対岸の彼女 / 角田光代

眠れなくて聞いていたラジオ番組にゲストとして角田光代さんが出ていた。
名前だけは聞いたことあるなぁぐらいに思って聞いていたら、なんとこの人、朝8時から夕方5時まで、みたいな感じでキッチリ毎日サラリーマンのように小説を書くというのだ。ビックリ。こんなにビックリしたのは久しぶりじゃないかと思うぐらいビックリしてしまった。
僕の中の「小説家」というイメージが完全に壊れた気分。
そんなんで本当に面白い小説が書けるのだろうか?
乗った時には気がつけば28時間ぶっつづけで書いてた、乗らないときは1ヶ月経っても1枚も書けない、っていうのが普通なのでは?
すごくビックリした。
そして、そんな人の書く小説を読んでみたいと思った。

図書館に行き、イトヤマさんの本を借りようと思ったけど、読んでない本は1冊も置いてない。
で、この本を借りた。

読み始める。
重い。
こんなに重いのか。
ラジオの番組で軽快にしゃべっていた著者の雰囲気とのギャップに驚く。
小さい子供を抱え、働きはじめようとする女性のお話。
我が家と重なるところが多い。
女性同士の友情。
それを維持することの難しさ。
そもそも友情ってなんだろう?友達ってなんだろう?
あんなに親しかったはずの友人達が、いつのまにか周りに一人もいないのはなぜなのだろう。
同じものを見て、同じ気持ちを共有できた、あの友達は一体どこに行ってしまったのか。

男である僕にも同じようなところはあるけど、女同士って本当に難しいんだなぁって思う。
「仲良しグループ」なんていう、そもそも共同幻想でしかないものがあって、どこかのグループに所属しないと存在そのものが否定されるような、その状況。
つらそうですね、女子のみなさん。
そういう意味じゃ、ナナコは男っぽいよなぁ。

周りの人に気をつかいまくって、色々考えをめぐらして、それでやっと勇気を出して行動して、結果ヘンな誤解をされて、完全に一人悪者扱い、みたいな。
あー、もう、そんなんなら友達なんてゼロでよくね?と言いたくなっちゃいますが、女子のみなさんはそうは思えないんですかねぇ。
友達って必要ですか?
というか、無理して、気をつかって、神経をすり減らして、そうしてないと維持できない友達なんて、それって友達なのかな?って男の僕は思いますがねえ。

でもね、わかります。
そうですよね、男は会社という世界があって、友達ではないかもしれないけど、そこで色んな人との関係があって、その関係の中で自分を確認できる。
それに比べると、やっぱり女性は自分を確認できる場所がないのかなぁ。


なんて、友情関係についてばっかり書いたけど、実は僕がこの本で一番自分自身にとって心が揺れたところは、「このまま、どこにだって行けるんだ」ってところです。

高校生のころの僕にはこんな勇気も、いや、勇気以前に、「どこにでも行ける」なんて思えるだけの想像力さえなかったのですが、海外旅行をするようになって、いつも旅先で思うことは、「このまま、日本に帰らなくたって別にいいんだよな」ってことです。
海外旅行って、自分のこれまでの価値観が壊れていくのが面白いところだと思うんですけど、異文化を見て、生活様式とかの違いで価値観が壊れるっていうこともあるんだけど、それ以上に、「あ、そっか、このまま日本に帰らないで生きていくっていう選択肢だって、別に普通にあるんだな」って思うことで、日本で、あの社会の中で、今までの自分の延長線上をずっと生きていくことしかあり得ないように思っていたそれまでの価値観がぶっ壊れる、あの感じがものすごく面白いのですが、この本では、高校2年生の彼女達がそれをやってのけてしまう、そこがすごいなぁと。
もちろん友達と一緒だという心強さ、ナナコが逃げたい状況にいたという動機などあるとは思うけど、なんかすごいなぁって。
小夜子じゃなくても、その記事を読んだら、僕もひき付けられたんじゃないかな。


なんか全然まとまっていないけど、体調も悪いので、このへんでおしまい。



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江利子と絶対〈本谷有希子文学大全集〉 / 本谷有希子

あー、面白かった。
最初の2作は、本谷さんの作品らしく、やたらとエキセントリックな女が出てくる作品。このヤバイぐらいの女性を描かせると、やっぱりこの人は上手いんだなぁ。
こういうことこういう女なら言いそう、というのをちゃんと言わせる。
わけのわからない論理展開、でも言いそう、こういう女ならこういうこと言いそう。
そして、ちょっとばかし何かが変化してエンディング。
その変化で、なんとなくホロっとさせる。(ホロ、は違うか。ま、とにかく面白いエンディングと思わせる。)
まー、とにかく面白かったなぁ。

最後の1作は、本谷作品にしては珍しいものだったけど、これが一番面白かった。
なるほど、こういうのも書けるのか。
もう、この後どうなっちまうんだろうとページをめくるのが楽しみで楽しみで。
どんな風に終わらせるんだ本谷! と期待しまくりで。
ちゃんと期待に応えるエンディング。
いい!
面白かった!!

