいた時に(25歳まで関西在住)
応接間のアップライトピアノの上に飾られていたものです
大きなパネルに貼られていたのですが
引っ越しの際に、母がザクザクと切り取ったのでしょう(笑)

母によると「大阪万博(1970年)のどこかの国のパビリオンの壁画を参考にして刺繍した」そうです
ということは、少なくとも「どこを何のステッチで縫うか」などは
オリジナルということになるのですよね
ちょっと信じられませんが・・・


寄って写真を撮ってみました

不思議な形の花
刺繍糸のグラデーションがとてもきれい



40年近く前の作品なので、スパンコールが取れていたり
刺繍糸がちぎれていたりしていますが
それでも、丁寧な手仕事がよくわかります



フレンチノットがいっぱい
右側↑の網目のようなのは・・・



袖の部分です
刺繍の上に刺繍糸を編んだものをかぶせているみたいです
すごいなぁ・・・



左の女の子(妹かな?)



右の女の子(お姉さんかな?)


そして

このきらびやかな衣装を着ているのが



お母様かな?



お母様のおカバンも
なんだかすごい技が使われているような気がします



どの国のパビリオンの壁画なのか?
それをどうやってこのような図案に起こし、刺繍に再現したのか?
今となっては謎ですが(母は覚えていないと思うので)
自分がハンドメイドをするようになった今
作品としてじっくり見てみると、その凄さに改めて驚嘆しました

2010.5.16 記

 

カーネーションの時代
先日偶然テレビで見た番組
歴史秘話ヒストリア「”カワイイ”に恋して~中原淳一と"カーネーション"の時代」→
普段は「ながら族」の私が、この番組は珍しく集中して見てしまいました
過去に何回か書いたことがありますが
私の母は私なんて足元にも及ばないくらいのハンドメイダーで
興味を持ったことはとことん追求するタイプ
その母が「尊敬する人も、ライバルも、中原淳一さんだけ」と申していました

そんな母から「これはあんたが持っておいた方がいい」と
押しつけられるように渡された画集があります

中原淳一画集
「何で私が…」と思いながらもとりあえず保管していました

母は1933年生まれ
糸子よりはずいぶん若いけれど、しっかりカーネーション世代です
その当時に熱狂して読んでいた本が


「それいゆ」だったそうです
本は捨てられなかったので全部友達に預けたそうですが
それから50年以上も経っているので
もう所有権も何もないですね(笑)


当時、中原淳一さんの書いた記事は
少女たちを熱狂させたそうです


髪の結い方が図解されていたり


ちょっとしたハンドメイドも興味を引きそう


昭和ならではのアイデアですね

こういう時代に手作りに熱中していた母は
ネットで色々な資材が買えてしまう現代にはない楽しみ方で
あれこれ作っていたんだろうなぁと思いました

2012.2.18 記


2015年2月1日 母(彩子)永眠


母のこと(6)

2012-08-17 | 母のこと

母の近況を記しておきます

お薬がとても効いているようで
あの時の あの姿が嘘のように
普通に歩き 普通に喋り 普通に笑っています

厳密に言うと
「?」と思うことがあることはあるのですが
まぁ、気にはならない程度だし

それに本人が
「私はどこも悪くない これは老化だ!
この歳になるとみんなこうなの」
と申しているので
まぁ、そう言うことにしておきましょうと
思っています

今は週3回ヘルパーさんに来ていただいています
1時間半で買い物と料理と簡単なお掃除をして下さるそうです

その噂のイケメンヘルパーさんに
先日会うことができました

アンチェリを連れて行っていたので
イケメンヘルパーさんが到着するや否や
2匹が猛ダッシュでお迎え

「はいはいはいはい」とヘルパーさんの声
どうやらアンチェリ(特にチェリー)の熱烈歓迎を受けている様子

私はリビングでご挨拶

背が高くて、清々しい感じ
ジェニーズ系とかではないけれど
実直そうな好青年(29歳)です

はじめましてのごあいさつをしている時に
こともあろうにチェリーが便意を催し
となりで「う○ちんぐポーズ」をしていました

私が慌ててチェリーを抱き上げ
「ここでしてね!」とトイレシートの上に置くと・・・

イケメンヘルパーさんが
「はいはいはいはい」とチェリーのお尻をそっと押さえて
(う○ちがシートの上でできるように)補助をしてくれました

その素早い動きと慣れた手つきは
さすがヘルパーさん!
これは条件反射なのでしょうか?

