uparupapapa 日記

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知られざる親日国ブルネイ県知事 木村 強 ~『アンビリーバボー』放送の影響~

2016-01-03 04:20:17 | 日記
【新春スゴいニッポン世界に誇るヤマト魂!あっぱれ日本人SP】(16.1.2放送)






≪戦時中、日本はブルネイを統治していた。≫




1942年、第二次世界大戦当時、日本はブルネイを3年間統治していた。

その間、ブルネイ県と呼ばれ、ブルネイ県知事には木村強氏が任命された。

就任直後、木村は当時のブルネイ国王の下へ

国王から「何か希望はありますか?」との問いに

「現地のブルネイ人を1人私につけてくれませんか?」

木村は、日本の国益だけを考えて占領するのではなく

ブルネイの発展に力を注ぎたいと考えていた

それを実現するためにブルネイ人を側に置き、

共に行動することが最善と考えた




木村は国王の弟を秘書とした。




幸い王様に弟があり、当時二十六歳であったし、

運動家で明朗闊達かつ頭脳も極めて明噺で愉快な青年であったから、

私の秘書として懇請したところ快諾して秘書になってくれ、

日本人の県庁委員十人足らずの者と一緒に仕事をすることになった。






木村は1年間の間にブルネイに様々な貢献を果たした




例えば、ブルネイで天然ゴムが採れる事に注目し、

現地に工場を建て雇用を生み出したり、

道路、電気、通信などのインフラ整備を進めるなど

当時、ジャングルに覆われていたブルネイの発展に大きく尽力した



ブルネイには僅か一年位しかいなかったが、

サンダカンに転任した際に、

送別会を催してくれた現地人の幹部が男泣きに泣いているのを見て、私も泣いた。

そしていよいよ出発の日に特別仕立ての舟で約一時間半ほど、

王および弟(現在の王)、

政府の幹部が見送って別れを惜んでくれているのを目のあたりに見て、

我れながらこれほど信頼してくれたのかと思って、

嬉しい気持ち、有難い感情、また、淋しい感情を錯綜して自分も泣いたほどであった。


私は過去一年間行なった事が、

多少とも現地の為になったのかと内心満足し、ほっとした感じになった。


終戦後、帰国し検事などの仕事に就いていた木村に思わぬ知らせが届く

ある日本の有力な商社の幹部が商用でブルネイに行き王様を訪れた際、

戦時中木村という知事がいたが、彼はいまどうしているか、会いたい。

ブルネイに是非呼びたいが何とかならぬかと頼まれたとの文面である。


22年ぶりにブルネイを訪れると・・・

その翌日、王様と逢うことになっていたので王宮に行くと、

王様は二階の上り階段の所で待っておられ、

にっこり笑って手を差し出し「二十二年の昔になりましたね」と堅い握手をし、

いかにも逢えて嬉しい満足そうな表情をされた。

 王様は四十八歳、二十八代目で前述の通り、

この王様は戦時中は私の秘書をしていた人で、

行政上各方面の経験も豊富で、政治的にも卓越した見識を持ち、

民主的感覚を身につけて、同国の発展を図ろうと献身的に働いている。


現在、ブルネイは天然ガスの90%を日本に輸出している


東日本大震災後,ブルネイからは,政府による100万米ドルの義援金のほか,

民間からも義援金372,458ブルネイ・ドル(2012年1月時点,約2,384万円),

寄せ書き等のメッセージが寄せられている。


-http://matome.naver.jp/odai/2141393867153933901?page=1-








「ブルネイ人を奴隷として扱うこと。それは恥ずべき行為だと思っている。日本人として。」

彼が部下に放った言葉。

戦時下のブルネイ。

他の占領地では、現地人を奴隷のように強制労働に徴用したところもあった。

太平洋戦争は日本にとり、東南アジアの石油や天然ゴムなどの資源獲得が目的の

植民地再分割の戦争だった。

中国大陸での戦争続行のため、

特に石油獲得は緊急の課題で、

県知事木村強にはそのための重責が課せられていた。


