つれづれなるままに映画や音楽の感想などをテキトーに書いていければなぁ、と思っております。
つれづれおきらく
ルーパー
見たかったこの映画、やっと見ることができた。
いろいろ文句を言いたいところもあるけど、最初の「ズバーン」と最後の「ズバーン」で、十分満足だな。
最初のあの、なんにもないトウモロコシ畑で、出たと思った瞬間「ズバーン!」っていう、あれだけでもう、「この映画OK」って思っちゃったもんな。
あえてクラシックな趣味にさせることで未来のデザインを避けるっていうのはよくある手だけど、それが、クラシックと言ってもマツダのあの車だったりするというのも、気が利いてるなぁと思いました。
いたるところにソーラーパネルが、それも、もうボロボロのが付いてたりするのも、なんとなく30年ぐらい先の未来ってそんなかもしれないなぁって、ついこないだ自宅にソーラーパネルを設置した僕は思ったのでした。
ソーラーパネルって太陽光のエネルギーのほんの数パーセントしかエネルギーを取り出せていないって話だから、その効率が30%とか40%まで行けば、意外と軽量な車ぐらいは動いちゃったりするようになるのかな。
太陽光発電ってものが、ものすごくチープで古いオンボロの技術として描かれているのが面白かった。
タイムパラドックス的なつっこみどころについては、途中ブルース・ウィリスが、若いジョーに向けたセリフで「タイムトラベルについての難しい話しは俺わけんねー」というようなことを言ってて、もうこれは、制作者が観客に対して「この映画について、タイムパラドックス的なつっこみは入れないで、お願い」と言ってるんだなと、あきれつつも、正直でよろしいと思ってしまったので、もういいや。そこまで開き直られたらしょうがないわ。
そもそも、後半のあのトウモロコシ畑の中の一軒家でのダラダラした展開にしても、なんかそういう近未来SF的なスタイリッシュでカッコいい映画を作りたいわけじゃないってことは伝わってくるしね。許す。許すよ。
最後の「ズバーン」は、ぼけーっと見てたので予想できなかった。「憎悪の連鎖」うんぬんの話を若いジョーのセリフで説明させるのはいかがなものかとは思ったけど、あれはきっと監督もセリフを入れるか映像だけで見せるか最後まで悩んだのかもしれないけど、まぁもともとわかりづらいこんがらかった話だし、彼がなぜあの行動をとったのか誰が見ても理解できるようにセリフでの説明を入れるほうを選択したってことなんだろうなぁ。ま、しかたないか。
許す、許すよ、と言ったのだから、『若いジョーがあのタイミングで死ねば、老いたジョーは存在しないから、そもそも若いジョーが老いたジョーに会うはずもなく、若いジョーが老いたジョーを殺し損ねて組織から追われることもなく、ってことは若いジョーがあのトウモロコシ畑の一軒家にやってくることもなくなる、ってことは、若いジョーの体もあの場所から消えるんじゃないの?』といった突っ込みどころについては目をつむりましょう。
でもさ、シドってさ、なにも起こらなければ、そもそもサラが愛情いっぱいに育てたんじゃないのかなぁ。つまり、ブルース・ウィリスが未来から来たり、若いジョーがあの一軒家にやってこなかった場合、サラが愛情いっぱいに育てたわけじゃないですか。その結果の未来が、レインメーカーになったわけだよね、ってことは、サラが愛情いっぱいに育てるだけではあの男の子がとんでもないTK使いの化け物になるのは止められないんじゃないの。
…という突っ込みは入れさえてもらいたいなぁ。この映画が良さげなエンディングで終わる、その根本が実はちがうんじゃないの?という疑問なので。
だめですか。これさえも許して受け入れないとだめですか?
うーん、そこまでは心が広くないんだよなぁ。
だいたいそもそも、TKなんてのは前半ではなんの意味も無いちょっとした能力ってことで紹介していて、なんのためにストーリーと無関係の超能力なんてものがこの映画に出てくるんだろうって思ってたわけだけど、最後の最後にそんな重大な意味を持たせるなんて、ちょっとずるいよね。
ただでさえ、タイムトラベルという「本当にそんなことできるようになるのか?」と疑問のある設定なんだから、もう1つさらに大きな「そんなこと本当にあるかぁ???」という設定を付け加えちゃったのは失敗だったんじゃないかなぁ。
シドが超能力なんて持っていなくて、でも将来とんでもない大悪党になるってことで十分このストーリーは語れたと思うんですが、どうでしょう?
