ベトナム国家主席夫妻との午餐会に出席された紀子さまの着物姿の全身像を見たいのですが、着物の柄が何とか判別できるのは今のところ、雅子さまの場違いな笑いが真っ先に目に飛び込んでくる、この写真しか無いようです。
シロガネの草子さんが、紀子さまが午餐会で召された着物を突き止めてくださいました。(画像はシロガネの草子さんのブログから拝借したものです。)
平成7年(1995)の秋の園遊会
紀子さま29歳 1991年には眞子さんが、1994年には佳子さまがご誕生になり、既に2児の母でいらっしゃいましたが、初々しい美しさに人妻らしい艶やかさが加わりお綺麗です。
平成17年(2005)の秋の園遊会
紀子さま39歳。しっとりと匂うようにお美しい。
翌平成18年9月悠仁親王ご誕生。
平成30年(2018)の秋の園遊会
紀子さま52歳 眞子さんと小室の結婚問題にお悩みの頃。お顔に翳りが見える。
バッシングは悠仁殿下にも及びご心労も増すばかりでは無かったか。
来年は皇后、の雅子さまは期待に胸弾ませ、得意そう?に見えるが。
↑↓同じお着物で間違いないでしょう。
・・・うぅ・・気持ちの悪い笑顔はやめなはれ。
20代から今年57歳まで、同じお着物を時々の美しさでさらりと着こなされる紀子さま。なんと素敵なかたでしょう。
それにしても、何度も身に着けられるということは、紀子さまはこの着物が余程お好きなのでしょうね。
もしかした、初めてお召しになった時に殿下から「あなたによく似合っている。」と褒められたのかな?
そして今年、紀子さまが「この着物、まだ私に似合うでしょうか。」と殿下にお尋ねになると、殿下は「ますますよく似合って、美しい。」とお答えになる、、、そんな光景をふと思い浮かべました。
この花は
薔薇ですね。
『枕草子(能因本第70段)』『源氏物語』には薔薇が登場します。
中国の人気詩人白居易が薔薇を良く詠んだ同時期、日本で薔薇の記載が始まったといいますから、白居易の詩を愛好した人々が中国から薔薇を取り寄せて愛でたのでしょう。
白居易の詩を愛した平安貴族の庭に植えられたのは、庚申薔薇だったようです。
庚申〈薔薇〉
定義
バラ科の常緑低木。中国原産。渡来は古く,観賞用に栽培。春から秋にかけ,枝先に紅紫色または淡紅色の花を少数個ずつつける。花は一重または八重で,花期が長い。長春花ちようしゆんか。
庚申薔薇は全ての栽培種の原種、とも言われています。
八重の庚申薔薇
ところで、日本では大きな花も小さな花も全て薔薇ですが、中国では薔薇と玫瑰(めいぐい)を分けて言います。
庚申薔薇やツルバラ、野ばらのような小さめの花は薔薇。
こっち系が 玫瑰(めいぐい)
中国では「薔薇の花束」を彼女に持って行くと鼻であしらわれるとか。
貰うなら真っ赤な「玫瑰(めいぐい)の花束」だそうです。
紀子さまは庚申薔薇やツルバラばかりでなく、ぱっと華やかな大きな薔薇の花模様の着物も勿論お似合いになると思いますが、楚々とした風情の庚申薔薇やツルバラのほうが紀子さまらしくて良いですね。
楚々とした風情の庚申薔薇はとても丈夫でグングン伸びるその生命力を白居易も平安貴族も愛したようです。
楚々とした風情に生命力、なんだか紀子さまみたい。
勢津子さまの御ばあ様は、勢津子さまを「雲居の菊」に喩えられたそうですが、それならば紀子さまは「雲居の薔薇」ですね。😊
ああ、もう御一方、雲居に咲く巨大な花のようなかたがいらしゃった。
いつの間にかウィンク技も身に付けられて。
すごーく高価なお着物と帯だということは解ります。
同じ着物を手入れよくされて、今仕立てたばかりのようにお召しになるのが紀子さまなら、雅子さまは都度新調されているようです。
ただ、雅子さまは着物に興味がなく「高価で派手で、手間暇かけた作家物ならOK」で買い求められているような気がしてならないのですね。私は、ですが。
ところで、、
紀子さまの後ろに清子さんがいらっしゃいますが、帯締めの房は下向きです。
帯締めの房の向きがどうこう言われ出したのは、町中に着付け教室が雨後の筍の如く出てきた昭和40年代からだったと記憶しています。昭和30年代までの成人女性たちは着物教室で習わなくても着物は1人で着れた。
着付けにも流派のようなものがあって、他と差異を付けるために言い出したのだと思いますよ。
帯締めは自然に結べば、一方は上向き、一方は下向きになります。帯締めの始末など好きにすればよろしいのに。
雅子さまのすることは何でも間違っていると叩くのでは、秋篠宮ご一家をバッシングしている人々と変わらない。そういうの、イヤだな。