というわけで、この本は雰囲気のちがう作品を集めたなかなか読み応えのある本でした。
面白かったです。
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エスケープ/アブセント / 絲山秋子

また絲山秋子である。

今回のは、世代的には、いつものように作者絲山秋子と同世代なわけだけど、でもセクトとかノンセクト・ラディカルとか、うーむ、左翼の活動家? うーむわからんが、まぁそんなところだな。
この世代でそういう思想にどっぷりはまって活動家になって革命を起こそうとか本気で思っていた人ってどんだけいるのだろうか?
ま、僕が行った大学がものすごく緊張感の薄い、ノンポリの中のノンポリのような、「政治?思想? 僕達むずかしいことわかんなーい」って感じの大学だったので、他の大学だともうちょっとそういう面影が残っていたのかな。
いや、確かに、受験しにいった京都大学にはすげー横断幕みたいなのがあって政治的なメッセージが書いてあったりしたし、1年通った予備校のあった御茶ノ水でも明治大学はそれなりにそんな雰囲気も残っていたし、早稲田もそうだったな。
この小説読んで、なんか世代的にピンと来ないっていうのは、世代の問題じゃなくて行った大学の問題なのかな。

いや、それにしたって、やっぱ違うんじゃないか。
村上龍だって、高校の時に学生運動とか一番盛んで、ものすごく憧れて東京の大学に入ったらすっかり終わっていた、ってなことをどっかに書いていたし。
この世代だと、村上龍のもっともっと後だよねぇ。
この世代で、革マル派とかにずっぽりはまったのだろうか?
セクトとかノンセクト・ラディカルとか、そんなのにはまったのだろうか?
絲山秋子さんは早稲田出身だから、早稲田だとそんな感じだったのかなぁ、あの頃でも。そうなのかなぁ。

ま、それにしても、間違いなく言えることは、この主人公も言っているけど、もし今の日本に革命が起こるとしても、それを起こすのは絶対にこの人達じゃないってことだ。
それはわかる。間違いないだろう。
もっと何か全然ちがう何かじゃなきゃ、絶対に起きないだろう。

それにしても、ずっと信じていたものが全て否定される、というか、自分がついに否定してそこの思想から旅立つという感覚はいかなるものか。
今、大学の先生していたり、大企業で部長とかになっていたりする人の中にも、学生時代にはヘルメットかぶって火炎瓶投げていたような人がたくさんいるはずだ。
その人達が今の日本を見る気持ちってどんなだろう。
自分の人生を振り返る気持ちってどんなだろう。
今の大学生を見る気持ちってどんなだろう。

この作品は、思想ってことで、政治的な思想と、それと宗教についても描かれている。
何が本当で、何が嘘っぱちなんだろうねぇ。
結局、信じればそれが真実、信じなければ全部ウソって、そういうことかな。それに尽きるのかな。
単なる小麦粉でも、薬だって信じて飲んで、それで体調が良くなればそれで良し。
結局信じぬけるかどうか、か。
いや、信じるに値するのかどうか、か。

マルクスとか、やっぱり最初は衝撃的な新しい考えで、人心をつかんで動かすだけの大きな力があったんだろうなぁ。
それを何十年も経ってから全然ちがう国でなぞろうったってそもそも新しさも力もなかったってことなんじゃないのかなぁ。
ましてや、80年代後半以降の日本では。

今、貧富の格差が広がっていってるし、大企業の業績悪化で解雇される人や内定取り消しされる人がたくさんいるけど、こういう人達の心をつかむ全く新しい何かがあれば、意外と簡単にドミノ倒しのように起こるのかもしれないなぁ。
ただ、それは、きっと全く新しい何かなんだろう。
ネットやゲームに当たり前のように触れてきた世代の心をつかむのは。

ちょい酔っ払い気味で、だらだらと大した知識も持たずにえらそうに書いてしまった。ブログの楽しさだな。責任のないダラダラ文章。


小説としては、いつもの絲山秋子よりもつまらなかったというのが正直な感想。
こういう活動家に何か個人的な思い入れがあるのかな?
いつもの、絲山秋子の「客観性」がこの小説ではちょっと薄いと感じました。
主観がかなり入った結果なのか、ちょっと不自然というか、なんというか、ギクシャクしているというか、うーん、うまく言えないけど。


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海の仙人 / 絲山秋子

またまた絲山秋子です。

ファンタジーっていう存在が、なんだかいいかげんで、いい感じで、おかげでこの小説がとても読みやすくいい色を添えている。

河野、かりん、片桐、ファンタジー、澤田(だっけ?)、みんなとてもいい感じだ。かりんもいいけど、片桐がとてもいい。
ただ、片桐の、本当に好きなのはずっと河野なのに、他の男と遊びでつきあうというところが、絲山さんの感覚なのだろうか。
袋小路の男でもそうだった。
著者の経験なのかな。
好きでもない人となんかつきあう意味がないと思うけどなぁ。
僕が思う、片桐像と似合わないなぁ。
孤独を背負って生きていくのが人間だ、みたいなことを言ってるくせに、片桐。
まぁ、いいか。片桐にそんなに入れ込んでもしょうがないか。

河野の過去も、かりんの死も、とても重い。
それでいながらファンタジーとのやりとりのおかげで気持ちよくテンポよく読めて、そして結末は何か未来への前に向かう気分を抱かせる。
いい感じ。
やっと河野が(もちろん片桐も)幸せになれるのかもしれない。

しかし、一往復もかからずに読み終えてしまった。
ハードカバーだから長いような錯覚があるのだけど、どれもこれも薄いんだよなぁ。
500ページを超えるぐらいの長編を読みたいなぁ、この人の。



