江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ チエミの子守歌LP(最終回) 中国地方の子守歌

2007年07月19日 | 江利チエミ(続編)
さて、チエミの子守歌LPは、中国地方の子守歌で締めくくられています。
江利チエミの子守歌というと、まず「五木の子守歌」が浮かびますが、この中国地方の子守歌もなかなかしっとりとしていて よい! です。

中国地方の子守唄
中国地方民謡
    編曲:山田耕筰

♪ねんねこしゃっしゃりませ
             寝た子のかわいさ
                        おきて泣く子の
                                ねんころろ 面にくさ
                                         ねんころろん ねんころろん

日本のとりわけ地方の子守歌は、NHK朝ドラ「おしん」が思い浮かぶものが多いです。
日本という国は、ちょっと前まで「そんな貧しい農村地域」があったのです。・・・豊かさは「ほんとうに最近になって手にしたものなのだ」ということをこの曲を聴くと思い知らされるのです。

子守奉公・・・
♪起きて泣く子のツラ憎さ・・・ この1行の歌詞を噛み締めてみることが、今の私達、そして私たちの子供達にも必要な気がします。


さて、日本の子守歌の「もともとのもの」とりわけ子守奉公といった労働歌的要素の深いもの(五木の・・・、竹田の・・・など)は、テンポが速かったり、投げやりな歌い方であったりするようです。

そういった「伝承労働歌」を五線譜に起こしアレンジするといった作業にも、この曲をひろく日本に知らしめた編曲者でもある山田耕筰さんは尽力をつくされました。
(作曲/山田耕筰という表記もありますが、これは「もともと五線譜におこされてなかった日本の伝承歌・民謡をスコアに表す段階で西洋音楽の要素をおりまぜて歌いやすく編曲した」というのが正しい表現です。)
山田さんの 筰 の字は、まずない字・・・です。
山田センセは音楽の教科書でもおなじみですが、頭髪が心もとない方でした。
自分の頭が淋しくなって・・・ せめて名前にはと 作 の字に「毛を生やした」のが、この字が生まれたルーツと以前、永六輔さんの著書で読んだ記憶があり、今回ちゃんと調べてみました。
>1930年12月、「耕作」を「耕筰」に改名すると発表した。
戸籍上は長らく「耕作」のままであったが、のちに再婚したのをきっかけに後者に改めている。1948年に発表した「竹かんむりの由来」というエッセイ(『山田耕筰著作全集 3』岩波書店に所収)によると、「山田耕作」と同姓同名の人物が多く(全国に100人以上いたらしい)、それゆえのトラブルが頻発していたのが、改名の理由の一つである。もう一つは、山田の指揮姿を見た颯田琴次から、後頭部の髪の乱れを指摘され、カツラをつけろと言われた後である。カツラを嫌った山田は丸坊主にしたものの、その姿を気に入っておらず、それで名前の上にカツラをかぶせることを考えた。「筰」の字は『康煕字典』から見つけたものである。

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