uparupapapa 日記

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お山の紅白タヌキ物語 第17話 キスカ島撤退(2)

2024-02-17 07:21:46 | 日記

※ はじめに

第三話 『ポンポコ踊り』を部分的に加筆しました。

何処にどう加筆したかもし、興味がございましたら御覧ください。

https://ncode.syosetu.com/n2214ip/3/





 撤収艦隊は事前に偽装工作を施していた。

 もし肉眼でアメリカ側哨戒に発見されても友軍(アメリカ艦)と誤認するよう、巡洋艦の3本煙突の1本を白く塗りつぶし二本煙突に見えるようにしたり、駆逐艦に偽装煙突をつけたりと各艦とも偽装、極力戦闘を避ける方針を貫く。

 実際撤収艦隊が出撃した際も、濃霧ゆえ友艦同士が衝突し、やむを得ず帰投した艦が出たほどである。

 しかし、だからといって濃霧の中の出撃とは言え、こんな稚拙で粗末な方法でアメリカ軍の哨戒を誤魔化せるのだろうか?無謀ではないか?

 正直 誰もが疑問に思っていたが出来る事は何でもやろう。今はこれしかない。そう思う以外無いのだから。

 

 当然この艦隊の中に雪江タヌキも紛れ込み、幻術・神通力を最大限発揮し支援するつもりでいる。

 雪江タヌキはお地蔵様から再度授けられた力が、どれ程のものか知らない。

 しかし以前より強力になったと認識している。

 彼女はお地蔵さまの言葉を何度も思い返していた。

「力を授ける意味をおのれに問うてみなさい。どう使えば一番効果があるか?多くの人々を助けられるか?を。」

 

 自分の力をどう使えば一番良いのか?正解は何なのか?

 とにかく今は、目の前の問題を一つ一つクリアしてゆくしかない。

 お地蔵さまのお言葉は、その後に考えよう。

 

 7月23日、アメリカ軍の飛行艇がアッツ島沖で7隻の船をレーダー捕捉した。報告を受けた艦隊は日本艦隊とみて直ちに迎撃のため出撃した。

 だが当時この海域に日本艦船は存在せず、事実誤認であった。

 日本の撤収艦隊は前日の22日に幌筵港を出発したばかりで、キスカ島到達には数日かかる。

 だから当然キスカ島近辺には到達できていない。

 艦隊が出発した後、雪江タヌキは撤収艦隊がキスカ島到達前に何か事前工作をしなくてはと思い神通力を発動、翌日キスカ島近海付近に幻の船団を航行させた。それをアメリカの哨戒飛行艇が日本艦隊と誤認したのだった。

 7月26日 濃霧の中、戦艦ミシシッピーのレーダーがエコーを捕捉。アイダホ、ポートランド、ウィチタの艦隊各艦からも同様の報告を得、艦隊司令長官トーマス・C・キンケイド中将は直ちにレーダー射撃を開始、約40分後に反応が消失する。

 だが不思議なことに、重巡サンフランシスコと艦隊の全駆逐艦のレーダーには日本艦隊の船影など、最初から最後まで全く反応がなかった。

 だってそれは雪江タヌキが発した幻の日本艦隊なのだから、不思議でも何でもなく至極当然なのである。

 もちろん日本軍には全く損害は出ていない。一方的にアメリカ軍が無駄弾をばら撒いただけ。この時アメリカ軍が消費した砲弾は36センチ砲弾118発、20センチ砲弾487発に上る。

 

 この誤認攻撃を米艦隊が打電した砲撃の電文を、日本艦隊は全て傍受していた。また暗号ではなく平文での打電だったため、「アメリカ軍は同士討ちをやっている」

「やれやれ、何を誤認した?鯨の群れか?それにしても間が抜けている。まるで喜劇のようだな。」と日本軍は思った。

 

 7月28日、敵日本艦隊を撃滅したと確信したキンケイド中将。弾薬補給のため、キスカ島に張り付けてあった哨戒用の駆逐艦まで率い、艦隊を全て後退させた。

 