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スモールトーク / 絲山秋子  追記

文庫本では1つ話が加わっていると聞いて(ネット上のほかの人の感想読んでて)、新宿のブックファーストで立ち読み。いや、あそこはアメリカの本屋みたいに椅子がいっぱい置いてあって、椅子に座って読めるので座り読みだ。

まずビックリしたのが、縦書きになっていたこと!
ずいぶん雰囲気が変わる。
もとは横書きで連載されたものだろうから、横書きのほうが「正しい」のだと思うけど、縦書きで、それもいわゆる「文庫本のフォント」で読むと、より小説っぽく感じるものだなぁ。

さて、追加された1編だけど、主人公が変わっている。
全く初めての登場人物。
アルファ145だけが、おそらく、同じアルファ145なのだろう。ずっと車検切れになっていたということで。

なんてことはない話だけど、きっと、主人公の乗るアルファ145について、実は絲山さんは最後にちゃんと描きたかったんじゃないだろうか。
エッセイに書かれていた「地元の軽トラには絶対にかなわない」というエピソードがちゃんと小説に入っていて笑った。

あー、マニュアルの車を運転したくなったなぁ、ほんと。
最初に所有したのが、スバルのアルシオーネという横から見ると三角定規みたいな面白い車だった。もちろんマニュアルで。あのヘンテコな車から車遍歴が始まっているというのはラッキーだった、ほんと。
次の車がビッグホーン。これももちろんマニュアルだった。
悪路をマニュアルのでかい四駆で走破するっていうのもまたかなり楽しいんだよなぁ。いわゆる車好きの人がマニュアル好きなのとはちょっとちがうと思うけど。
アメリカでは、マニュアルの車なんてそう見つかるもんじゃなく、シボレーのルミナ・ユーロっていう、ただのセダンのくせに3200ccの車に乗った。オートマ。燃費は本当にひどかった。
でも、アメリカっていう国は、地平線まで続く平らなインターステートなんて走っていると、そりゃあマニュアル車なんていらねーよなーって気になった。うん、そりゃあオートマになるよ、この国では、と。
で、帰国して、ずっと車は我慢してたのだけど、家建てたので駐車場代ゼロになりラパンを買った。ラパンを買った顛末はここに書いたとおり。車の横を通って家に入っていくために、幅の狭い車でないとダメで軽自動車ということになり、軽だったら唯一デザインが好きな車がラパンだった。

でも、ほんとSSにしとくんだったかなぁ。
今売っている軽自動車でマニュアルで面白そうでデザインも好きなのってコペンしか無いけど、あれは2人乗りだからなぁ。
ってなると、本当にラパンSSしかないんじゃないだろうか?
いや、別に、ちょっと通路が狭くなっても良ければ別に軽に限定する必要もないのだけど。でも今は、その狭い通路を子供を前と後ろの両方に乗せる自転車で毎日通らないといけないからなぁ、少なくとも今はやっぱり軽だよなぁ。

いや、別にいいんだ。
こんな1冊の本にたぶらかされて車を買い換えてはいけない。
目をさませ!!
ただ、ほんの1日か2日、久しぶりにマニュアルの車を運転したいだけなのだ。

でも、この作者も書いているんだけど、楽しいかどうかだけを基準にするなら、ホンダのビートでいいんじゃないか。あと、スズキのカプチーノ、そして、ダイハツのコペンってのが、実は一番楽しいんじゃないかなぁ。オープンカーで、地面すれすれで、体感スピードはバツグンでしょう。
それに、660ccのエンジンをフルに使いきってマニュアルで走るのってすごく楽しいと思うんだよなぁ。1500ccとか2000ccのエンジンなんて、そうそう最大限に使えないでしょう、日本の道では、きっと。
ビート、いいなぁ。
この作者は、パンダとビートを一時期両方持っていたらしい。
ほんとシブイよなぁ、この作者。

そうか、横幅は狭いとはいえ、前後に2台置けるから、ラパンに加えてもう1台、ビートの中古でも買っちゃえばいいのか!
ネットで探すと…、ほほう、けっこう程度が良さそうなのが40万円ほどで。なるほどなるほど。
なんてことが妻に許されるわけがないのだが…。

おしまい。

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スモールトーク / 絲山秋子

続けてまた絲山秋子。
僕が本を読むときはこんな感じです。
面白いって思ったら、その人の出している本を全部読んでしまう。
大学のころとかも、落合信彦、村上龍、宮本輝、吉本ばなな、景山民夫、うーん、他に誰にはまったっけ? とにかく、一人の作家が面白いと思ったら、その度に、その時点で出ている全ての本を読破していた。
で、今は絲山秋子です。

車雑誌の企画連載で、毎回1台の車が登場するという、絲山秋子、あんた、そんな軽い企画に乗るのかい!?と思ったが、読んでみるとやっぱり絲山秋子だった。
手を抜いていない。
それでいて、著者がかなりの車好きとあって、車に対する愛というかコダワリが全編に描かれていて、あ~、車っていいなぁって思っちゃいました。

ちなみに主人公はアルファ145に乗ってるんですよ。
でも、毎回出てくる車は、超ド級の車ばかり。
それなのに、この主人公がそのすっごい車を毎回コキおろすんだなぁ、これが。
車雑誌の企画で、ここまで悪口言っていいのか?と思うぐらい。

