つれづれなるままに映画や音楽の感想などをテキトーに書いていければなぁ、と思っております。
つれづれおきらく
ハングオーバー2
土曜日まで働いて、今日の日曜日を一日休むと、また、明日月曜日からお仕事だ。
その1日だけのお休みの今日という日は、納骨式というセレモニーでほぼ一日終わってしまった。
うーむ。
なーんかこのままでは、俺というサラリーマンが気持ちをリフレッシュできないまま次の週に突入してしまう。
いかん。
俺というサラリーマンには、週末に多少のリフレッシュが必要なのだ。
というわけで、妻に許しを得て映画を一本、レイトショーで見てくることにした。
で、疲れていたし、何も考えずに楽しめそうなこの映画に。
はい、何も考えずに楽しめました。
1作目を見ているので、舞台をバンコクに移しただけで、ほぼ1作目のまんまの展開には、本当に頭を使わずにボケーっと見ていることができたわけですが、うーむ、あまりにも1作目と同じ過ぎないか?
1作目とこの2作目と、どちらも見たことがない人が見たらどっちが面白いのかわからないけど、少なくとも1作目をすでに楽しんで見てしまった自分としては、2作目への期待も含めて、ハードルが上がっていたのかもしれないけど、やっぱり1作目を見たときほどは楽しめなかったのは間違いない。
さんざん考えたけど1作目を超えるアイデアは浮かばなかったのかなぁ、それで1作目まんまの映画にしたのだろうか?
それとも、もう最初から1作目のまんまで舞台だけバンコクにする、というスタートだったのだろうか?
とにかくまぁ、1作目を見ている立場としては、意外性がない。まったくない。
もっと言えば、きっとこのユルイ感じで、最後はどうにかなるんだろうなぁ、と思い始めてしまっていた。
だって1作目と同じか、それ以上に3人がユルイんだよなぁ。
なんかこの状況を楽しんじゃっている感じが漂い始めちゃって。
ピストルで撃たれたぐらいまでじゃないかなぁ、3人が本気で「ヤバイ!」って感じているのは。
6ドルで8針縫って治してもらったあたりから、なーんかホントにユルイ感じが漂い始めていないだろうか?
どう考えてもヤバイ状況だし、下手したら本当に終身刑っていう、そういう緊張感が全然なくなっていくのはどういうことだろうか?
1作目はもっと緊張感があったと思うんだけどなぁ。ちがったっけ?
と、期待しすぎだったためか、単純につまらなくなったのか、1作目のほうがずっと面白かったなぁ。
バンコクはもう3回も行ってるぐらい好きな街なので、それは自分にとってプラスだったのですが。
それでも、プラマイゼロにはなりませんね。
笑えたし、やっぱりこの3人の会話とか楽しいし、1作目よりは面白くない、ってことなんですけどねぇ。
あと、映画館にいた外人! おめー、笑いすぎ!
面白いシーンでも、そこまで笑われるとこっちが白けてくるから。
その1日だけのお休みの今日という日は、納骨式というセレモニーでほぼ一日終わってしまった。
うーむ。
なーんかこのままでは、俺というサラリーマンが気持ちをリフレッシュできないまま次の週に突入してしまう。
いかん。
俺というサラリーマンには、週末に多少のリフレッシュが必要なのだ。
というわけで、妻に許しを得て映画を一本、レイトショーで見てくることにした。
で、疲れていたし、何も考えずに楽しめそうなこの映画に。
はい、何も考えずに楽しめました。
1作目を見ているので、舞台をバンコクに移しただけで、ほぼ1作目のまんまの展開には、本当に頭を使わずにボケーっと見ていることができたわけですが、うーむ、あまりにも1作目と同じ過ぎないか?
1作目とこの2作目と、どちらも見たことがない人が見たらどっちが面白いのかわからないけど、少なくとも1作目をすでに楽しんで見てしまった自分としては、2作目への期待も含めて、ハードルが上がっていたのかもしれないけど、やっぱり1作目を見たときほどは楽しめなかったのは間違いない。
さんざん考えたけど1作目を超えるアイデアは浮かばなかったのかなぁ、それで1作目まんまの映画にしたのだろうか?
それとも、もう最初から1作目のまんまで舞台だけバンコクにする、というスタートだったのだろうか?
とにかくまぁ、1作目を見ている立場としては、意外性がない。まったくない。
もっと言えば、きっとこのユルイ感じで、最後はどうにかなるんだろうなぁ、と思い始めてしまっていた。
だって1作目と同じか、それ以上に3人がユルイんだよなぁ。
なんかこの状況を楽しんじゃっている感じが漂い始めちゃって。
ピストルで撃たれたぐらいまでじゃないかなぁ、3人が本気で「ヤバイ!」って感じているのは。
6ドルで8針縫って治してもらったあたりから、なーんかホントにユルイ感じが漂い始めていないだろうか?
どう考えてもヤバイ状況だし、下手したら本当に終身刑っていう、そういう緊張感が全然なくなっていくのはどういうことだろうか?
1作目はもっと緊張感があったと思うんだけどなぁ。ちがったっけ?
と、期待しすぎだったためか、単純につまらなくなったのか、1作目のほうがずっと面白かったなぁ。
バンコクはもう3回も行ってるぐらい好きな街なので、それは自分にとってプラスだったのですが。
それでも、プラマイゼロにはなりませんね。
笑えたし、やっぱりこの3人の会話とか楽しいし、1作目よりは面白くない、ってことなんですけどねぇ。
あと、映画館にいた外人! おめー、笑いすぎ!
面白いシーンでも、そこまで笑われるとこっちが白けてくるから。
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127時間
ダニー・ボイル。
僕は、誰がなんと言ってもダニー・ボイルとM・ナイト・シャマランを認めているのですが、それにしても、「スラムドッグ・ミリオネア」の後に、こんな作品を撮るとは。
ほとんど1人の人間しか画面に出てこない映画らしい。
でも評価はいいらしい。
だいたいのストーリー(というのか?)は、聞きたくなくても耳に入ってきてしまった。
それで映画になるのか???
さてさて、どんなことになっているんだろう。
今日の休日、キックアスの監督によるX-MENとどっちを見るべきか、すごくすごく悩んだけど、やっぱりアメコミ原作映画にはどうしても感情移入できない自分を自覚しているので、安全パイってことでこっちにしました。
うーむ。
うーーーむ。
たったこれだけのことを、でもやっぱり1時間30分以上の1本の映画にまとめ、そして、その1時間半のあいだまったく全然ちっとも飽きさせない。
これはもう、やっぱり傑作としか言えないと思う。
やっぱ傑作だよ。
どこがすごいのか、もう全然わからないや。
でもとにかく、こんな映画体験は今までしたことがない。
人によっては「あんなのは映画じゃない」とか言って批判するかもしれない。
スラムドッグ・ミリオネアのダニー・ボイル、トレイン・スポッティングのダニー・ボイル。
だからこそ、なんだかとにかく最初から批判的な態度でこの監督の映画に対峙する人がいっぱいいる。
けど。
けど、この映画を、誰が監督したのか知らずに映画館で見て、なにも感じない人がいるのだろうか。
死と本気で対峙したとき、両親、冷たかった自分、かつての恋人、その別れ方、自分勝手でわがままだった自分、そういうことを心から後悔し、それと同時に、どうってことない「女子」とのどうってことない関わりを思い出したり。
そうだろうなぁ。
そうなんだろうなぁ。
あの、死と直面している状態で、最後の最後に、自慰行為をしようとしてしまう自分を「やめるんだ」と落ち着かせるシーン、すげーなぁと思ってしまった。
もうこれで死ぬかもしれない、いや、おそらく死ぬんだろうなって時に、唯一今可能な「快楽」がそれならばしてしまうのもうなずける。
「あした地球が滅亡するとしたら何をしたい?」って問いに対して、みんな精一杯可能な限りの「快楽」を思い浮かべるんじゃないだろうか。
特上寿司を腹いっぱい食べるとか、彼女とひたするヤリ続けるとか、まぁ、中2の部室会話レベルだけど思うわけじゃないですか。
で、あの状態の彼にとって、可能な最大の快楽ってあれじゃないかなぁ。
あそこがもうすごいリアルだなぁって思ってしまった。
まぁ、実話なわけですが。
この「結末」を全く知らない状態で見られたことに感謝。
本当に知らずに見てよかった。
これはきっとDVDで見ていたら止めちゃったかもしれない。
知らずに映画館で見て本当に良かった。
これはダニー・ボイルの力じゃないという人がいるかもしれない。
あの原作そのものに、あの実話そのものに、人々の心を鷲づかみにする力があるんだと言う人がいるかもしれない。
でも、かまわないから、とにかく映画館で、できれば飲み物を持ち込まずに、見てほしい。
見るべき映画だと思う。
やられた。
すごかった。
僕は、誰がなんと言ってもダニー・ボイルとM・ナイト・シャマランを認めているのですが、それにしても、「スラムドッグ・ミリオネア」の後に、こんな作品を撮るとは。
ほとんど1人の人間しか画面に出てこない映画らしい。
でも評価はいいらしい。
だいたいのストーリー(というのか?)は、聞きたくなくても耳に入ってきてしまった。
それで映画になるのか???
