うな風呂

やる気のない非モテの備忘録

心中天浦島  栗本薫  うな

2007年05月09日 | 栗本薫
心中天浦島  栗本薫  うな

SF短編集
「遙かな草原に…」「ただひとたびの」「優しい接触」「心中天浦島」「ステファンの六つ子」「黒い明日」収録。

「遙かな草原に…」
ある惑星に降り立った探査隊が見たのは、ミッキーマウスにそっくりな原住生物だった。
思わず一匹連れ帰り、地球についた直後、大騒ぎが起きる。その惑星が跡形もなく消えてしまっていたのだ。

なんかこう、一発ネタで、だからどうしたで終わってしまうといえばそれまでの話で。
ミッキー・マウスって、こんな堂々と単語出して平気なんだっけ?まあ、平気なのか。
個であることの幸せ、未成熟であることの輝きを謳いあげたのは、若書きという感じでよい。

「ただひとたびの」
反逆の罪で彼女が追放されたのは、遥か昔に文明の滅びてしまった惑星だった。
そこで自決を望んでいた彼女だったが、不思議な感覚が彼女を南へと導く。
果たしてこの無人の星でなにが待っているというのか……

あーんー、ふっるー。
悪い意味でも悪い意味でも古い。そんな古さだった。

「優しい接触」
もうずっと長いこと戦争を続けている二つの種族。
その戦いの中、ミラ8は船から放り出され、近くの惑星に不時着する。そこで出会ったのは、同様に不時着してきた敵対種族の人間、ユーリだった。
はじめは反感をあらわにする両者だったが、次第にひれかあい……

ゼントランとメルトランが出会ってデ・カルチャーしたって話。いや、マクロスより古いですけどね、本作は。
でもまあ、マクロスだったのでネタははじまった瞬間にわかってしまったし、新鮮味はまるでなかった。ただ、小姓制度をもとにした種族の性的な設定は面白みはあったし(まあ、たぶんル・グウィンの『闇の左手』あたりから着想を得たんだろうけど)このくらいのほうが栗本薫のホモ趣味がいい味付けになっている。

「心中天浦島」
17歳のスペースマン、テオは五歳の少女アリスと結婚の約束をする。そして次に出会ったとき、ウラシマ効果により二人の年齢は近くなっていた。
半年の蜜月ののちに再び宇宙に出るテオ。そして次に出会ったとき、アリスはテオより年上になっており、別の男と暮らしていた。
そして百年に及ぶ航海に出たテオを次に迎えてくれたのは、変わり果てた地球でしかなかった……

ウラシマ効果の生む悲劇を「心中天網島」とひっかけてつくられた本作。
そのタイトルゆえにしょうがないんだが、心中するのが作品をつまらなくさせていた。だってワンパターンだし、栗本先生って、ラストで錯乱させることが多いけど、あんまうまくないんだよね、錯乱の描写が。勢いで押し切ろうとするし、作者が「こいつは錯乱してる」と考えて書いてるから、わざとらしくて怖くないし、気持ちが乗らないんだよね。
錯乱している人の内面ってさ、もっと自分なりの論理が成り立ってるものでしょ。その辺を書いて欲しいなあ、作家として。
とは思うんだが、錯乱を「錯乱ですよー」みたいに書いてしまう人って多いし、多いっていうか一部の異常な人をのぞいてほとんどだし、仕方がないか。しかし、一部の作品ではうまいんだけどなあ、栗本先生。多分、それらの作品では錯乱だと思って書いてないからなんだろうけど。
ま、それはともかくとして、これもオチが二秒くらいでわかってしまうし、スペースマンwという感じだし、主人公のはぐれ者意識がちょっとうざいけど、でもおおむねいい話だ。
現代を戯画化して誇張表現した未来の文化はわかりやすくも怖いし、脇役もなかなかいい味出してる。特に同僚のマックスは主人公よりもよっぽどスペースマンの悲しみを出せていていい。特に長い旅立ちを前にして口にする台詞。

これでまたやっと、冬のなかで夏を思い出して、恋いこがれていることができるな

この台詞は人恋しいくせに一つ所にとどまることができない人間の悲しさをよくあらわしている。脇役のこういうくさい台詞が、昔の栗本作品を支えていたんだよな。

「ステファンの六つ子」
銀河の片隅で、ある巨大な種族が組織の末端部分を切り離した。
切り離された組織ははじめて個を得、喜びと悲しみを感じていた。
その頃、地球ではステファンという男が、五つ子となる我が子の誕生を待ち望んでいた。

パンタの同名曲に着想を得たそうだが、ほんとにもう、着想を得ただけで、ストーリーも糞もない。この内容でこのページ数は長い。あとこの種族の設定はもっと詳しく煮詰めるべきだったんじゃないか? なんて思ってしまうのは、この辺に関してもっとうまい作家を知ってしまったからで。
例えば神林長平は「プリズム」で全体から切り離される末端部分をもっと論理的かつ情緒的に書いて見せたし、小林泰三なんかも異種族なんかを書くときには非常にいきいきと理工学系の知識を交えながら描くのでひたすら感心してしまう。
対して栗本先生は結局文系の、それも偏った知識の言葉頼みでなんとか読者を騙くらかそうとしているから、ちと無理があるんだよね。
話の〆方も無理があるというかなんというか、だからなんなんだ、この話は、みたいな。
ただまあ、個の喜びを描いた点では、やはり若書きっぽくて良い。

「黒い明日」
相次ぐ子による父殺しの犯罪。そんな中、同僚の里村が呟く。
「息子が自分の子だとは思えない」

「ステファン~」のアンチテーゼとなっているようなところは面白い。
んだけどこれも一発ネタでなにも広がりがないし、なんかどうでもいい感じだな。


栗本薫のSF短編集の中では一番どうでもよかったなあ。
まあ、多分年齢が大きく関係しているんだろうけど。
でも、それだけじゃないと思うよ。
なんつうか、初期のほかの作品にも散見されるんだけど、いかにも「SFってこういうのでしょ」みたいな、借り物臭さが強いんだよね、この作品。「セイレーン」とかもそうだったけど。SFマガジンだから張り切っちゃったみたいな。
「幽霊時代」とか「時の石」「「火星の大統領カーター」には感じなかったんだけどね。
あー、つうか要するに、完全に宇宙を舞台にしたSFはだめなんだな、栗本先生は。
未来を舞台にした地球の話だったらまだなんとかなるんだども、やっぱり完全なセンスオブワンダーってのはないし、やっぱ宇宙の話には理系知識が必要になるしなあ。
と、しみじみしてしまった。
まあ、悪くないよ。でもちょっと期待はずれだったかな

最新の画像もっと見る

コメントを投稿