いやはや恐れ入谷の鬼子母神でござんした。


その後キッチンへ入り冷蔵庫の中を見て
「今日は食材がいろいろあるので
ここにあるものを使って作りますね」
そう言って、調理に取り掛かりました


「何を作られるのですか?」と聞くと
「肉じゃがと夏野菜の焼き浸し」とのこと

 調理師免許を持った29歳独身のイケメンヘルパーさん
その手際の良さにほれぼれしながら

後ろからこっそり写真を撮っちゃいました!

うなじが好青年を物語っているでしょう?(笑)

この日のお料理ではないのですが

ある日の1品です
これ以外に数品作って下さり
さらに常備食も用意してくれるそうです

ケアマネさんも ヘルパーさんも
とてもよくして下さる方で
本当にありがたく思っています

母もとても喜んでいて
それが、なによりうれしいです

この先色々あると思いますが
とりあえず順調なので
ほっ。


おまけ

酉年生まれの母は鳥が大好き
私から母へのお土産や誕プレは鳥物にすることが多かったこともあり
母の家には鳥のものがい~っぱいあります
※ 写真はほんの一部です


母のこと (5)

2012-07-12 | 母のこと

先日実家にケアマネージャーをはじめ数人の方が来られて
いろいろな手続きをしました
たぶん「要介護」はとれず「「要支援」になるだろうということで
それを想定した手続きです
最初は何のことだかわからなかったのですが・・・

要介護 の場合は、居宅介護支援事業所と契約を結べばいいので
今のケアマネさんの所属する事業所との直接契約で済むのですが

要支援 の場合は、地域包括支援センターと契約しなければならず
別の事業所(支援センター)に間に入ってもらわなければならないのだそうです

その契約に来られた方(支援センターの方)は若い男性で
私が見ても、なかなか感じが良い方だなぁと思える人でした
隣の母もいつになくニコニコ!
いくつになっても、若い男性(できればイケメン)と話せるのはうれしい様です

支援センターの人が帰られた後
今度はヘルパーさんを派遣して下さる事業所の方が来られました
この方(女性です)も明るくて元気が良くてちょっと一安心
おじいくんが要介護2なので(←謎の要介護2・笑)
そっちの方の余っている枠で
週2回ヘルパーさんに来ていただくことにしました

ただ、両親とも消極的
おじいくんは「おいしい物を作ってくれるなら、こんないいことはない」と言ってはいましたが
「何をしてもらえばいいんだ?」と戸惑いが見え隠れ
母の方は、思いっきり尻込みをしていて
「私の友達で、ヘルパーさんのことをよく言う人はいない」とぶつぶつぶつぶつ

いやだったら断ればいいんだからと
私が強行突破!
で、ダメ元でちょっと聞いてみたんです
「イケメンでお料理の上手なヘルパーさんっていないんですか?」
半分冗談ですけどね

ところが!

「います!29歳で調理師免許を持っている男性がいます」と予想外のお返事
「その方はイケメンですか?」と笑いながら聞くと
「なかなかのイケメンです!」と言うお返事

シメシメと思いながら、母を励まし
木曜から(週2回・1時間半)来ていただくことにしました
その木曜が今日です

先ほど母から明るい声で電話がありました
「すごいイケメン!背も高くて優しくてお料理も上手なの」
なんだかとってもうれしそう
近所のスーパーに買い物に行ってくれて
肉じゃがとほうれん草のお浸しと焼き魚とお味噌汁を作ってくれたそうです
その後、トイレと洗面所の掃除もしてくれたとおじいくんが言っていました

母だけでなく、おじいくんも気に入ったようで
これは助かります!