 

 7月29日午後0時 周辺海域からアメリカ艦隊がいなくなっているとは知らず撤収艦隊が入れ替わるようにキスカ湾に突入する。

 アメリカ艦隊後退の僅か数時間後であった。

 

 しかもこの時あれだけの濃霧だったのに、湾内に入る直前から急に晴れだす。これで座礁や艦同士の衝突も防げる。

「ラッキー!」(敵性用語なので誰も口には出さないが)誰もがそう思った。

 

 だがそれも偶然でも奇跡でもない。

 雪江タヌキの神通力の仕業なのだから。

 

 ただちに待ち構えていたキスカ島守備隊員約5,200名をピストン輸送。わずか55分という短時間で迅速に収容する。

 守備隊全員を収容後、ただちに艦隊はキスカ湾を全速で離脱。直後からまた深い霧に包まれ空襲圏外まで無事に脱出することができた。

 7月30日、日本軍守備隊を載せた艦隊が撤退したとは知らず、再び入れ替わるように補給を終えたアメリカ軍が封鎖を再開する。

 日本・アメリカ双方がお互いの動きを全く知らず、すれ違っていた。

 

 キスカ島海域に戻ったアメリカ艦隊は、艦砲射撃と空襲により攻撃再開。

キスカ島を飛んできたパイロットより「航空部隊への対空砲撃、通信所の移転、小兵力移動」との報告を受け、更なる空襲を実施した。

 しかしこれらも当然雪江タヌキの仕業である。もうこの島には間一髪、誰も残っていないのだから。

 

 だが日本艦隊が帰還途中、アメリカ側潜水艦が突如浮上、濃霧の中日本艦隊と至近距離ですれ違う。

 艦隊に緊張が走る。

 潜水艦は何事も無かったかのようにすれ違ったまま遠ざかった。潜水艦側から見て、日本艦隊が友軍艦隊であると誤認したから。

 でもいくら偽装工作を施していたからとは言え、至近距離で交差して気がつかないか?

 少なくとも僅かでも疑念を持ったなら、確認しようとするだろう。だがそんな素振りもなく通り過ぎた。

 

 これも当然雪江タヌキの成せるワザ。ここでもまた間一髪無事敵海域を突破し、帰投する事ができた。

 

 

 

 8月15日アメリカ軍は艦艇100隻、兵力34,000名をもってキスカ島に上陸。

 艦隊が念には念を入れ、必要以上に艦砲射撃を行い、濃霧の中一斉に上陸を開始した。アメリカ軍は存在しない日本軍兵士との戦闘に備え、極度に緊張した状態で慎重に進軍する。

 緊張が緊張を呼び、極度な精神状態に陥り各所で同士討ちが発生した。

 

 実はこの時、雪江タヌキに同行していたアッツ島守備隊の残留思念がキスカ島に上陸、島に残りアメリカ兵を待ち受けていた。

 

 どうして?

 だってアッツ島守備隊の英霊は、雪江タヌキが祖国に連れ帰ったはず。

 だがそのとき英霊たちは残留思念を切り離し、自分たちの無念を晴らしたいとの強い希望を持っていた。

 このままでは帰れない。玉砕まで追い込まれ、無念の死を迎えたままむざむざと帰ってなるものか!

今一度戦い、一矢報いなければ成仏などできるか!

