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ぽーるとダシヨの往復書簡

THE SECRET BASSING

2021-12-26 22:21:00 | ノンジャンル
ホームグラウンドのお気に入りポイントが様変わりするのはつらいなぁ。
文句とか言えるものではないにしても
そこにあった豊かさを知っていると
そう思ってしまうね。

近くの都会の公園の草ボーボーのところも
行政が憩いの場をないがしろにしている!
とやり玉にあがったりしているのだけど
その草むらで見つけたどでかいショウリョウバッタに
大興奮したところです私たち・・・
みたいなことがある。

これからも通いたい釣り場でありますように
祈っておきます。

今年は4月10日にいい釣りをしたあとは
思うような結果が得られないまま終わりということになりそう。
それでも釣りの内容は充実しているような実感がある。
プラグ選んでキャストしてちょんちょんを繰り返しているだけだけど
そのちょんちょんこそが大事だと意識するようになってから
ゲームをより楽しめている気がするし
いつか理想の瞬間が来るはずだと、来年の釣りに期待もふくらんでる。

それと11月にポールと所長と3人で行った釣りが本当に楽しかった。
自分ひとりでは決して思い出すことのなかっただろう自分の過去を
ほかの誰かが覚えていてくれるということのありがたみを
すごく思った(恥ずかしい内容だとしても)。
おお、そこに生きてたのか俺!みたいな感じがした。
つぎは「釣り」に行きましょう。

さて、年の最後に変な文章を載せておきます。
友人たちの企画に誘われて書きはじめたものの
なんとなくしっくりこなくて
完成させずに放っておいたものを仕上げました。
直接は関係ないけど
コロナがなかったらこんな文章を書くこともなかったかも。
ではよいお年を!

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
「THE SECRET BASSING」

どこまで正直に話ができるだろう。
2020年、僕のバスフィッシングのテーマは「秘密」だった。

といっても内緒にしておきたいほど釣れるプラグやテクニック、フィールドのことではなく、釣行そのものを完全な秘密にしてしまおうというものだ。
ほかのだれにも、釣りに行ったことも、起こったことも、釣果も話さない。
けど万が一のことがあったらいけないので、家族には行き先を告げておくが帰宅したらなんの報告もしない(だいたいいつも同じ結果なので聞かれることもない)。
釣り場では写真を撮り、あとで釣行記を書く。
それらは専用のクラウド上にしまっておく。
こうすれば釣行のことを知りうるのは永遠に自分だけになる。

そんな秘密の釣行のことを想像すると不思議な気持ちになってくる。
行き先をどこにするのか。
ロッドは、リールは、プラグはどれにするか。
いつもだって純粋に好きでやってるサーフェスゲームなんだから、秘密になったからといって変わるはずはない。
が、気がつくとボックスにあんなものやこんなものが仕舞われているかも知れない。
ああ、出発前にもう秘密ができてしまった!

誰にも明かすことができないと思うと、閉ざされた世界のなかで出会う光景が、自分の心の動きが、いちいち強く意識されてしまうようになる。
道中、深夜のコンビニで食料を調達しながら、レジの店長に打ち明けたくなる。
「あなたもこの特別な儀式の登場人物なんですよ!」。

孤独という言葉が頭をよぎる。
雪山に普段着で迷いこんだみたいだ。

ところで、こんなばかげたことを思い立ったのは、自粛下で釣行を大っぴらにしにくくなったから、というのとは関係がない。
ホームページやブログの時代に比べてSNSでは刺激的な情報がリアルタイムに更新され発信も容易になってる。
さまざまなコミュニケーションにまみれ、日常でも知らぬ間に影響されている。
バスを持って写真を撮るとき、スマホの画面に表示された自分の笑顔を想像してしまう、とか。

多かれ少なかれ人間の行為には演技的な要素があるのだとしても、外部からの侵食がここまではげしかった時代はないだろう。
この欲望は、誰かの欲望なのではあるまいか?

