こんばんは、さくらです。
11月1日のエントリから、はっきりとは書いていなかったのですが、じわりじわりと書いている今月のエントリから、お気づきの方もいらっしゃるかと思います。
「自分の中の自分と、対話しておいで」と、お休みをもらって1カ月。
考えるというよりは、悩んでいる方が多かったのですが、友人と会ったり、実家に帰ってゆっくりしたりしながら、これからのことを考えました。
ずっと、今の仕事と、大学に関わっていくことを、どうしたら両立できるか、ということを考えていたのですが、1冊の本との出会いで、変わりました。
西村佳哲さんの「自分をいかして生きる」(ちくま文庫)です。
あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」、という問いはどうだろう。
どんなに映画が好きでも、ただそれを見ていれば幸せで、足りる人はお客さんだと思う。別に客でいることが悪いわけじゃない。店で食事をして、「美味しかったー」とただ満足して家路につけるなら、そこに自分の仕事の影は見あたらないのだろう。他の人がどれほど素晴らしくやっていても、その成果をただ楽しめること。他の誰がやっていても構わずにいられる仕事は、いわば他人事の仕事と言える。
でも、「好き」だけではすまない。
今はお客さんの立場でも、ずっとそのままでいられるかというとそんなことはない。というか、そうありたくない。
気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走り出したくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。
この言葉を借りれば、私はまさしく、喫茶店はお客さんでいることで幸せを感じていたし、逆にどうしてもお客さんでいられないこと、それが大学教育の現場だと、気付いたのです。
それでも、一緒に働いている人たちがとても良い人たちなので、辞めたくないな、一緒に働いていたいな、とも思いました。
だけど、気付いてしまったら、そこに居続けることは「お客さんでいられない」想いを持ってお店づくりをしている他のスタッフのみんなに申し訳がないし、自分に対しても不誠実だと感じたので、社員という立場からは離れることにしました。
今月は、引き継ぎなども兼ねて、一部業務を継続している部分があるのですが、お給料がでないかわりに、時間や場所を拘束されないので、ときどき、お店が落ち着いている時は、客席でお茶を飲みながら、お仕事しています。
「不器用な私が作り手でいたら、大好きなこのお店を壊してしまうかもしれない」
そんな不安から解き放たれて、いつも通り、美味しいお茶とケーキを食べられることに、幸せを感じています。
とはいえ、急に退職を決めてしまったので、次の仕事が決まらなくて、どうしよう……という別の不安はあるのですけどね。
「次の仕事が決まるまで、働いていたらよかったのに」という人もいますが、大きな会社ならいざ知らず、自分の人件費分のお金を、別の部分にかけたらもっとお店が良くなるとわかっていて、腰かけていられません。
やるなら本気で。だけど本気でやったら、同時に転職活動する時間はない。
きれいごとかもしれませんが、なるべくキレイな気持ちで、接していたい場所なのです。
ただ、誤算だったのは、派遣法が改正されて、30日以下の日雇派遣に制限がついてしまって、いわゆる登録制の単発バイトができなくなってしまったことや、思いのほか、長期派遣の仕事が結実しないことでしょうか。
まずは、与えられた範囲の中で的確に仕事をすることで生活の糧を得ながら、本当に「お客さんでいられない」仕事に近づいていけるように。
まだスタートラインにも立っていませんが、母校・桜美林学園の創立者清水安三先生が学園に残した聖書の一節、「為ん方つくれども、希望を失わず」を心に、向き合っていこうと思います。
何度か仕事を辞めたけれど、そのたびに新しい場所が見つかるので、そして新しい経験をして知っていることが増えていくので、大丈夫、なんとかなるでしょう。
そう信じることにします。
以上、退職のご報告と新たな決意でした。
さくら
11月1日のエントリから、はっきりとは書いていなかったのですが、じわりじわりと書いている今月のエントリから、お気づきの方もいらっしゃるかと思います。
「自分の中の自分と、対話しておいで」と、お休みをもらって1カ月。
考えるというよりは、悩んでいる方が多かったのですが、友人と会ったり、実家に帰ってゆっくりしたりしながら、これからのことを考えました。
ずっと、今の仕事と、大学に関わっていくことを、どうしたら両立できるか、ということを考えていたのですが、1冊の本との出会いで、変わりました。
西村佳哲さんの「自分をいかして生きる」(ちくま文庫)です。
あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」、という問いはどうだろう。
どんなに映画が好きでも、ただそれを見ていれば幸せで、足りる人はお客さんだと思う。別に客でいることが悪いわけじゃない。店で食事をして、「美味しかったー」とただ満足して家路につけるなら、そこに自分の仕事の影は見あたらないのだろう。他の人がどれほど素晴らしくやっていても、その成果をただ楽しめること。他の誰がやっていても構わずにいられる仕事は、いわば他人事の仕事と言える。
でも、「好き」だけではすまない。
今はお客さんの立場でも、ずっとそのままでいられるかというとそんなことはない。というか、そうありたくない。
気持ちがザワザワする。落ち着かない。見たくない。悔しい。時にはその場から走り出したくさえなるような、本人にもわけのわからない持て余す感覚を感じている人は、そのことについて、ただお客さんではいられない人なんじゃないかと思う。
この言葉を借りれば、私はまさしく、喫茶店はお客さんでいることで幸せを感じていたし、逆にどうしてもお客さんでいられないこと、それが大学教育の現場だと、気付いたのです。
それでも、一緒に働いている人たちがとても良い人たちなので、辞めたくないな、一緒に働いていたいな、とも思いました。
だけど、気付いてしまったら、そこに居続けることは「お客さんでいられない」想いを持ってお店づくりをしている他のスタッフのみんなに申し訳がないし、自分に対しても不誠実だと感じたので、社員という立場からは離れることにしました。
今月は、引き継ぎなども兼ねて、一部業務を継続している部分があるのですが、お給料がでないかわりに、時間や場所を拘束されないので、ときどき、お店が落ち着いている時は、客席でお茶を飲みながら、お仕事しています。
「不器用な私が作り手でいたら、大好きなこのお店を壊してしまうかもしれない」
そんな不安から解き放たれて、いつも通り、美味しいお茶とケーキを食べられることに、幸せを感じています。
とはいえ、急に退職を決めてしまったので、次の仕事が決まらなくて、どうしよう……という別の不安はあるのですけどね。
「次の仕事が決まるまで、働いていたらよかったのに」という人もいますが、大きな会社ならいざ知らず、自分の人件費分のお金を、別の部分にかけたらもっとお店が良くなるとわかっていて、腰かけていられません。
やるなら本気で。だけど本気でやったら、同時に転職活動する時間はない。
きれいごとかもしれませんが、なるべくキレイな気持ちで、接していたい場所なのです。
ただ、誤算だったのは、派遣法が改正されて、30日以下の日雇派遣に制限がついてしまって、いわゆる登録制の単発バイトができなくなってしまったことや、思いのほか、長期派遣の仕事が結実しないことでしょうか。
まずは、与えられた範囲の中で的確に仕事をすることで生活の糧を得ながら、本当に「お客さんでいられない」仕事に近づいていけるように。
まだスタートラインにも立っていませんが、母校・桜美林学園の創立者清水安三先生が学園に残した聖書の一節、「為ん方つくれども、希望を失わず」を心に、向き合っていこうと思います。
何度か仕事を辞めたけれど、そのたびに新しい場所が見つかるので、そして新しい経験をして知っていることが増えていくので、大丈夫、なんとかなるでしょう。
そう信じることにします。
以上、退職のご報告と新たな決意でした。
さくら