あのTKという設定は余計だったよね。この映画が薄っぺらなものに思えちゃうんだよなぁ、あのTKのせいで。
将来とんでもない「活躍」をする大人に成長する子供を、まだ子供のうちに殺しちまえ、ってことで、タイムマシンで未来からきた奴が殺そうとする、というターミネーター2と同じ話で十分ドラマを描けたと思うんですけどねぇ。
とまぁ、結局いろいろ文句を言ってしまいましたが、最初に書いたように、最初と最後の「ズバーン」で十分面白かったです。
隣に座ったカップルの女性のほうは終わったところで手をぱちぱち叩いてましたよ。
僕も、最後の「ズバーン」にやられました。ジョーの男意気を感じちゃいましたよ。
よくぞやったジョー!と拍手を送っちゃいましたからね、心の中で。
というわけで、面白かったです。
いろいろ文句を言いたいところもあるけど、最初の「ズバーン」と最後の「ズバーン」で、十分満足だな。
最初のあの、なんにもないトウモロコシ畑で、出たと思った瞬間「ズバーン!」っていう、あれだけでもう、「この映画OK」って思っちゃったもんな。
あえてクラシックな趣味にさせることで未来のデザインを避けるっていうのはよくある手だけど、それが、クラシックと言ってもマツダのあの車だったりするというのも、気が利いてるなぁと思いました。
いたるところにソーラーパネルが、それも、もうボロボロのが付いてたりするのも、なんとなく30年ぐらい先の未来ってそんなかもしれないなぁって、ついこないだ自宅にソーラーパネルを設置した僕は思ったのでした。
ソーラーパネルって太陽光のエネルギーのほんの数パーセントしかエネルギーを取り出せていないって話だから、その効率が30%とか40%まで行けば、意外と軽量な車ぐらいは動いちゃったりするようになるのかな。
太陽光発電ってものが、ものすごくチープで古いオンボロの技術として描かれているのが面白かった。
タイムパラドックス的なつっこみどころについては、途中ブルース・ウィリスが、若いジョーに向けたセリフで「タイムトラベルについての難しい話しは俺わけんねー」というようなことを言ってて、もうこれは、制作者が観客に対して「この映画について、タイムパラドックス的なつっこみは入れないで、お願い」と言ってるんだなと、あきれつつも、正直でよろしいと思ってしまったので、もういいや。そこまで開き直られたらしょうがないわ。
そもそも、後半のあのトウモロコシ畑の中の一軒家でのダラダラした展開にしても、なんかそういう近未来SF的なスタイリッシュでカッコいい映画を作りたいわけじゃないってことは伝わってくるしね。許す。許すよ。
最後の「ズバーン」は、ぼけーっと見てたので予想できなかった。「憎悪の連鎖」うんぬんの話を若いジョーのセリフで説明させるのはいかがなものかとは思ったけど、あれはきっと監督もセリフを入れるか映像だけで見せるか最後まで悩んだのかもしれないけど、まぁもともとわかりづらいこんがらかった話だし、彼がなぜあの行動をとったのか誰が見ても理解できるようにセリフでの説明を入れるほうを選択したってことなんだろうなぁ。ま、しかたないか。
許す、許すよ、と言ったのだから、『若いジョーがあのタイミングで死ねば、老いたジョーは存在しないから、そもそも若いジョーが老いたジョーに会うはずもなく、若いジョーが老いたジョーを殺し損ねて組織から追われることもなく、ってことは若いジョーがあのトウモロコシ畑の一軒家にやってくることもなくなる、ってことは、若いジョーの体もあの場所から消えるんじゃないの?』といった突っ込みどころについては目をつむりましょう。
でもさ、シドってさ、なにも起こらなければ、そもそもサラが愛情いっぱいに育てたんじゃないのかなぁ。つまり、ブルース・ウィリスが未来から来たり、若いジョーがあの一軒家にやってこなかった場合、サラが愛情いっぱいに育てたわけじゃないですか。その結果の未来が、レインメーカーになったわけだよね、ってことは、サラが愛情いっぱいに育てるだけではあの男の子がとんでもないTK使いの化け物になるのは止められないんじゃないの。
…という突っ込みは入れさえてもらいたいなぁ。この映画が良さげなエンディングで終わる、その根本が実はちがうんじゃないの?という疑問なので。
だめですか。これさえも許して受け入れないとだめですか?
うーん、そこまでは心が広くないんだよなぁ。
だいたいそもそも、TKなんてのは前半ではなんの意味も無いちょっとした能力ってことで紹介していて、なんのためにストーリーと無関係の超能力なんてものがこの映画に出てくるんだろうって思ってたわけだけど、最後の最後にそんな重大な意味を持たせるなんて、ちょっとずるいよね。
ただでさえ、タイムトラベルという「本当にそんなことできるようになるのか?」と疑問のある設定なんだから、もう1つさらに大きな「そんなこと本当にあるかぁ???」という設定を付け加えちゃったのは失敗だったんじゃないかなぁ。
シドが超能力なんて持っていなくて、でも将来とんでもない大悪党になるってことで十分このストーリーは語れたと思うんですが、どうでしょう?
あのTKという設定は余計だったよね。この映画が薄っぺらなものに思えちゃうんだよなぁ、あのTKのせいで。
将来とんでもない「活躍」をする大人に成長する子供を、まだ子供のうちに殺しちまえ、ってことで、タイムマシンで未来からきた奴が殺そうとする、というターミネーター2と同じ話で十分ドラマを描けたと思うんですけどねぇ。
とまぁ、結局いろいろ文句を言ってしまいましたが、最初に書いたように、最初と最後の「ズバーン」で十分面白かったです。
隣に座ったカップルの女性のほうは終わったところで手をぱちぱち叩いてましたよ。
僕も、最後の「ズバーン」にやられました。ジョーの男意気を感じちゃいましたよ。
よくぞやったジョー!と拍手を送っちゃいましたからね、心の中で。
というわけで、面白かったです。
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