憂国の花束

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陛下お手撒き

2021-04-06 22:44:26 | 天皇
6日、陛下が皇居内の苗代に種籾を播かれました。


天皇陛下、春恒例のお手まき
2021/04/06 産経新聞
天皇陛下は6日、皇居内の生物学研究所脇にある苗代にうるち米の「ニホンマサリ」と、もち米の「マンゲツモチ」の種もみをまかれた。皇居での稲作は昭和天皇から続く恒例行事。陛下はこの日、ジャンパーに運動靴姿で苗代の前にしゃがみ、小さなかごに入った種もみを均等になるよう丁寧にまかれていた。
 育った稲は陛下が5月に田植えをし、秋に稲刈りをされる見通し。収穫された米は11月の新嘗祭(にいなめさい)など、宮中祭祀(さいし)にも使われる。



昭和天皇が皇居内の水田で稲作を始められたのが1927年ですから、伝統行事としてはそれほど古くはない。
ですが天皇と稲作の関わりは日本書紀では神代に遡るとされる。

豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)※「日本書紀」神代

瑞穂の国。
いつから、日本人は日本が瑞穂の国だということを忘れしまったのか。

1927年昭和2年、即位後直ぐに皇居内に水田を作り稲作を始められた昭和天皇の深い大御心を有り難く思います。
「雅子と二人で国民に寄り添って行く。」と述べられ国民と言葉を交わすことをもって「寄り添う」の表明とされる令和の陛下と、その国家観、歴史観に根本的に何かが違うように感じてしまいます。私は、ですが。

それでも、こうして種籾を播かれる陛下には感激してしまう。
令和の天皇の心中がどうであれ、作業が儀式として形ばかりであれ、日本の歴史と共に歴史を重ねて来た「天皇」は稲作を続けないといけないのですわね。

現在は播種も機械化されていますが、手撒きの実際は、こんな感じ。
陛下のお手蒔きが儀式であることが解ります。

昭和天皇の古い映像ではお若い頃は、実際に稲作されていたようです。
養蚕も香淳皇后も自ら蚕の世話をされていたことが映像から窺えます。

平成の天皇皇后は部分的に関わり、令和の天皇皇后は形式的で地鎮祭の鍬入れ式程度?


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