uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


シベリアの異邦人~ワルシャワ蜂起編~改訂版4

2020-08-31 18:01:10 | 日記





#14 イラストのリクエスト〜『シベリアの異邦人〜』の小説から - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…

ポーランドの首都ワルシャワは、
同一の戦いに於いて異なる民族が
2度にわたり蜂起した
人類史上稀にみる都市である。
一度目はユダヤ人、
2度目はポーランド市民。

そんな頃の物語。


    



      日本への初飛行




1926年、8月27日、ポーランド軍テストパイロットである
ボレスワフ・オルリンスキ大佐は
メカニックのフィリプ・クビャク軍曹とともに
ワルシャワから東京間10,300kmを飛行するため、
晴天の中、一路東へと旅経った。

 これはヨーロッパ人の日本への初飛行であった。

 一行はモスクワ、ハルビン等を経由しながら
九月5日に日本の所沢飛行場に到着し、
多くの日本人から熱烈な歓迎を受けている。

ポーランドは、1918年第一次世界大戦終結と共に
ロシア、ドイツ、オーストリア=ハガンガリー帝国支配から解放され、
1918年独立、主権を回復した。 
その後驚くべき技術の発展を見せた国だった。

特に注目すべきは意外にも航空技術。

 ズィグムント・プワフスキという一人の天才航空技術者により、
1928年直列エンジンを搭載、
全金属製高翼単葉機のP.1を設計している。
当時世界最高性能を誇る戦闘機であった。

 その2年前の日本渡航。
当時のポーランドの航空技術の高さを証明する
画期的な出来事であり、
下地である技術の水準の高さを物語っていた。

 
さて、同乗したメカニックのフィリプ・クビャク軍曹。
彼はこの物語の一方の主役であり、
ボレスワフ・オルリンスキの盟友であった。

日本への初飛行時、
彼にとって相棒である
ボレスワフ・オルリンスキは
年上の大佐で、階級差はあったにせよ、
行動を共にする尊敬し、信頼おける仲間だった。
そんな彼らが日本に滞在した一週間、
どんな思いでいたのだろう?

当時日本でも大いに注目されたふたり。
所沢飛行場に着陸した途端、
多くの群衆が待ち構え、
当時の新聞にも大々的に報道された。
この偉業に日本からは勲六等旭日章、
フランスからは
レジオン・ドヌール勲章が贈られていることからも
如何に大きな出来事だったかを伺い知ることができる。
当然ふたりが立ち寄る先は人だかりができ、
それは見るもの聞くものが総て初めての体験だった。
眩暈がするほど刺激的なのは言うまでもない。

 ヨーロッパ諸国とは正反対の国。
地政学上の位置もそうだが、
価値観、行動様式、建築物に対する思想、
料理の伝統など、
数え上げたらきりがないほどの
違いに満ちた不思議の国。


 そもそも何故日本を目指したのか。

 日本とポーランドにはそれ以前からの深い繋がりがあり、
互いが特別な国でもあった。

その始まりは1920年、
シベリアに於けるポートランド人孤児を
日本が救出した出来事からだった。

それがきっかけで何かと結びつきを強める日本とポーランド。

そうした流れから、
彼らの関心は他のどの地域より
興味と魅力に満ちていたので、
必然的に当時の空の大冒険の目的地に
日本を選んだのは当然の選択であった。

 そして彼らが予想した通り、いや、
期待以上の経験をすることができたのだろう。
その証拠に、
後の彼らの行動には色濃く日本滞在の影響がみられた。

 特にフィリプは、飛行前から何度も
ポーランド孤児の日本での体験を伝え聞き、
日本という国に大いに着目していた。
それ故目的地の選定では、
ボレスワフに強く日本行きを進言したのも
彼だったほどである。
そしてその時の体験が
その後の彼の行動に深く影響する事となった。

帰国後英雄となった彼は少尉に昇進し、
ポーランド北部グダニスクから
およそ200km東に位置する
軍の施設に赴任した。
そうした地理的条件も関係し、施設にほど近い
ポーランド孤児たちが帰国後過ごした
バルト海沿岸のヴェイローヴォ孤児院に
足繁く通うようになる。
日本から帰還した同胞の孤児たち。
興味と親近感と祖国を愛する使命感からか
自然に彼の足は向くのだった。

だが時が経ち訪問を重ねるにつれ、
次第に彼の目的は変質していく。

それは一人の少女の存在にあった。

初めて出会った時彼は20代前半、
彼女はフィリプより一回り以上年下の
現在の日本でいう小学6年生くらいだったが、
その時すでにその夢見るような表情と、
会う人に目の前が
パッと明るくなったような気持ちにさせる
快活さと美貌で人目につく少女だった。
 更に時が経ち、訪問回数が増えるに従い、
彼女の成長がその魅力を増してきた。
そしていつしか彼は
大人なった彼女を意識し、
当然のように恋をするようになっていた。


 彼女の名はヨアンナ。






   ヨアンナの友エヴァ

  

時が経ち少女だったヨアンナも大人になり、
自分の居場所と成すべき仕事を見つけ、
孤児院の世話と孤児たちが構成する極東青年会のメンバーとなり、
活動に没頭するようになっていた。

盟友エヴァと充実した生活をおくっていたヨアンナも、
エヴァにボレスワフ(オルリンスキ大佐と偶然同名だが、
まったくの別人である)
という彼氏ができてからというもの、
次第に別々の道を歩むようになってきた。
というのも、
伝説の語り草となったクリスマスパーティの
相撲勝負の一件以来、
(~ポーランド孤児と日本~改訂版4 後編 参照)
エヴァはボレスワフの露骨なアプローチの波状攻撃を受け、
落城寸前に陥っていた。
ボレスワフには強力な助っ人がいたため、
ここぞとばかりの強気なプッシュができた。
その助っ人とはあのエミル。
エミルは結果として恋のキューピットになれたのを
思いっきり勘違いしている。
自分の機転で結ばれるキッカケを作ったと考える彼は、
ここで一気に縁談をまとめる事ができれば、
心を寄せるヨアンナの評価をかち得るかも?
名誉挽回のチャンスと考えていた。

もっとも、当然ヨアンナからの
エミルに対する評価は
変わらず最低のままだったが。

エミルはそんなヨアンナの心を露知らず、
横目でヨアンナをチラチラ見ながら
ボレスワフをけしかけ続けた。

そんな訳で、あれ以来必要以上に付き纏(まと)われ、
エヴァは熱い視線と甘い言葉に晒された。

ヨアンナと過ごす楽しい会話の時間も
果敢に迫るボレスワフに手を焼く。

しかしヨアンナはエヴァの防波堤になる気はない。
例え大切な親友であっても、
人の恋路の邪魔をするのは
自分の役割ではないと考えていた。

どんなハプニングの結果にしろ、
それが運命なら、自分にできるベストの応援をする。
それが親友としての務めと信じていたから。

ヨアンナはエヴァにボレスワフが近づいてきたら
用事を作ってはその場から消えるようにしていた。
その都度エヴァは思った。
(待って!行かないで!!この裏切者!)と。

しかしボレスワフとの会話に戸惑いつつも
次第に惹かれる自分と、
気を利かせるヨアンナに
感謝するもうひとりの身勝手な自分も感じていた。

あの運命のクリスマスからひと月後。

いつものようにボレスワフがやってきて、
「明日の日曜礼拝の後、
カルタづくりを手伝ってもらえませんか?」
と誘ってきた。
彼はあの一件以来、エヴァに対し、
敬語で話しかけるようになった。
「カルタを?」
エヴァは暫く考え、過去の記憶から福田会で初めて知った
カルタ遊びを思い出した。
「そうです、カルタです。
あの時のように、皆で覚えたての文字でカルタを作り
遊んだのを思い出してください。
作るのも遊ぶのも
皆一緒で楽しかったのを覚えていませんか?
私はあの時の楽しさを、
今の子供たちにも伝えたいのです。
もし良かったら手伝ってください。」
エヴァは心の迷いを押し殺し、
ニッコリ笑って受合った。
「分かりました。
子供たちのためには、とても良い教材になるでしょう。
貴方はいつも人のためになる事を考える人。
私は貴方のそういうところが好きだわ。
明日は私にも協力させていただくわ。」
彼女の言葉で
初めての実質的な
ふたりだけのデートの誘いは成功を収めた。

