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秋篠宮さま 昭和天皇陵を参拝(2)皇室登極令

2022-04-27 02:26:51 | 秋篠宮


😊 秋篠宮殿下は平成の天皇や今上とは少々違う方法で立皇嗣にともなう拝礼をされました。
結論から言えば、秋篠宮殿下はそれによって皇嗣という立場への並々ならぬ思いを表され、周囲もそのように皇嗣の立場を重く受け止めているものと、私は理解しました。

登極令(とうきょくれい)は、明治憲法および旧皇室典範下の天皇の践祚・即位礼・大嘗祭・元号に関して規定していた旧皇室令である。1909年2月11日公布(明治42年皇室令第1号)。のち附式が修正された。
1947年(昭和22年)5月1日に公布された「皇室令及附属法令廃止ノ件」(昭和22年皇室令第12号)により、日本国憲法及び現皇室典範が施行される前日の同年5月2日限り廃止された。

登極令は廃止されたが、それに代わる法令が定められていないので、登極令の内容は日本国憲法に反するもので無い限り、現在も皇室においては踏襲されています。

天皇の即位に関わるもの


第十六条 即位の礼及び大嘗祭訖り(おわり)たるときは天皇皇后共に神宮神武天皇山陵並に前帝四代の山陵に謁す

😇 
即位の礼の細目は多岐多数なので、関係のある神宮神武天皇山陵前帝四代の山陵の部分だけを見ると…。




😇 神宮親謁には天皇には皇太子親王王が皇后には皇太子妃親王妃内親王王妃女王が供奉することになっています。


😇 神武天皇陵ならびに前帝四代の山陵親謁にも神宮と同じく天皇には皇太子以下男性皇族が皇后には皇太子妃以下女性皇族がお供することになっていたようです。
明治42年に公布された皇室登極令による即位の礼を行ったのは、大正天皇がはじめてだが、大正天皇、昭和天皇の即位の礼の詳細は資料が見つからないので省く。


平成の天皇即位の礼、資料(内閣府HPより)
😇 登極令の細目が国事行為と皇室行事に仕分けられたことがわかります。
神宮と神武天皇陵、前帝四代山陵への天皇による拝礼は皇室の私的行事となりました。







😇 皇族数の減少に伴って、神宮、山陵へお供する皇族の数が減りました。
登極令の記載は皇太子以下成年男性皇族全員皇太子妃以下成年女性皇族全員がお供すると読めますが、戦後登極令は廃令になったので、そのあたりは融通が利くのでしょう。
どころで平成の天皇即位当時皇太子(今上)は成年に達していたのに、表には皇太子の記載がありません。実際にお供していたのか、いなかったのか、記憶が曖昧ですが、どうだったのでしょう?

平成の天皇の即位の礼に伴う参拝には、それでもお供する皇族がいたが、今上の即位の礼では、とうとうお供する皇族がいなくなってしまった。

今回、秋篠宮殿下が前4代の天皇山陵に参拝されたのは、今上の即位の礼の参拝にお供しなかった埋め合わせだと書いて秋篠宮殿下を貶める者がいるが、出席日数の足りない学生の救済策でもあるまいし、神への拝礼をなんと心得ているのか。😈 

登極令、立太子礼についての記載部分
😐 神宮、神武天皇陵、先帝山陵に勅使をもって奉幣する旨は書かれていますが、皇太子皇太子妃の参拝は定められていません。

昭和天皇の立太子礼では立儲令でさだめられたとおり神宮、神武天皇陵、明治天皇陵へ勅使は派遣していますが、参拝はなかったようです。

戦後の平成の天皇の立太子礼では皇太子明仁殿下(当時)は神宮神武天皇陵昭和天皇陵に参拝し立太子の終了を報告しています。
令和の天皇の立太子礼では、皇太子徳仁殿下(当時)は神宮神武天皇陵昭和天皇陵に参拝し立太子の終了を報告しています。
立儲令に無かったことが何故付け加えられたのか。確たる資料が無いのでよくわかりません。

立儲令では定めのなかった女性皇族の成年式を戦後行うようになった理由は想像出来ますが。

戦後、立太子の礼を行うにはその都度閣議決定が必要となりました。
秋篠宮殿下の立皇嗣礼も閣議決定のもとで行われました。
(内閣府HPより)