さてさて、どんなことになっているんだろう。
今日の休日、キックアスの監督によるX-MENとどっちを見るべきか、すごくすごく悩んだけど、やっぱりアメコミ原作映画にはどうしても感情移入できない自分を自覚しているので、安全パイってことでこっちにしました。
うーむ。
うーーーむ。
たったこれだけのことを、でもやっぱり1時間30分以上の1本の映画にまとめ、そして、その1時間半のあいだまったく全然ちっとも飽きさせない。
これはもう、やっぱり傑作としか言えないと思う。
やっぱ傑作だよ。
どこがすごいのか、もう全然わからないや。
でもとにかく、こんな映画体験は今までしたことがない。
人によっては「あんなのは映画じゃない」とか言って批判するかもしれない。
スラムドッグ・ミリオネアのダニー・ボイル、トレイン・スポッティングのダニー・ボイル。
だからこそ、なんだかとにかく最初から批判的な態度でこの監督の映画に対峙する人がいっぱいいる。
けど。
けど、この映画を、誰が監督したのか知らずに映画館で見て、なにも感じない人がいるのだろうか。
死と本気で対峙したとき、両親、冷たかった自分、かつての恋人、その別れ方、自分勝手でわがままだった自分、そういうことを心から後悔し、それと同時に、どうってことない「女子」とのどうってことない関わりを思い出したり。
そうだろうなぁ。
そうなんだろうなぁ。
あの、死と直面している状態で、最後の最後に、自慰行為をしようとしてしまう自分を「やめるんだ」と落ち着かせるシーン、すげーなぁと思ってしまった。
もうこれで死ぬかもしれない、いや、おそらく死ぬんだろうなって時に、唯一今可能な「快楽」がそれならばしてしまうのもうなずける。
「あした地球が滅亡するとしたら何をしたい?」って問いに対して、みんな精一杯可能な限りの「快楽」を思い浮かべるんじゃないだろうか。
特上寿司を腹いっぱい食べるとか、彼女とひたするヤリ続けるとか、まぁ、中2の部室会話レベルだけど思うわけじゃないですか。
で、あの状態の彼にとって、可能な最大の快楽ってあれじゃないかなぁ。
あそこがもうすごいリアルだなぁって思ってしまった。
まぁ、実話なわけですが。
この「結末」を全く知らない状態で見られたことに感謝。
本当に知らずに見てよかった。
これはきっとDVDで見ていたら止めちゃったかもしれない。
知らずに映画館で見て本当に良かった。
これはダニー・ボイルの力じゃないという人がいるかもしれない。
あの原作そのものに、あの実話そのものに、人々の心を鷲づかみにする力があるんだと言う人がいるかもしれない。
でも、かまわないから、とにかく映画館で、できれば飲み物を持ち込まずに、見てほしい。
見るべき映画だと思う。
やられた。
すごかった。
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ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦
これを「映画」として語っていいのか、っていう気持ちもあるけど。
まぁ、子供達と一緒に1800円も払って見たので。
映画としてどうなのか、というと、うーん、これはまぁ、映画というよりは、テレビの1回分の話をちょっぴりスケールでかくして、過去のスーパー戦隊をプラスして、80分に伸ばしたという感じでしかないかなぁ。
だから映画というよりは、長~いテレビって感じでしたね。
そういう意味では、子供達と見てきた戦隊ヒーローものとしては、あのソニンの出てきたやつが、僕の中ではナンバー1でした。
あれは、テレビの1回を伸ばしたって感じでは無かったな。映画って感じが少しはしたもんなぁ。
ゴレンジャーは、たしかに懐かしかった。
夏かしかったけど、それ以降は見ていないからなぁ…。
僕個人の思い出ってことだったら、ゴレンジャーの全員が出てきてくれた素晴らしかったのだけど、でも、赤以外の人は俳優もやめてしまってただの中年のおじさんおばさんだろうしなぁ。
そして、そんなことしたら、他の世代の人にとっては全然楽しくないだろうし。
これまでの全ての戦隊ものヒーローを出すっていうのは、観客にとってっていうよりも、これまでずっと作ってきた制作者サイドの「なつかしいなぁ。」っていうことじゃないかなぁ。
まぁ、80分間、飽きずに見ることはできましたけどね。
ゴーオンイエローが、もうかなり大人っぽい女性になっていて、それはさみしくもあり、また、ちょっとドキっとしたりして。
ゴーオンジャーのときは東京ドームシアターに見に行ったもんなぁ。「素顔のヒーロー達」っていう、役者さん達本人がちゃんと出演するやつも最前列で見たし。大人になったね、ゴーオンイエロー。
とまぁ、いろんな意味で、やっぱりそれなりに面白かったのは確かですね。
板野友美さんもそうですが、子供達と一緒にみた子供向け番組に出ていた俳優さんは、なーんかすごく応援してしまいます。
いつか時代の流れがやってきて、有名な役者さんになれるといいですね。
まぁ、子供達と一緒に1800円も払って見たので。
映画としてどうなのか、というと、うーん、これはまぁ、映画というよりは、テレビの1回分の話をちょっぴりスケールでかくして、過去のスーパー戦隊をプラスして、80分に伸ばしたという感じでしかないかなぁ。
だから映画というよりは、長~いテレビって感じでしたね。
そういう意味では、子供達と見てきた戦隊ヒーローものとしては、あのソニンの出てきたやつが、僕の中ではナンバー1でした。
あれは、テレビの1回を伸ばしたって感じでは無かったな。映画って感じが少しはしたもんなぁ。
ゴレンジャーは、たしかに懐かしかった。
夏かしかったけど、それ以降は見ていないからなぁ…。
僕個人の思い出ってことだったら、ゴレンジャーの全員が出てきてくれた素晴らしかったのだけど、でも、赤以外の人は俳優もやめてしまってただの中年のおじさんおばさんだろうしなぁ。
そして、そんなことしたら、他の世代の人にとっては全然楽しくないだろうし。
これまでの全ての戦隊ものヒーローを出すっていうのは、観客にとってっていうよりも、これまでずっと作ってきた制作者サイドの「なつかしいなぁ。」っていうことじゃないかなぁ。
まぁ、80分間、飽きずに見ることはできましたけどね。
ゴーオンイエローが、もうかなり大人っぽい女性になっていて、それはさみしくもあり、また、ちょっとドキっとしたりして。
ゴーオンジャーのときは東京ドームシアターに見に行ったもんなぁ。「素顔のヒーロー達」っていう、役者さん達本人がちゃんと出演するやつも最前列で見たし。大人になったね、ゴーオンイエロー。
とまぁ、いろんな意味で、やっぱりそれなりに面白かったのは確かですね。
板野友美さんもそうですが、子供達と一緒にみた子供向け番組に出ていた俳優さんは、なーんかすごく応援してしまいます。
いつか時代の流れがやってきて、有名な役者さんになれるといいですね。
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スーパーエイト
面白かった。
J・J・エイブラムス監督。スピルバーグがプロデューサーだ。
「未知との遭遇」とか「ET」とか、そういう雰囲気。
80年代初頭の、スピルバーグの、あの頃の、とてもよくできたSF映画って感じ。
そこに親子の関係が絡むからまたこれがよくて。
こっちの親子の話もいいんだけど、それよりもあっちの親子の関係の話が、…いいなぁ、ほんと。
本人がぐーたらで酔っ払いでダメダメな人だって、だからと言って子供のことを大切に思っていないわけじゃない。
ぐーたらでダメダメだからこそ、子供のことを考えるとなおさら自分がみじめになってしまうだけで。
あの、リハーサルだから本気の演技はしないでいいよ、って言われてすごい演技を見せるところ、それを見ている主人公たちボンクラ男子の表情、あのシーン、いいシーンだよなぁ。
そこからの、あの列車の事故へ。
すばらしい!