しかしボレスワフにとっては
初めてのデートの誘いと云う事以上に
ツェザリへのけん制と
罪滅ぼしという意味合いが強かった。

というのも、先週エヴァが教会の帰り道、
クリスマス後の傷心のツェザリを心配し
彼の家に立ち寄ったのを知っていたから。

彼女は家の真ん中にある窓の奥の様子を伺い
彼を探していた。
微かにピアノの音が聞こえる。
家の窓の向こうに彼はいた。
悲しいピアノを弾く彼。
冬の寒空の中、エヴァは凍える身を厭わず
窓の外から彼を見つめ続けていた。

やがて彼はエヴァの存在に気付く。

みるみる精気を取り戻し、窓に駆け寄り、
喜びを隠さずエヴァを見つめるツェザリ。

だがやがてエヴァから10m以上離れた物陰の
ボレスワフの存在にも気づいた。

彼を見た瞬間、あの日の屈辱と
負けた結果を受け入れる
男の誇りにかけた
潔(いさぎよ)い振る舞いが思い起こされた。

私は負けたのだ。

一世一代の恋を賭けた勝負に負けた事実を
忘れてはならない。

ツェザリは窓の向こうのエヴァに視線を戻した。
歪んだ顔でガラスに手をかけ、一言も発せず
ただ見ていた。

目に涙を溜め、唇が震え続けるツェザリ。

やがてエヴァは悟った。

ツェザリとの淡い関係は終わったのだ。

向きを変え、ゆっくり歩きだすエヴァを
窓ガラスに顔を押しつけ、
黙って見送り、
押し殺すような嗚咽を発するツェザリ。

エヴァは一度も振り向かなかった。

その一部始終を見届けたボレスワフは
安堵の思いと共に、
エヴァとツェザリの関係を
対決してまで強引に終わらせた自分の行為に対し、
深い責任とエヴァに対する
確かな愛を確信したのだった。

明日のエヴァへの誘いは
そうした背景があっての彼なりのいたわりであり、
彼女に対する愛の接し方でもあった。

その後のエヴァが何故
ボレスワフの強引な誘いを素直に受け入れたのか
当事者以外誰も理解できなかった。

こうしてエヴァとヨアンナは親友であると同時に、
徐々に別々の道を歩み始める。




    『極東青年会』



一方ヨアンナは、
エヴァが遠ざかった後のひとりの時間を
『極東青年会』の活動に傾注した。
『極東青年会』とは
孤児出身のイエジ・ストシャウコフスキが
提唱して結成した組織で
シベリア孤児と日本の
親睦を図る事を目的に作られた組織である。

まだ幼さが残る頃のヨアンナは
青年会のマスコット的存在だったが、
歳を重ね彼女も成長した。
正式にメンバーとなれる17歳以降、
その聡明さと、日々目を見張る美貌から
頭角を現す存在となっていた。

そんな青年会で活躍するヨアンナを
フィリプは見逃さない。


彼ら『極東青年会』の活動を
側面から支援し続けてきた。
日本大使館との交流でも、
フィリプは彼女と出会う機会を数多く持った。

 しかし歳の差が一回り以上違う彼女に対し、
年上の気おくれから自然な会話などできる訳もなく、
ただぎこちなく、
他愛のない挨拶をするのが関の山だった。
ただし彼女の方は彼の気持ちを知ってか知らずか、
時折青く澄んだ夏空のような
気持ちの良い笑顔で話しかけてくるのだった。
「まあクビャクさん、ごきげんよう。
いつも慈善パーティにご協力いただき、
ありがとうございます。
おかげさまで子供たちも皆喜んでいますのよ!
是非今宵もごゆっくりお楽しみください。」

夏に一斉に咲き誇る花々のような匂いが
伝わりそうな軽やかな声でそう言った。
何と眩しい人だろう!
ただ若いだけの乙女には無い気品を
彼女は持っている。
近づいてくるだけで、
心が打ち震えるのを強く感じる。

「そう言っていただくと返って恐縮です。
私もあなた達と同じく、
日本を経験した同志だと思って
参加させてもらっているのですよ。
だからそんなお気遣いは無用です。」

心の中では「クビャクさん」ではなく、
「フィリプ」と親しみを込めて
呼んで欲しいと思っていたが、
そんな言葉を口に出す勇気はなかった。
彼は決してさえない風体の男ではない。
むしろ誰から見てもさわやかな好青年で、
街を歩くだけで、
道行く女性たちが
密かに振り向くほどの好男子でもある。
ただ自分より若すぎる
素敵な女性に気おくれしていたのだ。
そういう慎ましさと誠実さが
彼に備わった特徴でもある。

「そうでしたわね!
私たちはこの地で数少ない
日本体験をしてきた絆で結ばれた友。
クビャクさんは年上ですが
大切な親友のような存在なのですね。」
「そうですとも!だから困ったことがあったら
遠慮なく申し出てください。
私にできることなら
精一杯お手伝いさせていただきますよ。」
満面の笑みを添えて彼は言った。

「ありがとうございます。
とても心強く思いますわ。
私たちの組織はいつも困難な状況の中にいて、
絶えずたくさんの支援者の皆様の
お力添えを必要としています。
厚かましいとは思いますが、
必要な時には遠慮なく
助けを求めることになると思いますが、
その時はどうぞよろしくお願いいたします。」
そう言って彼女は右手を差し出した。

「喜んで全力を尽くさせていただきます。」
ときめく心を必死で隠しながら、彼は握手した。
その時が初めて彼女に触れた瞬間だった。

 その日を期に、
彼と彼女は会う機会がある度に
打ち解けた軽い挨拶の他、
ちょっとした季節の話などを
織り交ぜた会話をするようになった。
 しかしふたりの距離はそれ以上進展することなく
時ばかりが過ぎていった。

足踏みするふたりとは対照的に
エヴァとボレスワフの結婚の準備は
着々と進み、
その年の6月、孤児院の子供たちや
エディッタとハンナ
エミルとアレックなどの日本体験組の
仲間たちの協力のもと、
教会の鐘は鳴り、まるで絵画の様な結婚式と、
孤児院を会場とした披露宴が催された。

ただし、ハンナとエミルの中は
エミルの浮気と言うか、心変わりと言うか、
ヨアンナへの告白以降、
絶縁状態に近かった。

勿論ヨアンナがエミルの告白を受けたことなど、
ハンナに告げ口するはずはない。

しかしハンナは、
一途な恋心を寄せたエミルの心が
自分に向かず、どんどん離れてゆく現実に
気づかない程鈍感でもなかった。


気まずいハンナとエミルの微妙な空気以外、
結婚式は出席者の笑顔と晴天が祝福する
幸福に満ちた最後の輝きだった。


そしてエミルとハンナの死にかけた恋は、
エミルにとってヨアンナの前に現れた
二人のライバル(エミルは勝手にそう思っている)
の存在により完全に押しつぶされるまで続き、
エミルの失恋によって
奇跡の復活を遂げた。

恐るべきはハンナの執着と粘り強さ。
絶望的な関係が続く中、
変わらぬ愛の灯を消さずにいたハンナの心は
神様の他、誰にも負けないものだった。



それまでよそ見続きのエミルだったが、
ハンナの自分だけに向ける愛の深さを、
ヨアンナへの失恋をきっかけに
初めて思い知らされたのだった。

そこにはふたりの行く末を見かねた
福田会以来の親友
アレックの捨て身の忠告があった。

「(失恋という)自分の身の不幸ばかり見ず、
ハンナの事も考えろ!
いつもお前だけを見て、
そばを離れなかったのは誰だ?
お前にとって本当に大切なのは誰なのか
もう一度よく見てみろ!
そんな曇った目でも、
腐った性根でも、
諦めず愛し続けた人を
少しは大切に思え!
この馬鹿!!」

やはりエミルは馬鹿だった。
そして最高の伴侶に今更ながら気づいた。






     ポーランド侵攻と分割 






それから数カ月の時が経ち、暗黒の年がやって来た。
1939年4月28日、ドイツは
ドイツ・ポーランド不可侵条約を破棄、
不安と現実の危機が目の前に迫り、同年9月1日早朝、
ドイツ機甲師団が雪崩を打って国境を越えてきた。