小説としては、うーん、さすがに他のちゃんとした小説よりは軽いかなぁ、やっぱ。

でも、車を走らせたくなりました。
それもマニュアルの車を。
渇望。
家のラパンはSSじゃないので、当然マニュアルじゃないんだけど、本気でSSにしなかったことを後悔しはじめてしまったぜ。
ラパンがフルモデルチェンジして、SSは無かった。
今後、SSが設定されるのかもしれないけど、少なくとも今ラパンのマニュアルを買うためには中古を探すしかなくなったわけだ。
いや、そこまでラパンにこだわんなくてもいいんだけど。
でも、好きなスタイルの軽自動車にSSという硬派なマニュアル仕様があるってことはラッキーじゃないか。
ま、買い換えないけどね。

で、深夜、どうしても車が運転したくなって、40分ばかし運転してしまった。
オートマだけどね。
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袋小路の男 / 絲山秋子

また絲山秋子の小説。

18年間もずっと微妙な友達関係でいる男女の話。
「袋小路の男」は、「あなた」という二人称で書かれていて、不思議な感じ。
「小田切孝の言い分」は、同じ2人のことを、三人称で書いている。続編として読むとこれまた不思議な感じ。
「袋小路の男」では、小田切のことをあなたと呼ぶ主人公の女性が、勝手にいろんなことに気をつかって、勝手にいろいろ諦めて、勝手に他の男とつきあっちゃったりしちゃうんだけど、「小田切孝の言い分」のほうを読むとそれが本当に女性側の勝手な美化、偶像化によるものだというのがわかって面白い。
高校時代の1つ上ってだけで、1つ上のちょっとミステリアスな先輩ってだけで、ここまで偶像化してしまうのもすごい。
でも、人間どうしの関係なんて結局こんなものかもしれないんだよなぁ。
きっと、僕のことを裏の裏まで知っている人なんてどこにもいないだろうし。
まぁ、妻にはきっと一番なさけない部分も含めて見せてきているので、妻はかなりのところまで知っているだろうけど。
結婚ってそういうことかもしれない。
そこまで見せる覚悟なのかもしれない。
この主人公達は、そこまで見せるのがこわいんだろうなぁ、ふたりとも。
いや、見せるのがこわいんじゃなくて、見るのがこわいのか?

話の中身とはあんまり関係ないけど、都立高校の雰囲気が描かれていて、それがすごく懐かしくて嬉しかった。
この著者の経歴を見ると、都立新宿高校出身ってことで、僕の行ってた高校よりもさらにすごい立地にあって、授業さぼって行く場所がもっとすごそうだけど。
僕らは、授業さぼって、近所のファミレスとかファーストフード屋とかでただ喋ってただけだけど。新宿高校だと、新宿のあの巨大な街が全部授業さぼり場所なんだ。
ウチの高校もそうだったけど、私服だもんなぁ、新宿の街にまぎれてしまえばどこにだって行けるよなぁ。
店によっては、ビールぐらい普通に出してくれるし。
あー、この雰囲気。
都立高校バンザイ。

そう、高校の頃、授業をさぼってファミレスで喋りながら、時には、哲学的なことなんかもけっこう深く話してたりしたんだよなぁ。
なつかしいよなぁ、ほんと。
授業さぼってジャズ喫茶っていうのは、さすがに無かったな、ウチは。単なる住宅街だからなぁ。
カッコいいなぁ、都立新宿高校。

例によって、ポツンと終わるんだよなぁ、この人の小説は。
恋愛に盛り上がるエンディングなんてない、というか、人生はその後も淡々とただ続いていくんだから、それでいいし、それが本当ってことかな。

「アーリオ・オーリオ」は、なんか好きな話。
今見ている星は、500光年の星ならば、もう499年前に消滅してしまった星かもしれない、っていう話を聞いてビックリした、その驚きを、中学生の女の子の新鮮な感覚と、星や機械や理科が好きな男性の関係を使って描いたような。
普通のお父さんなら、やっぱり止めるんだろうなぁ。このお父さんみたいに。
そこで止めちゃうから日本では天才が生まれないんじゃないかなぁ。
まぁ、素敵なお話でした。

やっぱりこの作家さん、いいなぁ。




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逃亡くそたわけ / 絲山秋子

博多弁なのか?とにかく九州の方言は、なんだか読んでいて気持ちいい。イントネーションがわからないのもあるけど。あの、のだめカンタービレの、のだめの実家での会話のようで。気持ちいい。
この作者の経歴をネットで見てみると、早稲田の政経を出てINAXに就職して、福岡、名古屋で勤務している。それで、躁鬱症になって、INAXを退職。
このストーリーは、福岡、名古屋、躁鬱、作者の経験が詰め込まれたロードムービー、じゃないか、ロード小説。
九州の観光手引きとしても使えそうだ。
一番最後に九州の地図と、彼らがたどった道が。ほんと、行ってみたくなった。
特に、阿蘇に行ってみたいなぁ。
いきなり団子とか、食べてみたいし。

「プリズン」とか「固められる」とか、あとクスリの名前とかは全部、本当なんだろうなぁ。
なごやんも言ってるけど、躁の苦しみって初めて知ったな。そうか、こんな状態なのか。これはつらいなぁ。
なごやん、いい奴だな。