僕の世代ならば、小学校高学年で「未知との遭遇」、「ジョーズ」、中学で「ET」。
スピルバーグに映画の面白さを教えてもらった世代だから、そのオマージュとしか思えないこの映画を見せられて、「そうそう、映画ってこういう面白さなんだよな。そう、これだよ、これ!」と映画を見ている間じゅう楽しくて楽しくて。
有名な俳優なんて出てなくて、どこにでもありそうな田舎町になんか不思議なことが起こって、それを目撃してしまった主人公の視点で描く。ドキドキドキドキ。たまりません。
あそこまでグロテスクな形状にしなくてもよかったのでは?とは思ったけど。
まぁ、ETもそうだけど、人間から見るとグロテスクだけど、実は人間なんかよりも高い知能と教養、文化レベルを持っているっていう、そのギャップがよいのかもしれないんだけど、でもこの映画は別にそういうところは出てこないしなぁ。
いや、グロテスクかどうかではなく、あそこまで見せる必要があったのか。
あるいは、主人公の少年とあの宇宙人の交流(?)みたいなことを、あんな短いシーンで、ろくに描くことができるはずがないのに挿入する必要があったのだろうか?
ただまぁ、あれがあって、あの少年の心の成長を観客が知ることができているからこその、あのラストのあの美しいあのペンダントのあれがやっぱり感動的になっているのは間違いないか。
でもなぁ、だったらもう少し映画全体が長くなっても、あと3分でも、少年と宇宙人との交流、宇宙人が少年から何かを学ぶシーンを描きいれるべきだったのではないか???
ということで言うと、やっぱり後半がちょっと雑な印象がある、…よなぁ。。。
そもそもあの宇宙人、どっかの別の映画で見た気がするしなぁ。
CGの使いまわし?
まあ、それぐらいですね、マイナスポイントは。
とにかく父親視点で見てたらやっぱり泣かされちゃいますよ。
ま、とにかく面白かった。
こういう映画が好きだ!
J・J・エイブラムス監督。スピルバーグがプロデューサーだ。
「未知との遭遇」とか「ET」とか、そういう雰囲気。
80年代初頭の、スピルバーグの、あの頃の、とてもよくできたSF映画って感じ。
そこに親子の関係が絡むからまたこれがよくて。
こっちの親子の話もいいんだけど、それよりもあっちの親子の関係の話が、…いいなぁ、ほんと。
本人がぐーたらで酔っ払いでダメダメな人だって、だからと言って子供のことを大切に思っていないわけじゃない。
ぐーたらでダメダメだからこそ、子供のことを考えるとなおさら自分がみじめになってしまうだけで。
あの、リハーサルだから本気の演技はしないでいいよ、って言われてすごい演技を見せるところ、それを見ている主人公たちボンクラ男子の表情、あのシーン、いいシーンだよなぁ。
そこからの、あの列車の事故へ。
すばらしい!
僕の世代ならば、小学校高学年で「未知との遭遇」、「ジョーズ」、中学で「ET」。
スピルバーグに映画の面白さを教えてもらった世代だから、そのオマージュとしか思えないこの映画を見せられて、「そうそう、映画ってこういう面白さなんだよな。そう、これだよ、これ!」と映画を見ている間じゅう楽しくて楽しくて。
有名な俳優なんて出てなくて、どこにでもありそうな田舎町になんか不思議なことが起こって、それを目撃してしまった主人公の視点で描く。ドキドキドキドキ。たまりません。
あそこまでグロテスクな形状にしなくてもよかったのでは?とは思ったけど。
まぁ、ETもそうだけど、人間から見るとグロテスクだけど、実は人間なんかよりも高い知能と教養、文化レベルを持っているっていう、そのギャップがよいのかもしれないんだけど、でもこの映画は別にそういうところは出てこないしなぁ。
いや、グロテスクかどうかではなく、あそこまで見せる必要があったのか。
あるいは、主人公の少年とあの宇宙人の交流(?)みたいなことを、あんな短いシーンで、ろくに描くことができるはずがないのに挿入する必要があったのだろうか?
ただまぁ、あれがあって、あの少年の心の成長を観客が知ることができているからこその、あのラストのあの美しいあのペンダントのあれがやっぱり感動的になっているのは間違いないか。
でもなぁ、だったらもう少し映画全体が長くなっても、あと3分でも、少年と宇宙人との交流、宇宙人が少年から何かを学ぶシーンを描きいれるべきだったのではないか???
ということで言うと、やっぱり後半がちょっと雑な印象がある、…よなぁ。。。
そもそもあの宇宙人、どっかの別の映画で見た気がするしなぁ。
CGの使いまわし?
まあ、それぐらいですね、マイナスポイントは。
とにかく父親視点で見てたらやっぱり泣かされちゃいますよ。
ま、とにかく面白かった。
こういう映画が好きだ!
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ブラック・スワン
芸術を突き詰めていき、普通の人のする表現どころか、普通の人の想像さえも超えるような表現をするためには、理性を超越していかなければならない、のか?
抑えていたものを解き放ち、その域に到達する手段として、時にアーティストは酒やドラッグの力を借り、自らを抑圧していた自分自身の理性を壊そうとする。
この話は、本人はそれを望んでいたわけではないけれど、主人公ニナが徐々に心を病んでいき、狂気に支配されていくことによって、そのレベルの表現をついに手に入れる、そんな話だった。
見ていてつらいけど、誰も到達できなった表現を実現しようとするならば、それが必要だったのかもしれない。
「教科書」のような表現ではなく、見た者がゾクっとするような、なにが目の前で起こっているのか理解すらできないような、そういう危うく破壊的な「完璧」な表現。
ニナはルロワが求めた「完璧」をついに表現してみせた。
ああなるほど、あなたが言った「完璧」ってこういうことなのね、たしかにそれを今感じることができたわ。
これまで抑えていたものとして「性」が取り上げられるのも、この映画のなんともいやらしいところだ。
厳しく過干渉の母親との二人暮らし。
当然ならば恋愛も性経験も生真面目な優等生のそれになってしまう。
今回の白鳥の湖を表現する上で、ルロワが求めたのは、「性」についての心の解放。
「完璧」を表現するためにニナがどんどん壊れていく。
けど、最後に彼女は到達するのだ。
これはハッピーエンドだろうか?
自分が身内だったら耐えられないだろう。
でも、人類がこれまでに築き上げてきた芸術ってものは、こういう、狂気と背中合わせの努力の果てにそれまでの表現を超越した新しい表現が生まれ、それがまた陳腐化した後に、またそれを超越する表現が生まれ、そうやって少しずつ少しずつ積み上げられた一番上のところ僕らは見ているのだろう。
それぞれの人はきっと周囲の人から、「なんでそこまで」とか「あいつ狂ってるよ」とか言われていたのかもしれない。
ニナはそういう中の一人なのかもしれない。
芸術ってものはおそろしいものだ。
抑えていたものを解き放ち、その域に到達する手段として、時にアーティストは酒やドラッグの力を借り、自らを抑圧していた自分自身の理性を壊そうとする。
この話は、本人はそれを望んでいたわけではないけれど、主人公ニナが徐々に心を病んでいき、狂気に支配されていくことによって、そのレベルの表現をついに手に入れる、そんな話だった。
見ていてつらいけど、誰も到達できなった表現を実現しようとするならば、それが必要だったのかもしれない。
「教科書」のような表現ではなく、見た者がゾクっとするような、なにが目の前で起こっているのか理解すらできないような、そういう危うく破壊的な「完璧」な表現。
ニナはルロワが求めた「完璧」をついに表現してみせた。
ああなるほど、あなたが言った「完璧」ってこういうことなのね、たしかにそれを今感じることができたわ。
これまで抑えていたものとして「性」が取り上げられるのも、この映画のなんともいやらしいところだ。
厳しく過干渉の母親との二人暮らし。
当然ならば恋愛も性経験も生真面目な優等生のそれになってしまう。
今回の白鳥の湖を表現する上で、ルロワが求めたのは、「性」についての心の解放。
「完璧」を表現するためにニナがどんどん壊れていく。
けど、最後に彼女は到達するのだ。
これはハッピーエンドだろうか?