第二次世界大戦の始まりである。

続いて9月17日ソ連が東からポーランド領内に侵攻、
国土が西と東のふたつに分割され、瞬く間に占領された。
 
第一次大戦前と同様、
再び他国の支配に甘んじなければならない
辛い毎日の始まりだった。


 
だが祖国を侵略されても
誇りと気概を忘れないポーランド人。
決して屈しまいとの決意から
必要な日常行事を取りやめる事はない。

極東青年会もそんな不撓不屈のDNAを持つ
ポーランドが誇る団体に成長していた。

そんなある日の青年会主催慈善パーティでのこと。

いつものようにフィリプは
ヨアンナの姿を目で探しながら、
会場の隅で参加者たちの人間観察をしていた。
しばらく経って彼はヨアンナの姿を見つける。
彼はすかさず挨拶に向かうが、
彼女は正面に立つ
ある男性と親し気に話しているのに気づく。
 しかもそれは東洋人!
多分日本人であろう。
フィリプは思わず立ち止まった。
咄嗟に本能的に自分の想いを打ち砕く
地雷を避けるような行動に走った。
根拠はないが、「そうしろ!」
と経験から来る勘が叫ぶのだ。
「今、このタイミングで失恋などしたくない!」 
彼の自己防衛本能が働いた。


会話内容が聞こえないほどの距離のため
いったい何を話しているのか聞き取ることはできない。
しかし、フィリプはヨアンナが話す相手が
直感により、恋仇(こいがたき)であると感じ取った。
そのふたりだけの空間には部外者の入り込めない
見えない壁と厚い扉の存在があるように思える。
 「!!!」感嘆符付きの衝撃が背筋を貫く。
努めて冷静を装うつもりでいたが、
掌と額の汗は隠し通せない。
 少し距離をおいた所で佇みながら、
ただただ汗をぬぐうしかなかった。
会場の同じ空間のすぐ近くに居ながら、
天と地ほどの乖離した世界に迷い込んだ気がした。

 どれほどの間傍観していただろう。
気がつけば会話を終え、
自分の存在に気がついたヨアンナが私に歩み寄ってくる。
いつもの私に向ける親しみやすい
あの笑みをたたえながら。
「今日もいらしてくれたのですね。
お声をかけてくださればよかったのに。」

(今しがたまでお話されていたあの方はどなたですか?)
そう聞きたい!
眩暈がするほど激しく揺れる心を必死で抑えながら、
「貴女が親し気に会話をされていたので、
つい声をかけそびれていました。」

声がひっくり返るのではないかと心配するほど、
高いトーンでうわずった口調になってしまった。
(ああ、情けない!恥ずかしい!大の大人が、
大の男が何というザマだ!!)

そのどぎまぎした様子に一瞬クスっと笑い、
「失礼!」と彼女は言った。

 「あの方は日本人で、
昔お世話になった事のある方でしたのよ。」
 「紙で折った鶴を私にプレゼントしてくれた方。
私の大切な思い出なの。」
少し伏し目がちに彼女は言った。

 (私の感情を見抜かれた?どう返したらいい?)
しどろもどろしながらフィリプは少し長い沈黙のあと、

「そうでしたか。大切な方なのですね。
貴女の眼差しを見ていてそう思いました。」
快活そうに応えた。

幾分不自然なフィリプの様子に気づかないのか、
いつもなら鋭いほどよく気がつく娘なのに、
先ほどの日本人の彼との会話の直後のためか、
その余韻から上気した表情のまま、
夢見心地で構わず
「そう、あの方と日本は私のかけがえのない思い出。
国に戻ってパンジーや水仙やヒヤシンスを見ても、
穏やかで気持ちの良い夏の日の日差しに
身を委ねてみても思い出すの。
まだ幼かった日本での生活を。」

 近くのテーブルに置かれた
ワイングラスを見つめながら、
何かを追いかけるような目で
独り言のようにつぶやいた。

「私はいつも不安と共に暮らしてきました。
それは今も同じです。
両親を亡くし、頼れる兄弟姉妹もなく、
何の力も後ろ盾も持たない孤児が生きてゆくのは、
月も星もない暗黒の夜道を歩くようなもの。
せめて少しの灯りと
道標が無ければ生きてゆけません。」

ヨアンナがフィリプに向き直り、
「秋の風が吹くとき、
どんなに暖かなコートを身にまとっても、
冷たさが身に沁み、寂しさが身に応えます。

枯葉が風に舞い、
目の前を通り過ぎる時、
今まで生きてきた自分の人生と重なります。
木枯らしのような暮らしを、
吹けば飛ぶような虚しい営みを。

だから暑かった日本の充実した夏の日を、
人々の温かい眼差しと
楽しかった日常を
いつまでも忘れたくありません。
いなくなった両親に成り代わって優しくしてくれた
あの時代に感謝と恩を忘れたくないのです。」
そう言い終わると、
真っ直ぐフィリプを見つめるヨアンナ。

 フィリプはヨアンナを
堅く抱き締めたい衝動に駆られた。

しかし彼女の曇りのない灰色の眼の中の
健気で孤高の誇りに満ちた光を感じ、
ヨアンナという女性の
ここでむやみに触れてはいけない
気高さを悟った。

幾分落着きを取り戻した彼は、
愛おしさで心が満たされ、自らの嫉妬を恥じ、
「私は不用意に貴女の深い悲しみや
孤独に立ち入ることはできません。
でも、これだけは気に留めておいてください。
私はいつでも、
どんな時もあなたの力になれるような人間でありたい、
貴女の心に寄り添える人間でありたいと願っています。
そしてそう思っているのは私ひとりだけじゃなく、
神も身の回りのたくさんの人たちも
貴女に対し願っていることです。
そしていつも見守っています。
それは貴女も感じている筈。そうでしょ?」
今度はまっすぐ彼女の目を見据えて力強く言った。

ふたりは暫く見つめ合っていた、無言で。


ふと我に返り、ヨアンナは伏し目がちになりながら
一言添えその場を辞した。

 やがて戦争はその激しさを増し、
戦乱の拡大は留まるところを知らなかった。

 1941年10月4日、
在ポーランド日本大使館の閉鎖が発表され、
12月8日午前1時(日本時間)には
日本がイギリスのマレー半島を攻撃し
ここに太平洋アジア戦争が勃発
次いで同12月8日ハワイ真珠湾奇襲、
12月11日ロンドンの亡命ポーランド政府は
ドイツの同盟国日本へ宣戦布告。
怒涛の展開が全世界を覆った。
 

 その戦乱の拡大の少し前、
在ポーランド日本大使館閉鎖の発表の少し前、
ヨアンナの身の回りで悲劇が起きた。

 彼女が密かに心を寄せていた井上敏郎が
彼女を庇いドイツ軍の銃弾に倒れた事件が発生。
彼女の腕の中で絶命した敏郎。
ヨアンナには、目の前に天使が舞い降りて
青空の中、敏郎の魂を天に誘(いざな)う姿が見えた。
遠ざかる彼らを見ながら
またも立ち去った大切な命。
父も母も、多くの友人も、
そして今、腕の中で息を引き取った彼までも。

その日を境に彼女は悲嘆にくれ、
人が変わったように抜け殻生活が始まった。

来る日も来る日も無気力な生活。
もう、お世話しに通っていた
孤児院どころではなかった。

そして迎えた閉鎖された
日本大使館最後の係官が立ち去る日
彼女は何かにすがりつこうとするかのように、
ヴェイヘローヴォ孤児院を去り
一路大使館にあったワルシャワに向かい、
その地に立っていた。
 彼女を心配し、
いつも見守っていた極東青年会のメンバーは、
その中心に拠点を置いていた
ワルシャワ市内の複数の拠点の一室を彼女に与え、
万全のサポート体制をとることにした。
 一方、ドイツ軍のポーランド侵攻後、
ポーランド政府が瓦解、
政府要人がロンドン亡命政府を組織し、
その指揮下ポーランド国内残存兵士たちにより
レジスタンス目的に組織された軍隊「国内軍」
に参加する事となったフィリプも
偶然ワルシャワに移転していた。
ヨアンナもワルシャワに来たとの知らせを聞き、
すぐさま駆け付け、何かと面倒をみようとした。
 彼女の住むアパートを訪れる時、
独身女性宅への来訪との配慮から
極東青年会がレジスタンスを目的に
新たに組織した『イエジキ部隊』
メンバーに同行してもらい、
当時ワルシャワ市内では食料が不足し、
入手困難になりつつある状況だったので、
何とか手に入れたジャガイモや豆や、
パン、ワインなど差し入れを持参した。

また、親友エヴァも夫ボレスワフと共に
ヨアンナの下(もと)に駆け付けた。
井上敏郎の死を境に
悲しみに暮れるヨアンナを心配しての事だった。
エヴァは語りかける。
「おお、ヨアンナ!私の大事な子猫ちゃん!!」
エヴァは以前ヨアンナから
幼い時母が彼女の事を
『子猫ちゃん』と呼んでいた事を覚えていた。
「早く元気になって、私と明日の幸せについて
語りましょう!ほら、笑顔を見せて。」
無理に弱弱しく笑顔を見せるヨアンナの様子に
これは重症だと知ったエヴァであった。
大切な親友ヨアンナをここに放っておかれない。

