うな風呂

やる気のない非モテの備忘録

「炎の群像」上映会レポート2

2006年06月12日 | 栗本薫
で、初めて栗本薫の舞台を見たわけだが、
その感想をつらつらと書いてみる。
べつに感想見たところではるか昔のだし、
べつに見る機会があるわけでもなし、どうなるものでもないと思うが。

・炎の群像の内容
詳しい内容は、相当にうろ覚えであるので、間違いまくっている可能性もあるが、
べつにそれでだれが不幸になるわけでもないので気にしないで欲しい。
よしんば不幸になったとしても、それは私のせいでない。
あなたの人生が間違っていた、それだけのことだ。

上映がはじまってまず思ったことは
「映像きたなっ! 音ぼろっ!」であった。
そりゃ10年も前のテープですから劣化もしようものですが、
だからさっさとDVD化しろとあれほど……
まあ、実際のところ、おれはあんまり画質とかにこだわるタイプではないので、
別にいいっちゃいいのですが、オフィシャルのイベントでこういうことになるとは、
父さん、ちょっと想像がつかなかったかも知れないな。

で、はじまるなり暗い画面に、
ぼんやりと濃いい人の顔がうつり、一曲うたいあげる。
べつに声が似ているわけでもないのに美輪明宏を思い出した。要するにそういう雰囲気だ。
歌が終わると、急に設定の舞台説明がはじまる。
「はるかな遠い昔、中原の古代王国パロに新興国家モンゴールの軍勢が云々」
わかんねーよ。
いや、おれは原作読んでるからいいけどさ、そんな設定まくしたてられてもわかんねーよ。
でもまあ、いいのか。どうせ原作読まないで見に来る人なんていないんだろうし。
(あとで判明するが、この舞台からグインにはまった人も若干名はいたようだ)

つうか、グインってはるかな昔の話だったのか?
超未来だか超過去だかわからない、そもそも地球かもわからない、
そんな時代・世界じゃなかったか?
でも原作者がはるかな昔とはっきり云ってしまったんだから、しょうがないか。
よし、諦めよう。

そんなわけで、セットは城っぽいもの。クリスタルパレスなんだろう。
うん、まあ、それなりに金かけてがんばって作っているのはわかるし、
舞台のセットはそんなもんだってわかってはいるけどさ。
そうか、これが中原の文化の粋。
世界でもっとも優美な麗しの都クリスタル、その中心のクリスタルパレスか。
そうかそうか、だったらいいんだ、だったら。
父さん、みんながここをクリスタルパレスだと思えるなら、それでいいんだ。

で、クリスタルパレスに押し入ってくるモンゴール軍。
入ってくるなり
「♪おれたち非道のモンゴール軍だぜー
 やばいぜやばいぜやばくて死ぬぜー」(意訳)
と歌って踊る。
「カンフーハッスル」の斧頭会って、なんか可愛くて好きだなあ、と思い出す。

感想の途中ですまないが、この書き方だとあらすじ全部やらなきゃいけなくて、
非常に異常に長くなりそうだ。
よって、書き方を項目べつに変更する。
決して時間を置いたらどんどん記憶が薄れていったわけではない。


・キャラと役者に関して

ナリス

元気だ。
低く朗々とした舞台発声で「私はクリスタル公アルド・ナリス!」
元気だ。儚さの欠片もない。八十歳くらいまで生きそうだ。
スタイルもいいっちゃいいが、細くはなく、しっかりかっきり役者体型であって、
ナリス様の細く折れそうな腰、なんてものは連想されるはずもなく。
それにしてもこの声、どことなくなにかを思い出すような……と思ったが、
じっと考えて、最後のほうでふとわかった。
ウッチャンだ。内村光良だ。
うっちゃんがギャグでたまにやる、あの腹式発声になんとなく似ているんだ。
そう思うと外見もちょっとうっちゃんに似ている気がする。
あ、でも、ほら、うっちゃんってキアヌ・リーブスに似ていることもあるしさ(コンスタンティンのジャケットとか)
きっとうっちゃん顔って受け顔なんだよ。ジェッキー・チェンにも似てるけどさ。
そうかー、うっちゃんがナリス様かー。としみじみ思う。
まあ、ロングの黒髪は綺麗っちゃ綺麗だが、どこからどうみてもカツラです。
本当にありがとうございました。
そして白い服に銀の鎧。銀色の鎧。ぺこぺこした鎧。
なんか金属のそれではなく、ビニールの光沢をたたえた鎧。
生舞台ならともかく、ビデオでのアップだと、あからさまにてかてかぺらぺらの鎧。
なまじ光っているだけに、悲しみが伝わってくる。
そういえば、頭に環っかをしてなかったな。なんでだ?
とにかく元気そうでなによりでした。