しかし彼は、現地人を強制労働として徴用するのではなく、

正当な労働賃金を払い、雇い

ゴム農園の開拓や工場建設、道路整備、その他インフラ整備を行い、

彼らの所得向上に尽力した。

更に多民族で構成されるモザイク国家ブルネイの

民族融和を図るため、当時「首狩り族」と恐れられていた部族に

足繁く通い、信頼を勝ち得た。


その結果民族融和を成功させ、国家のその後の発展に貢献した。


たった一年の在籍期間の貢献としては、

全く目を見張るものがある。




戦時中のそんな背景の中、部下に放った言葉だったのだ。


「奴隷扱いは日本人として恥ずべき行為。

戦争に日本が勝とうが負けようが行動一つでブルネイ人との信頼が築けなくなる」

「和をもって貴しと成す。大事なのは、今ではなくて未来。」

「目の前の利益にとらわれるのではなく、

日本が戦争に勝っても負けても、後の日本人が恥ずかしいと思うような行動をしてはいけない。

すべては未来のために。」



陸軍司政官として昭和十七年五月北ボルネオに着任し

その後サンダカンに一年半、州庁の総務部長、知事、海事局支局長等を兼任し、

また混成旅団参謀付勤務などを経て、タワオ県に転勤したが、

戦局日に悪化し、昭和二十年八月十五日終戦となり、

その後二カ月ほどタワオのテーブルという所で生活をし、

いよいよ船に乗せられゼッセルトンという町で捕虜生活をすることになった。



「私は、戦争に負けることば聊かも想像したことばないが、

仮に万が一期待に反するような結果になっても、

日本人の行動、日本人の行為が後世に笑われ、

批判されるようなことがないように、品位を維持し日本の国際的信用を高め、

長く良い印象を残しておけばいつか海外に発展飛躍ができるから、

好感と信頼感を保つようにしたいという信念で、異民族の統治に当たったのであった。」


『ブルネイ王に招かれて~元ブルネイ県知事  木村 強』の手記から


-http://kansai.me/tdym/ww2nd/brn-hudoki05.htm-




放送後の反響が凄い。


●「木村強」という人物。今まで彼の存在を知らなかった。

あの戦時下において「人として正しい道」を貫いた人がいた事を日本の義務教育で教えるべきだと思う。



●本当にそう思います! 戦前ブルネイで貢献し、

いまだに尊敬愛されている木村強氏などもっと日本人は知るべきです!


●いい話だった... 知られざる親日国ブルネイの繁栄に尽力した木村強


●和”を大切に❗️ そう思える木村強さんのストーリーを観て感動しました。


●木村強って人は多分、東北の出身で田舎だと、

中央の政府のいうことを聞いてるだけでは駄目だ。

昔の東北と同じようだ。争ってる場合じゃないみたいなことを思ったりしたのかもなぁ。


●木村強さん、素晴らしいです。



その他多数。





私同様、彼の物語に感動・共感した人たちが大勢いたことに

改めてホッとした。

日本人として誇りに思うとのコメントも。


番組の構成や奴隷と云う言葉の使用など、

いくつか疑問点もあったが、

こういう人もいたことを伝えた感動の物語の紹介としては、

よくできていたと思う。


現在の日本人が尊敬と信頼を勝ち得たのは、

過去のこういう人たちの存在と努力があったから。

また、現在の日本人が海外での活動が評価されるのも、

こういう人たち、彼らの精神が日本人として脈々として受け継がれてきていたから。



これからも未来は続く。


「日本人の行動、日本人の行為が後世に笑われ、

批判されるようなことがないように、品位を維持し日本の国際的信用を高め、

好感と信頼感を保つようにしたい。」


他の人たち同様、私もそう思う。



ブルネイに一度は行ってみたくなったオヤジが一句。



税金が 僅かな国を うらやんで

(それなのに、何でこの国は税金が高い?)



お粗末。








































































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