選挙前にどうしても読んでほしいので書きます。
私が政治のニュースに関してコラムを書いていると、
必ず次のようなコメントや質問が来ます。
「魅力的な候補者がいないんです。誰に投票したらいいでしょう?」
「応援したい候補者がいません。選挙に行く気が起きないのです」
いいえ、これらのコメントを書いてきている皆さん、
どうか忘れないでください。
上記したコメントは……民主主義の基本を何も分かっていない
「完全に間違った認識」です。厳しい言い方になりますが、
甘えてはいけません。
民主主義国家では、誰かが必ず「リーダー」になる必要があります。
意思の決定などに不可欠な存在だからです。
みんなでリーダーを選ぶのです。
そのリーダーには、
選んだ以上は出来るだけ多くの人間が応援する必要があります。
上記コメントをしてきている方々に聞きたいのですが、
皆さんは「夫婦関係」あたりと選挙をごちゃ混ぜにしていないでしょうか?
]
「夫婦」や「彼氏彼女」であれば、それは簡単です。
「イヤなら別れればいい」のです。それでおしまいなのです。でも違います。
「政治」はそれとは全く違うのです。
もう一度言います。
「政治家」は「選ばないといけない」のです。
どうしてもイヤなのであれば、自分で出なければいけないのが
「民主主義国家」の最低限のルールです。
それもしないで文句だけを言うのは子供のブータレと何にも変わらないのです。
もしあなたの選挙区にマイナス10点の政治家と
マイナス25点の政治家がいたとしましょう。
その時、あなたはその「どちらかを選ぶ」ことが義務なのです。
イヤなら、せめてプラス店の政治家を選びたいのであれば、
自分で出るしかありません。
逆に言うと、政治家に立候補する人たちは、
自分の生活を顧みず、民主主義国家における
「リーダーとして選んでほしい」と立候補している人たちなのです。
私は他のコラムでも何度も「立候補している人々をバカにしてはいけない」
と訴えているんですが、
彼らはそれだけで十分立派な人々だと私は考えているからです。
7月10日。
皆さん、ちゃんと選挙に行きましょう。
そして、より良い政治家を選ぶんです。
そうしなければ、文句など言ってはいけない。
これは最低レベルのルールなのです。
-goo 2016年07月05日 21:00-
「民主主義の基本を何も分かっていない
「完全に間違った認識」です。」?
民主主義の基本を何も分かっていない輩ばかりが立候補しているから
投票したくても支持し、投票できる相手がいないのだ。
国会を含む議会は私利私欲を追及する場ではない。
党利党略を追及する場ではない。
対立する議員の批判ばかりに明け暮れる場ではない。
議員は日本国憲法により
第四章 国会
第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。
但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、
財産又は収入によつて差別してはならない。
第八章 地方自治
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、
その議事機関として議会を設置する。
地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、
その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
とある。
しかし『「政治家」は「選ばないといけない」』、
『「どちらかを選ぶ」ことが義務』とはどこにも書かれてはいない。
『民主主義国家では、誰かが必ず「リーダー」になる必要があります。
意思の決定などに不可欠な存在だからです。みんなでリーダーを選ぶのです。
そのリーダーには、選んだ以上は出来るだけ多くの人間が応援する必要があります。』
と氏が主張するように、
リーダーとなるべき代議員は国庫や地方公共団体から
相当額の歳費(公費)を受ける存在であり、
国会議員に至っては不逮捕特権を有するほど
強力なリーダーであり、それ相応の資格が有るか無いかを
選挙によって審査されるのである。
その選挙のより多い支持を受けた者が、当選しリーダーとして活躍する資格を得るが、
同時に不支持の重圧を意識し、
より良いリーダーとしてふさわしい理念と行動を求められるのだ。
選挙民が「めんどくさいから」とか
「雨が降っているから」とか
ろくに知る努力もせず、ただの無関心から
「誰に投票したら良いかわからないから」とかの理由で
投票所に足を運ばないのは論外である。
仕事などで忙しいとか、
入院中なのでとか、
選挙当日自分が所属する選挙区にいないとかいう理由も
期日前投票など、可能な限りの方法、手段で投票できる道が開けている。
選挙民に求められているのは、候補者に対し、
支持するかしないかのみである。
そこのところを勝手な、都合の良い解釈で
『支持する義務を負う』と云うのは完全な間違いだ。
支持する者がいなければ、自分で立候補すれば良いと云うが、
立候補するには、莫大な供託金が必要だ。
誰しもが簡単に払える額ではない。
そういう人たちが、自分の切実な願いを込め
大切な一票を投じるのが選挙という制度だ。
そのことをちゃんと理解せず、
自分のことばかり考えている輩ばかりが立候補しているから
支持できる人がいないと云っている。
その良い例が最近辞任した舛添前知事だ。
よりマシな人を支持した結果があれだった。
政治家と政治屋は違う。
理想も行動も伴わない人ばかりが立候補する環境・風土を改善しない限り、
いつまでもこのような状況は変わらないだろう。
自分が生きている間に、本当に信頼し、
積極的に支持できる政治家に出会いたいと思うオヤジが一句。
支持できる 人はいないが 投票し
お粗末。
※ 私は昨日、期日前投票をしてきたのであしからず。
私が政治のニュースに関してコラムを書いていると、
必ず次のようなコメントや質問が来ます。
「魅力的な候補者がいないんです。誰に投票したらいいでしょう?」
「応援したい候補者がいません。選挙に行く気が起きないのです」
いいえ、これらのコメントを書いてきている皆さん、
どうか忘れないでください。
上記したコメントは……民主主義の基本を何も分かっていない
「完全に間違った認識」です。厳しい言い方になりますが、
甘えてはいけません。
民主主義国家では、誰かが必ず「リーダー」になる必要があります。
意思の決定などに不可欠な存在だからです。
みんなでリーダーを選ぶのです。
そのリーダーには、
選んだ以上は出来るだけ多くの人間が応援する必要があります。
上記コメントをしてきている方々に聞きたいのですが、
皆さんは「夫婦関係」あたりと選挙をごちゃ混ぜにしていないでしょうか?