自分が身内だったら耐えられないだろう。
でも、人類がこれまでに築き上げてきた芸術ってものは、こういう、狂気と背中合わせの努力の果てにそれまでの表現を超越した新しい表現が生まれ、それがまた陳腐化した後に、またそれを超越する表現が生まれ、そうやって少しずつ少しずつ積み上げられた一番上のところ僕らは見ているのだろう。
それぞれの人はきっと周囲の人から、「なんでそこまで」とか「あいつ狂ってるよ」とか言われていたのかもしれない。
ニナはそういう中の一人なのかもしれない。
芸術ってものはおそろしいものだ。
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奇跡のシンフォニー
素敵なおとぎ話。
こういう、現代のおとぎ話を描いた映画が好きだ。
もともと素敵なおとぎ話を描こうとしている映画なのだから、こういう映画を見て、ストーリーが都合が良すぎるとかって文句を付けるのは違うと思うんだけどなぁ。
ガラスの靴がぴったり足に合っただとぉ? 同じサイズの人なんていくらでもいるだろうがぁ~、と怒ってもしょうがないと思うんだけど、ちがいますかねぇ。
あるところに孤独な、でも音楽が大好きな少年がいました。
生まれてからずっと、お母さん、お父さんと再会することを信じていましたが、いじわるをする人がたくさんいました。
でも少年は、そんな人達の言うことに耳をかしたりしません。
音楽を信じ、両親との絆を信じる少年は、大好きな音楽に導かれて大きな街にむかうのでした。
少年は素晴らしい音楽の才能を持っていたのです。
それは音楽を愛する両親から受け継いだとてもとても素晴らしい才能で、街の人々は少年の奏でる音楽のすばらしい響きに驚き感動しました。
少年の運命は、少年の持つ音楽の才能によって、少しずつ少しずつ動き始めます。
少年のお母さん、お父さんもまた、音楽の神様に導かれて、その大きな街にやってきます。
音楽を心から愛する少年、少年のお母さん、少年のお父さんは、その愛する音楽に導かれて…、
…みたいなお話ですから。
おとぎ話に文句をつけてはいけません。
音楽がとても素晴らしい。
「音楽が」というよりも「音の使い方が」、と言ったほうがいいかもしれない。
とても楽しめました。
こういう、現代が舞台なんだけど、魔法もタイムマシンも出てこないんだけど、ストーリーはおとぎ話・ファンタジーっていうそういう映画が大好きです。
「スラムドッグ・ミリオネア」なんかもそうだと思うんだけど。
映画なんだから、ファンタジーを見せてほしい。
映画だからこそ、ファンタジーを描いていいのだから。描けるのだから。
このつらくつめたい現実社会のあちこちに、誰も気付いてないけど、素敵な奇跡が生まれている。
自分がこの人と出会ったのだって、実は素敵な奇跡の積み重ねで、あの時ほんとうはまっすぐ進むはずだった交差点をたまたま左に曲がったから出会えたのかもしれない。交差点を左に曲がらせたのは、運命のいたずら、かもしれないよね。
とても素敵な映画でした。
ギターがいきなり弾けるとか、ピアノがいきなり弾けるとか、楽譜をいきなり書けるとか、そういうのは、いいんです!
ファンタジーなんです!
おとぎ話なんです!!
こういう、現代のおとぎ話を描いた映画が好きだ。
もともと素敵なおとぎ話を描こうとしている映画なのだから、こういう映画を見て、ストーリーが都合が良すぎるとかって文句を付けるのは違うと思うんだけどなぁ。
ガラスの靴がぴったり足に合っただとぉ? 同じサイズの人なんていくらでもいるだろうがぁ~、と怒ってもしょうがないと思うんだけど、ちがいますかねぇ。
あるところに孤独な、でも音楽が大好きな少年がいました。
生まれてからずっと、お母さん、お父さんと再会することを信じていましたが、いじわるをする人がたくさんいました。
でも少年は、そんな人達の言うことに耳をかしたりしません。
音楽を信じ、両親との絆を信じる少年は、大好きな音楽に導かれて大きな街にむかうのでした。
少年は素晴らしい音楽の才能を持っていたのです。
それは音楽を愛する両親から受け継いだとてもとても素晴らしい才能で、街の人々は少年の奏でる音楽のすばらしい響きに驚き感動しました。
少年の運命は、少年の持つ音楽の才能によって、少しずつ少しずつ動き始めます。
少年のお母さん、お父さんもまた、音楽の神様に導かれて、その大きな街にやってきます。
音楽を心から愛する少年、少年のお母さん、少年のお父さんは、その愛する音楽に導かれて…、
…みたいなお話ですから。
おとぎ話に文句をつけてはいけません。
音楽がとても素晴らしい。
「音楽が」というよりも「音の使い方が」、と言ったほうがいいかもしれない。
とても楽しめました。
こういう、現代が舞台なんだけど、魔法もタイムマシンも出てこないんだけど、ストーリーはおとぎ話・ファンタジーっていうそういう映画が大好きです。
「スラムドッグ・ミリオネア」なんかもそうだと思うんだけど。
映画なんだから、ファンタジーを見せてほしい。
映画だからこそ、ファンタジーを描いていいのだから。描けるのだから。
このつらくつめたい現実社会のあちこちに、誰も気付いてないけど、素敵な奇跡が生まれている。
自分がこの人と出会ったのだって、実は素敵な奇跡の積み重ねで、あの時ほんとうはまっすぐ進むはずだった交差点をたまたま左に曲がったから出会えたのかもしれない。交差点を左に曲がらせたのは、運命のいたずら、かもしれないよね。
とても素敵な映画でした。
ギターがいきなり弾けるとか、ピアノがいきなり弾けるとか、楽譜をいきなり書けるとか、そういうのは、いいんです!
ファンタジーなんです!
おとぎ話なんです!!
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ハウエルズ家のちょっとおかしなお葬式
面白かった~。
原題が「DEATH AT A FUNERAL」なので、それを予想しながら見たのだけど、監督の策にはまったな。
本当によく出来た映画だと思う。
あの、顔だけ作り笑いを精一杯浮かべながら出てきて部屋を横切ってくるところ、最高。
最初たくさん登場人物があらわれて、全員喪服だし、全員をちゃんと把握できるだろうかと不安になったけど、体形やヘアスタイルだけでなくキャラクターそのものも見事に分けられているので、全然困らず、すっかりこの世界の中に入り込んで楽しむことができた。
フランク・オズ監督。
「リトルショップ・オブ・ホラーズ」、「ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ」なんかの監督の人か。
「ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ」見たのか見ていないのかさえ覚えていないなぁ。
見たとは思うんだけど…。
まぁ、きっとはじめて見るような感じで楽しめるだろうから、見てみようかな。
いや、それにしても、この映画は面白かった。
原題が「DEATH AT A FUNERAL」なので、それを予想しながら見たのだけど、監督の策にはまったな。
本当によく出来た映画だと思う。
あの、顔だけ作り笑いを精一杯浮かべながら出てきて部屋を横切ってくるところ、最高。
最初たくさん登場人物があらわれて、全員喪服だし、全員をちゃんと把握できるだろうかと不安になったけど、体形やヘアスタイルだけでなくキャラクターそのものも見事に分けられているので、全然困らず、すっかりこの世界の中に入り込んで楽しむことができた。
フランク・オズ監督。
「リトルショップ・オブ・ホラーズ」、「ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ」なんかの監督の人か。
「ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ」見たのか見ていないのかさえ覚えていないなぁ。
見たとは思うんだけど…。
まぁ、きっとはじめて見るような感じで楽しめるだろうから、見てみようかな。
いや、それにしても、この映画は面白かった。
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ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー
母の日をすっかり忘れていて、母の日当日に電話してリクエストを聞き、ブックカバーを新宿で選び、一日遅れの母の日のプレゼントを渡しに行きました。
この映画は、その行きと帰りに電車の中で見たのでした。
この映画を見たのはきっと初めてだと思うんだけど、結局、自分は、この時代のこういう映画が一番好きなんだって思った。
1974年の作品だ。
つまり幼稚園のころの作品なので、もちろんリアルタイムでは見てないわけだけど、この頃に作られた映画が、5年~10年遅れぐらいで、日本のテレビで放送され、映画館になんて連れて行ってもらえなかった僕にとっての映画とは、結局、この頃の映画をテレビの金曜ロードショーとか、テレビ東京の平日の午後とか、そういう枠で放送されたものを見るっていうものだったわけだ。
