憂国の花束

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秋篠宮さま 昭和天皇陵を参拝(3)呼称と称号

2022-04-27 13:02:05 | 皇位継承

昭和天皇陵に玉串を捧げられる皇嗣殿下皇嗣妃殿下。

😱 ネットでは「皇嗣なのに供物に”秋篠宮”とあるのは、変ではないか。」「皇太子の場合は”皇太子”なのに、”皇嗣”と書けない秋篠宮は皇太子より格下。悠仁殿下は愛子さまより格下。」と鼻の穴を広げる者たちがいる。

平成二十九年法律第六十三号
天皇の退位等に関する皇室典範特例法
より
(皇位継承後の皇嗣)
第五条 第二条の規定による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例による。

皇室典範には”皇太子”の定義はあるが、在位中の天皇の息子以外の皇族男子が皇位継承第一位の皇嗣になった場合の記載がない。
だから”秋篠宮”と書かれただけです。

”皇太子”は皇位継承順位第一位の男子。
秋篠宮殿下は皇位継承順位第一位の男子。
その違いは、在位中の天皇の息子であるか、どうかだけです。

皇位継承順位第一位という身分が重要。

皇嗣 (こうし、 英: Crown Prince )は、 皇室典範 において、 皇位継承 順位第1位の 皇族 を指す呼称 。 現行の皇室典範では皇嗣のうち、 在位中の天皇 の皇男子である者には 皇太子 (こうたいし)、皇孫である者には 皇太孫 (こうたいそん)の称号を付している。 第126代天皇 徳仁 在位中の皇嗣は、その皇弟にあたる 秋篠宮文仁親王 (第125代天皇 明仁 第2皇男子)であるが、皇室典範には皇弟である者に皇太弟(こうたいてい)の称号を付する定めがないため、秋篠宮文仁親王に対しては称号的な呼称として皇嗣が用いられている。
こ‐しょう【呼称】
[名](スル)名をつけて呼ぶこと。また、その名。称呼。「公式に記念公園と呼称する」

しょう‐ごう〔‐ガウ〕【称号】
呼び名。特に、身分・資格などを表す呼び名。「人間国宝の称号を贈られる」

😇 皇太子は称号、皇嗣は呼称。とwikiにはあるが、その典拠が無い。

何故、皇室典範に「皇太弟」の記載が無いか。

第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。

皇太弟を記載するなら、これを以下の順に延々と果てしなく書く羽目になる。笑。
皇太曾孫 皇太玄孫、皇太甥、皇太伯父、皇太叔父、皇太従兄、皇太従弟、、、全て書かなくてはいけなくなります。

第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫

② 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
③ 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。

😁 皇位継承順位が男子継承に長子継承の考えを取り入れていることは解りますけども。
しかし、皇位継承順位は憲法と皇室典範によって厳然と定められています。
だから「今上夫妻の系統に皇統を繋げたい。弟宮には、何としても皇統を渡したくない。」「女系天皇を制度化したい。」と執念を燃やす人々は、あの手この手で秋篠宮家を貶め、悠仁殿下は愛子さまより劣ると言い立てる。
愛子さまのお子さまに皇統をつなげるためには、まずは皇室典範を変えないといけないが、それには国民の支持が必要。そのために続く印象操作にはウンザリするし、恐ろしくもある。
上皇の退位が実現したのはマスコミを利用して国民の中に「退位やむなし」というムードを作りあげたからでしょう。
世の中のムードというもの馬鹿にしてはいけない。

😐 この親子三人セットの姿を見慣れると、愛子さまが成年式終了のご報告に伊勢神宮へ行かれても、天皇皇后が付きそって瑞垣南御門内で拝礼することも当たり前のように感じられるのではないかと思う。

瑞垣南御門内へ入れるのは天皇皇后だけ、瑞垣南御門外で拝礼できるのは皇太子皇太子妃だけ、成年皇族となった愛子内親王は内玉垣南御門で拝礼するのが正しいのですが、さて、それを今上は守るでしょうか。



