旧刊時空漂泊

さまざまな本・出版物がランダムに現れます。

週刊朝日 緊急増刊 ケネディ大統領暗殺

2011-11-29 13:08:21 | 日記
第68巻 第53号 通巻第2326号
昭和38年12月10日 発行

           

国際電話 江藤 淳(在米)・開高 健  アメリカ その日の表情 (12~17頁)

                   

江藤   またダラスの市警察が非常に腐敗しているという批判がある。きょう出たプリンストン大学の学生新聞
     「プリンストニアン・タイムス」には前のユーゴ駐在大使だったジョージ・ケナン教授の論評を紹介している
     が、その中で彼は激しい口調でダラス警察のやり口を攻撃しています。  (13頁)

開高   しかしこの事件について、背後関係、物的証拠、現場検証から一切がっさいを含めた徹底的な究明を、
     公開の席上で発表することですね。プロヒューモ事件を見てもそうだが、議会で報告されたみたいな、
     ああいうふうな形で発表するよりほかに、このスキャンダルを救う道はないんじゃないですか。おちたア
     メリカン・デモクラシーの威信の回復のためにも・・・・・。とにもかくにもイギリスはドロナワ式にもせよ、そ
     れをして、ある程度カバーできたと思います。  (15頁)

(プロヒューモ事件・・・イギリス陸相プロヒューモのソ連スパイ疑惑事件、1963年にスキャンダル化。) 
     
          

若い11 名古屋テレビ 第四十八号

2011-11-27 14:29:56 | 日記
昭和41年4月1日 発行
編集発行人 大井正男
発行所 名古屋放送株式会社
印刷 笹徳印刷工業株式会社
縦 244mm  横 213mm

               

               「氷点」の新珠三千代さんと内藤洋子さん

名古屋テレビ発行の月刊誌、全36頁。
「テレビの笑い」というコラムがあります。作者は中原弓彦、今月は「4 合作システムのすすめ」。
「九ちゃん!」の合作システムについて文章です。
この中で「井原さんのような人がまとめ役をやっているから・・・・」というところがありますが、井原さんが誰なのか
わからない人が現在では多いのではないでしょうか。(小林信彦さんの本の愛読者は別ですが)
坂本九ちゃんのイラストの作者は和田誠さん。

アジア史論考 中巻

2011-11-24 12:04:43 | 日記
宮崎市定 著
昭和51年3月31日 第一刷発行
発行所 朝日新聞社

          

宮崎市定氏の中国古代史・中世史に関する論文集。
はしがきに曰く、

        「 私のいう古代史とは、人類が狭小な血縁団体から出発して、古代帝国と名付けられる
         大統一に達するまでの、古代史的発展の時代、古代市民生活の社会をさす。これを西洋
         で言えばギリシャ、ローマの都市国家より出発して、ローマがイタリア半島を征服した領
         土国家の時代を経て、地中海世界を統一したローマ帝国に至る統一気運の旺盛に現れ
         た時代である。中国の古代史はこれと全く相似たる経過を辿る。上代より春秋時代に至
         るまでは、都市国家の時代であり、戦国七雄の領土国家対立の時代を経て、秦漢の古
         代帝国の出現に至るまでの社会には、市民権を持つ士と、持たざる庶民との対立があっ
         たところまで、ローマの歴史と相通ずる点がある。そして著者の最大関心事は中国の  
         都市国家の問題にあり、これをつきつめて行くと、従来の通説に多大の不安と深甚な疑
         問が生じ、敢て既成大家の成説に異見を挟む結果と相なった。」    (1頁)

その異見中、最も画期的なものが「中国上代の都市国家とその墓地 ――商邑は何処にあったか―― 」

        「 ところが私は実は、現今普通に殷虚と言われている中国河南省の小屯附近が、果たして
        本当に殷虚であるかどうかに疑問を抱いているのである。」    (31頁)

 宮崎氏によれば、殷虚――虚は亡びた国の都城の廃址――は史記の記述からすると小屯の東南、黄河に
近い平坦部の中央に地下深く埋没しているという。
 小屯において、長年にわたって考古学調査が行なわれたが、城郭の存在を認めることはできませんでした。
それゆえ小屯は都市遺跡ではなく、都市に附属した墓地であるという。
 さらに殷の都の跡へ衛という都市国家が建設されたため、小屯は衛の墓地でもあると宮崎氏は論じています。
実に論理的で、スリリングな論文です。

 中国考古学の専門家は宮崎説をどのように考えているでしょうか。
 「中国古代を掘る 城郭都市の発展」(杉本憲司著・ 中公新書)の中で小屯及び殷虚についての宮崎氏の論
 説は「殷虚非殷都説」として紹介されています。(70~72頁) そして次のような記述があります。

     「一つの解釈として、偃師商城に対して二里頭遺跡は、墓と建築物が一体となったものを含む宗教的色
     彩の濃い、たとえば宗廟のある地区と考えることも可能になってくる。 ・・・(中略)・・・
     偃師における城と二里頭遺跡の関係についての仮説をもとにして、宮崎氏の殷虚非殷都説をみると、
     今日の殷虚とされる地は宗廟と墓地を中心とした宗教的な地域で、政治を行う王城は今日の殷虚よりや
     やはなれた地域にあったとする考え方もできる。」  (74頁)