なごやんの過去に何があったのか、とか、ほとんど明かされずに終わってしまうのは、この作家の書き方なんだろう。
公式ホームページの一問一答のインタビュー(?)を読んでみたら、客観的に書ける作家が良い作家、みたいなことを言っている。なるほど。
この二人のキャラクターを決めたら、あとは客観的にキャラクターを動かす。作家の主観を入れずに。そういうことかな。
オチとか、そういうのを一生懸命描いたりせずに。物語を主観的に組み立てたりせずに。
本谷さんが、舞台の脚本を書く人だから、特に「オチ」にこだわって、その「オチ」に向けて物語を、ある種強引に組み立てていくのと全く逆だ。
この突き放した感じ。
あとは登場人物のお二人さん、勝手に自分の気持ちで動いてね、あたしゃ知らん、という突き放しかた。
それがこの人の小説のリアリティーの源泉か。
そんな気がした。

ルーチェというのが良いなぁ。
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沖で待つ / 絲山秋子

芥川賞受賞作だそうです。
へえ。。
後で知った。というか、今、ネットで知った。

この本というか、この作家に興味を持ったのは、SPAの後ろのほうの連載対談で(あのコーナーすごく好きなんですよね)お二人のうちのどちらかがすごく誉めていたから。
今の社会を見事に描いている、というようなことを言っていたように記憶している。

この本には、表題作ともう一作「勤労感謝の日」という小説が収められていた。
どちらも、たしかに今のこの社会、特に僕たちの(ちょっと上だけど)世代の気持ちがよく描かれている。
女性総合職1期生の気持ち。
なるほど、うん、そうだよなぁ。
例によって、僕自身は、この世代のほんのちょっと3つぐらい下なのだけど、やっぱり同世代と言ってしまってよいだろう。
妻が結婚する前に働いていた会社、その会社で妻がもがいて毎日頑張っていたのを横で見ていた僕は、なんかこの話(2作とも)は、ほんと色々思ってしまう。
総合職って言ったって法律は整っているけど、受け入れる側の会社のほうはまだまだ全然準備が出来ていない。
ただでさえ不安な、大学から実社会への旅立ちで、自分達もよくわからないっていうのに、周りもどう扱ったらよいのか全然わかっていない。
でも、時代はまだバブルで、世間はまだまだ元気でパワフルで、そんな中で、なんだか自分の立ち位置も確認できないままに、とにかくがむしゃらにもがいて生きている、そしてその延長線上に今の自分の境遇がある、というこの世代。
うん、この世代をきちんと描いた小説を初めて読んだような気がする。
ま、全然最近小説なんて読んでいないというだけのことかもしれないけど。

それにしても図書館は素晴らしい。
朝、この本を返しに行って、そのまま、またこの人の本を3冊借りてきた。
ああ、なんで一時期あんなに本を買って読むことにこだわっていたのだろうか。
図書館ばんざい。
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先端で、さすわさされるわそらええわ / 川上 未映子

朝の電車の中で憤怒の決まり悪さに一層はがゆい、思いはどうせ唇の上下をさらに考えるのでしょう、それは。まるで誰もが思いを束縛しました決断のような、駅のトイレの、孤独はゆっくりと噛みしめる、大きな嘆息とともに、嫌悪とそれはなぜなの。

と、マネして書いてみても、ただバラバラの言葉をわざとつながらないようにつなげるというぐらいのことしかできないのだけど、この人の本は、全体としてはどんなことが描かれているのか理解できて、そこがすごいなぁ、ほんと。
それでいて、細部は文章がこんな調子なのでよくわからず、それがまた、脳みその普段遣っていない言語理解処理部をフルスピードで働かせ、結局よくわからないまでも、知恵の輪で遊んだ後のような、心地よい知的疲労感をもたらす。

うーむ。
ま、とにかく、この人の文章は、僕は好きですね、やっぱり。
好きじゃなきゃ、「わたくし率…」を読んだあとに、同じ作家の本をまた読んだりしませんしね。

人にはとてもすすめられないのですが、どことなく何を描いているのかギリギリわかるようなわからないような抽象画をじっと見ているような、そんな気分を本で味わいたい人にはよろしいかと。

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子どものための哲学対話―人間は遊ぶために生きている! / 永井均

図書館で予約した2冊のうちの1冊。
読み始めてビックリ。本当に子供のための本なんだ。
往復どころか、片道だけで読み終わった。
こないだ「翔太と猫のインサイトの夏休み」を読んだばっかりなので、この著者の言いたいことは一通り知っているというのもあって、スラスラとあっという間に読み終えてしまった。

「善悪の基準」あるいは「そもそも絶対的な善とか悪なんてあるのか」みたいな話は、まさに同感。
学校になんで行かないといけないのか、とかね。結局、それをみんなが守ってくれないと、社会が成立しないから、ただそれだけのことですよね。
学校行かないことなんて、全然「悪」じゃないですよね。
この国を治めている人達にとって、学校は行くものだって誰もが信じている状態のほうが治めやすいから、そう信じ込まされているだけですよね。
ま、言うまでもないことなんですけども。