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6 コメント

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Unknown (牡丹)
2022-04-27 16:54:57
怒涛の記事更新ありがとうございます。
秋篠宮殿下が皇嗣となられたのは、典範に皇太弟の具体的な記述がないから、という理由でした。

記述が無いから皇太子ではなく皇嗣、故に内廷より格下というのであれば、皇位は男系男子にという記述があるのですから、内親王はさらに下位になります。
女帝擁立派は自己の論理に矛盾が生じているのにも気づかない、愚かなことです。

典範8条の主旨に則れば、秋篠宮殿下は皇太弟に…という解釈も可能だったと私は思っています。
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Unknown (如意)
2022-04-27 22:49:06
牡丹さん
こんばんは。

前にも書いたのですが、私には忘れられないコラム記事があります。
平成の天皇の退位が特例法と決定したすぐ後に、退位に関わる委員会に参加した自民党議員が名前を出して記者に語っていたのですが「天皇皇后(現上皇上皇后)御二人は、最後まで恒久法と秋篠宮殿下を皇嗣とすることに拘っていた。それで両方ともはダメ、どちらか一つだけと突っぱねたら、秋篠宮殿下を皇嗣とするほうを選んだ。」そのような内容でした。それを読んだ時あんなに切望していた恒久法より秋篠宮の”皇嗣”に拘ったのかと驚いたことを記憶しています。

当時は皇室関係のブログを始めることなど全く考えていなかったので、記録を残しておかなかったことが悔やまれてなりません。

確かに当時も典範8条の主旨にそって「皇太弟」という声も多数ありました。
「皇太弟」ではなく「皇嗣」にこだわった上皇上皇后の本意は、やはり「皇統は皇太子の系統へ(手立てがあれば愛子へ)」だったのでしょうか?
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Unknown (ニリンソウ)
2022-04-27 23:36:16
仮に皇嗣ではなく皇太弟としていたら今と状況は変わっていたでしょうか?皇太弟は皇室典範にはない称号です。どちらであっても反対派は”だから正式な地位ではない”と主張したような気がするのです。

悠仁様と愛子様の身位も現時点でどちらが上かということについて解釈の余地がある気がするのです。
私のようにあまりよく分かっていない人間からすると、悠仁様は皇位継承第二位で、愛子様は継承しないのだから悠仁様が上でしょうと思ってしまいます。でも平成の儀式(清子様降嫁前)の写真を見ると、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、清子様、常陸宮ご夫妻・・・と続かれてます。悠仁様が成年を迎えられたとき、果たしてどちらが前になるのか???分からなくなってしまいました。

お代がわりにあたり、こうしたことをしっかり示してほしかったです。本来住人になるはずの皇嗣家から旧東宮御所を奪い取った上皇上皇后のなさりようは、はたから見て皇嗣家を軽んじているように映ってしまいます。
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知ることが大事! (あかり)
2022-04-28 09:14:11
"天皇の威光"を感じた記憶が2,3あります。一つは、田中角栄が下野したのは昭和天皇に嫌われたからだという噂の記事で、当時天皇は全く政治に関わらないと思っていたので驚きました。二つ目は、安倍一強でジャーナリズムが沈黙した時期に、美智子さんが「憲法」や「戦犯の恐怖」を語って潮目を変えたことでした。昭和帝の大葬や平成の即位礼は、もちろん戦前のような重みは無いのでしょうが精一杯努力していると感じました。私は熱心にテレビを観ました。鳥居の問題なども、ホウという感じでしたね。しかし、東日本大震災や退位の天皇談話は茶番劇にしか思えませんでした。退陣する野田首相に追いすがって「女性宮家」を懇願した風岡宮内庁長官の情けない姿には、‘怒鳴る’といわれた明仁天皇の影がありました。その後の慰霊の旅や繰り返された宮中の催しは、潔くないドタバタ劇でした。令和の即位礼は残念の一言で、今でも疑問が一杯です!伊勢神宮親謁で思い出すのは例の方の馬アレルギーだけで、供奉する親王がいなかったことなどは話題にもならず、今回の如意さんのブログで初めて知りました。本当に、みっともない令和の夫妻です。そして、しつこい、しつこい「愛子天皇」騒ぎ!成年式以降は女性天皇や女系天皇などとぼかさず、ハッキリと「愛子天皇」と出て来て、ますます嫌気がさします。愛子さんは、伊勢どころか、まず昭和天皇陵を参拝してください。親と離れたくなかったら、結婚しないで、いずれ悠仁さまに養って(?)貰えば良いのです(苦笑)。
如意さんが学者(?)たち顔負けの調べ物をして書かれるのを、大変嬉しく読んでおります。そこからは威光どころか"我意の強い醜い内廷たち"の姿が浮かび上がってきます。皇嗣殿下が一生懸命皇室の威厳を取り戻そうとしていらっしゃるのは、本当に良いことです。
私も、自分がブログ記事にコメントするとは想像もしていませんでした。国民を欺き誘導する大きな声と萎縮したようなブログの閉鎖が続いたので、一度だけと思って書き始めてしまいました。今は、勉強家の如意さんにブログを続けて欲しくてコメントを書いています。(勝手な自分の想いを書くばかりで、かえって足を引っ張っているのではという危惧もありますが・・💦)
これからも、いろいろと教えてください。
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Unknown (如意)
2022-04-29 22:26:38
ニリンソウさん
>仮に皇嗣ではなく皇太弟としていたら今と状況は変わっていたでしょうか?