結局エヴァとボレスワフ夫婦の滞在は長引き
その後のワルシャワ包囲戦に巻き込まれる事となる。



 当のヨアンナは、影となり日向となり、
自分たち孤児院や青年会のメンバーの後ろ盾となり
庇護してくれた大使館を喪失することで、
心の中の最後の砦を失った
敗戦の残存戦士のような気持ちに陥っていた。
 またひとつ私の大切なものが消えてゆく・・・。

 見るも無残にやせ細り、生気のない彼女を見て、
フィリップは大そう心を痛めた。
「おお、ヨアンナ!今のあなたの姿を見ていられません!
どうか私にも貴女を守らせてください!
私は神様の次にあなたの事を深く思っています。
どうか、どうか、その闇から連れ出させてください!」

彼女はしかし、大きく何度も頭を振り、
「お心遣いありがとうございます。
でももう暫く放っておいてください!
私は今、無くしたものの弔いをしています。
幼い頃シベリアでの逃避行で両親を亡くし、
友を失い、
大切な日本の想い出の彼を私の身代わりの犠牲で失い、
大使館が去っていきました。
もう少しだけ私の心をあの方たちに添わせてください。」
 フィリプはヨアンナの一滴(ひとしずく)の涙を
見たような気がした。
来る日も来る日も
窓辺に座り、外を眺めるでもなく、
涙にぬれるヨアンナ。

フィリプはヨアンナにつかず離れず、
そっと見守る事にした。

 そんな状態が続き、我慢強く通っていたある日。
ヨアンナの視線が自室の窓の横にある壁の
古い数枚の写真から離れなかった。
フィリプはヨアンナがその写真たちと
会話しているように感じた。

 やがて彼女の表情に
ほのかに赤身を帯びた生気が戻ってきた。

そして彼女はゆっくり向き直り、フィリプに言った。
「この写真は日本とお世話になった人たちの写真です。
幼い頃私が日本に滞在したころは、
もう両親はこの世に居ませんでした。
だから勿論この写真には写っていません。
私は父の写真も、母の写真も持っていないのです。
でもこの懐かしい写真たちを眺めていると、
何故か父と母を思い出します。
そしていつも私を励ましてくれます。
優しく包み込み、
悲しさや苦しさを和らげてくれます。
だから今までずっと写真を見て
父と母を思い出していました。

私の父と母が私に言うの。
もう泣くのはおよしなさい。
あなたに涙はふさわしくない。
あなたがこの世に生を受け神から授かった使命は
周りの人々を明るい陽の光のように照らす事なのだから。
だからいつまでもあなたが塞いでいたら、
皆が不幸になってゆくの。
だからそろそろ顔を上げ前を見て、
自分の目の前に見える道を信じて歩みなさい。
神様も、そしてまわりの皆も
そうする事をまっているのだから。

私は自分をそんな風に思った事はありません。
でもそれが父と母の願いなら、その期待に応えたい
だからもう嘆きという闇と霧をかき分けて歩き出します!
ご心配をおかけしました。」
 少しだけ笑顔を見せ約束してくれた。

「貴女にはご両親が見えていたのですね?
きっと優しく立派な方だったのでしょう。」
「ええ、そうです!
父も母もシベリアでサヨナラしたけど、
いつも私を見守り、
応援してくれていると信じています。
父はある日食料を調達するために
母と私を置いて出たきり帰ってきませんでした。
それから何年も経ってから、
伝え聞きで父の最後の消息を知りました。
父は身に着けていた大切な腕時計と交換して、
やっと手に入れた食料を地元の暴漢に襲われ
奪い取られてしまいまったそうです。
そしてその時必死で抵抗し、命までも奪われたと。
最後まで私と母の名を呼びながら
息を引き取りました。
その様子を目撃した知人は
自分の保身から助ける事ができなかったと。
申し訳なくて、私たちに顔向けできなくて、
そのことを打ち明けられずにいたと。
いくら待っても父は帰らず、
諦め先へ進みながらも、
お金もなく食料と交換できる物も尽き、
とうとう母は私の行く末を案じながら、
父の待つ天に召されていきました。
自分は何も食べず、極寒の中、
暖もとらず私を守り続けた最後でした。
 母の死をみとりながらも、
孤児になった私を同行していた隣人たちが
私を守りながら
イルクーツクまで連れて行ってくれました。
今私がこの世に生きていられているのも、
たくさんの人たちが
手を差し伸べてくれたおかげです。
だから私は父に恥じないよう、
母に恥じないよう、
お世話をしてくださった
皆さんの心に応えられるよう、
生きてゆかねばなりません。」

 フィリプはその時から彼女に
生涯を捧げる決心をしていた。
例え彼女の愛を得られず
結ばれ無いとしても。




    ワルシャワゲットー蜂起

 その頃のワルシャワはドイツ軍による支配の中、
混沌と劇的な変革の渦中にあった。
その一番の主人公は
ワルシャワ在住のユダヤ人の存在だった。
 ドイツ軍のポーランド侵攻直前当時、
ワルシャワにはユダヤ人が37万5000人いた。
実に市内人口の30%を占め、
アメリカニューヨークに次ぐ多さだった。
 ワルシャワ占領直後から、
ユダヤ人封じ込めの政策が検討されていたが、
1940年3月以降市内にチフスが蔓延し始めた。
特にユダヤ人居住地区に。
 同年10月2日正式にユダヤ人評議会に命じ、
ゲットー建設が始まり、11月には完成をみた。
その広さは従来の居住地区の3分の2、
ワルシャワ全面積の2.4%、
最大人口は44万5000人に及んだ。
 それはナチスドイツによる
全ゲットー最大規模を誇った。
更に完成間もない11月16日、
ゲットーは封鎖され、
特別に通行許可証が発行された時以外の
通過は許されなかった。
 ゲットー内の運営はドイツ当局の監督のもと、
ユダヤ人評議会が行った。
その中にはユダヤ人ゲットー警察さえ存在した。
 その運営は自由主義的統治で、
ブント、社会主義シオニスト党、
青年運動などが活発に地下活動も行っていた。
しかし同じユダヤ人社会でありながら、
貧富の格差も顕著に出現し、
飢餓に苦しむ貧困層に対しては
ユダヤ人相互援助協会(ZTOS)
が組織され救済にあたった。
 
 ゲットー内では
一般の市場原理に伴う生産活動も
活発に行われたが、
仕事を持たないものは、
強制労働に駆り出された。

 1942年7月22日、
ラインハルト作戦(ユダヤ人絶滅・殺りく実行計画)
決行に伴い、
ユダヤ人を東部に移送する旨通告された。

ゲットー解体と強制収容所移送に伴う
ホロコースト(大量殺りく)の始まりである。

 
移送は決して戻ることのない片道切符の旅。
そのスピードは極めて迅速で、
わずか10日足らずで6万人、
8月半ばまでに全体の半数、
第一次移送終了の時点で
30万人が駆り出され、
死出の旅へと向かわされた。
 
 それまで無抵抗の姿勢を貫いていた
ユダヤ人社会にも、
ようやく抵抗への機運が高まり、
秋頃から準備が始まった。
 共産党、シオニスト党、
社会主義者で構成されたブントが
10月20日に合弁、
ユダヤ人戦闘組織(ZOB)結成、
戦闘団など22の部隊が組織された。

 総指揮官は
モルデハイ・アニエレヴィッツ(24)
が任命された。
彼らがまず標的にしたのはゲットー警察、
その上部組織の
ユダヤ人評議会へのテロだった。

つまり民族の共通の敵であるドイツ軍ではなく、
最初にユダヤ人同士が仲間割れし、
ドイツ軍に協力し仲間を売る評議会への
敵視と憎悪からくる分裂であり、
同じ民族同士、殺し合う事を意味した。

反抗を実現させるためには、
まずドイツ軍の犬である組織を
潰す必要があったのだ。

 それと平行し、
抵抗に必要な武器の調達が至上命題だった。
武器購入資金を得た組織は
ゲットー部外のポーランド人に
密かに協力を要請、
武器入手を企図した。

 しかし頼みの綱のポーランド人達も
ドイツによる被支配階層であり、
そう簡単に準備できるわけではなかった。
しかも全てのポーランド人が
ユダヤ人に協力的というハズもなく、
むしろ反感・差別意識の強い者が
多数を占めていた。
 そんな背景もあり、
多額の購入資金を託したにも関わらず、
僅かな武器しか入手できなかった。
指揮官モルデハイの目論見では、
少なくとも拳銃100丁、
小銃数丁を見込んでいたが、
実際に渡されたのは、
たったの拳銃10丁のみであった。
 いくら抗議してもそれ以上は渡されず、
思わず天を見上げた。
ドイツ人による殺害の脅威に晒され、
隣人のポーランド人に見放され、
孤独で絶望的な戦いを強いられる現実を
改めて見せつけられた気がした。

