江利チエミ特別公演/世界の恋の物語 春香伝...
昭和48年新宿コマ劇場で幕をあけました。
この物語は朝鮮の民話で広く親しまれているもの。水戸黄門の物語の脚色のルーツでは?とも言われている物語でもあります。勿論本筋は壮大な歴史ラブ・ストーリーです。
昭和13年、内鮮一体という政治的スローガンが掲げられていたころ、まず築地小劇場で上演されました。
そして「天下の美女」初代/水谷八重子主演で東京・宝塚劇場の大舞台でも上演されました。戦後、昭和31年には岩波文庫にも加えられました。
今は、韓流ブームとか...
いい時代になったと思います。というのも、昭和48年...まだまだ「偏見/蔑視」ということが、はっきりと残っていた頃でした。
完全な差別用語...馬鹿でもチョンでも<---このチョン=朝=朝鮮人を指す言葉です。
こんな言葉が横行していた時でした。
チエミさんはこの舞台にかけていた部分は大きかったと思います。
おそらくはかなりの反対も受けたでしょう... 反対に多くの在日の皆さんが東京は新宿、大阪は梅田のコマに足を運んだと...
多くの悲しいことをあの小柄な身体に一身に受け止め、色々な意味で「難しい」この作品に挑んだあの時。
きっと...「偏見も差別も...そんなくだらないものに捕われちゃいけない!人間は一皮剥いたらドロドロと恐ろしいものを持っている。それでも人間は生きていく。どうせ生きていくのならくだらない考えで自分を汚しちゃいけない!」...そんな思いがこの作品を上演するきっかけだったのではないかな?などと思っています。
わたしの周りでも「なんでチエミが朝鮮のお芝居なんか...」とか「日本人は観に行けないな」と話していた大人がいましたからね。昭和48年...わたしが中学にあがった時の日本は、確かにこう...だったのです。
しかしこの作品は大ヒットを飛ばしました。
そして韓国政府からも友好に貢献したことにより「感謝状」を受けました。
韓国との文化・芸能のパイプの本格的な草分けは江利チエミさんであった事を忘れてはなりません。
内鮮一体というスローガンから朝鮮民謡が流行ったころ...李香蘭の「大陸もの」が流行ったころ...
あの「恐ろしい時代」...とは全く違うオイルショックも経験して「成熟化」に向かっていた昭和48年に「春香伝」を大舞台にかけたということ。
彼女はなんの障害も、批判も受けずにこの春香伝を舞台にかけたわけではなかったと...そう思います。
江利チエミさんの残した大きな足跡のなかで「春香伝」は賞賛されるべき功績と思っています。
※しゅんこう=チュナギ...と発音すると思います。
チエミさんはこの受賞の時に「ラヌ イルボン チュナギ アンニョンハセヨ」と挨拶した...とラジオで話していたのを聞いたことがあります。(私は 日本の 春香です こんにちは)...記憶なので発音は違ってるかも知れません。
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これは文化座の代表作でもありまして、佐々木愛さん(TV徳川女絵巻でチエミさんと競演)が主演でした。いつぞや愛さんが「チエミさんが私の春香の舞台を観にいらしたこともあったわよ」と話しておられましたが、チエミさんの春香にかける情熱というものを感じますね。一部の群舞の女性の衣装を文化座が提供もされたようです。
牢屋で久しぶりに夢龍に再会した春香が、お腹のそこから絞り出す様に「若さま、会いとうございました~」というこおのシーンのチエミさんはすごいです。
普通この2の線でいくと思いきや...
翌年にはチエミ喜劇を立ち上げ「サザエさん」を再演してヒットさせた...