ヘルパーさんは数人が担当することになると思うので
他の人も来ることになると思いますが
とりあえず「つかみはOK!」ってことで
第一関門突破です

慣れてきたら母がデイサービスに行く気になるように
じわじわ仕向けて行かなければ!

一歩一歩ですが
前に進んでいます
母も元気にしていますので
心配して下さっている方々
ご安心ください


大阪の叔母さん(母の妹)からこんなものが送られてきました
パーキンソン病に効く音楽療法CDブック (ビタミン文庫)
脳内の歩行リズムを正常化する「特殊音源CD付き」

このCD、クラシックの後ろにメトロノームのカチっカチっって音が
かなりウザイんですけど(それがパーキンソン病の人に良いらしい)
母は聞いてくれるかな?
聞きながら体を動かして・・・と、とりあえず教えにいかなきゃ。。。


母のこと (4)

2012-07-07 | 母のこと

難病の中でも積極的に研究を推進する必要のある疾患であり
治療が極めて困難であり、かつ、医療費も高額である疾患について
国と都道府県による公的な助成を受けることができます

パーキンソン病はこの「特定疾患」に指定されていて
申請すれば(その疾患に関してのみ)かかった医療費(薬代も)が
免除(あるいは一部免除)になるそうです

昨日は保健センターに行って説明を聞き、書類をもらってきました
はっきり言って「書類がややこしい」
健康な私でも、わからないところがあり、すでに3回電話で聞いています
これは県によって違うのかもしれませんが
申請が通り、また別の申請をすれば
年に三万円のお見舞い金もいただけるそうです
面倒くさがらずに、頑張って申請しますっ!

昨日書類を持って母のところへ行ってきました
父から預かる物もあるし(住民票や源泉徴収票など)
あれこれやっている時に、母が話しかけてくるので
「今これやってるからちょっと待っててね」と言うと
少し黙るのですが、
またあれこれ話し掛けてきます
まったく、子どもみたい!(笑)

詩や俳句が上手だったのでまた書いてよと何度も言っているのですが
「私が今したいのは、庭に出て 空を見上げ 鳥の声を聞き・・・」とか
まぁ~話をそらす そらす
「結局、書くのが面倒くさいんでしょ?」と聞くと
「うん。」と、そこは素直に返答
「でも、ちょっとくらい書いてみない?」と食い下がると
「私の頭の中に全て入っています。質問にはお答えします。」と
遠くの1点を見つめ、教祖様のようにおっしゃいました。
真顔なのが面白かったです

誰か会いたい人はいない?と聞くと
母「若と姫」←孫二人
私「今度連れてくるよ!他にいない?」
母「いない。 あ・・・死んだ母親に会いたいなぁ
  何をしても芸術的ですごく才能があって・・・きれいな人だったのよ
  お母ちゃんにあんた(私のこと)を会わせたい」
私「私が生まれる前に亡くなったからねぇ・・・」
母「お母ちゃんにあんたを会わせて”いい子でしょ”って自慢したい」
かなりの親バカですが
ちょっとうるっとくるものがありました

昨日の夜10時NHKの番組「情報LIVEただイマ」で
認知症のことやるみたいだよって
お友達のRikaさんからメールを頂いたので見てみました
内容が、「親が認知症!その時娘は?・・・
めちゃくちゃタイムリー!
なおかつ笑える!暗くない!
認知症(アルツハイマー病)と言えば 
「いずれ娘のこともわからなくなる」とか
「徘徊する」とか
「急に怒りだす」とか
ネガティブな情報しかなかったので
さきゆきを考えると、どんよりすることもあったのですが
そうじゃない世界を垣間見ることができました