 決起=鎮圧による死
 無抵抗=絶滅収容所行による死

生という選択肢も可能性もゼロの明日に
涙すら出てこなかった。

それでも決起を選ぶ理由は、
民族と各々の人生の誇りと意地を守るために
他ならなかった。

あらゆる手立てとネットワーク、
手段を駆使し、新たに数丁の機関銃、
ポーランド人レジスタンス組織
「国内軍」などから拳銃50丁、
手りゅう弾50個、
爆薬など最低限の支援を得た。


先ほどと、ここでも登場した
フィリプも所属する国内軍。
説明が先と重複し、くどくなるが、

ポーランド政府残存要人が
ロンドン亡命政府を組織し、
その指揮下国内残存兵士及び有志たちにより
祖国の独立と自由を標榜し、
レジスタンス目的に組織された
地下組織軍隊である。

しかし圧倒的な軍事力を誇るドイツ軍に対し
あまりに貧弱な武装しかできない
義勇軍にすぎなかった。

イエジキ部隊も武器の協力はできなかったが、
食料の供給ではできる限りの力を尽くした。
しかし、ドイツ軍の目が光る中では、
次第に供給路は細くなり、ついには絶えてしまう。

話を戻す。

1943年4月19日750人の戦闘員が決起、
火炎瓶と少数の銃で
ドイツ武装親衛隊と警察の部隊に武力蜂起した。
初日こそドイツ軍を撃退したが、
翌日体制を立て直したドイツ側は
徹底した焦土作戦を決行、
5月16日に完全鎮圧戦闘は終了した。

最初から彼らに勝ち目などは無かった。
それでも貧相な武器で立ち向かった彼らは
一体どういう気持ちで戦ったのだろう?

戦いに参加したイザック(25)には
父と母と妹がいた。

父はゲットーに収容される前、
ドイツ軍兵士に路上で
身分証明書の提示を求めれれた。

ドイツ兵はユダヤ人と見るや
様々な嫌がらせをし
罵倒し、辱め、殴り、
殺すのが当たり前の時代。

目をつけられて無事で済む筈はなかった。

父はその威圧的な怒号の命令で
すっかり恐怖に駆られた。
萎縮した手は振え、
胸ポケットから
紙の証明書を出そうとしても
手が震えてままならない。

しびれを切らしたドイツ軍兵士は
二度大声で「身分書を出せ!!」と
怒鳴りながら自動小銃を構え、
容赦なく父に至近距離から乱射した。
その場で倒れる父。
  
悲報を知り母は
今まで見たことがない取り乱し様で
父の骸(むくろ)に駆け寄りすがりついた。

大声で泣き叫ぶ母を
通りがかりの人々は
関わらないよう足早に過ぎ去り、
誰一人助けようとはしない。

イザックと妹は後から駆け付け、
そんな父と母に涙した。

それから一月後、
イザックは母と妹と共に
ゲットーに収容される。

ゲットーの建物の各部屋に
数家族が押し込めれれた。

全くの赤の他人が
ある日突然同じ部屋で
強制的に同居させられるのだ。

しかしそんな同居生活も
そう長くはなかった。

母と妹は8月2日
トレブリンカ絶滅収容所に移送のため
イザックと力づくで引き離された。
彼が見た家族の最後の姿は
ユダヤ人ゲットー警察数人に取り囲まれたため
部屋のドアの向こうに出るところまで。
母の二度目の泣き叫ぶ声と
妹の兄の名を呼ぶ声だけが
段々遠く聞こえるのみであった。

怒りと悲しみに震えるイザック。
天蓋孤独となり、
もう守る者は誰もいない。

自暴自棄になり
勝ち目のない反抗に参加するのは
彼にとって当たり前の行動であった。

ユダヤ人のゲットー蜂起とは、
そんな悲しみと絶望を背負った
名も無き人々が
武器を持たない兵士となり
戦いに挑んだ悲しい歴史であることを
決して忘れてはならない。




 蜂起という無謀な悲劇の戦いに敗れ、
結果、残存ユダヤ人市民
5万6000人が連行された。
その後彼らは当然の如く射殺、
若しくは収容所において
特殊処理(ガス室送り)されることとなる。

 そしてすぐさまワルシャワゲットー跡地に
強制収容所が建設され、
新たな悲劇の象徴に生まれ変わった。


 ゲットーの瓦礫の撤去作業に
強制収容所の囚人と、
ポーランド人労働者が動員された。
また蜂起による戦闘中
ゲットーの外に逃亡したユダヤ人狩りが行われ、
ポーランド人市民による密告が横行、
更にギャングが現出し
見つけ出してはユダヤ人から
お金などの財産を奪い取っていた。

 その間、その様を目撃した
一般の善良なポーランド人市民たちは
どう思っていたのだろう?

 たとえユダヤ人が嫌われていたとしても
その悲劇にはさぞ心を痛めていただろう。

そして明日は我が身の運命を悟ったのだった。

ゲットー近くに住まうヨアンナは
その一部終始を目撃していた。
彼女も青年会の一員として
組織の中でユダヤ人救援を行っていたが、
やがて組織としての行動は不可能になる。
しかしヨアンナには納得できない。
彼女は承服しなかった。
 時に逃亡してきたユダヤ人を匿い、
食料を与え、できる限りの援助に務めた。
 しかしその行為を知るに至り、
支援していた青年会のメンバーから
ドイツ側への発覚を恐れ厳しく窘められた。
彼らとて決して平気で傍観していたわけではない。
 反抗の準備ができていなかったのだ。
火の粉を自ら掃えない現状では
関わることは自殺行為に他ならない。
涙を飲んで見過ごすしかなかった。

エヴァはヨアンナを涙ながらに説得した。
フィリプも同じだった。

彼女を心配する心に変わりはない。
でも被支配層同士が
団結行動できない悲哀が彼らの心を寒くした。

 しかし何故ヨアンナは身に危険を顧みず
ユダヤ人に救いの手を伸べたのか?

そもそも何故ユダヤ人は絶滅を企図され、
ホロコーストの犠牲にならなければ
ならなかったのか?

 ヒトラーや一般のドイツ人に
嫌われただけならまだしも、
全ヨーロッパに蔓延した反ユダヤ主義は
どんな理由があっての事なのか?
 何故殺されなければならないほどにくまれ
殺りくを傍観されたのか?
何故どこからも救援が無かったのか?
世界で唯一当時新世界と呼ばれた
アメリカが受け入れたが、
それもナチス台頭のユダヤ人弾圧初期の頃の話。
 大戦の動乱が進み難民が殺到すると、
さすがのアメリカも次第に入国条件のハードルを上げ、
受け入れ制限政策に舵をきり、
積極的な救済に動くことはなかった。
 来るものは条件付きで拒まず。
それがアメリカの態度だった。
 
 シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に登場する
ユダヤ人悪徳商人シャイロックに代表される
悪人のイメージがユダヤ人全体の印象だったとしたら、
あまりに悲しすぎる。
 仮にそのような悪人が多数存在していたとしても、
それは民族全体にあてはまる訳ではあるまい。
 同じ数だけ善人が存在し、
大多数は普通に生活する
庶民に過ぎなかったのではないのか?
ユダヤ民族が団結して
組織的な犯罪、殺人、弾圧・抑圧、
搾取を長年繰り返してきたのなら
多少は納得もできるだろうが、そうではあるまい?
 ただユダヤ教に固執し、
社会に積極的に溶け込む努力が足りなかっただけで、
商才にたけた人物が他民族より多く、
金持ちが多かったというだけで、
そこまでの憎悪の対象になるのか?
ならなければならなかったのか?
 人類の歴史は終始あまりに人命の価値が軽かった。
第二次世界大戦終結後の
条約・法律・社会制度・人権の仕組みが
整えられた現在でも
紛争や差別や対立や難民が絶えないが、
それ以前はそれらが未整備の状態の中、
おびただしい悲劇が起きた。
 その中にあっても、
ユダヤ人ホロコーストは
異彩を放つ突出した悲劇だった。

 ヨアンナは納得できないでいた。

 しかし、ただ彼女がきれいごとの世界、
お花畑の中の住人だったわけではない。
単なる軽佻浮薄なヒューマニズムから
気まぐれの衝動的な行動として
手を差し伸べたのではない。

 彼女の生い立ちに思考の原点、
行動の指針があった。

 故国を捨てシベリアに逃避した難民の子として、
途上両親を失い、
周囲の悲劇を多数目撃し、
それ以上の善意の救済を経験し、
現在まで生かされてきた。

 善意は人を救う。
 
 無関心や憎悪は人を死にも追いやる。


自分はどちらの道を選択すべきか?

