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アジア史論考 中巻

2011-11-24 12:04:43 | 日記
宮崎市定 著
昭和51年3月31日 第一刷発行
発行所 朝日新聞社

          

宮崎市定氏の中国古代史・中世史に関する論文集。
はしがきに曰く、

        「 私のいう古代史とは、人類が狭小な血縁団体から出発して、古代帝国と名付けられる
         大統一に達するまでの、古代史的発展の時代、古代市民生活の社会をさす。これを西洋
         で言えばギリシャ、ローマの都市国家より出発して、ローマがイタリア半島を征服した領
         土国家の時代を経て、地中海世界を統一したローマ帝国に至る統一気運の旺盛に現れ
         た時代である。中国の古代史はこれと全く相似たる経過を辿る。上代より春秋時代に至
         るまでは、都市国家の時代であり、戦国七雄の領土国家対立の時代を経て、秦漢の古
         代帝国の出現に至るまでの社会には、市民権を持つ士と、持たざる庶民との対立があっ
         たところまで、ローマの歴史と相通ずる点がある。そして著者の最大関心事は中国の  
         都市国家の問題にあり、これをつきつめて行くと、従来の通説に多大の不安と深甚な疑
         問が生じ、敢て既成大家の成説に異見を挟む結果と相なった。」    (1頁)

その異見中、最も画期的なものが「中国上代の都市国家とその墓地 ――商邑は何処にあったか―― 」

        「 ところが私は実は、現今普通に殷虚と言われている中国河南省の小屯附近が、果たして
        本当に殷虚であるかどうかに疑問を抱いているのである。」    (31頁)

 宮崎氏によれば、殷虚――虚は亡びた国の都城の廃址――は史記の記述からすると小屯の東南、黄河に
近い平坦部の中央に地下深く埋没しているという。
 小屯において、長年にわたって考古学調査が行なわれたが、城郭の存在を認めることはできませんでした。
それゆえ小屯は都市遺跡ではなく、都市に附属した墓地であるという。
 さらに殷の都の跡へ衛という都市国家が建設されたため、小屯は衛の墓地でもあると宮崎氏は論じています。
実に論理的で、スリリングな論文です。

 中国考古学の専門家は宮崎説をどのように考えているでしょうか。
 「中国古代を掘る 城郭都市の発展」(杉本憲司著・ 中公新書)の中で小屯及び殷虚についての宮崎氏の論
 説は「殷虚非殷都説」として紹介されています。(70~72頁) そして次のような記述があります。

     「一つの解釈として、偃師商城に対して二里頭遺跡は、墓と建築物が一体となったものを含む宗教的色
     彩の濃い、たとえば宗廟のある地区と考えることも可能になってくる。 ・・・(中略)・・・
     偃師における城と二里頭遺跡の関係についての仮説をもとにして、宮崎氏の殷虚非殷都説をみると、
     今日の殷虚とされる地は宗廟と墓地を中心とした宗教的な地域で、政治を行う王城は今日の殷虚よりや
     やはなれた地域にあったとする考え方もできる。」  (74頁)

ところで、「殷虚非殷都説」よりも「小屯非殷虚説」の方がいいと思うのですが、いかがでしょうか。