江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

39)日本には居ないタイプ

2005年06月12日 | 江利チエミ(初期記事・本編)
ペギー葉山さんがチエミさんを忍ぶテレビ番組で...
>チーちゃんは芸人一家の娘さんだったから客席から「ピー!ピー!」なんて囃されたり、またヤジ飛ばされてもそれを「ぐっとひきつけて受け止めて」...物怖じしないのね。
私なんか勤め人の娘だからピ--!ピ---!なんて指笛吹かれちゃうとドキッとしちゃって... と語っていたのを聞いた事があります。

先に第2章「江利チエミの誕生まで」でも書き込みしましたが、ナンシー梅木さんをして「日本にはああいったタイプの歌手は1人しか居ない」と言わしめた江利チエミ。
30周年リサイタルの楽屋でのインタビューでも...
10歳やそこらの時にキャンプで歌いだして、その時進駐軍の兵隊さんからピーピー!キャーキャーって声援と拍手を貰ったときに、もう体中に ビリビリビリビリ...って感じちゃったのね。だからそのあといろんなことがあったけど、拍手を頂くとあの時の ビリビリビリって感じたことを思い出して、ガンバレーー俺達がついてんぞ---ってお客様が応援してくれてるって...そう考えるとどんなことでも乗り越えられた... 確かこんな内容のコメントをされたと思います。

そんなチエミさんが、よしこれで行こう!私のスタイルはコレだ!!...って確信をしたのでは?というくだりの記事があります。昭和28年8月キング誌「アメリカの舞台を踏んで/江利チエミ」より抜粋して紹介します。最初の渡米後の直筆原稿です。

>日本のお客とあちらのお客
最近では日本のジャズファンは、あちらのお客さんとあまり変らなくなって来ましたが、それでもむこうの人たちは音楽が生活の中に溶け込んでいるので、日本はどちらかというと理屈で聞く傾向が多いのでしょうか、物凄く拍手をしたり口笛を吹いたり、大変な騒ぎ方は似ていますが、向こうはもっと肉感的に身体で聞いている感じが強いのです。例えば私がパレディアムホールで歌った時等、こちらが胸をしめつける様な格好で歌うと、聴衆の人達も胸をしめつける様にして聞いてくれると言う様に、何か、こちらの気持ちと一つに通じ溶け合って、共に喜ぶ様な気持ちなのです。
 フランキー・レインの歌を聞いた時、お客さんが歌の途中で感激してう--んと唸ったところが、歌いながらお客さんの顔を覗き込み「どこが痛いの」と歌の間にしゃれた応酬をして、又すぐ歌い出すのです。こんなふうですから歌う人と聴く人との距離がなく、聞かせてやる等という堅さが感じられないのです。日本でそんな事を例えば私がやったとしたら生意気だって言われるだけでしょう。それだけ歌う方にもお客様にもまだまだ通じない生硬さ(せいこうさ)があります。

昭和28年...16歳の少女の手記です。
少女はこの思いを舞台の上から精進によってつくりだした「新しいスタイル」でお客に歌をぶつけて行く、結果として聴衆もこれに応える... 
江利チエミが紹介したのは「外国の歌」だけではない... 聴衆に「歌の楽しい聴き方」も身をもって紹介してくれたのだ...と思います。

チエミさんは当事からコンサートの歌の合間のMCも自分でこなしていたと聞きます。
これはまさに「日本には居ない(居なかった)タイプの歌手」であります。江利チエミさんが戦後のミュージックシーンに及ぼした影響は膨大なものです。
聞かせてやる歌手--->お客様に喜んでもらうためにグイグイ自分で会場を牽引していく歌手。
まさに江利チエミの前に江利チエミなし...と云えます。



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