1998年5月25日初版発行
著者 丸谷才一 山崎正和
発行所 中央公論社
装幀 和田誠
日本史について八つの対談が収められています。
恋と密教の古代
院政期の乱倫とサロン文化
異形の王とトリックスター
足利時代は日本のルネッサンス
演劇的時代としての戦国・安土桃山
時計と幽霊にみる江戸の日本人
遊女と留学女性が支えた開国ニッポン
近代日本 技術と美に憑かれた人びと
面白い指摘が次々と出て来ます。
「恋と密教の古代」では、万葉集の額田王と大海人皇子の恋歌のやりとりを夜の宴席で、二人がふざけて、即興で
披露したざれ歌であるという大岡信の『私の万葉集』のなかの解釈が紹介されています。斎藤茂吉が『万葉秀歌』で
おこなったリアリズム解釈とは真っ向から対立するものです。
山崎 ・・・・ むしろ私は、大正から昭和十年代までの間に、日本の文学が共有した私小説的世界
というか、短歌を歌っても志を述べつつ生活の苦しみも訴えるという、流行の空気のな
かで斎藤茂吉は語っていると思うんですね。
じつをいうと、古代というのはそんなにくそリアリズムの世界ではなく、むしろきわめて
演劇的・祭式的世界だと語っている人は、洋の東西にいるんです。最も有名なのは
ジェイン・ハリソンで、ギリシア藝術は現実の再現ではなく演劇的な祭祀の再現として
生まれたと言っている。つまり詩を考えたとき、一人の人間が実感をもって歌いあげる
のが原型ではなくて、むしろ集団の遊びの中から生まれてくるという考え方ですね。
じつは日本でも土居光知という東北大学の英文学の先生が、『文学序説』のなかで
「『古事記』は直接の歴史記述ではない。歴史についてのお芝居を記述したものであ
る」と言っています。論理はハリソンと同じなんですよ。古代というものを解く鍵として
そういう考え方は、かなり古くからあったと思います。
丸谷 土居光知の『文学序説』は、ギルバート・マリ、ハリソン女史なんかのケンブリッジ・
リチュアリストの影響が濃厚なんじゃないでしょうか。
(18~19頁)
「院政紀の乱倫とサロン文化」
山崎 ・・・・・しかし、院政というものは歴史を複雑なことにしてしまいましたよね。
丸谷 そうなんですよ。院政は、戦争が終わるまでとても手をつけることができなかった主
題ですね。戦後も、なんとなく億劫でやれなかった。というのは一つには、日本独自の
現象だと学者は熱心にならないんです。これは不思議なことで、ぼくは反対だと思う。
むしろ日本独自であれば意欲が湧くはずなのに、日本の歴史学者たちは西洋の歴史
とのアナロジーが成立するときに熱心なんだ。まあ、一種の見立てでいくわけですね。
日本独自のものの典型が院政なんですが、それに対しては飛びついていく身構えが
できないという変な習性がある。 (72~73頁)
なるほど、日本史学界で荘園研究が膨大なのはヨーロッパにも似たものがあると考えたせいなのですね。
「演劇的時代としての戦国・安土桃山」
歌舞伎とイエズス会劇
丸谷 ・・・・・・・・・
いったいに歌舞伎は、能や狂言とは非常に感じが違うんです。能や狂言がスタティック
なのに対して、すこぶる動的である。能や狂言が古典主義なのに対してこちらはバロック。
能や狂言が渋好みで禁欲的で、地味に地味に――例外はありますけど――ゆくのに対し
て、歌舞伎はにぎやかで派手で、華美で、エロチックで、まるでレビューみたいである。
能の筋書きがわりに綾が少ないのに対して、歌舞伎は綾に富んでいて趣向が多い、つま
り変転に富む感じですね。
これだけの違いが、女猿楽とか、風流踊りとか、女曲舞とか、念仏踊りとか、そういうも
のからだけで出てくるものだろうか。どうも、何かほかにありそうだと、ぼくは思っていました。
ところが、、『新カトリック大事典』なるものを見ていましたら、イエズス会劇という一項目が
あって、イエズス会は音楽と演劇を非常に重視して、十六世紀、十七世紀ヨーロッパにおい
て教育上の方便としておおいに用いた。しかも日本でも、イエズス会劇はかなり上演された
ことを知ったんです。
山崎 それは丸谷さんの発見ですね。事典に書いてあるにしても、それを歌舞伎と結びつける
のは創見ですよ。 (192~193頁)
歌舞伎とイエズス会劇を組み合わせるなんて、すごい離れ技です。今の細分化された大学の人文科学からは
出てこない発想でしょうね。