春香で木蘭でイライザでじゃがたらお春でお染にみずぐるまを演じて絶賛を浴びた女優さんが、サザエさんで鼻のお六を演じられる。
これは いない ですよ。ホント
水谷八重子さんがサザエさんは演じられないし、ジュディー・アンドリュースがルーシー・ショウは出来ない。
アメリカならドリス・ディ、日本なら森光子さんに匹敵する...いやそれ以上の女優だと思います。
喜劇を演じる=軽んじられる。
これ風潮ですよね。
芸術祭賞を狙うなら、そりゃやっぱりシリアスものの方が受けがいい。
25周年記念の新宿コマ公演には、藤山寛美さんのあたり役を主人公を女性に替えた「鼻のお六」をぶつけました。
普通だったら...春香伝の再演とか「みずぐるま(恋ぐるま)」「お染久松」再演とか...2の線を持ってきますよね。また喜劇でいくなら絶対に「サザエさん」って!
それを江利チエミという人は「松竹新喜劇」を「東宝の舞台に」もってきて、しかも「初演」。共演者にも松竹新喜劇からの助っ人を重用して、芸風の違う関西のお芝居を東京で演じる...大冒険ものを持ってきたです。
まだまだ関西と関東の笑いは、はっきりと違う時代でしたよね。
記者会見の様子もワイドショウでオンエアーされましたけど...記者からも「意外!」という声が出ていましてね。チエミさんはホント、チャレンジャーでした。
「江利チエミの舞台映像公開へ」
(新宿)コマか久保家に奇跡的に保存されていたものを発見…。
なんてニュースがないもんでしょうか。
舞台の魅力は見た人しか分からないもんなー(羨)。
5~6回新宿に通われて大阪、名古屋まで遠征されたのですね... 流石です。
悔しいな~ 中学一年だったんですよ。
一回しか見られなかった...(他もそうですけど。 笑)
私は「鼻のお六」のオープニングの時が生涯で一番江利チエミさんとの距離が短かったのです。
♪よ----こそ皆さん皆さんようこそ----
いやっしゃいま----せ---- って歌いながら客席を降りてきたとき...そう、私の席はチエミさんが通る通路の1席おいたところ...あっ!となりのオバチャンと握手してる...俺も…って思ったのですが恥ずかしくて手を出せなかった。。。このときも高校1年生でした。
これが生涯最大の後悔...になってしまうとは思わなかったです。(でも目はあった!...と勝手に思っています。)
>シトちゃん
遠路はるばるありがとうございます。(笑)
この勢いで書いていったら直ぐに底が着く...と思っていたのですが、どうもまだまだ「ひとりごと」は続きそうな感じであります。
ほんと...どんなに画像が悪くったって、多くの人に今観ていただきたい!! そんな素晴らしい舞台でした。
歌の1部は勿論出ずっぱり...歌い踊る。
そして特にこの春香伝はお芝居の時間が長かった。
よくぞ連日、昼夜の舞台を見事務められたと思います。
拷問を受ける、投獄される...琴を弾く、踊る、歌う...
凄い内容でしたからね。フィナーレの早替わりでの登場だって...それは大変な舞台だったと思います。
今、あの脚本・演出であの春香を演じられる人は...
いない と断言してもいい...と思います。(きっぱり)
う~でぶさんも書いておられる様に、チエミさんのこの春香は、韓国本場でもこれだけの素晴らしい舞台作りは過去にはなかったとして二度も表彰されていますものね。
春香がブランコにのって遊ぶシーンで幕あけの舞台と同じく映画でもブランコのシーンで始まりました。でも、主役の春香にちっとも魅力がなくて、いえいえ、魅力はあったのでしょうが、私が認めなかったのです。やはり私にとって春香はチエミさんです。
原作の古里に飛んで取材してまで、この役に情熱を注ぎ込んだチエミさん。
いつだったかチエミさんと話す機会があった時に、牢屋で再会した春香が「夢龍さま~、会いとうございました~」と語るシーンは、本当に苦労して苦労して、お腹のそこからしぼりだすようにセリフをいうのに工夫したと言われてました。
亡くなるその年には、国立劇場で再演が決まっていたのですね。その国立劇場でやるというのを、誇らしく、本当に喜んでいらしたチエミさんの表情が忘れられません。
ホント そう思います。