過去の記事を再掲載します。
ハスキーボイス...この形容が「賞賛」となったのは戦後のことでしょう。チエミさんが最初に自身のレバートリーにした曲に「アゲイン」があります。日本でもファンの多いドリス・ディ盤がチエミさんのお手本になったと...
クール&ハスキー...このドリスディの活躍も「ハスキーボイス」は「素晴らしい」という認識を日本人に与えてくれた要因のひとつだったと思います。
ジョー・スタッフォード...このひとの声も魅力的!(チエミさんのテネシーワルツはよく「パティペイジの」と言われてきましたが、近年わたしもいろいろ聞き比べましたが、オリジナルのP・W・キング(男性/カントリー&ウエスタン)とジョースタッフォード盤が手本!...と確信した次第。)
チエミさんは、おそらく「あっ!アタシみたいなガラガラ声でもジャズはいけるんだ!」と確信したのだと思うのです。
それまでの歌謡曲は、淡谷さん・藤山さんといった「音楽学校系」、ディックさん・灰田さんらの「戦前ジャズ系」、勝太郎さん・市丸さんといった「日本調」、小梅さんらの「民謡系」...それに田谷さん・藤原さんの「浅草オペラ系」、そして「浪曲/浪花節」...これらのグループに大別されるものと。
それらが融合して新しい「流行歌」が生まれてきた。
しかしその範疇には「ハスキーボイス」(浪花節は除いて)の活躍できる「ジャンル」はなかったのではないでしょうか?
シャウト...という歌唱法は「レビュー」の世界で陽の目をみて、それを認知させたのは「笠置シズ子(シヅ子)さん」ではないでしょうか?
しかし笠置さんのベースもクラッシック。美声...ではないまでもハスキーではありません。
歌手=どんなカテゴリーの流行歌手も「美声」というのが絶対条件だった...と思います。浪速節、浪曲、長唄...といった世界には「枯れた声」という「美意識」があったものが、明治以降の西洋音楽至上主義では或る種「ダメ」だしがされてしまったとも言えるかと。
歌好きの昭和12年生まれの少女...
初代3人娘はみなこの年の生まれです。
ひばりさん--->浪曲系・演歌師系・日本調...この組み合わせが下地になっているように推察します。
チエミさん--->さきに記述した通り。洋楽から浪花節まで...あらゆる音楽の素養を吸収していた。
いづみさん--->山の手のお嬢様。ゆえに洋楽・クラッシックの情操教育は受けていたであろうが、決してひばり・チエミのような「俗っぽいもの」とは無縁の少女期を過ごしたと想像されます。
しかし、この3人は三様で、個性的です。
戦後でなければ受け入れられなかっただろうということは間違いない...と。
キンキンしたいづみさんの声=洋楽に向く。
ひばりさんまで低い大人声なら--->いっそ大人の歌を仇っぽく歌ってしまえばいい。
チエミさん...いづみさんのように高音ではない。かといってひばりさんほどのアルトではない。そして確かにひばりさんより数段ハスキー。
ハスキーはむかし ガラガラ声 という形容しかなかった。
ひばりさんもチエミさんも学校の音楽の時間は 苦手・嫌だった と発言したいましたから...かなりのコンプレックスであったと...
あの「美空ひばり」でさえ、小学校の音楽の時間のエピソードを語るときは顔をしかめていましたから。
チエミさんは中音域のひとですが、同時のSPでは低音が強調されてきこえる...ということ。
なにより 悪声=ガラガラ声...きれいな声がでない=低い声...という固定概念が強かったように思われます。それは音源にしっかり残っています。
デビュー盤 http://www.youtube.com/watch?v=Nqf121MyoSc
昭和27年から昭和28年渡米し、米キャピタルレコードで録音しヒットチャートにも名を連ねた「ゴメンナサイ」発売、西海岸・ハワイでの公演...このときに厳しいレッスンを受けています。
この渡米以前 と 渡米後 ではむしろ 渡米後のほうが若々しい声です。
帰朝記念盤(昭和28年)思い出のワルツ http://www.youtube.com/watch?v=_kiDC38I5Yo
デビュー当時のエピソード。これはTBS/久米宏のぴったしカンカンにゲストで出演した時の記憶です。
>地方に公演に行ったら...な---んだ江利チエミって女なんだ!!って云われちゃったわ(笑)。
子供のころから浪曲のモノマネなんかしていたから ハハハ・・・ 男だと思われてたのね。
必要以上に 高い声はでない!ガラガラ声...と思っていた節が。
ゆえにジャズのお手本となるジョー・スタッフォード/ドリス・ディに出会ったとき...
私の行く道は「これだ!」って思ったはずと。
これが少女をして「ジャズを歌うんだ」という気持ちを固めた要因ではなかったのではないでしょうか?
帰国後のチエミさんは思いっきりのスキルアップ!
それまで使っていなかった高音を出すことにも慣れていきます。
デビュー当時のほうが「オバサン声」で、この帰国後から33年婚約のころまでのチエミさんの声は「キュート」で「可愛い」印象が強いです。
このころチエミさんを診断した声紋科の権威の記事が残っています。
昭和29年サンデー毎日4/25号です。
解説しているのは杉村公美という医学博士です。
長文なので要約します。
>チエミさんの声変わりは非常に早い時期に起きた。ゆえに 子供の声 と 大人の声 ではキィがあわない。また彼女の先生は「ラジオとレコード」...(当時の機材・録音では)高音部がカットされ低音部が強調される。--->ゆえにそれが「ホンモノ」と思った少女は低音に重きをおいてしまった。
低音にノドを慣らしてしまった。
ちょうど音域が広がって(声変わりではないが)ノドが成人化していくにつれ低音がでにくく高音がだしやすくなって来た...と当時の彼女を診断してこう語っています。また...