リンダ

わかる。わかるよ、気持ちはわかる。
気持ちがわかるだけにつらい。
ベストを尽くしたんだと思うよ、ベストを。
でも辛い。その気持ちだけは、嘘じゃないから。


レムス

むかつく。異常にむかつく。
原作でのむかつく部分だけをクローズアップさせたような、
むしろほめてやりたいほどのむかつきぶり。
そこに立っているだけで不快。ただただ素直に殴りたい。
あとリンダとこれっぽっちも似てねえ。
しかもそれを劇中でネタにされていて、余計にむかつく。


イシュトヴァーン

鷲鼻。超鷲鼻。
あと今回の脚本的に、存在意義があまりよくわからない。
そりゃ本編の主役の一人だから出さないわけにはいかないだろうが、
本編の大主役も出ていないんだし、無理に出すこともなかったんじゃないのか?
で、無駄に力んでいる。
本編初期での軽さもシニカルさも欠片もなく、やたらと叫んで力んで、
なんつーかイシュト必死だな(藁
みたいな感じだった。あとどこも「紅の傭兵」じゃなかった。
本当に、なんのためにいたのだろう。


ヴァレリウス

どうやらこの舞台で一番株をあげたキャラのようで、
脚本上の不都合な部分をほとんど一人で背負わされたトリックスターだった。
そのときの気まぐれでギャグキャラになったりシリアスキャラになったり、
素人がうっかりやってしまう「物語の都合でその場その場でキャラがちがう人」そのものであった。
しかし、このセオリー、自分なりに栗本先生から学んだつもりでいたのだが、
ぼくはなにかを間違っていたのだろうか。
まあ、単品で見るなら、たしかに一番活躍してるし、陰気なひょうきん者という、
この頃のヴァレリウスの基本キャラ自体は、やっぱり好きではある。
しかし都合が良いキャラだ。
キャラと役者の外見的にも、わりと合っていた。
魔導師だから黒いローブ着てればそれで良いのも幸いした。


アムネリス

宝塚からなにも足さない、なにも引かない、そんなキャラ。
まあ、アムネリス自体が宝塚なキャラだから、それで問題はない。
しかし、鎧がテカテカしていた。ビニールの光沢で。しかも赤。
ナリスもそうだったけど、これってなにかを連想させるなー、としばらく考えて、わかった。
特撮物の敵の女幹部だ。あれそのものだ。
ナリスも宇宙刑事とかに見えなくもない。
いやー、昔「わが心のフラッシュマン」にて
「あんなペカペカな連中にドラマなど持てるか」
みたいなことを云っていた栗本先生が、
まさかペカペカなキャラを生み出していたとはなあ。十一年目にして知る真実。
父さん、あの頃はそんなの想像もつかなかったよ。


リギア

宝塚2。
それ以外になにを云えというのか。
まあ、おれの持つリギアのイメージとはちがったが、
これは普通にアリの範疇かと。


カースロン

カースロンさん!
カースロンさん!
カースロンさん!
ある意味、一番良かった。外見もあってたし。
それにモンゴール軍の鎧は、黒いからテカテカ感が低くてわりとマトモに見えるしな。
なんたってバロ奪回編はカースロンさんの晴れの舞台ですからね。
まあ、そこしか出番がないとも云うが。
懐かしかった


アストリアス
うざっ。
そして死んだ!
鉄仮面は!?
鉄仮面かぶせられて幽閉されて、
そのまま90巻以上にも渡り放置されているアストリアス君はどうしたのですか?
これは原作でも死んだことにしてくれという、栗本先生の魂の叫びなのですか?


