京阪宇治線「桃山南口(ももやまみなみぐち)」駅。
昔、母は母子寮(現母子生活支援施設)の寮母として働いていた時期がある。亡父と母の仲人的存在でもあった、その母子寮の寮長先生の住まいが、この駅辺りにあって、母に連れられて何度か乗り降りしたことがある。
この寮長先生の夫こそ、小説家、稲垣足穂(いながきたるほ=1900~1977)先生。
私も子供の頃から何度かご夫妻にお会いしている筈だが、記憶に濃いのは、確か私が中学1年生の年、火事に遭われ、知人のお宅に身を寄せていらしたご夫妻を、お見舞いに伺った時のこと。
「この人は、貴方ぐらいの少年が好きなんですよ」
夫人から改めて紹介された私の頭を、足穂先生は笑顔で二、三度撫で撫でして下さった。そして背中を向けて何やらゴソゴソ始められると、辛うじて火事場から持ち出された荷物の中から見付けた何枚かのスライド写真を、私に手渡して下さった。それは何れも複葉飛行機が写されたもので、足穂先生は、どこの国の何という機種なのかを1枚1枚説明しながら渡して下さったのだが、全く失礼ながらその詳細を憶えていない。
今になって改めて調べてみると、少年時代に飛行家を目指したり、複葉飛行機の製作に携わっていらしたこともあるという先生。そんな稲垣足穂先生ならではの、エピソードと言えるかもしれない。
最近、この稲垣足穂先生の自伝的小説とも言える『彌勒』が、林海象監督の手によって映画化されたようだ。
是非、観たいものだと思っている。
彌勒 MIROKU 公式サイト
http://www.0369.jp/about01.php
昔、母は母子寮(現母子生活支援施設)の寮母として働いていた時期がある。亡父と母の仲人的存在でもあった、その母子寮の寮長先生の住まいが、この駅辺りにあって、母に連れられて何度か乗り降りしたことがある。
この寮長先生の夫こそ、小説家、稲垣足穂(いながきたるほ=1900~1977)先生。
私も子供の頃から何度かご夫妻にお会いしている筈だが、記憶に濃いのは、確か私が中学1年生の年、火事に遭われ、知人のお宅に身を寄せていらしたご夫妻を、お見舞いに伺った時のこと。
「この人は、貴方ぐらいの少年が好きなんですよ」
夫人から改めて紹介された私の頭を、足穂先生は笑顔で二、三度撫で撫でして下さった。そして背中を向けて何やらゴソゴソ始められると、辛うじて火事場から持ち出された荷物の中から見付けた何枚かのスライド写真を、私に手渡して下さった。それは何れも複葉飛行機が写されたもので、足穂先生は、どこの国の何という機種なのかを1枚1枚説明しながら渡して下さったのだが、全く失礼ながらその詳細を憶えていない。
今になって改めて調べてみると、少年時代に飛行家を目指したり、複葉飛行機の製作に携わっていらしたこともあるという先生。そんな稲垣足穂先生ならではの、エピソードと言えるかもしれない。
最近、この稲垣足穂先生の自伝的小説とも言える『彌勒』が、林海象監督の手によって映画化されたようだ。
是非、観たいものだと思っている。
彌勒 MIROKU 公式サイト
http://www.0369.jp/about01.php