羽鳥靜夫さんはその著書「BASS OF BASS」の冒頭で「自分のゲームに対して、どれだけ夢中になれるか」と語ったが、まわりの世界との境界があやふやになって我をとらえにくくなっているのだとしたら。
これは釣りにおけるたいへんな問題だろう。
「外」というものの存在を一切シャットアウトするにはどうすればよいか?
思いついたこの企てなのである。

釣りの方は意外といつもの単独釣行と変わらなかった。
理想と不甲斐なさをいったりきたりしながら時間が過ぎていく。
そこにあの瞬間が訪れた。
まさか。よりによって今日。
このブラックバスが釣れるだなんて。
あの人やあの人にすぐにでも電話したい。
覚悟が揺らぐ。
計画はいったん中止して、つぎの機会に延期するのはどうか。
しかし、途中で態度を変えることは、秘密の世界のもっとも重い罪にちがいない。
取り返しのつかないことになる気がした。

予想していなかったのは、いったん秘密ができてしまうと、今度は秘密の側がふだんの生活を侵しはじめるということだった。
同じボートに乗っておしゃべりをしながら、なんてことない拍子にあの日のことを話してしまいそうになる。
その線を越えてはならないと僕はすごく慎重になる。
友人のこちらを見る目が以前までと変わったような気がする。
僕の身体の輪郭線が強く濃く引かれるようになっているのだ。
そのことが僕を満足させる。

ときどきこっそりアルバムを見返しては悦に入る。
先人が釣りについて「プロセスが大事だ」と語ったことの意味が見えてくるようだ。
それは己を大切にすべしというメッセージだったのではないだろうか。

ただ「外からの刺激を絶てば純粋な自分が浮かびあがる」そんな単純な話ではないことも分かってきた。
あの日の同船者の言葉。
歴史を背負って生まれる道具や技術。
出会ってきたブラックバスたち。
さまざまな経験が今の自分を作っている。
孤独な世界の孤独な自分の振る舞いにも、誰かの気配が宿っていることを感じる。
これはとても大きな発見だった。

秘密を抱えていること、それ自体がとても崇高な行為に思えてきたころ、ふと、自分以外の誰も知らないことはこの世に存在していると言えるのか、という疑念が頭をよぎった。
写真はある。
詳細な記録も残した。
だがこれは本当にあの日の自分が撮った写真なのか、自信がなくなってくる。
なんだか怖くなってヒットプラグを見返すと、深い歯型が何本も刻まれていてほっとする。
生涯の相棒!と喜んだすぐあと、また「どうやって証明できるんだ?記憶違いじゃないのか」と声が聞こえてくる。
わいてくる疑問を止めるものがない。
今さら誰かに話しても不思議な顔をされるだけだろう。
急に叫び出したくなった。

つぎの行き先が決まる。
もう一度、あの湖に浮かぶ。
証となるはずの巨大魚が泳いでいて
この針先が固い上顎を貫いたはずである。
それをもう一度、この目で確かめる。

こうして、秘密は秘密であり続けるために動きはじめる。
ところでなんのためにはじめたんだったけか。
この釣りには友人を誘うべきなのだろうか。

そろそろ紙幅が尽きてきた。

さて昨年の僕の挑戦はさてどこまでが事実で、どこからが想像なのか。
もうお分かりだろうが、秘密の種が明かされた後には、本当も嘘も無意味の泡にのみこまれてしまう。
それが秘密というものの性質なのだ。
そのことに気づいてなんだか気が楽になり、ようやくここまで書くことができた。

浅はかな企てだったかも知れないが、ふざけて書き連ねてきたわけではない。
2020年に切実に考えた秘密の釣行について、ここに残すことができたことを、ありがたく思う。

ところで、ここに至ってまたべつ疑問がわいてきた。
このような秘密を他人が持っていないなどと、どうして言えるのか。

今、湖上の小さな空間で時間を共有しているはずの友人。
いつも明るく楽しい彼がときおりみせる慎ましさに僕は惹かれてきた気がする。
同じものではないとしても、そこにはけっして共有されないなにかが潜んでいる。
そう考えるほうが自然に思える。
この思いつきは、今の僕を寂しくさせることはない。

彼のプラグにバスが出た。
山間に歓声が響く。
彼はなんと叫んだのか?同時に声を上げてしまったから分からない。
今、僕らは同じなにかに触れたのだと感じる。それぞれの仕方で。

秘密を抱え戻ってきたこの日常に期待すればいいのかも知れない。
そう思いはじめている。

ダシヨ

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