マリファナって今日本では「学生に広がる大麻汚染」なんて感じでことさらショッキングなことのように騒がれているけど、しょせんこの国のルールで禁止されているだけのことだってことは、わかっているのかなぁ、この国の多くの人達は。
タバコだって酒だって、マリファナが犯罪ならば、犯罪にしたって全然おかしくないってことを。

こんなことを書いているからって、別に栽培なんてしてないですよ。念のため。
その社会のルールに則って生きる以外に方法は無いってこともよくわかっているんですから。

でもね、ひょっとすると人を殺すかもしれない酔っ払い運転と、マリファナを個人的に楽しんでいるってことと、どっちが本当は罪深いのか、それはよく考えてもらいたいのですよ。酔っ払い運転っていうのは、別に事故ったとかじゃなくて、おまわりさんに停められて検査して発覚したっていう場合でもね。だって人を殺しかねないわけですよ。とんでもないことしてるわけですよ。それに対して、自宅でプカプカ~とね、どっちが悪いことしてますかねぇ。
前者は減点+わずかな罰金を払って普通にその後も社会生活を送れて、後者は人生おしまいみたいな状況ですよね、今の日本は。これ、なんかやっぱりおかしくないですかねぇ。

ま、所詮、この国のルールがそうなっているってことなんですけど。

だから、そんなことをやって捕まった学生は、バカだなぁ、ルールも知らずにゲームに参加して、って思うのはいいと思うんですけど、極悪人みたいな扱いはちょっとかわいそうだと思うんですよねぇ。
ブッシュとかクリントンだって「若い頃はちょっとたしなみました」ぐらいのものですよね、欧米ならば。

まあいいや、あんまりこんなところでマリファナ擁護の話を書いていると、あらぬ誤解を生むからこのへんでやめときます。

ただですね、友達を裏切るとか、誰かの人生を破壊するとか、それこそこの本に書いてあったけど約束をやぶるとか、そういうことだけが「悪」なのであって、あとのことは全部、ただルールを守らなかったから罰せられているだけ、ってことはやっぱり認識しておかないと、やっぱりまずいと思うわけです。


で、まぁ、この本ですけど、こないだの「翔太と猫のインサイトの夏休み」でもそうでしたけど、一番納得ができないのが3章の11と12のところですね。この著者独特の例の「自分」の話。これ理解できます? 僕はちっとも理解できません。なんか怪しげな宗教みたいな方向に行ってますよね、この人が「自分」の話をはじめると。「それは奇跡なんだ!!」みたいな、ねぇ。なんかあやしいというか、とにかく論理がすごく飛躍しているような。
ここが納得できちゃうと、この永井って人の信者になっちゃうんじゃないかなぁ。
「そうか、僕が僕であるってことは、まさに奇跡なんだ! 奇跡のような偶然の結果、僕が僕になったんだ! だから僕のこの人生を、僕の世界を、僕は生きていくんだ!!」みたいな、ねぇ。
なんかもう、これはやっぱり、ヘンテコな宗教チックな世界に足を踏み入れている気がします。

っていうか、論理的に合ってます?この人の言ってること?
この「自分」論みたいな部分、なるほどよくわかった!って思って読める人のほうが少数派だと思うんだけど。

奇跡のように、偶然、僕が僕になった、のではなくて、この世に生まれて外界とのコミュニケーションの中で徐々に「自分」が形成されていって、その結果、今の「自分」という自我になった、それだけのことじゃないのかなぁ。
それがごくごく自然な当たり前の考え方だと思うんだけどねぇ。
これって、この著者に言わせれば、科学に洗脳されたバカの発想なのかなぁ。

まぁ、いいや。

この人の本は、まだ1冊、図書館から借りていますので、またその時にこの続きのブツブツを書きます。
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小泉今日子の半径100m



通勤の1往復で軽く読み終えた。

小泉今日子って人は、僕の世代からすると、ドンピシャのアイドルで、「真っ赤な女の子」とか「魔女」とか「夜明けのミュー」とか。それまでの少なくとも表向きはお行儀の良いアイドルではなく、自分の主張をする初めてのアイドルっていう感じで。いきなり髪をショートカットにしたり。雑誌に、1日にコカコーラを1リットル以上飲むとか平気で書いてあったり。アイドル新時代を感じさせてくれるカッコ良さで、その後、屋敷豪太とか藤原ヒロシとか、田島タカオとか、テイ・トーワとか、その他いろいろ、時代を作っているようなクリエイターとのコラボ。小泉今日子という人は歌が上手いわけでもなく、でも、そういう最先端のカッコいい音楽を作っている人達をひきつけ、彼らをメジャーにすることに一役買ってしまっていて、なんとスゴイ立ち位置にいるんだろうかと思っていました。

上の写真は、僕が持っているCD。
なんだかんだで、けっこう枚数あるのだな。

で、今やこの人の演技力がかなりヤバイとちまたで評判で。
あの映画の小泉今日子の演技は見ておけ、と、そんなことが言われるわけで。
いやぁ、なんかやっぱスゴイんだよねぇ、この人は。

同世代というよりは、3つ年上だから、ちょっと先を行く先輩世代なんだよね。
面白いことを見つけてガンガン遊び倒して、日本を元気にしてきた世代だ。
僕らはいつもこの世代が楽しそうに遊んでいるのはちょっと後輩世代として見せてもらって、教えてもらって、それで二番煎じで楽しませてもらってきた感じ、かな。

