旧刊時空漂泊

さまざまな本・出版物がランダムに現れます。

日本中世の謎に挑む

2013-06-25 12:44:24 | 日記
著者 今谷 明
2001年3月15日 初版第1刷発行
発行所 NTT出版株式会社

今谷明氏の学問遍歴、大蔵省官僚から日本史研究者への劇的転身。

      

嘉吉徳政一揆の張本(指導者)は武士か農民か
室町経済史上の奇蹟と言われる林屋辰三郎氏発見の『兵庫北関入船納帳』の読み解き
『上杉家洛中洛外図』は、いつ誰によって描かれたか(景観年代特定)
天皇家はなぜ、連綿と続いてきたのか          (本書帯より)

      その史料とは、林屋辰三郎先生が一九六四年に京都の古書肆で発見、購入された
     『兵庫北関入船納帳』という、税関台帳である。
      『兵庫北関入船納帳』(以下『納帳』と略す)とは、東大寺が領有していた兵庫北関
     (現神戸市和田岬の北方)ににおける文安二年(一四四五)一年間の関銭(通航料)
     の納入台帳である。    (中略)
      林屋先生が購入された当初は、何しろ五百年以上前の冊子、紙魚が食い荒らして、
     頁が開けられない状況だった。それを一頁ずつピンセットで剥がし、全頁が解読可能
     となった私が助手に頃で、先生は私と、当時堺女子短大助教授だった小林保夫君(前
     述のように名大大学院で佐藤門下であった)に釈文(文書の解説)の原稿作成を命ぜ
     られた。

この納帳によって兵庫の物資流通の状況が14世紀のヨーロッパのリューベックをしのぐもので
あることがわかりました。日本中世のイメージが一変したのです。
     

 

清張日記  朝日文庫

2013-06-17 08:20:34 | 日記
1989年1月20日 第1刷発行
著者 松本清張
発行所 朝日新聞社

『週刊朝日』に連載された昭和55年から57年にかけての日記。

       

昭和55年4月27日(日)の項 

        『週刊文春』の依頼で、黒沢明映画「影武者」を渋谷のスカラ座で見る。
                  (中略)
        じつは去年、黒沢明氏はプロデューサーの松江陽一氏をしてわが家に
        脚本の第一稿を置かせる。しばらくこれを預かって読む。後、黒沢氏は
        松江氏を帯同して来宅。自分は脚本にある「京に旗を立てよ」は、史実
        どおり「明日は汝の旗を瀬田に立てよ」としたほうがよい、これは史上有
        名な信玄の言葉だからと云うと、くろさわしは「瀬田では今の観客には
        わからぬ」と答えた。では、せめて「京の入り口の瀬田にしては」と自分
        はすすめてみる。自分が読んだのは第一稿のみ。第二稿や決定稿など
        は見られず。                    (49頁)

昭和56年1月10日(土)の項
        午前十時、中央公論社社長嶋中鵬二氏来訪。 (中略)
        自分は微量の屠蘇に酔い、「我は?文壇?の昇殿を許されざる身分」
        論を云う。これは先日も他の訪客に述べるところ。嶋中氏聞きて、いさ
        さか憐憫の情を自分に示す。    (107頁)

昭和56年2月17日(火)の項

        午前十一時半、小田急代々木上原駅で待ち合わせ。桜井君来らず。
        電車を何台もやりすごす。我孫子行きのホームにぽつんと立ってい
        ると、森繁久弥来る。帝国劇場(「屋根の上のヴァイオリン弾き」公演)
        に行くにはこの線(千代田線)の利用がよいとのこと。女性座員を随え
        たる森繁が問う。「こんなところに一人で何をしているんですか」。
        ホーム寒し。桜井君来る。       (124頁)

昭和56年4月16日(木)の項
        朝七時四十分発の東亜航空機で大分空港へ向かう。
            (中略)
        国東町に入り、「銘酒・西の関」醸造元の前を過ぐ。東京にこの酒を売
        る店少なく、愛酒家の知人はこれを幻の酒なりと云う  (149頁)

昭和56年4月24日(金)の項
        昨夜より古代史対談集『謎の源流―古代史新考問答』(角川書店)の
        最終ゲラに手入れ。校訂の筆がすすみ、徹夜となる。午前七時に就寝。
                                       (156頁)
 
昭和56年7月20日(月)の項

        短編小説は浪漫主義的傾向の作家に佳作多しとの説を読むとき、
        志賀直哉の貧弱な短編小説に思い致る。また、「年が若くて表現
        すべき内容の貧しき時の方が表現の技巧は驚くべき完熟を示し易
        い」(木村毅『小説研究十六講』。初版大正十四年)を読むとき、芥
        川龍之介や三島由紀夫に想致す。    (196頁)


松本清張と黒沢明がどんなことを語り合ったのか、読んでみたいですね。それにしても
71才で徹夜仕事をし、文壇での評価を気にしたり、西に東に旅行と、文豪の生活もた
いへんです。
        

旅 第53巻 第10号 特集/ローカル線と終着駅

2013-06-08 10:44:22 | 日記
昭和54年10月1日発行
発行所 日本交通公社

      

247~277頁までに
「完全データ 全国150の終着駅」が掲載されています。
1、終着駅の所在地
2、終着駅の営業開始年月日
3、終着駅またはその路線の特徴と歴史
4、昭和53年の1日の平均乗降客数
その他のデータがのっています。
駅名標の写真が掲載されているのが貴重です。 

ところで、「全国ボンネットバス・ガイド」(桂 博史)のなかで江若交通の
ボンネットバスが紹介されています。

   京都の市街から大原へ行く道(敦賀街道)をそのまま進み、峠を越えると
  “途中”という集落に出る。滋賀県大津市堅田から、この途中を通って敦賀
  街道を北に16、5kmほど行った細川まで、1日3往復のボンネットバスが
  走っている。堅田を中心とする江若交通の生活路線だ。 (114頁)

     
     藁屋根に丹塗りの柱の民家に出会う、江若交通バス葛川線。木戸口で

昭和53年頃はボンネットバスも捜せばあったのですね。この風景、今は
どうなっているでしょうか。