司会の原田泰三さんがお孫さんへの気持ちが表れるシーンのことを話そうとして
涙ぐみ、声を詰まらせているのを見て、私もぐぐっときました

ゲストで出演されていた関口祐加さんは映画監督さんなのですが
お母様が2年半前にアルツハイマー病と診断されてから
ずっと動画を撮り続けていらっしゃっていて
それが映画化され、今月14日から上映されるそうです
(詳しくはコチラのHPで)

関口監督はものすごく明るい方で
おばぁちゃんとの接し方もとても参考になりました
おばぁちゃんはアルツハイマーになる前は厳格だったそうですが
アルツハイマーなってからはとても明るく面白くなったそうで
それはそれは、見ていて楽しく
声を出して笑ってしまいました

一緒に出演されていたお医者さんが
「アルツハイマー病はたくさんある脳の機能の中の
ほんの一部の”記憶”だけがだめになったのであって
それ以外の機能はちゃんと働き、感性も豊かで・・・」
というようなことをおっしゃっていたのにも大共感しました
母も時々「???」なことがありますが
ちょっと引いて見てみると
面白いことを言ったりするんですよね

100人100様の病状があるとは思いますが
明るく接していれば、明るいアルツハイマーでいてくれるのかな
と、ポジティブに考えようと思いました

7月14日から公開される映画「毎日がアルツハイマー」を検索すると
「毎アル」のフェイスブックページに飛べて
そこに、昨夜の番組のことが書いてあったのでコメントを残すと
なんと、関口監督ご本人から私に友達申請(←フェイスブックの)がきました
「さっきテレビで見てた人が?」とビックリ!

ということで、私はこの映画の監督と(フェイスブック上で)
お友達になったというわけです

人生何があるかわからないですね
面白いなぁ~


母のこと (3)

2012-07-04 | 母のこと

パーキンソン病にアルツハイマー病が合併しているという診断を受け
(パーキンソンの)薬を飲み始めてから2週間が経ちました

2週間前はまともに歩くこともできず
笑っても表情はなく顔が硬直
車椅子に座っていても常にどこかが痛いと言い
ここをさすってこっちを揉んでと要求し続けていた母

一体どうなってしまったんだろう?
この先どうなるのだろう?

押し寄せる不安を振り払いながら
「お薬が合えば楽になるからね」と
必死で母を励ましていました

2週間後の今日
お昼に迎えに行くと
ゆっくりではあるけれども
一人でスイスイ歩いて出てきて
体を支えようと手を出すと
「自分ひとりで大丈夫」と断られました

車の中でもよく喋り
時折笑顔になります

私が買って行った「100歳」と言う本が
いたく気に入ったようで
(詩の部分は全部読み終わったので)
本を開いた時にそのページに書かれている詩を読むようにしているそうです
「漢字よりこの本を読む方がずっと楽しい」と言っています
(漢字ドリルは不評ですね)

月曜日は介護認定の方が来られたのですが
事前に「何でもできるって言っちゃだめよ 歩く時も手すりを持ってゆっくりね」
と言っておいたのですが・・・
予想通り、期待を裏切ってくれました
廊下も一人でス~イスイ
いつもよりしっかりした受け答え
(記憶違いのこととかも言っていたのでそれは後で私が訂正しておきましたが)
あれでは要介護は取れないと思います
要支援2が付けばいい方かな?
まったく もう。。。


そして、今日の病院では・・・
前回同様、先生の前に同じ方向で立ち
先生が右へ一回 左へ一回体を倒すように力を掛けます
フラフラするものの、前回よりは踏ん張っていました
今度は後ろに倒すように力をかけると
「恐い恐い恐い 先生恐いって!」

パーキンソン病の人は後ろに倒れやすく
後ろに体がいくことを異常に恐がるそうです
前回は一歩も足を出さずに倒れていましたが
今回は恐いといいながらも1歩足が出ていました

