旧刊時空漂泊

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日本史を読む

2015-09-22 13:22:47 | 日記
1998年5月25日初版発行
著者 丸谷才一 山崎正和
発行所 中央公論社

       
        装幀   和田誠

日本史について八つの対談が収められています。
 恋と密教の古代
 院政期の乱倫とサロン文化
 異形の王とトリックスター
 足利時代は日本のルネッサンス
 演劇的時代としての戦国・安土桃山
 時計と幽霊にみる江戸の日本人
 遊女と留学女性が支えた開国ニッポン
 近代日本 技術と美に憑かれた人びと

面白い指摘が次々と出て来ます。
 「恋と密教の古代」では、万葉集の額田王と大海人皇子の恋歌のやりとりを夜の宴席で、二人がふざけて、即興で
披露したざれ歌であるという大岡信の『私の万葉集』のなかの解釈が紹介されています。斎藤茂吉が『万葉秀歌』で
おこなったリアリズム解釈とは真っ向から対立するものです。

    山崎 ・・・・ むしろ私は、大正から昭和十年代までの間に、日本の文学が共有した私小説的世界
            というか、短歌を歌っても志を述べつつ生活の苦しみも訴えるという、流行の空気のな
            かで斎藤茂吉は語っていると思うんですね。
             じつをいうと、古代というのはそんなにくそリアリズムの世界ではなく、むしろきわめて
            演劇的・祭式的世界だと語っている人は、洋の東西にいるんです。最も有名なのは
            ジェイン・ハリソンで、ギリシア藝術は現実の再現ではなく演劇的な祭祀の再現として
            生まれたと言っている。つまり詩を考えたとき、一人の人間が実感をもって歌いあげる
            のが原型ではなくて、むしろ集団の遊びの中から生まれてくるという考え方ですね。
            じつは日本でも土居光知という東北大学の英文学の先生が、『文学序説』のなかで
            「『古事記』は直接の歴史記述ではない。歴史についてのお芝居を記述したものであ
            る」と言っています。論理はハリソンと同じなんですよ。古代というものを解く鍵として
            そういう考え方は、かなり古くからあったと思います。

    丸谷      土居光知の『文学序説』は、ギルバート・マリ、ハリソン女史なんかのケンブリッジ・
            リチュアリストの影響が濃厚なんじゃないでしょうか。 
                                               (18~19頁)


「院政紀の乱倫とサロン文化」

    山崎     ・・・・・しかし、院政というものは歴史を複雑なことにしてしまいましたよね。

    丸谷      そうなんですよ。院政は、戦争が終わるまでとても手をつけることができなかった主
            題ですね。戦後も、なんとなく億劫でやれなかった。というのは一つには、日本独自の
            現象だと学者は熱心にならないんです。これは不思議なことで、ぼくは反対だと思う。
            むしろ日本独自であれば意欲が湧くはずなのに、日本の歴史学者たちは西洋の歴史
            とのアナロジーが成立するときに熱心なんだ。まあ、一種の見立てでいくわけですね。
            日本独自のものの典型が院政なんですが、それに対しては飛びついていく身構えが
            できないという変な習性がある。          (72~73頁)

なるほど、日本史学界で荘園研究が膨大なのはヨーロッパにも似たものがあると考えたせいなのですね。


「演劇的時代としての戦国・安土桃山」

歌舞伎とイエズス会劇

    丸谷     ・・・・・・・・・
             いったいに歌舞伎は、能や狂言とは非常に感じが違うんです。能や狂言がスタティック
            なのに対して、すこぶる動的である。能や狂言が古典主義なのに対してこちらはバロック。
            能や狂言が渋好みで禁欲的で、地味に地味に――例外はありますけど――ゆくのに対し
            て、歌舞伎はにぎやかで派手で、華美で、エロチックで、まるでレビューみたいである。
            能の筋書きがわりに綾が少ないのに対して、歌舞伎は綾に富んでいて趣向が多い、つま
            り変転に富む感じですね。
             これだけの違いが、女猿楽とか、風流踊りとか、女曲舞とか、念仏踊りとか、そういうも
            のからだけで出てくるものだろうか。どうも、何かほかにありそうだと、ぼくは思っていました。
             ところが、、『新カトリック大事典』なるものを見ていましたら、イエズス会劇という一項目が
            あって、イエズス会は音楽と演劇を非常に重視して、十六世紀、十七世紀ヨーロッパにおい
            て教育上の方便としておおいに用いた。しかも日本でも、イエズス会劇はかなり上演された
            ことを知ったんです。

     山崎     それは丸谷さんの発見ですね。事典に書いてあるにしても、それを歌舞伎と結びつける
            のは創見ですよ。                           (192~193頁)

歌舞伎とイエズス会劇を組み合わせるなんて、すごい離れ技です。今の細分化された大学の人文科学からは
出てこない発想でしょうね。
 
        
         阿国歌舞伎草紙            装幀 和田誠