阿国歌舞伎草紙 装幀 和田誠
著者 丸谷才一 山崎正和
発行所 中央公論社
装幀 和田誠
日本史について八つの対談が収められています。
恋と密教の古代
院政期の乱倫とサロン文化
異形の王とトリックスター
足利時代は日本のルネッサンス
演劇的時代としての戦国・安土桃山
時計と幽霊にみる江戸の日本人
遊女と留学女性が支えた開国ニッポン
近代日本 技術と美に憑かれた人びと
面白い指摘が次々と出て来ます。
「恋と密教の古代」では、万葉集の額田王と大海人皇子の恋歌のやりとりを夜の宴席で、二人がふざけて、即興で
披露したざれ歌であるという大岡信の『私の万葉集』のなかの解釈が紹介されています。斎藤茂吉が『万葉秀歌』で
おこなったリアリズム解釈とは真っ向から対立するものです。
山崎 ・・・・ むしろ私は、大正から昭和十年代までの間に、日本の文学が共有した私小説的世界
というか、短歌を歌っても志を述べつつ生活の苦しみも訴えるという、流行の空気のな
かで斎藤茂吉は語っていると思うんですね。
じつをいうと、古代というのはそんなにくそリアリズムの世界ではなく、むしろきわめて
演劇的・祭式的世界だと語っている人は、洋の東西にいるんです。最も有名なのは
ジェイン・ハリソンで、ギリシア藝術は現実の再現ではなく演劇的な祭祀の再現として
生まれたと言っている。つまり詩を考えたとき、一人の人間が実感をもって歌いあげる
のが原型ではなくて、むしろ集団の遊びの中から生まれてくるという考え方ですね。
じつは日本でも土居光知という東北大学の英文学の先生が、『文学序説』のなかで
「『古事記』は直接の歴史記述ではない。歴史についてのお芝居を記述したものであ
る」と言っています。論理はハリソンと同じなんですよ。古代というものを解く鍵として
そういう考え方は、かなり古くからあったと思います。
丸谷 土居光知の『文学序説』は、ギルバート・マリ、ハリソン女史なんかのケンブリッジ・
リチュアリストの影響が濃厚なんじゃないでしょうか。
(18~19頁)
「院政紀の乱倫とサロン文化」
山崎 ・・・・・しかし、院政というものは歴史を複雑なことにしてしまいましたよね。
丸谷 そうなんですよ。院政は、戦争が終わるまでとても手をつけることができなかった主
題ですね。戦後も、なんとなく億劫でやれなかった。というのは一つには、日本独自の
現象だと学者は熱心にならないんです。これは不思議なことで、ぼくは反対だと思う。
むしろ日本独自であれば意欲が湧くはずなのに、日本の歴史学者たちは西洋の歴史
とのアナロジーが成立するときに熱心なんだ。まあ、一種の見立てでいくわけですね。
日本独自のものの典型が院政なんですが、それに対しては飛びついていく身構えが
できないという変な習性がある。 (72~73頁)
なるほど、日本史学界で荘園研究が膨大なのはヨーロッパにも似たものがあると考えたせいなのですね。
「演劇的時代としての戦国・安土桃山」
歌舞伎とイエズス会劇
丸谷 ・・・・・・・・・
いったいに歌舞伎は、能や狂言とは非常に感じが違うんです。能や狂言がスタティック
なのに対して、すこぶる動的である。能や狂言が古典主義なのに対してこちらはバロック。
能や狂言が渋好みで禁欲的で、地味に地味に――例外はありますけど――ゆくのに対し
て、歌舞伎はにぎやかで派手で、華美で、エロチックで、まるでレビューみたいである。
能の筋書きがわりに綾が少ないのに対して、歌舞伎は綾に富んでいて趣向が多い、つま
り変転に富む感じですね。
これだけの違いが、女猿楽とか、風流踊りとか、女曲舞とか、念仏踊りとか、そういうも
のからだけで出てくるものだろうか。どうも、何かほかにありそうだと、ぼくは思っていました。
ところが、、『新カトリック大事典』なるものを見ていましたら、イエズス会劇という一項目が
あって、イエズス会は音楽と演劇を非常に重視して、十六世紀、十七世紀ヨーロッパにおい
て教育上の方便としておおいに用いた。しかも日本でも、イエズス会劇はかなり上演された
ことを知ったんです。
山崎 それは丸谷さんの発見ですね。事典に書いてあるにしても、それを歌舞伎と結びつける
のは創見ですよ。 (192~193頁)
歌舞伎とイエズス会劇を組み合わせるなんて、すごい離れ技です。今の細分化された大学の人文科学からは
出てこない発想でしょうね。
阿国歌舞伎草紙 装幀 和田誠