ルナン
出てこないと思ってたら、唐突に出てきた。
そんな唐突に出てこられても困る。


マリウス
だれこのスカートはいた大槻ケンヂ、あるいは痩せた葉加瀬太郎。


グイン
グインサーガなのに、グインのグの字も出てこねえ。
待ってたのに! ずっと登場待ってたのに!


・曲について
はじめに断っておくが、おれは音楽に疎いうえに、
ミュージカルというものの意味がよくわからない。
なんで劇の途中で歌ったり踊ったりしなきゃならんのだ?と思う類の人間である。
そんなぼくから見た楽曲の印象だが……
うーん、何枚かグインや魔界水滸伝のサントラもってるから、そんなことだろうとは思っていたが……
歌詞に意味がありすぎる。
意味がありすぎるというのかな、歌詞がセリフになっていすぎている。
そんだけセリフそのままなら、それ歌わないでセリフでもいいじゃん、とか思ってしまう。
メロディーの方は、調子ハズレでもなければ印象的なフレーズがあるわけでもなく、
現にいまとなっては、どの曲もほとんど思い出せない。
足を引っ張っている、とは云わないが、
曲が舞台全体のクォリティを上げているとは、とうてい云えないかと。
好きでもない、嫌いでもない、関心を寄せない楽曲だった。
まあ、一応フォローしておくと、おれは滅多に音楽に関心を寄せたりはしないんだが。


・全体の出来について
ストーリーは、原作の一巻から十六巻までを、グインの出てくる場面を抜いてまとめたもの。
グインの出てくる場面を抜いて、とは簡単に云ったものの、なにせグインサーガですから、
グインの関係する場面が半数を越える。
それをどうにかしてなんとかしたわけですが、
ぱっと見、たしかに思ったよりまとまってはいた。
もっとどうしようもなくなるかと思っていたが、案外まとまってはいた。
んが。
中途半端なはしょり方だ、という気もする。
原作を知らない人間にはストーリーがわかりづらく、
知っている人間からすれば、そんな無理にまとめないでも、という感じだ。
無理矢理というか「舞台だから入れました」みたいなお笑いの数々も、
なんでグインでそんなことしなくちゃいかんのか、と思ってしまう。
全体的には、宝塚を予想していたのだが、意外にも劇団四季の方向だった。
(注・おれは四季も宝塚も見たことなんぞない)

そういったもろもろの要素が、だ。
このミュージカルに置いて、グインサーガのどこの部分を見せようとしたのかを曖昧にしてしまっている。。

客観的に、知らない人間からの視点だとして、
このストーリーは、隣国の支配下に置かれたある王国が、
自らの力で自治を取りもどす過程を描いた物語だ。
と、なれば重要なのは、支配下あってなお屈せぬ人間の心と、
圧倒的不利をはねのける戦術となるはずだ。
あるいは、その王国を強大な力で取り戻す、英雄の物語だ。
民衆か、英雄か、そのどちらかに焦点をシフトさせねば、
なにがしたかったのか、わからなくなってしまう。

原作は、いいのだ。原作での、この黒竜戦役は、
グイン、リンダ、イシュトヴァーンという人間を一堂に介させ、
ナリスを英雄として立たせるための舞台であり、
のちに広がりつづく物語の起点として、十二分に機能をしていた。理想的とすら云える。

だが、このミュージカルは。
具体的に云えば、無駄な登場人物が多すぎる。いやさ、英雄が多すぎる。
庶民が少ないくせに、王侯貴族と英雄が多すぎて、どっちの物語なのかわからない。
もし、原作を完全に換骨奪胎するつもりで、
キャラ人気をばっさりと斬ってでも作品のクォリティをあげるつもりならば。
例えばだが、イシュトヴァーンは完全にいらない。
リンダとレムスのうち、片方も要らない。マリウスもいらないだろう。
となると、ミアイルの存在意義も怪しい。出てきただけのルナンもいるまい。
モンゴール方の将軍、カースロンとボーラン以外は士官はいるまい。
ふたりの将軍の対立を出さねば、だれがえらいのやらまるでわからぬ。
ついでにフロリーも整理してしまってもいい。
逆にアムブラの面々、カラヴィアのランやレティシアなどの庶民。
かれらを「知らず知らずのうちに王を匿う者」として、もう少しクローズアップしてもいい。