 そうした思いが英霊たちの思念を切り離し、再び雪江タヌキに取り憑きキスカ島に同行したのだった。

 

 アッツ島守備隊の残留思念という幻と戦ったアメリカ兵たちは、極度の混乱の中、同士討ちを始める。

 その結果死者約100名、負傷者数十名を出しキスカ島攻略を完了する。

 奇妙なことに、壮絶な戦いをしたはずなのに日本兵の遺体は全く無く、同士討ちで亡くなったアメリカ兵の死体だけだった。

 その惨憺たる結果を目の前にして、呆然と立ちすくむアメリカ兵たち。

 この怪奇現象は「日本兵の亡霊」の仕業だったのか?俺たちは亡霊と戦ったのか?と思い、以降長く怪談として伝わった。

 でもそれは、日本兵アッツ島守備隊の残留思念という幻だもの、当然だよね。

 

 更に追い打ちをかけるように、日本軍の軍医が立ち去る時、上陸するであろう米軍へのいたずらを意図した『ペスト患者収容所』と書いた立て看板を、置き土産として兵舎前に残して行った。

 語学将校として従軍していたドナルド・キーンがこれを翻訳、上陸部隊はパニック状態に陥る。

 そして大量のペスト血清を送るよう要請する電文を、アメリカ本土に向けて急遽打つ。

 それだけで飽き足らず、地下司令部突入すると、そこには星条旗で仕立てた座布団がテーブルの周りに敷かれている。つまり星条旗を尻に敷いていたことになるのだ。よくも我らの国旗を尻に敷いてくれたな!!兵たちは激高した。

 そして目の前の黒板には、「おまえたちアメリカ兵は、ルーズヴェルトの馬鹿げた狂気の命令に踊らされている」と書かれていた。何たる侮辱!

 

 但し日本軍守備隊は、アメリカ兵たちに憎しみのみで戦っていたのではない。

 どれだけ雨霰あめあられの艦砲射撃を受けていても、冷静さと礼節と人の心を持っていた。

 その証拠に、日本によるキスカ島占領中に撃墜された米軍爆撃機のパイロットたちの遺体が丁重に葬られており、墓標に「祖国のため青春と幸せを失った空の勇士、ここに眠る。7月25日 日本陸軍」と英文で記されていたのだから。

 

 雪江タヌキは思った。

 アッツ島守備隊の英霊たちの残留思念は、これで満足できたのだろうか?

 英霊たちは成仏してくれるのだろうか?それは分らない。

 幻が無駄にアメリカ兵たちを死なせてしまったのは正解だったのか?

 もちろん日本兵側に多大な犠牲を出しているのだから当然である。

 そういう感情を持つのも当たり前なのだ。

 だが、お地蔵さまから授かった能力を、こんな使い方で本当に良かったのか?

 お地蔵さまは「良く考えよ」とおっしゃった。

 結果的に(同士討ちではあるが)殺戮に加担してしまったのは、お地蔵さまの意向ではあるまい。

 過ぎてしまった事は仕方ないが、戦争はまだまだ続く。

 次の行動こそは、人間同士の殺し合いを止めねばならない。

 一方の国に加担して戦争を解決するものであってはいけない。

 同時期にガダルカナル島での悲惨な状況も千里眼で見知っている雪江タヌキは、今こそ悲劇を食い止めようと固く決心した。

 

 

後日談ではあるが、木村少将は救出作戦には収容時間が1時間が限界であると予想していた。

 

 彼は兵士収容作戦を迅速に完了させるには、陸軍側に全ての兵器の海中投棄が必須条件であるとアッツ・キスカ方面の陸軍守備隊司令官を務めていた樋口季一郎に進言する。

 だが樋口は大本営や陸軍省上層部に決裁を仰がず、独断で承認した。

 キスカ撤収作戦後、この一件を知った陸軍上層部から、海軍に対し抗議する。

 でもそれくらいは当然予想していた樋口であったが、欧州に大使付き駐在武官として赴任していた経験から、人命第一だと抗弁している。

 木村、樋口というふたりの陸海軍現地司令官の決断力も、作戦遂行に際し重要な鍵を持っていたと云えるのだ。

 

 奇跡のキスカ島撤退は奇跡でも何でもなく、司令官の決断と雪江タヌキの卓越した能力の結果である。

 その事実を知っているのはほんの一握りの者たちだけであったが、やがてその能力は陸海軍上層部のみならず、政府全体及び天皇まで知らしめることとなる。

 

 

 

 

      つづく

 


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