男臭い男が出てきて、ちょっとじゃじゃ馬っぽい女が出てきて、男二人はどんなにピンチな状況でもジョークを言い合いながらピンチを切り抜け、だんだんと追い詰められていくのだけど、同時に主人公達の絆も深まっていく、っていうような…。
まぁ、本当に何も無い映画なんですけど、ストーリーらしいストーリーがないわけだし、でも面白い。
好きだなぁ、やっぱり。
スーザン・ジョージの歯並びの悪いのが印象的。
歯並びが悪い女優が主役を張れた時代だったんだなぁ。
アメリカで、話す相手が明らかに自分の口元を見ているっていう経験を何度かして以来、アメリカ人にとっての歯並びってのは相当な意味を持っているんだなぁと厳しく思い知ったので、この人が映画の主役(っていうのかな?)をやっているのがすごく不思議だったりするのだが、まだそういう時代だったんだなぁ。
バニシング・ポイントほど、物語が無い。
黒人のいかしたDJが出てくるわけでもなく、過去が語られるわけでもない。
つまり、あの時代の文化も空気も、そして人生も、ほとんど描かれない。
けど、面白いのだ。
結局、自分はこういう映画が好きなんだよなぁと、あらためて思った映画でした。
だから、コロンバスからケベックまで行ってまた帰ってくるなんていう、ただただ車を運転しているだけの旅がなんだか妙に楽しかったのかもしれない。
この映画は、その行きと帰りに電車の中で見たのでした。
この映画を見たのはきっと初めてだと思うんだけど、結局、自分は、この時代のこういう映画が一番好きなんだって思った。
1974年の作品だ。
つまり幼稚園のころの作品なので、もちろんリアルタイムでは見てないわけだけど、この頃に作られた映画が、5年~10年遅れぐらいで、日本のテレビで放送され、映画館になんて連れて行ってもらえなかった僕にとっての映画とは、結局、この頃の映画をテレビの金曜ロードショーとか、テレビ東京の平日の午後とか、そういう枠で放送されたものを見るっていうものだったわけだ。
男臭い男が出てきて、ちょっとじゃじゃ馬っぽい女が出てきて、男二人はどんなにピンチな状況でもジョークを言い合いながらピンチを切り抜け、だんだんと追い詰められていくのだけど、同時に主人公達の絆も深まっていく、っていうような…。
まぁ、本当に何も無い映画なんですけど、ストーリーらしいストーリーがないわけだし、でも面白い。
好きだなぁ、やっぱり。
スーザン・ジョージの歯並びの悪いのが印象的。
歯並びが悪い女優が主役を張れた時代だったんだなぁ。
アメリカで、話す相手が明らかに自分の口元を見ているっていう経験を何度かして以来、アメリカ人にとっての歯並びってのは相当な意味を持っているんだなぁと厳しく思い知ったので、この人が映画の主役(っていうのかな?)をやっているのがすごく不思議だったりするのだが、まだそういう時代だったんだなぁ。
バニシング・ポイントほど、物語が無い。
黒人のいかしたDJが出てくるわけでもなく、過去が語られるわけでもない。
つまり、あの時代の文化も空気も、そして人生も、ほとんど描かれない。
けど、面白いのだ。
結局、自分はこういう映画が好きなんだよなぁと、あらためて思った映画でした。
だから、コロンバスからケベックまで行ってまた帰ってくるなんていう、ただただ車を運転しているだけの旅がなんだか妙に楽しかったのかもしれない。
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塔の上のラプンツェル
評判が良いので、ずっと見たかったのだけど、子供達と行こうと思っていてなかなか行けず。
映画館に行って、ドラえもんを見て帰ってきたりしてたので、このままでは劇場公開が終わってしまうと思い、やっぱり3Dで見ておきたいってことで、本日休暇を利用して一人のんびりと見てきました。
やぱり評判にたがわず素晴らしい。
一言で言うと「タイタニック」だった!!
なので、「タイタニック」が好きなかたは、きっと気に入ると思いますよ。
なんちゃって。
まぁ、要するに、「自分」を見つけるストーリーってことだ。
親や周囲の人から押し付けられた生き方から踏み出し、自分の人生を歩み出す。
でも、この映画がすごいのは、「タイタニック」ではそれはローズ一人だったけど、この映画では、主役のラプンツェルだけでなく、ユージンも、馬のマキシマスも、酒場のあやしい荒くれ野郎どもまでもが、「自分」を見つけて自分らしく生きはじめるのだ。
最高
まわりの期待や「空気読め」とかいうプレッシャーや、勝手にできあがったレッテルや、自分で築き上げてしまった偽の自分らしさ、そういうものに縛られてた自分を解き放って、本当に自分がやりたかったことをやる。
勇気を出して。
やってみる。
そういう話が大好きなのだ。
もちろん勇気は必要だから、なかなか出来るもんじゃない。
けど、勇気出して、さあやってみるぞ! という映画が好きだ。
この映画がひとつだけ悲しいのは、やっぱりあの人は育ての親なんだし、あの育ての親は決してラプンツェルを虐待したりしてたわけじゃなく、きれいな服を着せ、おいしい食事を与え、しっかり育ててきたのだから、真実を知っただけであのラプンツェルの態度の変わりかたはちょっとどうかと思うのだけど。
そんなものかなぁ?
生みの親より育ての親、なんじゃないの?
そりゃあ、たしかにラプンツェルを利用してたけどさぁ…。
この映画のラプンツェルって、誰もが感情移入してしまうような本当に素敵な性格の女の子なわけじゃないですか。
ああいう性格の育ったのは、やっぱりあの育ての親が、それなりに愛情を注いで育てたからだと、そう思うんだけどなぁ。
そこだけ。
そこだけが気にかかった。
それ以外はパーフェクト。
特にあの光るランタンが飛んでいくところは、もう、映画館で3Dで見て本当によかった!
素晴らしい。
あそこであれをやりますかぁ。
さすがです。
さすがディズニー。
人のよろこばせ方を心得ていらっしゃる。
ディズニーランドのエレクトリカルパレードだって、実際どうってことないものじゃないですか。
でもやっぱり見せ方ひとつで全然ちがうわけですよ。
その上、金を取らない!
入場さえしてれば無料で見られるなんて! すべてのものがひとつひとつ有料なのが当たり前だった日本の遊園地しか知らなかった僕は本当にビックリしたものです。
パレードの分の経費は元々パスポートの値段に含まれているって言えば、そりゃあそうですけど、でも気分はちがいますよね。
気分いいわけですよ。
楽しいわけですよ。
で、あのランタンが飛んでく映像ですよ。
ここでこれ来たか!!と嬉しくなっちゃうわけですよ。
前の席の5歳ぐらいの女の子はいっしょうけんめい手をのばしてましたよ。
僕は、思わず拍手をしそうでした。
素晴らしいなぁと。
楽しいなぁと。
とにかく楽しめました。
ショコタンだってのはさいごのエンドロールで初めて知りビックリです。
うまいじゃーん!
もうあと1週間ぐらいで上映を終了してしまう映画館が多いみたいです。
GWに特に予定のない日が1日でもあるならば、ふらりと映画館に行ってこの映画を見るのも悪くないですよ。
映画館に行って、ドラえもんを見て帰ってきたりしてたので、このままでは劇場公開が終わってしまうと思い、やっぱり3Dで見ておきたいってことで、本日休暇を利用して一人のんびりと見てきました。
やぱり評判にたがわず素晴らしい。
一言で言うと「タイタニック」だった!!
なので、「タイタニック」が好きなかたは、きっと気に入ると思いますよ。
なんちゃって。
まぁ、要するに、「自分」を見つけるストーリーってことだ。
親や周囲の人から押し付けられた生き方から踏み出し、自分の人生を歩み出す。
でも、この映画がすごいのは、「タイタニック」ではそれはローズ一人だったけど、この映画では、主役のラプンツェルだけでなく、ユージンも、馬のマキシマスも、酒場のあやしい荒くれ野郎どもまでもが、「自分」を見つけて自分らしく生きはじめるのだ。
最高
まわりの期待や「空気読め」とかいうプレッシャーや、勝手にできあがったレッテルや、自分で築き上げてしまった偽の自分らしさ、そういうものに縛られてた自分を解き放って、本当に自分がやりたかったことをやる。
勇気を出して。
やってみる。
そういう話が大好きなのだ。
もちろん勇気は必要だから、なかなか出来るもんじゃない。
けど、勇気出して、さあやってみるぞ! という映画が好きだ。
この映画がひとつだけ悲しいのは、やっぱりあの人は育ての親なんだし、あの育ての親は決してラプンツェルを虐待したりしてたわけじゃなく、きれいな服を着せ、おいしい食事を与え、しっかり育ててきたのだから、真実を知っただけであのラプンツェルの態度の変わりかたはちょっとどうかと思うのだけど。
そんなものかなぁ?
生みの親より育ての親、なんじゃないの?
