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江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

<訃報> 小野満さんが...

2008年02月21日 | 江利チエミ(続編)
>小野満氏(おの・みつる=ジャズ・ベース奏者)1月2日、肺炎で死去。78歳。告別式は近親者のみで済ませた。喪主は長男、明彦氏。

 ドラムスのジョージ川口さんとビッグ・フォーで活躍し、戦後のジャズ・ブームを支えた。またビッグ・バンドのスイング・ビーバーズを結成し、美空ひばりさんら数々の歌手の伴奏を務めた。

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このブログで「小野満さん」の話題を書き込んでいる記事をまとめてみました。
   ↓
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/s/%BE%AE%CC%EE%CB%FE

 後列、中央が小野満さん(ベース)です。
松本英彦さん(左:テナーサックス)、中村八代さん(右:ピアノ)、そして座っているのがリーダー・ジョージ川口(ドラム)さんです。



美空ひばりさんがチエミさんのバックを務めることの多かった小野さんを横取りした... 云々、ひばりVSチエミ・エピソードのなかで語り継がれている事柄のひとつです。
しかし事実は違っていた...ようです。
過去の記事から引用します。

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江利チエミさんは高倉健さんと婚約前、越路吹雪さんの旦那様と後になられる内藤法美さんにお熱だった...ということがつたえられています。

越路さんといえば、その前に「命がけで愛した男性」がいました。東宝の舞台演出家であった真木小太郎...マイク真木のお父さんです。
病気で奥様を亡くして、男手一人で息子/後のマイク真木さんを育てていた...そんな彼の元に、若い越路さんは足繁く通います。
しかし、真木氏は「君には若くてもっとすばらしい人がいる」と突き放してしまうのです。その後、越路さんは年下の作曲家内藤法美氏と結婚します。
生涯の音楽でのパートナーを得たという点でも、越路さんは幸福だったと思います。

チエミさんは「優しそうな色男」が好きだった...
    思いっきりの「面食い」だったそうです。

美空ひばりさんと「バンドごと取り合いした」と言われる小野満さんですが、これはどうも違うようです。
小野さんは結構プレーボーイだったのだとか... それでどうもチエミさんは...???
チエミさんは友好的に、ひばりさんへミュージシャンとしての小野さんを紹介した... これが実際のところであったようです。

そして、もう一人... チエミさんには大好きな人が居られたそうです。その方は... ビデオかDVDで『ロマンス娘』をお持ちの方は確認できます。
「なつかしのリスボン」を歌う場面... 2コーラス目に赤いドレスに替わったチエミさんとダンスで絡む男性ダンサー...当時の日劇ダンサーの花形だった方です。
その方のことも「お気に入り」だったそうです。
32年/映画「踊る不夜城」のグレンドーラでも共演しています。

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>ひばりさんの全盛期には「お嬢」「小野ちん」と呼び合う仲で、“初恋の人”と騒がれた。
 ひばりさんが亡くなった89年には夕刊フジの取材に応え「たとえ何があっても、世間が許さないですよ。当時としてはね…。今はそうとしかいえません。彼女は天才。そして、私の宝物でした」と語っていた。
 かつて小野さんと親交があった関係者は「約20年前から理由は分からないが昔のビッグバンドやジャズの仲間とは一切、交友を絶っていた」と言葉少なに語り、訃報にショックを受けていた。

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>小野満(おの みつる) 192913日 千葉県生まれ

幾つかのコンボに参加後ジョージ川口BIG4に参加。一躍大人気を得、一世を風靡した。
スイングビーバーズを結成し、TV、コンサートで大活躍したが80年代中期??
 に解散。引退。

チエミさんの亡くなった後、私は音楽から遠のいてしまったことがあり、小野さんについてのはっきりとした解散時期がわからないのです。
たしかにその時期...ビッグ・バンドの存続というのはたいへん困難を極めていたと思います。

        ご冥福をお祈り申し上げます。


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