自然体の文章がとても良いねぇ。

いい歳の重ねかたをしているなぁ。
自分の気持ちにちゃんと自然に向き合って。
やっぱ自分にウソをついちゃいけないよね。
自然に。
30代から40代へ。
そろそろ自然体の本当の自分と真正面から向き合って、無理せず、本当の自分で、ブレの無い1つの自分で、仮面をかぶらずに、しっかりと人生を歩きはじめる、そんな時期なのかな。
小泉さんは、それができている感じ。いいね。


自宅の庭や、インテリアとか、ちょっとした飾りとか、そろそろ子供も大きくなってきたし、楽しもうかなぁと、そういうこともまた大切にしようかなぁと、そんな風に思いました。
僕は男のくせに、高校時代とか、大学のころもかな、吉祥寺の雑貨屋さん(女性客率93%ぐらいの)をブラブラ見てまわったりするのが好きだったりしたのでした。
もうちょっと、日々のなにげない生活を楽しんでもいいかなぁと、それこそが仕事に向かう力になるのかもなぁと、そんな風に思いました。
…っていうよりも、単純に写真に写して素敵な家にしたいものだと、ただそう思ったのでした。写真がとても良くて、この本。

あ、あと、キヤノンの一番安くて軽いデジカメを24時間365日持ち歩こうと、それも思いました。ヨドバシカメラに寄って見てみたら、18500円(だったかな?それぐらい)で、15%ポイントがつく機種が、軽くて安くていい感じ。実質15000円ぐらいじゃないか。安~い。
なんかねぇ、やっぱりケータイのカメラはダメだね。ダメダメ。ダメ過ぎ。
いつでも持ち歩いて、きれいな夕焼けとか、駐車場の車の上で気持ちよく寝ている猫とか、道端の花とか撮りたいなぁと、それも思った。
デジカメは手持ちのお金がなくて今日は買わなかったけども。
一眼レフを毎日持ち歩こうとは思わないけど、ちゃんと写真が撮れるカメラをつねに持ち歩いていたい。

そろそろ、日々を楽しむ生活に戻ってもよいかもな、と。

あんた、ほとんど毎日こんなブログ書けるぐらい映画やら本やら色々やってるじゃないの!と思うでしょうが、ほとんど電車の中の暇つぶしで、なんというのかなぁ、通勤の途中で見た道端の小さな花を愛でるような余裕はほとんど無い状態なんですよ。
でもね、そろそろいいのかな、と。
素敵な小物を飾っておくと子供があっという間にぐちゃぐちゃにしてしまう時期もそろそろ終わりかな、と。
ああ、なんか楽しみになってきた。
そういう部分があっての自分なので、その部分を封印していることがストレスだったような気がしている。
このアホみたいに映画を見続けているのも、それの反動というか、無理やりバランス取っているだけかもしれない。

そろそろ。
楽しみだなぁ。。。

と、そんな前向きな、楽しい生活への期待、楽しい生活への前向きな気持ちをくれた本でした。
先輩世代のファッションリーダー、オピニオンリーダー、小泉さん、やっぱパワーあるな、と。
おしまい。


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翔太と猫のインサイトの夏休み

「わたくし率イン歯ー…」の感想にコメントをいただき、この本を紹介してもらった。
図書館にはなぜか置かれていなくて、文庫本だし本屋さんで買った。
(その時に、つい手に取った「負け犬の遠吠え」を買ってしまったのだけど。)

「感想」と簡単に書けないぐらい、うーむ、さすがに深いのお。

僕が一番読みたかったところは、この本では2章の部分。
でも、僕が一番興味のある「意識って何?」、「心ってどうやって生まれるの?」という問いについては、この本の中には答えが無かった。
「心がある」とは、他者から見て心ある振る舞いをしているようにしか見えないこと、という前提(?)で書かれているような感じで、僕は何度も本を読むのを中断して考えたのだけど、この前提にしていることが間違っているようにしか僕には思えず、ちっとも納得できなかったのだ。
そんなわけで、一番期待した2章が一番裏切られた気分でした。
他の章に書いてあったことは、子供の頃(僕の場合、中学から高校ぐらいまでかな)によく考えていたようなことで、その後の僕の考え方の基本になっているようなこととあまりズレていなくて、すんなりと読めた。

頭の中がぐわーっと沸騰したような過負荷状態で、考えを整理するために本に直接考えたことを書きなぐりながら読んだのだけど(ほとんど2章)、それを書き写す。

*************************************

一般化したって、他人に心がないかもしれないなんてことにはならない。一般化しすぎ。

言葉?

言葉を学びつつあるということと、心が形成されつつあるということは別ではないか。

信用したって、そいつに意識があるとみなしているってわけじゃない。

また「言葉」だ。???

心があるかどうかは他者が決めるってこと? 他者から見て「心ある振る舞い」をしていれば心がある??? 

「赤」とか「痛み」という言葉の定義はそうかもしれないけど、「心」という言葉は他人から見てそう見えるということとは関係ない話では?

逆はどうか? ある日突然全ての感覚が無くなっても心は考え続けるのでは?

全く原子1つまで全て同じならば、できるのでは?

「心」という言葉の定義なんてどうでもいいのに!

いるとするな! 

持ったりしない!

他者から見て? なんで他者が出てくるの?

疑う余地だらけ! なんでこんなに独断するのか。

「意味そのものを定めている」 ????

