うらうら楽しい日

花々楽しい日の妹ブログです。
トイプードル☆アンディ&チェリーの育児日記でもあります

愛の挨拶

2015-02-07 | 母のこと

式で流す曲のご希望はありますか?と聞かれたので
エルガーの「愛の挨拶」と
アルビノーニの「アダージョ」をリクエストしました

聞かれたのがお通夜の直前だったにもかかわらず
奏者の方が弾いてくださり
静かで美しいメロディーを流してくださっていました

出棺の時はエルガーの「愛の挨拶」でした
甘く美しいメロディーが
母の旅立ちにぴったりの曲だったと思います

祭壇はピンク色の花でいっぱいでした

式に来てくださった方に見て頂こうと
前日に母の作品を持って行き部屋の片隅に置いていたのですが
当日式場に入ると


母の作品を展示してくださっていました


お人形がお花を持って座っています


刺繍の作品はイーゼルに立ててくださっていました
これ以外にも油絵やアルバムやパスポートなど
まるで母の個展の様


母の遺影はとびきりの笑顔の写真

※これは遺影の元写真(一部)です
まだ赤ちゃんの若を抱いている写真でした
かれこれ19年前(笑)

告別式では
色々な方からいただいたメッセージや弔電を抜粋して
読んでいただきました

素敵な言葉をたくさんいただいたので
ここに記させていただきます

* * * * * * * * * * *

 

かなちゃんちでお会いしたお母様の優しい笑顔を、       
今でもくっきり覚えています。       
私の拙い恋の終わりを見守ってくれたお母様は       
かなちゃんとともに、私の人生の中で重要人物のおひとりなのです。       
たくさんの愛につつまれて旅立たれたお母様は、       
大空でご家族皆様を見守ってくださっていると思います。       
Hさん(私の高校の同級生)


いろいろお世話になりました。       
人生の節目節目でかけてもらった言葉を思い出しています       
その時は深く考えなかったけれど、今にして思えば私の心の中を       
見透かしての励ましの言葉だったのだなぁと胸が熱くなります。       
母もたくさんのことをお母様から学んだと感謝していました。       
ご冥福をお祈りいたします。       
Sさん(私の小中高の同級生)    
       
       
感性の鋭い華やかな方       
学ぶことが多くすばらしい方       
さみしくなります       
ご冥福をお祈りします       
Fさん(母の友人)
       
       
家庭訪問でお目に掛かった若い日の素敵なお姿が思い浮かびます 
岩倉のお部屋もとてもいいセンスが行き届いていて
感心したのも忘れません。      
私が26歳の時でしたから、41年前です       
なるほど「おっかなえ(先生が私につけた愛称)」のご家庭だと思ったものです       
ご冥福を心よりお祈りします       
F先生(小学校の時の担任の先生)
    
       
       
驚きと悲しみでいっぱいです。       
いつも明るく、バイタリティ溢れた方で、       
太陽のような叔母ちゃん。       
信じられない思いです。       
お通夜も告別式も行けず、叔母ちゃんとお別れできなくて       
申し訳ありません       
京都の地で叔母ちゃんのご冥福をお祈りしております       
Cさん(母の姪)      
       
       
晩年のお付き合いはありませんでしたが       
はつらつとしたお姿しか浮かびません       
ただただ寂しい限りです       
Mさん(母の姪)


いつまでもピュアな気持ちを持ち続けたあーちゃん。       
私の心に沢山の思い出を残してくださいました。       
お話した膨大な時間を決して忘れません。       
本当にありがとうございました。       
Hさん(私の小中高の同級生)  
       
       
お母さんの茄子の煮物が美味しくておかわりしました。       
たくさんほめてもらえたことも忘れません。ありがとう。       
Nさん(私の大学の同級生)


驚きました。電話でお話ししたのはいつだったでしょうか
また電話頂戴と言っていただいていたのにそのままになって
その時はとてもパワフルな感じでしたのに
私が知っていたころは岸恵子に似た華やかなきれいな方で凛として
お父様とお似合いだといつもうらやましく思っていました
なんでもおできになって…
お母様のご冥福お祈りいたします
K.Mさん



他にもたくさんの優しいお言葉を頂きました
本当に本当にありがとうございました

母のことですので
きっと天国でも大好きな人たちのことを
全力で守ってくれると思います


追悼(母の過去記事のまとめ)

2015-02-02 | 母のこと

私の母は、私なんて足元にも及ばないくらいの
ハンドメイダーでした

幼少の頃から、私の服は母の手作り
リカちゃんの服から傘などの小物まで母の手作り
「ロンパールーム」や「おかあさんといっしょ」で使われていたおもちゃがほしいと言えば
家にあるもので似たようなものを母が手作り
幼稚園に寄贈したぬいぐるみは数知れず

ドライイーストなどがない時代からパンを焼き
デラックスなケーキを焼き(ピンク色のクリームの薔薇の花の飾りなどがついていました)
マドレーヌにシュークリームにキャラメルも手作り
籐でできた籠や籐製の各種小物入れ 
 畳くらいの大きさのパネルに貼ったフランス刺繍の大作
アートフラワーで豪華な花を作り 油絵を描き トールペイントをし・・・

「どんだけ器用なんだ?」という疑問さえも起きないくらい
ありとあらゆるハンドメイドで行きつくところまで行っては
次へ次へと移っていました

私が中学生の時はお人形の先生でした
布製のお人形を作ったら友達から「教えてほしい」と言われ
ちょっと教えてみたらクチコミで広がり
芋づる式に生徒さんが増え
火曜と木曜は私が学校から帰ると
生徒さんとお土産のお菓子で部屋がいっぱいでした