次はアルツハイマー病向けの質問
3つの言葉の記憶
「先生が1つ目は柿」と言うと
「果物の方ですか?」と母
2つ目は「はし。食べる時に使うはしです」と先生が言うと
「竹冠の箸ですね」と母
3つ目は「いぬ」
「大きいと言う字にテン」
「漢字の書き取りちゃうって!」とツッコミたくなりました

数分後「3つ言って下さい」と言われると
「柿とかっていうの?」と母
「そうです。他の二つは?」と先生
「犬?」
「そうです。もう一つは?」
「なんだったっけ・・・う~ん・・・・」
「竹冠って言ってましたよ」
「あ!箸だ!」

すごい!今日は全問正解でした(ヒント付きですが)
これは2問正解すれば一応合格のようです

「100から7を引いて下さい」の計算シリーズも
難なくクリア

数字を逆から言って下さいというのも
5ケタの数(例:39618 を逆から言って下さい)も
3回目くらいでしっかり言えていました

「今日は何年何月何日ですか?」は
「7月4日」
これは最近私もよく聞くようにしているので言えていました
先生「何年ですか?」
母「二十四年」
先生「何の二十四年?」
母「平成じゃないの?←なんでそんな事を聞くのと言うような表情」
先生「当たりです」
母「あ~ビックリした 年号が変わったのかと思った」

「先生は素敵な方ですね」とかって褒めるし
「私が元気になったら、先生(自分が治したって)自慢して下さい」とか
まぁなんていうか、往年のカリスマ主婦時代の母を彷彿とさせる論法が
見え隠れしていました

能弁な母が唯一答えられなかったのは
「昨日の晩御飯は何を食べましたか?」

これは全く思いだすことができずタイムアウト
それに対して母は
「そんなねぇ、昨日食べた物のことなんて覚えておく必要ないでしょう?
過去を振り返らずに、未来に向かって生きなくちゃ!」

アルツハイマーになっても
脳の中の海馬部分に隙間ができても
母は相変わらず母だなぁと思いました

でも、物忘れを指摘された時に取り繕うのは
アルツハイマー病の特徴だそうですね
今のところ、ちゃんと会話はできていますが
ところどころおかしなところもあるし
間違いなくアルツハイマーなんだなぁと思い知らされています

今回はパーキンソン病のお薬以外に
アルツハイマーのお薬も出してもらいました
パーキンソン病に(なるべく)悪影響を及ぼさない薬ということで
処方していただいたのは「イクセロン」という貼り薬です
背中や腕等に、このパッチを貼ることで
物忘れを軽減するとか・・・
ただ、即効性はないそうなので
じっくり待つことにしてみます

パーキンソンのお薬も飲み続けていると10ヶ月くらいで効かなくなるそうなので
その時はまた別のお薬・・・というように
根本的に治すものではなく、症状を抑えるための物の様です

母の様子を見ている殿が言いました
「パーキンソンとアルツハイマーの予防薬があったら
今から飲んでおきたい」

確かに「アルツハイマー病」や「パーキンソン病」のワクチンがあったら接種しておきたいなぁ
寿命が延びているので、今後これらの病気になる人が
どんどん増えてくるように思います

研究者の方々、よろしくお願いします


今日病院で撮った写真です

殿のスマホで撮影
スマホいいなぁ~ カメラ機能だけ欲しいなぁ
あ~ 憧れの Instagram~♪

この2週間大奮闘している父ですが
そろそろデイサービスに行ってもいいかなぁ?と母に聞くと
「かまわないよ 言ってくれた方が良い」とかなんとか
お言葉に甘えて、来週から父は週3回デイサービス復活です
(今まで週4回だったのを1回減らしました)
ヘルパーさんに来ていただけるように
ケアマネージャーさんに頼んであるので
母の不安が少しでも解消されるといいなぁと思っています