]
「夫婦」や「彼氏彼女」であれば、それは簡単です。
「イヤなら別れればいい」のです。それでおしまいなのです。でも違います。
「政治」はそれとは全く違うのです。
もう一度言います。
「政治家」は「選ばないといけない」のです。
どうしてもイヤなのであれば、自分で出なければいけないのが
「民主主義国家」の最低限のルールです。
それもしないで文句だけを言うのは子供のブータレと何にも変わらないのです。
もしあなたの選挙区にマイナス10点の政治家と
マイナス25点の政治家がいたとしましょう。
その時、あなたはその「どちらかを選ぶ」ことが義務なのです。
イヤなら、せめてプラス店の政治家を選びたいのであれば、
自分で出るしかありません。
逆に言うと、政治家に立候補する人たちは、
自分の生活を顧みず、民主主義国家における
「リーダーとして選んでほしい」と立候補している人たちなのです。
私は他のコラムでも何度も「立候補している人々をバカにしてはいけない」
と訴えているんですが、
彼らはそれだけで十分立派な人々だと私は考えているからです。
7月10日。
皆さん、ちゃんと選挙に行きましょう。
そして、より良い政治家を選ぶんです。
そうしなければ、文句など言ってはいけない。
これは最低レベルのルールなのです。
-goo 2016年07月05日 21:00-
「民主主義の基本を何も分かっていない
「完全に間違った認識」です。」?
民主主義の基本を何も分かっていない輩ばかりが立候補しているから
投票したくても支持し、投票できる相手がいないのだ。
国会を含む議会は私利私欲を追及する場ではない。
党利党略を追及する場ではない。
対立する議員の批判ばかりに明け暮れる場ではない。
議員は日本国憲法により
第四章 国会
第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。
但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、
財産又は収入によつて差別してはならない。
第八章 地方自治
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、
その議事機関として議会を設置する。
地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、
その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
とある。
しかし『「政治家」は「選ばないといけない」』、
『「どちらかを選ぶ」ことが義務』とはどこにも書かれてはいない。
『民主主義国家では、誰かが必ず「リーダー」になる必要があります。
意思の決定などに不可欠な存在だからです。みんなでリーダーを選ぶのです。
そのリーダーには、選んだ以上は出来るだけ多くの人間が応援する必要があります。』
と氏が主張するように、
リーダーとなるべき代議員は国庫や地方公共団体から
相当額の歳費(公費)を受ける存在であり、
国会議員に至っては不逮捕特権を有するほど
強力なリーダーであり、それ相応の資格が有るか無いかを
選挙によって審査されるのである。
その選挙のより多い支持を受けた者が、当選しリーダーとして活躍する資格を得るが、
同時に不支持の重圧を意識し、
より良いリーダーとしてふさわしい理念と行動を求められるのだ。
選挙民が「めんどくさいから」とか
「雨が降っているから」とか
ろくに知る努力もせず、ただの無関心から
「誰に投票したら良いかわからないから」とかの理由で
投票所に足を運ばないのは論外である。
仕事などで忙しいとか、
入院中なのでとか、
選挙当日自分が所属する選挙区にいないとかいう理由も
期日前投票など、可能な限りの方法、手段で投票できる道が開けている。
選挙民に求められているのは、候補者に対し、
支持するかしないかのみである。
そこのところを勝手な、都合の良い解釈で
『支持する義務を負う』と云うのは完全な間違いだ。
支持する者がいなければ、自分で立候補すれば良いと云うが、
立候補するには、莫大な供託金が必要だ。
誰しもが簡単に払える額ではない。
そういう人たちが、自分の切実な願いを込め
大切な一票を投じるのが選挙という制度だ。
そのことをちゃんと理解せず、
自分のことばかり考えている輩ばかりが立候補しているから
支持できる人がいないと云っている。
その良い例が最近辞任した舛添前知事だ。
よりマシな人を支持した結果があれだった。
政治家と政治屋は違う。
理想も行動も伴わない人ばかりが立候補する環境・風土を改善しない限り、
いつまでもこのような状況は変わらないだろう。
自分が生きている間に、本当に信頼し、
積極的に支持できる政治家に出会いたいと思うオヤジが一句。
支持できる 人はいないが 投票し
お粗末。
※ 私は昨日、期日前投票をしてきたのであしからず。