ところで、「殷虚非殷都説」よりも「小屯非殷虚説」の方がいいと思うのですが、いかがでしょうか。

  

わが心のスペイン シンポジウム<スペイン戦争+一九三〇年代> 角川文庫

2011-11-17 13:14:56 | 日記
著作者 五木寛之
発行者 角川源義
昭和48年10月30日 初版発行
発行所 株式会社 角川書店

シンポジウム<一九三〇年代>   久野 収   斎藤 孝   五木寛之

            

        【一九六九年、それはスペイン戦争が幕を閉じて、ちょうど三十年たった現在である。
        その三十年前に世界に何が起こり、何が終ったかに、私は必要以上の興味を抱き
        続けてきた。歴史と呼ぶには新し過ぎ、現在と呼ぶには余りにも離れすぎている時
        代、そこにスペイン戦争がある。   ・・・(中略)・・・
        この三十年間私たちは無数の戦争を見てきた。だが、その戦争のすべて、動乱の
        すべては、どこかスペイン戦争の影をひいているような気がする。わたしがベトナム 
        とチェコ、沖縄と三十八度線、中近東とアフリカが問題にされている現在、あくまで
        スペイン戦争にこだわるのは、いささか現実逃避的な姿勢と考えられなくもない。
             ・・・(中略)・・・
        私の考えでは、スペイン戦争は、まだ終ってはいない。戦火は一九三九年の春、フ
        ランコ軍のマドリッド占拠で消えたが、それは形の上だけの終戦である。】
                                                 (9~10頁)
       
        【 その年のはじめ、私は奇妙な計画を立てていた。その事については、前にどこか
        の雑誌に書いたことがある。つまり、私は意識的に時代とずれることを考えたのだっ
        た。私は当時、金沢に住んでいた。そして北陸の地方都市に引っこんで暮すからには、 
        それなりの生き方があるように思われた。私の周囲を日々の事件が、目まぐるしく通
        過して行く。今日語られたことが、明日は忘れ去られ、色褪せてしまう。テレビが、新
        聞が、雑誌がそうだった。私はそんな時の動きに逆らって生きたいと考えた。  
         そこで私は、毎月新刊の雑誌を読むように古い三十年前の雑誌を読もうと決め、
        『改造』と『中央公論』と『文学評論』のバックナンバーを手もとに集めた。それを毎月
        拾い読みするのは、楽しい仕事だった。その年、私の手もとにあったのは、一九三六
        年の雑誌だった。作家では広津和郎、佐藤春夫、堀辰雄、高見順、丹羽文雄、村山
        知義、などという人々が作品を発表している。私はその雑誌で『風立ちぬ』や『猫と庄
        造と二人の女』を読み、近藤日出造や、清水昆や、横山隆一その他の漫画家の漫画
        を見た。その中の小さなコラムに、例えばこういう調子のものがあり、なぜか私の記憶
        に残った。
         「社員採用試験の絵にそえて、労務係長曰く<人民戦線とは何か知ってるものは手
        をあげて、よろしい。君ら全部お断わりだ>」
         それらの古雑誌の中で、私をひきつけたのは、『改造』の秋季特大号だった。『特集・
        スペインの内乱』という文字が表紙に刷りこんである号だ。】
 
 1939年から72年過ぎた現在、スペイン戦争は歴史になりました。
 経済問題でスペインが話題になっていますが、スペイン戦争以来ではないでしょうか。

栄光冨士 その酒と家

2011-11-09 13:00:13 | 日記
編著  秋野庸太郎
1977年9月10日 発行
発行者 冨士酒造株式会社
     代表取締役 加藤冨三郎
     山形県鶴岡市大山三丁目32-48
印刷所 鶴岡印刷株式会社
     山形県鶴岡市山王町14-24
装幀・カット  加藤寛二
          株式会社翼建築設計事務所長
      
 山形県鶴岡市の地酒栄光冨士の酒造元加藤冨三郎家の創業二百年を
記念して出版された本。

        
<酒造り五十年 加藤冨三郎氏に聞く>より
       「加藤  ・・(中略)・・ 大山の左官屋だとかいう職人が多かったですね、大工は
         いないけど。そういう連中が冬に酒屋で働いて、酒造りを覚え、出稼ぎに行った。
         それが大山杜氏というもので、・・(後略)・・
        秋野  特に大山の左官職人が多かった理由は?
        加藤  昔の酒蔵の壁はみな二回、三回、四回とぬったわけですね、今みたい板
         はって作るのとちがって、完全にかわいたら又三回、四回と塗るわけです。
         うちの辺の土蔵などは壁の厚さが一尺以上ですものね。この間二年か三年かかっ
         てやったんじゃないですか。これは、酒は暑さ寒さに敏感ですから、暑い時はあまり  
         暑くならないように、寒い時はあまり寒くならないようにするためです。そういう左官
         屋の仕事というものは非常に多いんですね、だけど冬だけはどうも左官の仕事はで
         きなかったわけです。」            63~64頁
          
冬に左官の仕事が出来なかったのは雪のせいでしょうか。
加藤寛二氏は「酒造りと家」という文章を本書に寄稿しています。 (101~122頁)