つばさ

平和な日々が楽しい

少年ジャンプで連載中、人気が下位に沈んでも、編集長が子どもに読ませたいと判断し連載は続いた。

2013年08月25日 | Weblog
中日春秋

2013年8月25日


 昨年亡くなった中沢啓治さんには「はだしのゲン」の続編を描く構想があった。目の病気で実現できなかったが、広島平和記念資料館の展示室で下書き原稿を見ることができる(九月一日まで)
▼敗戦から十四年後、ゲンは絵の修業のために上京する。理髪店で被爆のことを話すと、店主から「原爆を受けた者に近づくと放射能がうつる」と罵倒される。東京大空襲で親を失った子どもに同情し、財布を盗まれる場面もある
▼絵が描かれているのは一ページだけ。鉛筆でこま割りやせりふを指定する粗いスケッチだが、波乱に富む新生活を予感させる。続編では被爆者差別を描こうとしたそうだ
▼累計部数一千万部超。二十カ国で翻訳されているこの漫画が、松江市の小中学校の図書館で自由に読めなくなった。旧日本軍の暴虐さを描いた一部の描写が過激とされた
▼校長四十九人のうち、制限が必要と答えたのは五人。結果的に政治的圧力に屈する形になった市教委の判断は理解に苦しむ。週刊少年ジャンプで連載中、人気が下位に沈んでも、編集長が子どもに読ませたいと判断し連載は続いた。どちらが教育的だろうか
▼麻生太郎外相(当時)の肝いりで核拡散防止条約の国際会議に政府代表団が英語版「はだしのゲン」を配布したことも。下村博文文部科学相は閲覧制限を認めた。大の漫画好きの麻生さんの考えが聞きたい。

何かをぼんやり眺めていたいと思うことは誰にもあろう。

2013年08月25日 | Weblog
春秋
8/25付

 「人まじわりすると血がにじみますから、未明の水を眺めてしばらくすごしたいと思っています」。釣り好きの先輩作家、井伏鱒二にあてた開高健の手紙にそうあった。このところ文章がつづれずいらいらしているので山上湖に釣りへ行く、と伝えたあとの一節である。

▼書かれたのは1969年(昭和44年)。30代の終わりにさしかかった旬の作家の心のうちをのぞいたような気になるのだが、たとえ血がにじむほどの傷を負っていなくても、とかくに人の世は住みにくい。何かをぼんやり眺めていたいと思うことは誰にもあろう。8月もあと一週間、夏の終わりにそんな時を持つのもいい。

▼開高の手紙をみて思い出したのが八木重吉である。昭和初年に29歳で早世した詩人の作品は短いものが多い。「草に すわる」は「わたしのまちがいだった/わたしの まちがいだった/こうして 草にすわれば それがわかる」で全文。「雲」は「くものある日/くもは かなしい/くものない日/そらは さびしい」。

▼同じ題の詩を幾つも書き、「いちばんいい/わたしのかんがえと/あの雲と/おんなじくらいすきだ」という「雲」もある。高村光太郎は「このきよい、心のしたたりのような詩はいかなる世代の中にあっても死なない」と重吉の作品を評した。草に座ってぼんやり雲を眺める。暑くてもなんでも、雲はもう秋の顔である。