>声帯のハバ、長さは歌手としては普通。年齢からみればいくらかいいほうという程度だ。
だが共鳴器官、つまり咽頭腔、口腔、鼻咽腔などはおとな以上で、また胸部の発達が素晴らしく、肺の呼吸量も大きく声のボリュームが立派なわけだ。発声の時の呼吸法がしっかりしている。
彼女のノドは普通だが、共鳴器官の使い方がうまく、音のキャッチの仕方にカンがいいのだ。
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昭和33年ころまでが「ボーカリストとしての第一期黄金期」だと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=beaFn2dXjqA
では33年以降何があったか...
当初は引退記念として企画され、それが流産...仕事に本格的に復帰することになりその企画意図は表にはでなかった...チエミの民謡 という世界への挑戦。
さのさ...のヒットです。
「日本式発音・発声」をジャズ・ラテンのリズムでダイナミックに歌う...という新たな挑戦から歌唱方法に変化が表れます。 http://www.youtube.com/watch?v=PhhQbieieaA
こもりぎみのハスキーボイスではニッポンゴが聞き取りにくい。こぶしもうまく利かせる...そのためにここからだんだんと声が野太くなっていきます。 http://www.youtube.com/watch?v=ta8rQ9BnCfE
本格的な復帰の35年ころまでは 邦楽/洋楽のスィッチ切り替えが巧みです。
しかし同時期、彼女は「ミュージカル」へも挑戦します。このときのボイストレーナーがどうも...
間違った発声を強要してしまったのでは...と思われます。
大味になり、ある意味「スイッチの切り替えがなくなる」ように私は感じます。
しかし昭和40年=28歳... まさに絶頂期です。 http://www.youtube.com/watch?v=n7nupXgipIY
41年頃から声のカスレが微妙に表れます。 しかしこの時期が名実共に「江利チエミの最盛期」でもあった... 舞台/ドラマ/コンサートと殺人的スケジュールに加え、どうも夫婦のなかにも暗雲が... 鴛鴦夫婦といわれていた2人の「不仲説」がこの時期からやけに週刊誌に書かれるようになります。
あの事件を起こした義姉がこの時期からちょうどチエミ夫妻宅にはいりこんでしまっていたのです。 http://www.youtube.com/watch?v=Sb8HVEImqac
http://www.youtube.com/watch?v=Aw4E_4B2x6M
http://www.youtube.com/view_play_list?p=16D1DF31F0DDFAB7&playnext=1&playnext_from=PL&v=8NktmizYsnA
様々なことが重なったのでしょう...42年後半から声がでなくなりポリープの手術を受けます。
この手術以降、47年ころまでは、いくぶん声質は細くなり低音が出にくくなるのですが、むしろ高音やファルセットを利かせ、全力で彼女は歌い続けました。素晴らしい録音も多く残しています。
旅立つ朝...など、それまではあまり聴かせなかったファルセットを屈指して録音に望んでいます。 http://www.youtube.com/watch?v=8T6A7DkUENs
ここでまた火災・長兄の病死・離婚・義姉の横領発覚...これでもかこれでもかといった事件が襲います。
そして喉も疲弊し、47年の中盤から、高音が出にくくなります。
それでも彼女は懸命に歌い続けます。
邦楽的な喉を絞った発声で、それでも全力で歌い続けました。
それまで以上に「コブシ」が目立ちだすのもこのころです。それは邦楽的な発声を屈指しなくてはならない事情が裏にあったものと推察します。
また最後のヒット「酒場にて」も49年にリリースしました。 http://www.youtube.com/watch?v=ssL05yaQktA
http://www.youtube.com/watch?v=eMFANz2XoCQ
たしかに27年デビュー~42年までの15年 43年から亡くなる57年までの15年...天国と地獄と言われるかもしれません。確かに後半生は悲しすぎます。
しかし 江利チエミは全力で歌い続け、舞台を勤めて...
そして駆け抜けていってしまいました。
新宿コマをホームグランドにした「芝居&ステージ」、雪村いづみとのジョイントコンサート「ミュージカルタイトルマッチ」、そして「全国縦断リサイタル」...
確かに喉は痛めていました。しかし それをものともせず 全力で素晴らしいステージを私たちファンに見せてくれていました。声の衰えを補う、補ってあまりある魅力が江利チエミの実演にはあったのです。
決して惨めな淋しい晩年ではなかったのです。
>風車のようにキリキリと...
まわり続けた江利チエミさんの人生でした。 http://www.youtube.com/watch?v=RIgcgifZ5t4
http://www.youtube.com/watch?v=ASO2v4a4rsY
江利チエミさんを語る上にこの「喉のはなし」はタブーでもあります。
しかし、これは紛れもない事実。「あまりチエミさんを知らない」人に、わかってもらわなくてはいけない部分...だと思い、再び書き込んでみました。
永年のファンのみなさんには私のブログは「なにをいまさら」「わざわざ掘り起こさなくても」と思われ、不快に感じられる記事が登場するということも十二分に承知はしています。
どうかご容赦ください。
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NICE TO MEET YOU は「最後のLP」です。
チエミさんは持てるすべてをかけて録音をされたものだ...と思います。
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