令和2年


😐 国事行為として行うのは「立皇嗣宣命の儀」と「朝見の儀」だけ。
後は皇室の私的行事という位置づけでしょう。

秋篠宮皇嗣同妃両殿下の三重県,奈良県および京都府へのお成りにつきまして 
令和4年4月19日
宮内庁皇嗣職
秋篠宮皇嗣同妃両殿下には,立皇嗣の礼お済ませにつき,神宮ならびに神武天皇山陵ご参拝のため,併せて,両殿下のお考えによって孝明天皇山陵,英照皇太后山陵,明治天皇山陵ならびに昭憲皇太后山陵をご参拝になるため,4月20日(水)から同月23日(土)まで,三重県,奈良県および京都府へお成りになります。(後略)

😊 今回天皇の即位と同じく神宮、神武天皇陵、前四代の天皇とその皇后の山陵に参拝されたのが秋篠宮殿下からの御提案だったとしても周囲が承服しなくては実現はしません。大嘗祭への秋篠宮殿下の御提案を周囲は却下しました。
皇嗣殿下の皇祖神、皇祖、先祖への深い思いが今回の参拝を実現させたのだと私は理解しています。

今回、神宮、神武天皇陵、昭和天皇陵以外に、前4代の天皇陵を参拝したのは、今上の即位礼にともなう神宮他の参拝に皇族の供奉が無かったのを埋め合わせるためだ。と、とんでもないことを主張して、秋篠宮殿下を貶めるものがいる。








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5 コメント

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Unknown (牡丹)
2022-04-27 16:40:42
登極令・立儲令についての記述が大変参考になります。ありがとうございます。

今上の即位に伴う親拝に皇族方の供奉がなかったのは、皇嗣以外の成年男子が不在だったから。先代即位の折には秋篠宮始め各宮家の親王が妃を伴って供奉していました。
天皇と皇嗣(皇太子)は原則一緒に外出しないと聞いています。万一の場合に皇統を守るためです。
その点から言えば、先代の親拝に今上がいなかったのも、今上の親拝に皇嗣がいなかったのも当然ですね。埋め合わせ云々は的外れです。
今上親拝の折に悠仁親王が成年であれば、今上に供奉しただろうと考えられます。皇位継承権のない内親王の供奉では決してないのです。
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Unknown (如意)
2022-04-27 22:28:38
牡丹さん
こんばんは。
登極令、立儲令、お役にたちましたか?
そう言っていただけると、スクショして、トリミングして、を繰り返してアップした甲斐があります。ありがとうございます。
皇室典範だけを根拠に論じても埒があかないことは多々ありますものね。
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Unknown (ニリンソウ)
2022-04-28 00:08:02
登極令、立儲令、初めて耳にしました。詳しい説明ありがとうございました。

秋篠宮家は折にふれ陵に参られ、先祖を大事にされているところが好きです。きっと参拝の折には、お子様方にそれぞれの天皇についてご存知のことをお話なされているのではと思っています。

平成の即位礼の地方行啓は豪華でしたね。私はまだ若かったので、こうした参拝については全く覚えていないのですが、昭和天皇の崩御から大喪の礼、平成の陛下の即位礼までの重厚感は忘れられません。それに比べると今は軽いですねえ。皇族数減少だけが理由ではない気がします。
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Unknown (かえで)
2022-04-28 08:11:08
如意さま、こんにちは。
色々と知らないことが殆んどで大変勉強になりました。
本当に凄いとしかいいようがないです。
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Unknown (如意)
2022-04-29 20:32:46
ニリンソウさん
こんばんは。
祈り、祈りと口にされなくても、秋篠宮殿下の参拝には心がこもっているように私は感じるのですよ。
昭和天皇の大喪の礼では「大喪の礼をこの形で行えるのはこれが最後だろう。」とスタジオで解説していた識者達が言っていましたが、その通りになりましたね。即位の礼もあれが最後になるのかな?規模は縮小してもよいから厳かな即位の礼をもう一度眼にすることを願っているのですが…。

かえでさん
ありがとうございます!(^^)/
これからもよろしくお願いいたします。
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