その答えが総てだった。

 彼女は瀕死の逃亡ユダヤ人にパンを施す度、
匿うため一夜の隠れ場所を提供する度、
自分の無力さを感じていた。
できる事の限界を感じていた。
 この人たちを遥か遠くの国、
日本に送ることができたら。
きっとたくさんの人を救えたのに・・・。

 自分たちの民族も武力で占領され、
支配されている苦しい状況に居ながら
ヨアンナはそんな事を考えていた。


こんな状況の中、
あるひとりの男の言葉が思い浮かばれる。


―マルティン・ニーメラー―

反ナチ運動家で、弾圧された経験から
後に記された詩からの言葉である。


ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき
私は声を上げなかった
私は共産主義者ではなかったから

ナチスがユダヤ人を連行して行ったとき
私は声を上げなかった
私はユダヤ人ではなかったから

そしてナチスが私を攻撃したとき
私のために声を上げる者は
誰一人残っていなかった





 ゲットー蜂起が鎮圧され終結すると、
明らかにヨアンナは沈んでいた。
エヴァやフィリプはその気持ちが理解でき、
心を痛めた。



フィリプは意を決し、すべての勇気をかき集め、
思いを告白しようと思った。
今しか機会はない、この時を逃したら、
二度とチャンスは来ないだろう。

できるだけそばにいるよう努力し、
彼女の信頼と安心を勝ち得たかもしれない今、
打ちひしがれ、先行き不透明で不安に駆られる中、
愛する者として、庇護者として名乗り出よう!

 そしてある日とうとう告白の時は来た。
本当はビスワ川のほとりなどに連れだって
ロマンティックな環境の中で
誠意を示すべきだったのだが、
ナチスの兵士がいたるところに存在する状況では
とてもではないがふさわしくない。
 仕方ないが彼女の居住するアパートで
エヴァ達が忙しく動き回る中、一瞬二人だけになった。

今だ!
「ヨアンナさん、少し良いですか?
大切なお話があります。」
まただ!声が上ずってしまった。
(畜生!!)
しかし心の声を押し殺し、
平然を装い彼女の答えを待った。
 その改まった様子に何かを感じたのか、
彼女は少し緊張したような表情になった。
「はい、何でしょう?」
彼の正面に向き直り、彼女は聞いた。
緊張した面持ちで
ハンカチを握りしめながら口を開く。
「手短に言います。
私と結婚していただけませんか?
この戦乱の非常時に、
貴女の置かれた今の環境で
唐突にこんなこと言われても
困惑するのは分かっています。
歳の離れたこんなオジサンに
告白されるのは迷惑かもしれません。
それでも貴女に私の気持ちを伝えたい。
打ちひしがれた貴女の心を
私の愛で満たしたい。
孤独と不安と危険から守りたいのです。
 この地は危険と不条理に満ちています。
貴女を理解し心から愛し続けたい私の気持ちを、
どうか受け取ってください。
全力で幸せにします!」
長い沈黙が続いた。
こわばる彼女の表情からは答えは見えてこない。
この不安と緊張は永遠に続くのか?
そう思った時、彼女の重苦しい口が開いた。
「おっしゃることは分かりました。
私が孤児だから同情して
おっしゃっているのではないのですね?
それでは少し時間をください、
考えさせていただきたく思います。」
「この場で断らないと云う事は、
少しは脈があるのですか?」
「もちろんです!真剣に考えさせてください。
でも突然だったし、今の私の状態を考えると、
すぐには答えを出せません。」
「良かった!
この場で即座に断られるかと思っていましたので。
待ちます!いつまでも待ちます。
ええ、待ちますとも!」

その日からヨアンナの様子が
また違って見えた。
以前の亡くした者を弔うのとは違った
もの思う表情に
エヴァは首をかしげるのみで
その事には触れられない。
ただ黙って見守るのみであった。

夫のボレスワフは努めて陽気に
今日あった出来事を
エヴァに話すふりをして、
面白おかしく
ヨアンナに聞こえるように話した。

時折「フッ、」
と小さく笑うヨアンナを見て
夫婦で顔を見合わせ
安心するのだった。



数日後フィリップが再度訪れた時、
待望の返答を受けとることができた。
「こんな私ですが本当によろしいのですか?」
「私には何もございません、
身ひとつで嫁ぐ事になります。
一旦嫁いだら、
何があっても他に帰る場所はありません。
そんな私でも・・・」
フィリプは言葉を遮るように、
「私の命に代えて一生あなたを守ります!
愛し続けます!」
「ああ、神よ!心から感謝いたします!」
天にも昇る気持ちとは
こういうときの事を云うのだろう。

土砂降りの雨の中
喜びのあまり傘も差さず
ずぶ濡れになりながら踊り出したくなる。
そんなシーンを連想し
幸せを表現すべきところだろう。


そしてここでもしヨアンナが
現代の日本人だったなら、
間違いなく
「神様にではなく、私に感謝してよ!」
と思ってしまうはず。絶対に!

エヴァ夫婦はいつもと違うヨアンナの様子に
フィリプと何かあったな?
とは思っていた。
確信はなかったが多分そうだろう。
しかし真相を打ち明けられると、
意外なほど驚きのリアクションをした。

ヨアンナが結婚?!

そして誰よりも喜んでくれた。

ほどなくヨアンナは慎ましやかな式を挙げた。
この世の中で誰よりも美しい花嫁。
出席した誰もがそう思っただろう。
咲き誇る花のような祝福を受け
その瞬間、世界で一番輝いていた。
戦時中と云う事もあり、
高らかな教会の鐘は鳴らせないが、
心の鐘は「リン」と心に響いた。

フィリプとヨアンナは
用意したワルシャワ市内の一角の
アパートの新居に移り、
暗い世相の中、精一杯の明るい新婚生活をおくる。

しかしそんな幸せな日々は長くはなかった。





   ワルシャワ(市民)蜂起





 1944年6月22日
ソビエト赤軍がバグラチオン作戦を決行、
ドイツ中央軍団が壊滅的敗北を期し、
敗走を始めた。 
7月30日赤軍がワルシャワまで
あと10km地点まで迫った。
8月1日ポーランド国内軍は
赤軍に呼応するように、
ワルシャワに於ける武装決起を
申し入れ打ち合わせた。

 しかしその前日の7月30日、
危機感を抱いたドイツ軍が反撃、
甚大な損害を赤軍は被っていた。
更に補給が行き詰まり、
結果赤軍は進撃をそこで停止した。

しかしポーランド国内軍に
赤軍の進撃停止の情報は伝えられず、
それどころか、
前日の7月29日にはモスクワの放送局から
決起開始を呼びかける
ラジオ放送が流れ続けていた。
 これを聴いていたワルシャワ国内軍は
赤軍の位置から進撃からワルシャワ到達には
時間はかからないと判断、
8月1日17:00
約5万人の国内軍が決起を開始した。
 そして重要官庁、駅、橋をいち早く確保、
ドイツ軍の拠点である兵舎、補給所を襲撃した。
その決起時間は後に『W』と呼ばれ
サイレンと共に黙とうを捧げる日となっている。

 決起開始後重要拠点確保の報を受け
決起指導者のタデウシュ・コモロフスキは
ワルシャワ市民に対し、
ラジオ電波でこう呼びかけた。


 親愛なるワルシャワ市民よ!



