1)サトウハチロウ氏を筆頭にした、美空ひばり/江利チエミという「年端もいかない子供が大人のモノマネで歌を歌って生計を立てている=ゲテモノ歌手」という批判。
---->これは この章 に書き込んでいます。
2)江利チエミさんの根底にある「日本的な部分」=「ホンモノではない」という、ジャズを流行歌としてヒットさせたことへの批判。
『まるで西洋浪曲だ』と知識人と言われる人から批判されたこと・・・
---->これは この章 にも過去に書き込みました。
さて、ここで「これらとは違う感情」で「アンチ・江利チエミ」というスタンスをとった人のことを書き込みます。
※さら---っとテネシーワルツという歌自体に感情輸入がなかった人の考えだと思いますが・・・
1)の考えの根底には「子供にそんなことを・・・」という「児童福祉の見地から」という大義名分があります。
2)は「文化人」的で「ブルジョワ志向」的な「お高くとまったスタンス」からの意見ともいえますし、『豊かな国アメリカ』への大きな憧れの下地があっての意見と言えると思います。
悪魔の小説/林真理子著「テネシーワルツ」に寄せた秋山駿なる人物の解説です。
>・・・私は江利チエミが嫌いなのだ。このテネシーワルツという歌も嫌いだ。
・・・この林さんの小説を読んでいるうちに、いくらか考えが改まった。と同時に、なぜ江利チエミが嫌いなのか、その根が照らし出される気がした。・・・
>一つには、この小説が如実に描いているように、敗戦国民の憧れる「豊かな国アメリカ」の象徴だった。たぶん「テネシーワルツ」が、アメリカ人みたいにアメリカの歌を歌う・・・ 敗戦国の軽薄な心理と見えたのである。
>二つには、江利チエミの出現が、大衆社会における大衆の熱狂の中心が、祖国とか愛国心とかいうのではなく、「流行歌スター」のところに移動する。そんな時代が到来したことを告げているということだ。
>三つめは、・・・近代化を進める国はどこか「アメリカ的になる」ということ。・・・伝統的な価値を否定した日本の戦後には(人の生の変容が)早めに生じ、急速に進展した。江利チエミはそういう現象の象徴でもあった。
戦後・・・日本の骨組みは7年間で組み立てられた... といわれます。
『独立・日本国』が正式に歩みだした時、江利チエミさんはメジャーデビューをしました。
あるなが---い時期、今日放送されるNHKの「思い出のメロディ」やテレ東の「懐かしのメロディ」に、江利チエミ・雪村いづみといった「ジャズ歌手」が出演するということはめったになかった・・・と思います。
それはチエミ・いづみといった人たちが「懐メロ番組のオファー」を断っていたのかもしれませんが、私は「企画に組み込みにくかった」のではないのか?・・・と思っています。
昔のありがちなパターンでは、前半/戦前の歌(藤山/淡谷/市丸・・・)、戦争中の歌(高峰「湖畔」、軍歌、渡辺「愛国の花」...)、そして並木路子さんが登場して『リンゴの唄』・・・長い長い苦しい戦争が終わりのナレーションで始まる戦後ヒット曲集...
「長崎の鐘」「ああモンテンルパの夜は更けて」といった曲と「テネシーワルツ」「家へおいでよ」・・・といった一連の「ジャズもの」は構成上「組み込みにくかったのではないのか?」という「疑惑」が私は随分前から持っていました。
戦後も30年を経過したころには江利チエミ「テネシーワルツ」、雪村いづみ「青いカナリア」も思い出のメロディに登場するのですが・・・
こういった ジャズ歌手の持ったハンデ も、美空ひばりさんに比べて「今一歩評価されない」理由のひとつではないのかな?・・・と私は残念に思っています。
各テレビ局のライブラリーにも江利チエミさんのVTRがあまり残っていない・・・ということも耳にして、なおのこと残念に思うのです。
戦後の新生日本の骨組みは7年間で組み立てられた...
テネシーワルツ発売=昭和27年1月... この唄のヒットは「ごくごく自然なこと」でもありましたが「センセーショナルな出来事」でもあったのです。
江利チエミ受け入れがたし・・・ デビュー当時からこの壁との戦いでもあったのです。
どれだけ「大衆が江利チエミに熱狂したのか」・・・
江利チエミの世界/HPさんの ココ を(今一度)ご参照ください!!
1954年/東京スタジアム「江利チエミ・リサイタル」の記事です。
※秋山駿氏・・・全共闘時代の文芸評論家といわれ今でも「新左翼」に人気のある方で、天皇制批判を繰り返し、勲章なんて石ころだと放言してきたそうですが、なんと『芸術院会員』になったのだそうです。 ま そういう方... なようです。