確かに反対派は皇太弟でも理屈をつけて反対したでしょうね。
しかし今のような中途半端な状態ではなくなった可能性もあると考えるのです。

昭和天皇に皇太子が生まれるまで、秩父宮殿下が皇嗣殿下と呼ばれたように、皇嗣殿下には皇太子が決まるまでの中継ぎというイメージが付きまとう。
反対派の中には立皇嗣の礼が終わっても中継ぎと理解しているひともいるくらいです。内廷ではないが皇太子のようなもの。では、あまりにも中途半端です。
皇太弟、なら紛うこと無く内廷でしょう。内廷が上皇家、天皇家、皇太弟家、三家10人(眞子さんがまだ結婚していなかった)御所が仙洞御所、御所、東宮御所とパンパン、押し合いへし合いになるのがイヤだったのかしら?笑。
皇嗣は皇嗣邸で御所ではないのですよね。
おかげで秋篠宮殿下と悠仁殿下を侮る者多数です。

>、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、清子様、常陸宮ご夫妻・・・と続かれてます。

ああ、それは簡単です。
まず各妃殿下の順位は夫と同じです。
 天皇 皇后(1)
1皇太子 皇太子妃(2)
――――――――――――― 
2秋篠宮 (3)秋篠宮妃
     (4)清子

3常陸宮



現在は
天皇  (1)皇后
1皇嗣 (2)皇嗣妃
―――――――――――
2悠仁  
    (3)愛子 
    (4)佳子
3常陸宮

()内は皇后をtopとする女性皇族の順位。


あかりさん
茶番!茶番!本当に茶番です。
底が見えるシナリオ、下手な役者。ウンザリです。国民も馬鹿にされたものですね。

紀子さまの聡明さと事務処理能力に方向性を与えるのは秋篠宮殿下でしょうから、殿下の理想主義も悪いばかりでもないと思っているのですが…。
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Unknown (ニリンソウ)
2022-04-30 00:28:33
如意さん、返信ありがとうございます。

> 昭和天皇に皇太子が生まれるまで、秩父宮殿下が皇嗣殿下と呼ばれたように、皇嗣殿下には皇太子が決まるまでの中継ぎというイメージが付きまとう。

 そうですね。秩父宮殿下のことを考えるとそうなのかもしれません。99.9パーセントあり得ませんが今上にこの後男子が生まれる可能性を否定できない故の皇嗣なんですよね。
 皇嗣にこだわったのは秋篠宮さまだという話と上皇ご夫妻だという話のどちらも聞きますが、はたしてどちらが本当なのか。なぜ内廷はだめだったのか、なぞだらけですね。

 身位についての解説ありがとうございました。悠仁様が成年後はさらにうるさそう(溜息)。韓流時代劇を見させられている気分です。
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