チエミさんは「ゴメンナサイ」を吹き込んでヒットチャートにも入る...アメリカでしょっぱなから成功を収めるわけです。
ナンシー梅木さん(米ではミヨシ・ウメキ)、ジェームス繁田さん...多くのジャズ歌手が歌手として俳優として日本--->アメリカへと活動の拠点を移したアーティストが多くいました。
なんでチエミさんはその道を選ばなかったのだろう???
わたしはそこに間違った日本像をアメリカが持っていたこと...
それを肌で感じてしまったのが最大の要因ではなかったのか??と思います。
画像は中洲通信の江利チエミ特集号のページです。
右上...憧れのケイスターがチエミさんのステージを観に来てくれた時のショットです。
チエミさん、チャイナドレス着てますよね。
それと...ゴメンナサイという曲のイントロです。
元禄花見踊り...を一部パクっています。アメリカ人が思ってる「日本=ファーイースト」「サムライ・フジヤマ・ゲイシャガール」的な...マダム・バタフライ的とでもいったらいいのか??
(ひばりさんの長崎の蝶々さん...のイントロにも似ています。)
--->内心「一本気で妥協の出来ないひと」だったでしょうから...「やだな--- 日本ってこんなんじゃないのにな---!」っていう「反発」も持っていたんじゃないかな??などと思うのです。
当時すでに「八月十五夜の茶屋」などの映画(マーロン・ブランド/清川虹子...)や、シャーリー山口(李香蘭・山口淑子のアメリカ映画出演時の芸名)の活躍など、すでに「日本ブーム」は加熱していた。
しかし、その日本像は...
ナンシー梅木の「サヨナラ」にしても、日本人にはオイオイ...って目を覆いたくなる場面が多いです。
きっと江利チエミさんは「その違和感」を「片目つむって」妥協することが出来なかったのでは??
そんな想像をしているんです。
ナンシー梅木さんはアメリカに渡り映画、ステージで賞賛を浴びました。
しかし彼女のサヨナラでアカデミー賞を受けた頃の楽曲には... ハナコサン など、ちょっと日本人としては「どうなのこれ?」っていうものが多いです。
本場のアメリカで本場のジャズを...という思いで渡米した。しかし、セールスに繋げるためには「相当のデフォルメ」も必要だった... そんな裏事情が見え隠れするのです。
中国も日本もベトナムもタイも...アメリカから見たら「おなじ神秘の東洋」みたいなイメージを否定することなくそれを利用する...といった。
ナンシー梅木さんも1970年ころを堺に消息を消してしまった「謎の歌手」です。
これも想像ですが、アメリカのドラマでの東洋人家政婦さん役がヒットした頃(エディの素敵なパパ...子役はジョディ・フォスター)に、日本で凱旋公演をしています。しかし...あまりにアメリカナイズされてしまって...というか「日本生まれの日本人ではないアメリカで生まれ育った2世さんのようでもあり」といった国籍不明的な部分で「日本のファン」から酷評を受ける...という出来事が起こったことがありました。
彼女はこの日本公演で精神的なダメージを受けたはずです。この出来事が「引退」の引き金になった...のかも知れません。
江利チエミvsナンシー梅木... ジャズを日本に根付かせた2大功労歌手と云えると思います。
日本人にアメリカを輸入した江利チエミ。
アメリカに日本を輸出したナンシー梅木。
この2人の歌手の選んだ道も「両極端」なものでした。
ナンシー梅木さん(米ではミヨシ・ウメキ)、ジェームス繁田さん...多くのジャズ歌手が歌手として俳優として日本--->アメリカへと活動の拠点を移したアーティストが多くいました。
なんでチエミさんはその道を選ばなかったのだろう???
わたしはそこに間違った日本像をアメリカが持っていたこと...
それを肌で感じてしまったのが最大の要因ではなかったのか??と思います。
画像は中洲通信の江利チエミ特集号のページです。
右上...憧れのケイスターがチエミさんのステージを観に来てくれた時のショットです。
チエミさん、チャイナドレス着てますよね。
それと...ゴメンナサイという曲のイントロです。
元禄花見踊り...を一部パクっています。アメリカ人が思ってる「日本=ファーイースト」「サムライ・フジヤマ・ゲイシャガール」的な...マダム・バタフライ的とでもいったらいいのか??