そりゃあ、たしかにラプンツェルを利用してたけどさぁ…。
この映画のラプンツェルって、誰もが感情移入してしまうような本当に素敵な性格の女の子なわけじゃないですか。
ああいう性格の育ったのは、やっぱりあの育ての親が、それなりに愛情を注いで育てたからだと、そう思うんだけどなぁ。
そこだけ。
そこだけが気にかかった。
それ以外はパーフェクト。
特にあの光るランタンが飛んでいくところは、もう、映画館で3Dで見て本当によかった!
素晴らしい。
あそこであれをやりますかぁ。
さすがです。
さすがディズニー。
人のよろこばせ方を心得ていらっしゃる。
ディズニーランドのエレクトリカルパレードだって、実際どうってことないものじゃないですか。
でもやっぱり見せ方ひとつで全然ちがうわけですよ。
その上、金を取らない!
入場さえしてれば無料で見られるなんて! すべてのものがひとつひとつ有料なのが当たり前だった日本の遊園地しか知らなかった僕は本当にビックリしたものです。
パレードの分の経費は元々パスポートの値段に含まれているって言えば、そりゃあそうですけど、でも気分はちがいますよね。
気分いいわけですよ。
楽しいわけですよ。
で、あのランタンが飛んでく映像ですよ。
ここでこれ来たか!!と嬉しくなっちゃうわけですよ。
前の席の5歳ぐらいの女の子はいっしょうけんめい手をのばしてましたよ。
僕は、思わず拍手をしそうでした。
素晴らしいなぁと。
楽しいなぁと。
とにかく楽しめました。
ショコタンだってのはさいごのエンドロールで初めて知りビックリです。
うまいじゃーん!
もうあと1週間ぐらいで上映を終了してしまう映画館が多いみたいです。
GWに特に予定のない日が1日でもあるならば、ふらりと映画館に行ってこの映画を見るのも悪くないですよ。
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剥き出しにっぽん
石井裕也監督作品。
大阪芸大の卒業制作、とのこと。
つまり、完全なる自主制作映画ってことになる。
映像(というか、カメラ、フィルム等)のクオリティーは間違いなく自主制作映画だ。
すりきれたVHSテープをレンタルして見ていた大学のころならともかく、DVDのピカピカな映像・音声に慣れてしまった目と耳には、なかなか鑑賞そのものが厳しいものがある。
セリフときどき聞き取れないし。
あの無線バイブレーターとか、なーんか無駄にエロを入れているような気がするんだよなぁ。
ちょっとあざとい気がしたんだけど、性欲ってのは人間の普段は隠している欲望だから、この「剥き出し」をテーマにした映画では必要だってことなのかなぁ?
なーんかねぇ、思いついただけのちょっとした面白いシーンを話と関係なく入れていく、そんな気がして、そういう部分は嫌だなぁと思っちゃいました。
これは、「川の底からこんにちは」で、満島ひかり演じる主人公が腸内洗浄をしてるシーンが2回(かな?)出てくるんだけど、これなんかも話のストーリーとは全く無関係だし、単に、若い女性の主人公がベッドに横になって肛門に管入れられて腸内にたまったウンコをきれいにしてもらっているシーンって面白いんじゃないかな、ってただ思いついちゃったから撮ったとしか思えないわけで。
なーんか、ちょっとあざといような。。。
まぁ、ガール・スパークスの感想でも書いたけど、多少のあざとさもなければ、山ほど作られる自主制作映画の中から注目されて人より一歩前に出るチェンスなんてゲットできないのかもしれないけどね。
この映画もああいう無駄だけど目を引いてしまうシーンをところどころに入れないと、さすがに観客は飽きるよね。
映画館ならともかく、友達が作った映画だったり友達が出演している映画だったりならともかく、DVDで見てたら止めるよなぁ。つまんね、と。
最後まで見るとそれなりに、たしかにまぁそれなりに欲望とか本音とかがそれなりに「剥き出し」になって、その様子はやっぱり滑稽でありリアルでありなぜか感動的だったりするわけで、僕も面白かったわけですが、そこに至るまでの途中で、ああいうちょいとエッチだったりちょいとユーモアがあったりするシーンが無いと飽きるよなぁ。
まぁ、話題の監督の最初の作品をこうやってDVDで見られるってのは、資料価値としてもよいのではないでしょうか。
「川の底からこんにちは」、おすすめです!
大阪芸大の卒業制作、とのこと。
つまり、完全なる自主制作映画ってことになる。
映像(というか、カメラ、フィルム等)のクオリティーは間違いなく自主制作映画だ。
すりきれたVHSテープをレンタルして見ていた大学のころならともかく、DVDのピカピカな映像・音声に慣れてしまった目と耳には、なかなか鑑賞そのものが厳しいものがある。
セリフときどき聞き取れないし。
あの無線バイブレーターとか、なーんか無駄にエロを入れているような気がするんだよなぁ。
ちょっとあざとい気がしたんだけど、性欲ってのは人間の普段は隠している欲望だから、この「剥き出し」をテーマにした映画では必要だってことなのかなぁ?
なーんかねぇ、思いついただけのちょっとした面白いシーンを話と関係なく入れていく、そんな気がして、そういう部分は嫌だなぁと思っちゃいました。
これは、「川の底からこんにちは」で、満島ひかり演じる主人公が腸内洗浄をしてるシーンが2回(かな?)出てくるんだけど、これなんかも話のストーリーとは全く無関係だし、単に、若い女性の主人公がベッドに横になって肛門に管入れられて腸内にたまったウンコをきれいにしてもらっているシーンって面白いんじゃないかな、ってただ思いついちゃったから撮ったとしか思えないわけで。
なーんか、ちょっとあざといような。。。
まぁ、ガール・スパークスの感想でも書いたけど、多少のあざとさもなければ、山ほど作られる自主制作映画の中から注目されて人より一歩前に出るチェンスなんてゲットできないのかもしれないけどね。
この映画もああいう無駄だけど目を引いてしまうシーンをところどころに入れないと、さすがに観客は飽きるよね。
映画館ならともかく、友達が作った映画だったり友達が出演している映画だったりならともかく、DVDで見てたら止めるよなぁ。つまんね、と。
最後まで見るとそれなりに、たしかにまぁそれなりに欲望とか本音とかがそれなりに「剥き出し」になって、その様子はやっぱり滑稽でありリアルでありなぜか感動的だったりするわけで、僕も面白かったわけですが、そこに至るまでの途中で、ああいうちょいとエッチだったりちょいとユーモアがあったりするシーンが無いと飽きるよなぁ。
まぁ、話題の監督の最初の作品をこうやってDVDで見られるってのは、資料価値としてもよいのではないでしょうか。
「川の底からこんにちは」、おすすめです!