おれの見るかぎり、この展開で重要になるのは、
ナリスとヴァレリウスの協力関係にありながら信頼しあってはいない関係と知略比べ、
占領下にあってなお誇りを失わぬ人々と、敵方にも存在する事情と人間味、
そして終わりなくつづく物語の連鎖、そういったものだ。

作品の最後「物語は終わらない」と登場人物たちが自ら語るが、
(あとで栗本先生もあれが云いたかった、と言及していた)
アムネリスとイシュトの逃亡をもってだけで、物語の連鎖を描くことはできる。
別枠であそこまで大々的にやる必要もない。
といっても、あの場面はこの作品の中では、ずいぶんと良いシーンではあるのだが。

曲目は、この半分で十分だろう。
(おれのはあくまで音楽メインではなく、
 物語を捉えやすく盛り上げるために音楽を使う、という考え方だが)
いまの曲目数だと、歌っているシーンが多すぎて物語の理解を困難にさせる。
純粋に「そこで歌うことはないだろ」というシーンも多かった。

と、書いていてまとまってきたが、要するに、
・上演時間長すぎ
・曲多すぎ
・登場人物多すぎ。
・原作ファンのみに向けているのか一般向けなのかわからない。

セットに金かけているのはわかるが、その出費を減らすためにも、
セットの数、シーン数は減らしてしかるべきだった。
全体、暗転の多すぎる舞台というのは、見る側にとっても作り手側にとっても、
あまりいいことにはならないと思う。
舞台というのは、どうしてもストーリーを多角的に見るのには適さない。
反面、人の感情などを生でたたきつけるため、役者の力量次第で、いくらでも臨場感は出る。
そのためには、あまり見ている側もやっている側も、感情を途切れさせてはいけないと思う。
ガ、暗転はどうしてもそれを途切れさせてしまう。
同時に、セットを出したり片付けたり、やたら忙しくもなる。
(まあ、舞台をやろうとも思ったことのない、ろくに数も見ていない人間が、
 自力で何本も舞台をやっている仮にもプロにえらそうなことを云うのも変な話だな)

この舞台は人件費やセットなどにひどく金がかかったそうだが、
(けっこう客が入ったのだが赤字五千万らしい
 本当に客が入ってこの数字なら製作の時点で間違いだし、
 本当はガラガラだったのなら<、企画が失敗だな)
その半分は無駄な出費だ、と断言しても良い。
金がなくては表現できないことも存在するが、
金をかければ表現力が上がるわけでもない。

原作未読の人に向けて、思いっきり換骨奪胎する。
原作既読の人専用とわりきって、いっそダイジェストにする。
あるいは、いっそ原作にないオールスター出演のオリジナルストーリーにでっちあげてもいい。
選択肢はいくつもあったのに、何故、この形式をとったのか。

もともと、ミュージカルに向いた作品などではない。
そこを敢えてミュージカルにしたのだ。
自分がやりたかったから、以外に、ミュージカルである必然を感じさせて欲しかった。

苦言を死ぬほど呈したが、個人的にはそれほどつまらなかったわけではない。
なんだかんだ云って、最後まである程度は集中して見ることができたのだ。
が、それには「ここでしか見られないから」という自分の貧乏性や、
あー、懐かしいなーこの場面、という原作への追憶、
そもそも原作ファンであるというアドバンテージ、などが重なっての結果だ。
そしてそれを重ねてすら、よくできた作品、とは評することは出来ない。
「がんばっちゃったね」という感じだ。

もちろん、おれに栗本薫を止める権利はないし、止まる栗本薫でもない。
なによりすべてが遅きに過ぎる。
だが、それでもなお、一言こうつぶやきたい。
「これをいい思い出に、仕事をがんばろうね」
今後も、金を出して栗本薫のミュージカルを見に行くことはないと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