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弁護士法人かごしま 上山法律事務所 TOPICS

業務の中から・・報道を見て・・話題を取り上げます。

オーラの泉  「いじめ」という言葉を使わない。 お天道様が見ている。 天知る、地知る、我知る。

2006-11-30 | 雑感
昨夜「オーラの泉」をたまたま見ました。あまり好きでないテレビ番組なので、昨夜も一瞬チャンネルが合っただけなのですが・・・(ちなみに、私はテレビチャンネルを頻繁に変えるので家族からは疎まれていますし、この続きはCMの後パターンが多い今日この頃、テーマの結論を見逃すことがしょっちゅうです。)

話を「オーラの泉」に戻します。
番組のひとつのテーマの一つは「いじめ」らしく、ゲストの堀ちえみさんが「いじめについて子供とどう向き合っていいのかわからない。」というような発言がきっかけだったと思います。会話の中で印象に残った発言が二つほどありました。
 一つは、いろんな現象について「いじめ」という言葉を使わない方がいいということ。恐喝であり、窃盗であり、暴行であり、傷害、殺人・・・なのだということをはっきり指摘した方が良いということ。これは美輪さんが言っていたかな。「いじめ」という表現が問題の深刻さを隠す結果になっているということですね。
 もう一つは、最近の風潮として、第三者の評価はものすごく気にして「いい子」でいることに価値が置かれているけれども、評価する立場の人が面前にいなければ、何をしてもいいという傾向があるということ。これは、江原さんがいっていたと思います。どんな「いい子」でも先生や大人が目の前にいなければ、いじめることにあまり抵抗感が無いのではないかというニュアンスでした。むしろいじめが陰湿化といわれているのはこういう意識の問題なのかもしれませんね。関連して、犯罪報道でインタビューで「あんないい子が・・・。」「あんないい人が・・・。」という発言も当人は第三者の面前では「いい子」「いい人」なんだから当然と言っていました。大人の世界の色々な不祥事事件も本心は、隠しておければ、隠蔽しておければよいと思っているところに根本的な問題があるということを論じていました。その際に、昔は、第三者の評価ではなくて、「お天道様が見ている。」とか「バチガ当たる。」とか「恥を知る。」とかいう感覚が世間の共通認識として通用していたと指摘していました。
これに応えて美輪さんが言った言葉は「天知る、地知る、我知る。」でした。
 確かに、子供の世界の「いじめ」問題は、大人の世界の意識が反映されているのかもしれませんね。
 スピリチャルなもの、霊的なもの全く分かりませんし、興味もありませんが、テレビの前で一人「そうだよなあ。」と考えました。


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