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ガール・スパークス
「川の底からこんにちは」が面白かったので、石井裕也監督の作品を見てみる。
自主制作の延長線上ぐらいの感じなので、ふつうの映画として評価するのはフェアじゃないかもしれないけど、でも面白かったな。
なにも、かまってちゃん劇場版に続いて、こんな同じような、イライラしてる女子高生が主人公の映画を見なくてもいいのだけど、なぜかこの順番になってしまったのだからしょうがない。
自分が高校生だというだけで、家族にも、先生にも、話の通じないバカな同級生にも、社会全体にも、とにかくイライラしてしまう感じ。わかるよなぁ。
これがわからない人っているのだろうか。
なーんか、とにかく、体も、少なくとも自分としては心も、十分大人になってるのに、まわりからは子供扱いされている高校生、親の経済的な援助なしでは生きられない高校生でいるというその状態がもう許せない。
なんでこんな人と暮らし、こんな先生の言うことを聞き、こんなバカな社会に適応して生きてなきゃいけないのか、というただそれだけなんだけど、とにかく感覚的にイライライライラしてしまう感じ。
ま、それだけなんだけど。
ディスコミュニケーションによる笑いのツボをよく押さえているなぁと思う。
「川の底からこんにちは」でも光っていたそれが、この映画ですでにかなりのレベルで確立されている。
あれは監督による演技指導なのだと思うのだけど、セリフに別の人が間髪いれずにかぶせるセリフ、そのタイミングがうまい。
主演の井川あゆこさんていう人は、グラビアアイドルで、映画はこれが初めてってことなんだけど、うまいなぁ。
すごくうまい。
特典映像で、監督が、「女子高生を主役にして、映画を売ろうとしている、そういうことをしていることが恥ずかしかった」というようなことを言ってるけど、まぁ、その「売る」戦略は正解だったんだろうなぁ。
この映画が、さえない中年男性が主役だったらどうだろうか。
やっぱり、この映画で女子高生が主演であることも含めて注目され、映画を通常よりちょっと多めの人が見て、その見た人の中にこの監督を評価する人がいて、結果として、さらに大きなバジェットで映画を取れるようになり…、そういうおかげで、満島ひかり主演で「川の底からこんにちは」を撮ることができるという結果につながっているのだろうから。
やっぱり自主制作から段々と有名になっていく監督というのは、ところどころで少しはそういう「工夫」をしているのかもしれないなぁ。
セルアウトというほどではないよね。
やるべきこと、なんだろうなぁ。
実際、女子高生が主演で、「胸をもみもみしたいんでしょ」みたいなセリフを言ってたりして、けっこう楽しかったのは確かです。
さて、剥き出しニッポンも見てみよう。
自主制作の延長線上ぐらいの感じなので、ふつうの映画として評価するのはフェアじゃないかもしれないけど、でも面白かったな。
なにも、かまってちゃん劇場版に続いて、こんな同じような、イライラしてる女子高生が主人公の映画を見なくてもいいのだけど、なぜかこの順番になってしまったのだからしょうがない。
自分が高校生だというだけで、家族にも、先生にも、話の通じないバカな同級生にも、社会全体にも、とにかくイライラしてしまう感じ。わかるよなぁ。
これがわからない人っているのだろうか。
なーんか、とにかく、体も、少なくとも自分としては心も、十分大人になってるのに、まわりからは子供扱いされている高校生、親の経済的な援助なしでは生きられない高校生でいるというその状態がもう許せない。
なんでこんな人と暮らし、こんな先生の言うことを聞き、こんなバカな社会に適応して生きてなきゃいけないのか、というただそれだけなんだけど、とにかく感覚的にイライライライラしてしまう感じ。
ま、それだけなんだけど。
ディスコミュニケーションによる笑いのツボをよく押さえているなぁと思う。
「川の底からこんにちは」でも光っていたそれが、この映画ですでにかなりのレベルで確立されている。
あれは監督による演技指導なのだと思うのだけど、セリフに別の人が間髪いれずにかぶせるセリフ、そのタイミングがうまい。
主演の井川あゆこさんていう人は、グラビアアイドルで、映画はこれが初めてってことなんだけど、うまいなぁ。
すごくうまい。
特典映像で、監督が、「女子高生を主役にして、映画を売ろうとしている、そういうことをしていることが恥ずかしかった」というようなことを言ってるけど、まぁ、その「売る」戦略は正解だったんだろうなぁ。
この映画が、さえない中年男性が主役だったらどうだろうか。
やっぱり、この映画で女子高生が主演であることも含めて注目され、映画を通常よりちょっと多めの人が見て、その見た人の中にこの監督を評価する人がいて、結果として、さらに大きなバジェットで映画を取れるようになり…、そういうおかげで、満島ひかり主演で「川の底からこんにちは」を撮ることができるという結果につながっているのだろうから。
やっぱり自主制作から段々と有名になっていく監督というのは、ところどころで少しはそういう「工夫」をしているのかもしれないなぁ。
セルアウトというほどではないよね。
やるべきこと、なんだろうなぁ。
実際、女子高生が主演で、「胸をもみもみしたいんでしょ」みたいなセリフを言ってたりして、けっこう楽しかったのは確かです。
さて、剥き出しニッポンも見てみよう。
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劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ
サイタマノラッパーの入江監督作品。

すげー、よかった。
音楽って、特にロックンロールってなんのためにあるのか。
なんのために聴くのか。
すげーわかる。
無力でふがいない自分、理想と現実の大きなギャップ、やりきれない思い、せいいっぱいやってももがいてももがいても進めない現状、あーーーーもうどうしたらいいんだーーーーー、俺ってなんなんだぁぁぁぁぁぁ、
って気持ちとシンクロして、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁってなれる音楽。
そして、もうとにかくなんだかよくわかんねーけど、とにかくもううまくいくかなんて全然わかんねーけど、とにかく今、とにかくやるしかねーんじゃねーか、きっと。自分の信じた道を、周りがなんと言っても、理解が得られなくても、利口な生き方じゃなくても、やるしかねーんだ。
そうだ、やるしかねーんだっ!!
という気分にさせてくれるのがロックンロール、…なんだよな。
音楽は理屈じゃない。
いや、理屈から解放してくれるのが音楽、か。
頭でいっしょうけんめいグルグルグルグル考えて、悩んで苦しんでもがいていたものが、ある種の音楽を聴くと理屈がとりあえずぶっ飛んで、なんかもうどうでもよくなっちゃったりして。
映画が終わっても、なんにも解決してないし、ほとんど何も変化なんてしてないんだけど、でもロックンロールを聴いて飛び跳ねて踊って、そんで精一杯今自分ができることを理屈ぬきでひたすらやってみたら、とにかくそれでいいんじゃないか?
それがきっと音楽の力で、そういう音楽のすごいパワーを見事に描いていると思ったな。うむ。
子供を持つ身としては、あのお母さんが、母親であることを選択して、男達に堂々と子供のことを言い店を出て街を走っていくあの場面にかなりグッと来ました。
ちなみに、CDは持ってないので、ラジオでよく流れてた曲しか知らなかったんだけど。
きっとCDを聴き込んでから見たほうがずっと楽しかっただろうなぁとは思ったけど。
出て、やっぱりCD買おうと思い、映画館のカウンターに行き、案の定CDが売ってたんだけど、でもなぁ、CDはいつでも買えるよなぁってことで、Tシャツ買っちゃいました。ふはは。
サイタマノラッパーTシャツも持ってるから、これで入江監督作品の映画Tシャツ2枚目だっ。

すげー、よかった。
音楽って、特にロックンロールってなんのためにあるのか。
なんのために聴くのか。
すげーわかる。
無力でふがいない自分、理想と現実の大きなギャップ、やりきれない思い、せいいっぱいやってももがいてももがいても進めない現状、あーーーーもうどうしたらいいんだーーーーー、俺ってなんなんだぁぁぁぁぁぁ、
って気持ちとシンクロして、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁってなれる音楽。
そして、もうとにかくなんだかよくわかんねーけど、とにかくもううまくいくかなんて全然わかんねーけど、とにかく今、とにかくやるしかねーんじゃねーか、きっと。自分の信じた道を、周りがなんと言っても、理解が得られなくても、利口な生き方じゃなくても、やるしかねーんだ。
そうだ、やるしかねーんだっ!!
という気分にさせてくれるのがロックンロール、…なんだよな。
音楽は理屈じゃない。
いや、理屈から解放してくれるのが音楽、か。
頭でいっしょうけんめいグルグルグルグル考えて、悩んで苦しんでもがいていたものが、ある種の音楽を聴くと理屈がとりあえずぶっ飛んで、なんかもうどうでもよくなっちゃったりして。
映画が終わっても、なんにも解決してないし、ほとんど何も変化なんてしてないんだけど、でもロックンロールを聴いて飛び跳ねて踊って、そんで精一杯今自分ができることを理屈ぬきでひたすらやってみたら、とにかくそれでいいんじゃないか?
