一般社団法人日本文化振興会とはどういうところなのでしょうか。
ある集まりに出向いたところ席上で知人が表彰を受けることになったと発表があり受賞式が行われた。総裁の代理として表彰状とメダルを携えてきた老人に私のアンテナは何故か胡散臭いものをキャッチした。
帰宅後検索。
一般社団法人日本文化振興会
総裁伏見博明氏 失礼ながら25代男系で続く伏見宮家ご当主の想像をうらぎる怪しい御風貌。日本文化振興会HP掲載の元写真はこれと思われる。
博明氏、サイトによって24代25代26代と重ねた代数が違う。日本文化振興会が25代としているので、一応25代とする。
現在の総裁は旧伏見宮家25代当主伏見博明氏であるが、初代総裁東久邇宮稔彦 氏 2代梨本徳彦氏 4代六條有康氏(昭和天皇従兄弟)と元皇族元華族の名が並ぶ。
初代会長山田無文師、顧問北村西望 (長崎平和祈念像作成)現在の名誉会長は赤塚健。副総裁ドクター中松こと中松義郎。と有名人が並んでいる。
が、創始者桟勝正、会長八山元(張 永祥) とは何者?
事業内容は「顕彰」・・ますます胡散臭い。
ネットを検索したらこの写真がヒット。こちらの写真の博明氏の胡散臭さはまだましだが、この女性も受賞されるとは、やっぱり怪しい賞?。笑。
知人がどういう経緯で受賞することになったのか、探ってみましょう。
プレゼンターは件の老人以外にもそれぞれ社会的地位がある女性が二人付いてきて、それぞれ記念品を知人に手渡していたが、女性達の雰囲気が某宗教団体の婦人部長のそれに似ているのが気になった。
老人は挨拶の中で、博明氏が「殿下」と呼ばれて国際的に活動されていること、”伏見宮はもう一つの天皇家”であると崇光天皇から始まる伏見宮の歴史を簡単に紹介した。
まあ、確かに見ようによっては、伏見宮は”もう一つの天皇家”と言えなくもない。と妙に納得するとともに、自民党保守派が目論む「男系男子継承」の光景がふと見えたような気がした。
伏見宮自体は博明氏に男子がいないので、博明氏で男系は絶えてしまうが、現皇室を同じ崇光天皇を祖とする伏見宮の系統は流れを増やして現在に続いている。
伏見宮家の始まり。
順当なら崇光天皇の第一皇子栄仁親王が皇位継承するはずだが、皇位を継承したのは崇光天皇の異母弟。光厳天皇の第二皇子弥仁親王。
時は南北朝時代。皇位を巡ってまあ、ゴタゴタが。崇光天皇は栄仁親王の即位を強く願っていたが叶えることが出来ないままに崩御。このまま崇光天皇の系統に皇位は巡って来ることなく、南朝に三上皇 と皇太弟直仁親王を拉致された京都で三種の神器も無いままに即位した後光厳天皇の系統が後小松天皇の代に南北統一も出来、そのまま続くかと思ったら称光天皇の後が続かずあっさり終わり。
崇光天皇の曾孫、栄仁親王の孫の兄が後花園天皇、弟が伏見の宮家を継承して今日に至る。
伏見宮家は皇統が戻ったと喜んだが、貞成親王の兄、影の薄い治仁王が気になる。
治仁王は兄、貞成親王は弟。治仁王は貞成親王を猶子にして、栄仁親王薨去後跡を継いだが数ヶ月前で急逝。貞成親王に兄毒殺の嫌疑がかけられた。
「長子が~」と声高に主張する人々は、現在の皇室の家祖である後花園天皇の実父が弟であったこと、そして兄毒殺の嫌疑をかけられていたことを何と思われるやら。
奈良県五條市賀名生の皇居跡。
足利尊氏に追われた後醍醐天皇が吉野へ向かう途中滞在し、南朝後村上天皇、長慶天皇、後亀山天皇の皇居になった。現在も正統の天皇は南朝、と主張する人々もいる。
😊 兄彦仁王が後花園天皇に、弟貞常親王が伏見宮当主になって以降、現天皇家と伏見宮家は絡み合いながら歴史を重ねて行く。
私は伏見宮家一族は後花園天皇から始まる現天皇家の伴走者と理解しているが、”もうひとつの天皇家”という主張も解るような気がします。