 承知の通り再び抑圧からの解放のため、
多くの同志が立ち上がっている。
父が!兄が!弟が!友が!隣人が
あなたのため戦いの渦中へ身を投じている!
 私たちの手から無残に奪われてしまった、
愛する祖国と自由を再び取り返すため、
持てる力とありったけの勇気を振り絞り、
自らの生も死も厭わない
苦難の道を突き進んでいる!
 誰のためか?何のためか?
生きてきた証を残すため、
砕かれた誇りを取り戻すため、
生まれ育ったこの地に咲く花々と
営みを蘇えらすため、
そして何よりも大切な母、愛しい妻や恋人、
何としても守りぬかねばならぬ我が子たち!
 今まさに銃をとり、歯を食いしばり、
銃弾の飛び交う中、敵陣に向かって
突っ走ろうとしている!
全ては守るべきものがあるからだ!
 何故今立つか?
それは気の遠くなるほど
長い苦難の道のりを歩み続け、
ようやく扉に辿り着いたからである。
 その扉の向こうは自由なのか?
明るい未来なのか?
誰もが望む希望なのか?
それは誰も分からない。
だが私は確信する!扉の向こうの世界は、
その先に続く道は、
自分で切り開いてゆくべきところだと。
 父祖が築いてきた脈々と流れる
栄光と、挫折と、喜びと、悲しみと、
つつましくも幸せな暮らしの昨日を、
今日を、
誰もが望む輝ける明日へと変え、
後に続く者たちにその力と望みを託すために!

親愛なる市民よ!

我が同志は立ち上がっている!
後に続く者たちよ!
自らの成すべき役割を自覚し、
今できる事に全力を尽くしてほしい!
これを聞く諸君の力は
決して微力なんかではない!
神が授けた尊い奇跡を起こす鐘を鳴らすのだ!
高らかに打ち鳴らせ!歓呼の声を聴け!
暗雲を吹き飛ばす嵐を巻き起こせ!
決して後悔してはいけない。
立つときは今なのだ!
希望の扉はすぐ目の前にある!

『神が我らと共にあるならば、
誰が我らに逆らうか!』

最後に諸君に問う!

祖国は誰のものぞ!!






 市民は奮起した。



ヨアンナはフィリプや青年会からの情報で
決起の計画を事前に知らされていた。
そして作戦決行を受けて
市民の参加を呼び掛け流されるラジオ放送。
多くの市民がその声に耳を傾けた。
ヨアンナとエヴァは互いに助け合い
この戦局を乗り切ろうと固く誓い合う。

しかし総じてこの決起は一糸乱れぬ
統一した行動がとれたとは言えない。

ラジオの呼びかけの前の
決起の主体となる国内軍の足並みに
落差があり過ぎた。
武器を持つ市民は限られ、
丸腰のまま集まる者たち。

決起の時間17:00に間に合わない者、
図らずも予定時間前に
戦闘が始まってしまった地区もあった。

また決起当時、
ラジオ等の呼びかけを聞いた者以外の一般市民は、
勿論決起が始まる事を知らされておらず、
戦闘が始まって初めて知った者も多かった。



そんな状況でも
市民の士気は高い。
ドイツ軍の占領支配は
それほど過酷な状況だったと云える。

ワルシャワ市内には、
治安部隊を中心とした12000名の
駐留ドイツ軍がいる。 
しかしそのうちの戦闘実働部隊は
1000名のみだった。

武器を持たない国内軍は数で圧倒しても
目標のうち、
兵舎と補給所のみしか占領できない。
貧弱な武装ではやはり無理がある。

 それでも急襲した占領地から
武器と小火器と軍服を奪い、
国内軍に配られ多少の改善ができた。
それは決起のメッセージに呼応し
多くの市民が国内軍に参加した結果
成された賜物だった。
ドイツ軍の反撃に備え、
バリケードを築き張り巡らした。
 その中にはもちろん国内軍のフィリプと、
青年会のメンバーのひとりであった
ヨアンナの姿があった。
当初フィリプはヨアンナの参加に猛烈に反対。
夫婦初?の険悪な夫婦喧嘩を展開した。
 しかしヨアンナは一歩も引かず、
強引に補給・伝達係として参加した。


ヨアンナの働きは、
朗らかな笑顔と優しく伝わる美しい声で、
一般市民を含んだ
蜂起軍の兵士たちの心の支えとなる。

『リリーマルレーン』の歌のように
彼女の笑顔は周囲を照らし、
蜂起軍兵士ひとりひとりの
ささくれ立った心と、
圧倒的に不足した
補給物資を埋めるだけの
士気を上げる価値があった。

彼女の言葉は兵士を勇気づけ
凛とした振る舞いは
明日への生きる希望をもたらした。




 一方ドイツ軍にはすでに
反乱を一機に鎮圧する余力は無い。
拠点を地区ごとにひとつずつ鎮圧していく
策を取らざるを得なかった。
そんな中でドイツ軍の鎮圧軍司令官
エーリヒ・フォン・デム・バッハSS大将は
ヒトラーの命を受け、
蜂起した国内軍の鎮圧を徹底した。
ワルシャワ市内の破壊を
忠実に実行すべく作戦を決行した。

興味深いのは、
ワルシャワ市内が決起によって
いきなり市内全域が
地獄と化した訳ではないと云う事。

ワルシャワ市内は8つのセクターに分類され、
ドイツ軍と交戦した
セクターのひとつが殲滅される間、
他の地区は飢餓に悩まされず
比較的食料事情は
悪くなかった事実が知られている。



 8月3日
近隣に駐屯していた部隊をかき集め
臨時戦闘団を編成、
西側から攻撃を開始した。
攻撃部隊の中には素行の悪いカミンスキー旅団や
ディルレヴァンガーSS特別連隊が含まれ、
彼らは戦闘には目もくれず、
略奪、暴行、虐殺に励んだ。
その様(さま)はすでに軍隊と呼べる組織に非ず。
血に飢えたおぞましい
獣(けだもの)であった。

しかし皮肉にも、
戦闘より略奪に明け暮れていた結果、
その分ドイツ軍の反攻は遅れ、
時を稼ぐ結果となる。
 また、そのまともな人間の行為とは思えぬ
汚辱に満ちた行状を目撃し、
市民は怒りを新たに結束、
戦意高揚の効果が生まれた。

7日激しい市街戦が続き、
国内軍占領地が分断され、
包囲されていたドイツ部隊が解放された。
19日国内軍猛反撃。電話局占領。
120名のドイツ兵捕虜となる。
カミンスキー旅団や
ディルレヴァンガー部隊に対する報復として
捕虜のうち彼らを全員その場で処刑した。


敵意と憎悪。

空腹と不安と危険と恐怖。

ドイツ軍も蜂起軍も明日を生きる保証はない。
特に蜂起軍を構成する国内軍も市民も
生死ギリギリの中で生きてきた。

次第に物資の不足が深刻化する中、
攻撃を受け仲間が死に、
支配エリアを奪われ、
必死に反撃を繰り返す。

家は焼かれ瓦礫と化す。

追い詰められ戦力が無に近くなる。

一方ソ連赤軍に追従していた第一ポーランド軍は
国内軍支援のため、
ヴィスワ川の渡航を許された。

しかしその頃には物資も戦力も補強された
赤軍は明らかに余裕があったにも拘らず
自らはまったく動かず
力も貸さず静観した。

 やむなく第一ポーランド軍は、
必死に国内軍レジスタンスへの支援をしたが、
全く不足していた。
彼らは国内軍よりマシな程度の装備。
支援の機動力は持たされない。
彼らの目に燃え盛るワルシャワ市街が見え、
涙の中に口惜しさから
唇から血が滲むほど噛み締めたという。


ここで新たに登場した第一ポーランド軍とは何者?


第二次世界大戦のキッカケとなる
ドイツ軍のポーランド侵攻。
その破竹の勢いに
たちまちポーランド全土が飲みこまれ
余勢をかってソビエト領内まで
攻撃の手を伸ばした。
しかしやがて無敵だった
ドイツ軍の勢いにも陰りが見られ、
退却に退却を重ね
ついにソビエト領内から駆逐され、
更にポーランド領の東半分を
ソビエトが占領すると、
ソビエト政府による
ルブリン傀儡政権が打ち立てられた。
そして直ぐさまソビエト赤軍に
うち従う軍隊が組織された。
それが第一ポーランド軍である。

 憎むべき事に、
ソ連はアメリカ、イギリスが承認した
ポーランド亡命政府の息のかかる
国内軍の支援を申し出たが同意せず、
ドイツ軍のワルシャワ鎮圧に手を貸した。

やがてワルシャワ市内の国内軍は、
敗色が濃くなり、街は瓦礫の山となる。
弾薬も枯渇し、
もはや援軍の希望も消え去った
9月18日。
ようやくアメリカ軍の空輸が始まった。

110機の輸送機から編成され
作戦は実行された。

しかし、その頃はすでに
せっかく国内軍が確保したセクターは
ドイツ軍によって鎮圧され、
そのうち蜂起軍に渡ったのは
わずか15機分の物資のみである。
空輸された物資は
ほぼドイツ軍の手に渡った結果、
作戦の意味を成さなかった。

遅い!遅すぎる!!