ご近所に住んでいた宝塚スターさんのお母様も
母の人形教室の生徒さんで
その方経由で母の人形はたくさんのタカラジェンヌの元へも
嫁いで行きました

でも ある日「もうやめるわ」と言ったかと思うと
人形教室をフェードアウト
今度は自分で作りたい人形を作ることに没頭し始めました

過去に1度だけ有名な雑誌のハンドメイド大賞に応募したことがあるのですが
その時「ファインワーク賞」をいただいたのがこの子です
※ 人形教室で教えていたのはこのタイプの人形ではありません


ほとんどの人形は嫁いでしまっていますが
この子を含め数人だけが
今も実家の母の部屋で座っています

 


ベルト部分はグログランのリボンにお花の刺繍をしたもの
チロリアンテープじゃないところが母らしい(笑)

 


靴にも刺繍
靴下もペチコートも帽子もアクセサリーも
全部母が作っています

 


目もまつ毛も唇も・・・

これらのお人形は昔からずっと家にいましたが
自分がハンドメイドにはまった今見ると
改めてその凄さがわかります

この後、母は更に進化します

ジュモーやブリュといったヨーロッパのビスクドールに憧れ
クラフト用の粘土で顔や手足を作る人形の制作に打ち込み始めました

その頃作った人形も少しだけ残っています
(欲しいと言った方にどんどんあげていたので、ほとんど残っていないのです)

 


ガラス製の目と、カールした髪の毛は買ったものですが
ほかはすべて母が作っています


最初は次々と新しい人形が生まれていましたが
そのうち「違う!バランスが悪い!」と
顔を作っては壊し 作っては壊し・・・

そのうち、作ることをやめてしまいました


先日実家へ行った時
「作りかけのお人形をそのまま取ってあるんだけど
あんたが続きを作ってみない?」と言われました

箱を開けると・・・

作りかけの顔 そして手足

これを私にどうしろと言うのでしょうか?

あまりにもすご過ぎて・・・
「無理」としか言えませんでした

2010 3.14 記

 

人形は作るだけでなく、油絵でも描いていました


この頃母は油絵を習っていましたが
先生(洋画家)とは作風が違ったので
教室で描いてくる絵(主に静物画)と、家で自由に描く人形の絵は
まったく別物でした

後にトールペイントを習ってからは、アクリル絵具で描くようになりました
お人形の絵は今でも(実家に)いっぱいあります
トイレにも飾られています(笑)

2010.4.21 記

 

母の手編み






どんな精神状態でこれらを編み続けていたのか
私にはさっぱりわかりませんが
私がOL時代、会社から帰ってくると
確実に猛スピードで編み進められていました
手編み経験者の方ならわかると思いますが
横に糸を切り替えるのって、大変ですよね
これだけ入り組んでいると・・・

2010.4.17 記

 

母の刺繍

これは私が関西に住んでいた時に(25歳まで関西在住)
応接間のアップライトピアノの上に飾られていたものです
大きなパネルに貼られていたのですが
引っ越しの際に、母がザクザクと切り取ったのでしょう(笑)

母によると「大阪万博(1970年)のどこかの国のパビリオンの壁画を参考にして刺繍した」そうです
ということは、少なくとも「どこを何のステッチで縫うか」などは
オリジナルということになるのですよね
ちょっと信じられませんが・・・


寄って写真を撮ってみました

不思議な形の花
刺繍糸のグラデーションがとてもきれい



40年近く前の作品なので、スパンコールが取れていたり
刺繍糸がちぎれていたりしていますが
それでも、丁寧な手仕事がよくわかります



フレンチノットがいっぱい
右側↑の網目のようなのは・・・



袖の部分です
刺繍の上に刺繍糸を編んだものをかぶせているみたいです
すごいなぁ・・・



左の女の子(妹かな?)



右の女の子(お姉さんかな?)


そして

このきらびやかな衣装を着ているのが



お母様かな?



お母様のおカバンも
なんだかすごい技が使われているような気がします



どの国のパビリオンの壁画なのか?
それをどうやってこのような図案に起こし、刺繍に再現したのか?
今となっては謎ですが(母は覚えていないと思うので)
自分がハンドメイドをするようになった今
作品としてじっくり見てみると、その凄さに改めて驚嘆しました

2010.5.16 記

 

カーネーションの時代
先日偶然テレビで見た番組
歴史秘話ヒストリア「”カワイイ”に恋して~中原淳一と"カーネーション"の時代」→
普段は「ながら族」の私が、この番組は珍しく集中して見てしまいました
過去に何回か書いたことがありますが
私の母は私なんて足元にも及ばないくらいのハンドメイダーで
興味を持ったことはとことん追求するタイプ
その母が「尊敬する人も、ライバルも、中原淳一さんだけ」と申していました

そんな母から「これはあんたが持っておいた方がいい」と
押しつけられるように渡された画集があります

中原淳一画集
「何で私が…」と思いながらもとりあえず保管していました

母は1933年生まれ
糸子よりはずいぶん若いけれど、しっかりカーネーション世代です
その当時に熱狂して読んでいた本が


「それいゆ」だったそうです
本は捨てられなかったので全部友達に預けたそうですが
それから50年以上も経っているので
もう所有権も何もないですね(笑)


当時、中原淳一さんの書いた記事は
少女たちを熱狂させたそうです


髪の結い方が図解されていたり


ちょっとしたハンドメイドも興味を引きそう


昭和ならではのアイデアですね

こういう時代に手作りに熱中していた母は
ネットで色々な資材が買えてしまう現代にはない楽しみ方で
あれこれ作っていたんだろうなぁと思いました

2012.2.18 記


2015年2月1日 母(彩子)永眠