(ひばりさんの長崎の蝶々さん...のイントロにも似ています。)
--->内心「一本気で妥協の出来ないひと」だったでしょうから...「やだな--- 日本ってこんなんじゃないのにな---!」っていう「反発」も持っていたんじゃないかな??などと思うのです。
当時すでに「八月十五夜の茶屋」などの映画(マーロン・ブランド/清川虹子...)や、シャーリー山口(李香蘭・山口淑子のアメリカ映画出演時の芸名)の活躍など、すでに「日本ブーム」は加熱していた。
しかし、その日本像は...
ナンシー梅木の「サヨナラ」にしても、日本人にはオイオイ...って目を覆いたくなる場面が多いです。
きっと江利チエミさんは「その違和感」を「片目つむって」妥協することが出来なかったのでは??
そんな想像をしているんです。
ナンシー梅木さんはアメリカに渡り映画、ステージで賞賛を浴びました。
しかし彼女のサヨナラでアカデミー賞を受けた頃の楽曲には... ハナコサン など、ちょっと日本人としては「どうなのこれ?」っていうものが多いです。
本場のアメリカで本場のジャズを...という思いで渡米した。しかし、セールスに繋げるためには「相当のデフォルメ」も必要だった... そんな裏事情が見え隠れするのです。
中国も日本もベトナムもタイも...アメリカから見たら「おなじ神秘の東洋」みたいなイメージを否定することなくそれを利用する...といった。
ナンシー梅木さんも1970年ころを堺に消息を消してしまった「謎の歌手」です。
これも想像ですが、アメリカのドラマでの東洋人家政婦さん役がヒットした頃(エディの素敵なパパ...子役はジョディ・フォスター)に、日本で凱旋公演をしています。しかし...あまりにアメリカナイズされてしまって...というか「日本生まれの日本人ではないアメリカで生まれ育った2世さんのようでもあり」といった国籍不明的な部分で「日本のファン」から酷評を受ける...という出来事が起こったことがありました。
彼女はこの日本公演で精神的なダメージを受けたはずです。この出来事が「引退」の引き金になった...のかも知れません。
江利チエミvsナンシー梅木... ジャズを日本に根付かせた2大功労歌手と云えると思います。
日本人にアメリカを輸入した江利チエミ。
アメリカに日本を輸出したナンシー梅木。
この2人の歌手の選んだ道も「両極端」なものでした。
インデックス(非PC化・アナログ)で「ナンシー梅木」で検索された週刊誌数冊の記載からが根拠...でした。
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/b2a3156cbc508c79369613f45ab7bbbc
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/c77bd0850e66a07ad3a21c5341c1f166
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/c21baa77b9ce221cd7b2fe0687325334
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/008e32383318aa4ee1eea9eb8aa218c7
私が10~11歳頃?? =1970~1年...
資料ひっくりかえしてみます!
↓
※ナンシーさん、ジェームズさん、そしていづみさんのように評価されショウビジネスの世界では通用しなかったかもしれない...という意味でした。
ゆえに...
ナンシーさん、ジェームズさん、そしていづみさんのようには「アメリカで成功できなかったのでは??」という部分はもちろんあったと思います!!
...という文章に訂正します。
コクンさんのおっしゃる通り、ナンシーさん、ジェームズさん、そしていづみさんのように「アメリカでは??」という部分はもちろんあったと思います!!
私がチエミさんが好きな要因に「その日本的な部分」というのが大きく占めています。
私は彼女の西洋浪花節的なところが大好きなのです。(笑)
どうぞまたこれからもコメントお願いします!!
あるでしょうが、やはり、各々、さのさ、南国土佐で代表されるように、彼女等はあくまで日本の発声、喉,感性で、アメリカで受け入れられるには限界があったようです。
反対に、アメリカ風に溶け込みすぎたナンシー梅木や、もともと日系で日本語より英語の
得意なジェームス繁田は、日本での活躍、大衆層の受けに限界が出て渡米したとの節もあります。 やはり日本では、根底にさのさや
南国土佐を持っている歌手や、越路吹雪のようにシャンソンを越路節、シャンソン演歌としてあくまで日本人の感性で訴える人でないと最後までのこれないようです。