しかも国内軍にも市民にも
空輸作戦は事前に知らされず、
空輸された物資確保の方策が
とられることもなかった。
この方面からも失敗だった。

ワルシャワ市民の消沈した士気が
再び燃え盛る事はない。
ゲットー蜂起の時と同様、
絶望が市民を支配する。
ユダヤ人が降伏したとき、
彼らはどうなったか?
彼らの思考は停止した。


細々とドイツ軍の目をかいくぐり
供給されていた食料も
最後まで抵抗を貫いていた
セクターまで行き届くこともなく、
飢餓は最悪の状態を迎えていた。
市内に張り巡らされた下水道は
ドイツ軍により障害物を置かれたり
毒ガスが注入されていたため
流通や作戦遂行には使えず
孤立を深めた。


ヨアンナ夫婦が立てこもる
北部エリアが主たる戦場となり、
食料も弾薬も尽きかけると、
ヨアンナの眼前に、
繰り広げられる悲惨な状況。

幼少時のシベリアの飢餓の記憶が
呼び起こされる。

今日の食事は一度だけ。
ジャガイモ一個を細かく切り刻み
塩で味付けされただけの
スープが総てである。

それでもまだまだマシであった。

他の人たちの多くは、
ここでは決して言えないものまで口にした。
そしてもしこの戦いで
生き残れることができても、
記憶にさえ残してはいけない物までも。

やがてドイツ軍の物量に
圧倒された国内軍は
次第に鎮圧され、
蜂起は終息に向かっていった。
8月31日国内軍は北側解放区放棄、
9月末ほぼ壊滅した。
 1944年10月2日
放棄指導者タデウシュ・コモロフスキの降伏を
鎮圧軍司令
エーリヒ・フォン・デム・バッハが受け入れ
蜂起は終結した。
 結果蜂起参加者はテロリストとして処刑。
レジスタンス、市民合わせ22万人が戦死、
若しくは処刑された。
そしてワルシャワ市内は
鎮圧軍により破壊を徹底、
ヒトラーの厳命は忠実に守られた。

 しかしその後、
イギリス政府がラジオを通じ、
レジスタンスへの処刑は
戦犯と見なすとの放送を流し警告した。
全体の戦局を見通し
敗色が濃いと悟っている
ドイツ軍将校たちは、
自分たちの保身から、
処刑を途中で中止した。

 間一髪で処刑から逃れたフィリプ。
ヨアンナとの生還を神に感謝した。

一般市民として身を隠すように生き抜いた
エヴァ夫妻とイエジキ部隊の残存組織が
ヨアンナを守り抜き
国の英雄フィリプを助けたのだった。





1945年1月12日
ようやく進撃してきた赤軍は
進撃と同時にレジスタンス幹部を逮捕。
1月17日ワルシャワ解放。
ポーランド自由主義政権の
可能性の芽を摘むため、
鎮圧傍観と弾圧の裏切りに終始した。



彼らは解放者ではなく、
ドイツに代わる
悪魔の征服者だと知る市民たち。


同時代、ヨーロッパを二分したふたりの独裁者。

ドイツのヒトラーと
ソ連のスターリン。

どちらも裏切りと暗殺と、
ホロコーストと侵略を繰り返す悪魔であったが、
戦に負けたヒトラーは悪の権化と評され、
勝ったスターリンは同じだけの悪行にもかかわらず
近年再評価され、ロシアの英雄とされつつある。

そんな理不尽が現在に於いてもまかり通る
常識や良識、通念とはいったい何であろう?





ヨアンナとフィリプは
危険を察知した最後の晩、
イザという時のために
隠し持っていたワインの封を開けた。
そして脱出まで残り2時間だけの
夫婦最後の夜を過ごした。

別れの朝

「フィリップ・・・・。どうかご無事で。
愛してるわ。愛してるわ、愛して・・・・・」
後ろ姿が涙に滲んだ。



すでにワルシャワ市内に残るは瓦礫ばかりで、
人の住める場所はわずかしか残っていない。

ヨアンナはエヴァ夫妻の住む
ワルシャワ郊外からかなり離れた
アパートの一室に急遽身を寄せた。

エヴァの夫ボレスワフは
蜂起の戦闘で左肩と右足の太ももを負傷したが、
何とか歩き回れるほどには回復した。

蜂起の終息後は細々と物資の流通が再開し、
郊外に出るほど食料を手にしやすくなってきた。

ヨアンナがボレスワフ夫妻の
保護を受けるのを承諾したのには、
理由がある。

蜂起の終息をみた頃、
ヨアンナの妊娠が発覚したのだ。

あの激烈な飢餓と戦闘による劣悪な生活環境に耐え、
ヨアンナのお腹の中の子は順調に育っている。

エヴァとボレスワフは
ヨアンナとお腹の子を全力で守る決心をした。

負傷回復間もないボレスワフは、
引きずる足でワルシャワ近郊の農産地からの
食料流通の仕事に携わった。

当然のように賃金報酬は発生しない。
輸送対象のジャガイモなどの一部をほんの少しだけ
せしめるのが収入の総てである。

それでも自分たちの食料確保と
生活費の捻出にはなった。

エヴァはヨアンナとお腹の子のため
生活の事全般に介助の手を差し伸べた。
友として、ひとつ屋根の下で暮らす家族として、
その全てを受け入れている。

ヨアンナは逃亡する夫の身を案じながら、
次第に育つお腹の子に話しかけながら
平和で幸せな明日が来る事をひたすら願う。

かつての自分の子供時代。

父アルベルトと母マリアが健在な頃、
ヨアンナは幸せな生活を享受していた。

果たしてやがて生まれてくるこの子に
同じだけの幸せを与える事ができるのだろうか?
フィリプの帰還と、無事子供の誕生。
今はひたすら願うばかりだ。

エヴァの日課は朝、ヨアンナのお腹に耳を当て、
「ヨアンナ2世ちゃん、おはよう!
今日もお外は良い天気よ。
エヴァお姉さんは早く2世ちゃんのお顔が見たいな。
元気で素敵な笑顔を早く見せてね。」
と云うのだった。
「あら、私は母親になるのにエヴァはお姉さんなの?
同い年なのにズルいわ。」
ヨアンナが笑いながら突っ込むと、
「アラ、いやだ!
私はいつまで経っても若いままの
お姉さんでいるつもりよ!」
と応える。
しかしその2か月後、当のエヴァも妊娠発覚。
お姉さんと呼ばれるのを諦めるしかなくなった。

病み上がりのボレスワフは
尚一層馬車馬のように働くしかない・・・らしい。
でも戦争終結が近づくにつれ
人々に生きる力が蘇ってきたようである。

ソ連の影響下の弾圧と統制にもかかわらず、
殺し合いと極端な物資不足からの解放は、
大きな希望の光なのだ。


5月8日 ドイツ降伏。
ヨーロッパでの大戦終結を迎えた。

6月23日 ヨアンナに男子誕生。
アダムと命名。

10月6日
続いてエヴァとボレスワフに女児誕生。
エミリアと命名。

ようやく長い間暗く沈んでいた
ワルシャワ近郊の小さな家に
眩いばかりの太陽の光が差し込み、
待望の希望の春が来た。

その間、何とか逃亡に成功したフィリプは
森に逃げ込み
反共パルチザンとして
数年共産政府要人暗殺テロ活動などに参加、逃亡。
1950年2月とうとう追い詰められ銃撃戦の末、
あの『カチンの森』近くでソ連兵に射殺された。


フィリプの最後も
井上敏郎の最後と同じ、晴れた日の青い空を
目に焼き付け、
迎えに来た天使の降臨を目で追う。
そして静かに瞼を閉じ
「ヨアンナ・・・。」
と呟く。
栄光と波乱に満ちた生涯だった。

 
その一月後、
反体制パルチザンとして
射殺された夫フィリプの身元が割れ、
ソ連治安部隊が
エヴァの隣の家に引っ越したばかりの
ヨアンナの居宅を急襲、

ヨアンナはいきなり数発の銃を撃たれた。
 
ようやく5歳になるアダムは
その時エヴァの子エミリアと遊び過ごすため
たまたまエヴァの家にいた。
その結果アダムだけが生き残り、
エヴァ夫婦に引き取られる事となった。

シベリア孤児だったヨアンナ。
まだ幼いアダムを残し、
行く末を案じながら息を引き取った。

さて、最後に彼女の目に映ったものが
お迎えの天使だったか、
幼い頃に見た日本の風景だったのか、
それとも我が子アダムだったのか?



この物語を書いた私にも分からない。
              



     おわり


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