「なーるほど」 ←??? 翔太、納得すんな!

なんで心がないのに振る舞うんだよ!

「他人」? また「他人」???

そうは言うが、もう立花さんではないのでは?

なんで他者がどう思うかが基準なのか?

なんで??

可能??

納得すんな?

?? だから僕ではなく、僕と全く同じ心を持ったもう一つの自我だろ!


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納得できないからと言って、読んだ意味がなかったかというと全く逆で、すごく刺激的な体験だったのは確か。
そういう考えかたをする人もいるのか、でも僕とは考え方がちがうな、って感じ。
で、肝心の僕にとって一番興味のある、「そもそも意識って何?」「心って何?」ということに関しては、この人は答えてくれていない。というか、そんな問いは意味がないということなのか、あるいは哲学の対象ではないのだろうか。
とにかく残念。


いやしかし、知恵熱が出るんじゃないかってぐらい久しぶりに頭をフル回転させました。普段全然使わない部分をフル回転。なかなかこれはスゴイ体験だなぁ。

面白かったです。


昔から、こういうネタで話し始めると大抵の人が「俺、そういうめんどくさい話するの好きじゃない」とか言って興味を持ってもらえないので、あまりオススメはしませんが、こういうことを深く考えるのが好きな人にはオススメです。
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負け犬の遠吠え / 酒井順子

数年前のベストセラー。
賛否両論、ものすごい論争になっていたような。

他の本を買いたくて本屋に行って、その本を見つけたあとにフラフラしてて、つい手に取って買ってしまった。
男で子供もいるお前が買うなよ、って思われそうだが、単純に面白かった。
この人の流れるような語り口調は素晴らしい。
今の東京に生きるある層の女性達についての見事な観察と分析、そして、楽しい語り口調。
正直、「負け犬」として語られる女性達が、ものすごい「勝ち組」の人だけで、こんな人達だけじゃないだろう!っていうか、こんな人達はごく少数派だろうと思うけど、少なくとも、そういう人達についての観察と分析は本当に見事。

まぁ、こんな本を「面白かった」と書いただけで、誰かからへんな誤解・反感・怒りを買ってしまいそうなので、この辺で。

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乱暴と待機 / 本谷有希子

図書館のおかげで、次々に読書をこなす。
風邪を治すべく、ベッドの中で、3連休だというのに。。

あいかわらず本谷有希子です。
ついこないだ、西加奈子のほうが、小説家としてずっと上だ、格がちがう、というようなことを書いたのだが、この本を読んでいて、面白くなってだんだん引き込まれ、あれは言いすぎだったかなと思ったのだが、結局通して読んだ感想としては、やっぱりこの本谷有希子って人の作品は、小説らしくないなぁ、やっぱり演劇っぽいなぁというのが感想。
小説らしさってものが何なのか、聞かれると困るけど、おそらく、うん、おそらく、演劇だったら観客が舞台上のストーリー展開についていくのに必死で、意味のわからない設定の意味のわからなさ、筋の通らなさに気付かないでくれるけど、小説だと読者はいつでも本をちょっと閉じて、「えっ?これってどういう意味なの?」と読書を中断して考え込むことができてしまう。

この本の場合、この2人のヘンテコな関係を「まぁ、とにかくそういう関係なんだ」と受け入れてしまえば後は楽しめる感じなのだけど、読んでいてやっぱりどうしてもこの2人の関係が腑に落ちないのだ。
2人がそれぞれわかっていながらこのヘンテコな関係を実は求めているというか、自分の性行為を相手にわざと見せるメンドクサイSM関係のようなこの関係。
お兄ちゃんのほうの復讐したい理由もわからないけど、それ以上に、主人公の女性のほうのあえて復讐を待つ気持ちというのが結局のところ全くわからない。
おそらく演劇だと、観客は、「あ、なんかよくわからないけど、このお芝居を楽しむためには、とにかくそういう2人なんだってことは受け入れちゃおう」ということになると思うのだけど、これは本だから。読者の僕は、何度も何度も、ちょっと待てよ、だからどういうことなんだよ、と考えてしまい、そしてなんか理解できなかったのだ。
世の中には色んな人がいるってわかっているけど、でも、この2人については、なんか正直「そんな奴いねーよ」という気持ちが強く。
こんなうまいこと楽しいSMプレイみたいな関係に、プレイではなく自然になるわけないじゃねーか、という気がしてしまった。
お兄ちゃんみたいな性格の人もいるだろう、主人公の女性のような性格の人、生い立ちの人もいるだろう、公衆便所っていう人もいるだろう、けど、だからといって、こういう関係にはならないだろうと思うのですよ。
これはあくまでも舞台の上での一時的に観客をうまいことだましてその間だけ成立するおとぎ話。本だとツライ。
2人の生活がスタートした時のエピソードも出てくるけど、説得力無し。

後半の畳みかけるような展開も、オチも、全て演劇っぽかった。
演劇ならば傑作かもしれない。実際。見てみたい、この舞台。面白いだろう、きっと。
でも本だとツライ。

で、全てにおいて、やっぱりこの本谷有希子さんて人は、小説家じゃなくて劇作家なんだなぁと、この本で痛感しました。
この2人のキャラも舞台だと映えそうだけどね。本だとちょっと感情移入しづらいなぁ、と。

おしまい。
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