つばさ

平和な日々が楽しい

「私たちだって鋳型に入ってはござんせぬ」。古代人の啖呵(たんか)が聞こえる。

2013年08月10日 | Weblog
春秋
8/10付

 「菊の井のお力(りき)は鋳型に入った女でござんせぬ」。樋口一葉の「にごりえ」を引くまでもなく、「鋳型」には画一だの平凡だのといったイメージがつきまとう。ところが琵琶湖の西、滋賀県高島市で出土した銅剣の鋳型はこれまでの常識をひっくり返すものなのだという。

▼日本の銅剣は中国の東北地方をルーツに朝鮮半島を通って伝わったと考えられてきた。見つかった鋳型はそうした銅剣のどれとも違っている。起源は中国大陸をもう少し奥に入った北京の北や内モンゴル地方。紀元前8世紀から同3世紀にかけての春秋戦国時代につくられたオルドス式銅剣と、みかけも技法もそっくりだ。

▼日本だけでなく朝鮮半島にも出土例がない。ならば中国から海を渡って直接伝わったのか。鋳型から銅剣をつくっても刃の厚みは3ミリで武器としての実用に堪えない。ならば何に使おうとしたのか。そもそも鋳型には鋳造された跡がなく剣自体も見つからない。ならばこの形の銅剣は日本で1本でも実際につくられたのか。

▼謎だらけである。オルドス式の特徴が柄の先についた2つの輪なので「双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣」と呼ぶそうだが、鋳型をみると柄には日本の青銅器によくある模様が刻まれてもいる。どこかで手に入れた伝統のデザインに日本風味をつけたということだろう。「私たちだって鋳型に入ってはござんせぬ」。古代人の啖呵(たんか)が聞こえる。