それがきっと音楽の力で、そういう音楽のすごいパワーを見事に描いていると思ったな。うむ。
子供を持つ身としては、あのお母さんが、母親であることを選択して、男達に堂々と子供のことを言い店を出て街を走っていくあの場面にかなりグッと来ました。
ちなみに、CDは持ってないので、ラジオでよく流れてた曲しか知らなかったんだけど。
きっとCDを聴き込んでから見たほうがずっと楽しかっただろうなぁとは思ったけど。
出て、やっぱりCD買おうと思い、映画館のカウンターに行き、案の定CDが売ってたんだけど、でもなぁ、CDはいつでも買えるよなぁってことで、Tシャツ買っちゃいました。ふはは。
サイタマノラッパーTシャツも持ってるから、これで入江監督作品の映画Tシャツ2枚目だっ。
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パッチギ
見てみることに。
やっぱり面白い。
認めざるを得ない面白さだな。
沢尻エリカも、やっぱりきれいだ。
新人女優をきれいに撮る監督ってのは、たしかにそうなのかもしれない。
すげーいい、この沢尻エリカ。
生駒トンネルとか、国会議事堂とか、知らないこといっぱい。
あの曲だって、なぜか聴いたことがあるメロディだったけど、曲の背景を知らずに聴くのと知って聴くのとでは大違いだろう。
日韓の過去の歴史についてぼんやり大雑把に知ってはいても、在日の人達のリアルな過去・現在について全く知らずに生きてきた。
公民権運動とか、それ以前の奴隷制度とか、そういうのを全く知らずにブルースやあの時代のソウルミュージックを聴くのって。。。
ジャマイカの歴史を全く知らずにボブ・マーリーを聴くのって。。。
そんなことを思った。
あの「出て行ってくれ」から橋の上までのところ、泣いた。
結局ダメか。
ダメなのか。
無理なのか。
難しいよなぁ。
彼は何も知らない知ろうとしない日本人の中ではかなり知ろうと努力した人のはずだ。
でも、それでも、過去の長い長い歴史や現在の境遇を全て知ることなんてできない。
あまりに無力。
この映画の素晴らしいところは、そこで終わってないところだ。
そこであきらめてしまったら、一歩も前に進めない。
理解する努力をしている者には、それがたとえ未熟で不十分であっても、完全は拒絶はしてはいけない。
ほんのちょっとの隙間から未来への大きな穴をあけられるかもしれない。
その小さな希望を踏みつけてはいけない。
あきらめてはいけない。
未来への希望がある終わり方がいい。
あの2人はうまく行ってほしいなぁ。
この映画の舞台となった時代から、大きく時代は変わった。
この映画が作られた頃から比べても、サムソンが元気で日本のメーカーが元気が無かったり、KARAや少女時代の活躍とか、時代はどんどん変わっている。
少しずつでいいから、変わっていけたらいいなぁ。
いろいろ考えた。
いい映画だった。
ほんと。
やっぱり面白い。
認めざるを得ない面白さだな。
沢尻エリカも、やっぱりきれいだ。
新人女優をきれいに撮る監督ってのは、たしかにそうなのかもしれない。
すげーいい、この沢尻エリカ。
生駒トンネルとか、国会議事堂とか、知らないこといっぱい。
あの曲だって、なぜか聴いたことがあるメロディだったけど、曲の背景を知らずに聴くのと知って聴くのとでは大違いだろう。
日韓の過去の歴史についてぼんやり大雑把に知ってはいても、在日の人達のリアルな過去・現在について全く知らずに生きてきた。
公民権運動とか、それ以前の奴隷制度とか、そういうのを全く知らずにブルースやあの時代のソウルミュージックを聴くのって。。。
ジャマイカの歴史を全く知らずにボブ・マーリーを聴くのって。。。
そんなことを思った。
あの「出て行ってくれ」から橋の上までのところ、泣いた。
結局ダメか。
ダメなのか。
無理なのか。
難しいよなぁ。
彼は何も知らない知ろうとしない日本人の中ではかなり知ろうと努力した人のはずだ。
でも、それでも、過去の長い長い歴史や現在の境遇を全て知ることなんてできない。
あまりに無力。
この映画の素晴らしいところは、そこで終わってないところだ。
そこであきらめてしまったら、一歩も前に進めない。
理解する努力をしている者には、それがたとえ未熟で不十分であっても、完全は拒絶はしてはいけない。
ほんのちょっとの隙間から未来への大きな穴をあけられるかもしれない。
その小さな希望を踏みつけてはいけない。
あきらめてはいけない。
未来への希望がある終わり方がいい。
あの2人はうまく行ってほしいなぁ。
この映画の舞台となった時代から、大きく時代は変わった。
この映画が作られた頃から比べても、サムソンが元気で日本のメーカーが元気が無かったり、KARAや少女時代の活躍とか、時代はどんどん変わっている。
少しずつでいいから、変わっていけたらいいなぁ。
いろいろ考えた。
いい映画だった。
ほんと。
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川の底からこんにちは

満島ひかり。
いや~、面白かった。
なんだろうか、満島ひかり演じるあの主役のキャラ。
あれは満島ひかりが考えて演じてみせた(のを監督がふくらませた)キャラなのか、監督がきっちり考えてきたものを満島ひかりがそのとおりに演じたキャラなのか、どっちなんだろう?
前者だとしたらものすごいな、満島ひかり。
後者だとしても、やっぱりすごいだろう。あれはどんなに演技指導されても、あのキャラはなかなか作れないと思う。
ま、とにかく、たとえ後者だとしても、満島ひかり以外の女優だったらこの映画はこんなに面白くなかったと思う。
ほんと面白かった。
あの社歌(?)。
最高だ。
あれだけPCで取り込んで普通に聴けるようにしようかな。
たまんねぇ。
幼い時の母の死。
それ以来、全てを「しょうがない」と受け入れてきた主人公。
父親がおばさんを家に連れ込んでエッチしててもしょうがない。
駆け落ちした男の目的がエッチだけでもしょうがない。
すぐその男に飽きられて捨てられてもしょうがない。
会社で嫌な上司に納得いかないことを言われひどい仕事を与えられてもしょうがない。
つきあってる男がバツイチで子持ちでもしょうがない。
その男が突然会社をやめて自分の実家にやってこようとしてもしょうがない。
「でもそれ、しょうがないですよね。」と全てを受け入れて抵抗しないでいた主人公が、「しょうがないから頑張る!」と一旦受け入れた上で全力でもがくようになるまでのお話。
変化前でもあまりの受け入れぶりが笑ってしまうんだけど、変化後の本音むき出しさらけ出しまくりでのパワー全開の行動がもう本当に楽しくて楽しくて笑ってしまう。
すごいすごい。
本当に面白かった。
満島ひかり、すごい。
そして、満島ひかりにこの怪演をさせ、結婚までしてしまったこの監督、やっぱりすごい。
この監督の次回作に超大大大期待。
それにしてもPFFって、素晴らしいことをしているよなぁ。
ありがとう、PFF。
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空気人形
このタイミングで見たのが悪かったかな。
この非現実的な設定に、どうしてもイマイチ乗れなかった。
でもしかたない。
映画は見る側の体調とか心の状態によって受け止め方がどうしても揺らいでしまうものだから。
いつもだって多少の揺らぎの中で見ているのだ。
ただ、今回はやはりちょっと揺らぎが大きすぎる。
どうしても「そんなあり得ない話につきあって楽しめる気分じゃないんだよ。」と思ってしまう自分が。
なにを描きたかったんだろう。
この世の中で生きている僕達は、誰だって、心の中にぽっかりと空虚な部分を抱えている。
その心の空洞を埋めるのは、例えば誰かほかの人とのほんの些細な関わりかもしれない。
あの詩。
あなたは誰かにとっての「風」かもしれない。
風は、自分自身ではそうとは気付かずに、タンポポの綿毛を別の場所に運び新しい命を与える。
蜂が、自分自身ではそうとは気付かずに、雌花と雄花を結びつけ新しい命を与えるように。
日々のなにげない生活が、誰か他の人のかけがえのない人生を支えている、…のかもしれない。
人は一人では生きていけない。
たとえ空虚であっても、どれだけ虚しい日常であっても、誰かと関わり誰かの人生に影響を与えているし、自分のその日常だって、誰かが(無意識であっても)与えてくれている。
人は一人では生きていけない。
その様は、とても美しいではないか。
さあ、虚しい今日を堂々と生きよう。
ほら、こんなに美しいんだから。
なんてことかなぁ?
もっと別のタイミングで見たらもっと良い映画に思えたような気がします。
この非現実的な設定に、どうしてもイマイチ乗れなかった。
でもしかたない。
映画は見る側の体調とか心の状態によって受け止め方がどうしても揺らいでしまうものだから。
いつもだって多少の揺らぎの中で見ているのだ。
ただ、今回はやはりちょっと揺らぎが大きすぎる。
どうしても「そんなあり得ない話につきあって楽しめる気分じゃないんだよ。」と思ってしまう自分が。
なにを描きたかったんだろう。
この世の中で生きている僕達は、誰だって、心の中にぽっかりと空虚な部分を抱えている。
その心の空洞を埋めるのは、例えば誰かほかの人とのほんの些細な関わりかもしれない。
あの詩。
あなたは誰かにとっての「風」かもしれない。
風は、自分自身ではそうとは気付かずに、タンポポの綿毛を別の場所に運び新しい命を与える。
蜂が、自分自身ではそうとは気付かずに、雌花と雄花を結びつけ新しい命を与えるように。
日々のなにげない生活が、誰か他の人のかけがえのない人生を支えている、…のかもしれない。
人は一人では生きていけない。
たとえ空虚であっても、どれだけ虚しい日常であっても、誰かと関わり誰かの人生に影響を与えているし、自分のその日常だって、誰かが(無意識であっても)与えてくれている。
人は一人では生きていけない。
その様は、とても美しいではないか。
さあ、虚しい今日を堂々と生きよう。
ほら、こんなに美しいんだから。
なんてことかなぁ?
もっと別のタイミングで見たらもっと良い映画に思えたような気がします。
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