岸田首相長男、秘書官辞職。小泉進次郎とは異なる「フツーにいいヤツ」が権力を握る“恐ろしさ”(女子SPA!)
私は拙作『ママチャリ総理大臣』で、官邸のメンバーと鍋を囲んだ親睦会を描写している。
ただ現実の騒動と違っているのは、岸田翔太郎氏は庶民ではなく現職の首相の子息であり、まさしく特権階級の子弟であるという事。
比べるなら、私が描いた官邸のメンバーは、純粋な叩き上げの一般庶民達の集団で、真の意味で苦楽を共にした戦友たちの懇親と慰労を兼ねた集いであるという点で、世間の受け止め方に大きな違いが出てくるであろう。
主催メンバーが特権階級か名もない庶民か、宴会の目的が特権をひけらかし謳歌する事なのか、慣れない環境下必死になって頑張ってきたもの同士の士気高揚かによっても大きく印象が異なる。
世間の怒り(マスゴミの世論誘導の結果)は、エリート権力者のボンボンが首相公邸(首相官邸と首相公邸をゴチャ混ぜにした認識で)不適切な蛮行と捉え、半分誤解した状態でケシカラン!!と言っているのではないのか?
首相官邸は公務を司る場所。
首相公邸は首相の宿舎。
歴代の首相達には公邸には住まわず、私邸から官邸に通う者たちが多数だった。
公邸には幽霊が出るとの噂もあり、それを嫌う者、慣れ親しんでいる私邸の方が気が休まるなど、様々な理由で私邸から官邸に通う者たちが、せっかく用意した公邸を無駄にしていた。
彼らの言い分は、「公邸に住んでいては世間の切なる声や実態が見えにくいから」と、最もらしい理由を挙げるが、私邸住まいでも庶民の声を真剣に聞く気など無いくせにだ。
私の描いた『ママチャリ総理大臣』では私邸でもない公務の場所である『官邸』で鍋パーティーを開いている。
首相である主人公の私邸は狭いアパートの一角であり、人を沢山呼ぶには不向きな所。
また、新生ネット直接民主制の政府下での官邸は、庶民にとって親しみのある、権力の垣根を取っ払ったある種憩いの場所のイメージを醸し出すべき所。
私はそうした意図を以って、敢えて公務終了後の庶民の集まりであるメンバーたちに、職場の一角でささやかな催しを開かせたつもりである。
神聖な職場で宴会など『以ての外』とのモラルや一般常識を持っている人には受け入れられないかも知れないが、私は「自らの戦場で団結の意思を固めて何が悪い?」という意識も持っている。
それは、かつて私が勤めていた職場で、年末の御用納の日にささやかな士気高揚の催しが存在していた時期があったから。(催しといっても、ジュース、アルコールが少々と、つまみがほんの少し用意されるだけであり、本当にささやかだった。後にそれでもそれは悪き慣習であると廃止されたが。)
私が所属していた部署は、御用納の後も出勤は続き、年末年始が一年で一番の繁忙期であったため、「明日も尚一層頑張るぞ!」との意味を込めた士気高揚であった。
そうした体験が記憶の隅にあり今回の描写に繋がっている。
何が言いたいのか?
国民の声を真摯に聞き、精一杯汗を流し、誰が見ても納得できる仕事をしていたら、こんな反発は出て来なかったろう。
多数の国民が政治に不満を持つ中、思い上がり思慮を欠いた行為に映ったから、まるでこの行為が重大なスキャンダルとして扱われ、辞任に追い込まれた。
でも、彼のやった行為は犯罪でもなく、本来モラルに欠けた行為でもない。
自分の住む家での催しなのだから。
ただ権力者の子息として、一般の人が逆立ちしても到底就けない地位を与えられ、国民が持つ潜在的不満に目を向けない姿勢しか見えて来ないのであれば、公邸の宴会でも、やはり不適切だったとの批判は免れない。
それはそのまま父である岸田首相の政治実績や姿勢に対する不満でもあり、特権階級の持つ傲慢さや、特定のエリートが独占する政治の仕組みに対する不満でもあると認識し、猛省すべきだと思う。
父親である岸田首相はトカゲの尻尾切りで息子を辞任させたが、為政者である当事者として一番の責任は貴方自身にあると理解すべきだろう。
貴方は息子を庇う事なく、未来の可能性を歪め、大切な何かを奪ってしまった愚かな父親なのだ。
でも父親というものは、すべからく愚かな存在なのかも知れないが。
少なくとも私は自分の子に対し、愚かな存在であったと自覚し、反省している。
だからと言うわけでもないが、今後出来れば子育て真っ最中の世の全ての父親・母親が、先代父母の教訓を生かし、厳しく優しく大切に、愛情をもって我が子を育てられん事を祈念したいと思う。