旧刊時空漂泊

さまざまな本・出版物がランダムに現れます。

チャリング・クロス街84番地

2012-03-29 13:28:03 | 日記
へレーン・ハンフ編著
江藤 淳訳 第3刷発行
1972年8月15日 
日本リーダース ダイジェスト社 発行

     

 ロンドンの古書店に勤めるフランク・ドエルとニューヨークの文筆家へレーン・ハンフとの
1949年から1968年に渡る往復書簡。
 大西洋をはさんで、書簡で古書を注文する。その書簡も単なる事務的なものではなく
お互いの近況やイギリス文学が語られています。優雅ですね。
 しかし1950年頃のロンドンで食糧が配給制だったとは意外です。
その昔夏目漱石も84番地あたりを散策したのでしょうね。

梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集

2012-03-25 10:41:40 | 日記
著者 丸谷才一
発行者 中村勝哉
発行所 株式会社晶文社

        

目次   
      未来の日本語のために
      津田左右吉に逆らって
      日本文学のなかの世界文学
      実生活とは何か、実感とは何か
      舟のかよひ路
      家隆伝説
      吉野山はいづくぞ
      鬼貫
      空想家と小説
      菊池寛の亡霊が・・・・・・
      梶井基次郎についての覚え書
      小説とユーモア 
      「嵐が丘」とその付近
      サロメの三つの顔
      ブラウン神父
      若いダイダロスの悩み
      西の国の伊達男たち
      エンターテインメントとは何か
      グレアム・グリーンの文体
      父のいない家族

アカデミズムや文壇の「文学論」とは相いれない、文字通りの少数意見。
「津田左右吉に逆らって」の末尾には「一九六五年一月執筆(未発表)」とある。
岩波の「文学」に掲載中止になったものという。
こんなに面白くて、知的な本が文庫にならないのが不思議。

東寶古川緑波(ロッパ)一座 九月公演 脚本解説 有楽座

2012-03-14 13:07:40 | 日記
昭和15年9月4日発行
編輯兼発行兼印刷人 奈須藤三郎
発行所 東京寶塚劇場東寶発行所

      

                                     
古川ロッパの昭和15年9月1日から29日までの有楽座公演。
演目は (一)ヒコーキ親爺 (二)雛妓〔おしやく〕 (三)幡随院長兵衛 (四)歌へば天國
 
                         

                            (当時の新聞の切り抜き、映画・演藝欄)

このパンフレットの中で、「新體制」(しんたいせい)という言葉がよくでてきます。・・・・新體制オペレッタ・・・・。      
                       
晶文社の「古川ロッパ昭和日記・戦前篇」 昭和十五年九月のところを見ると。
         九月一日(日曜)
         有楽座初日。
          一時二十分前に起せと言っといたが、ちゃんと自然に眼がさめた。元気なものだ。
         一時すぎに家を出て、東宝グリルへ、白川の壮行会。二時半ホテ・グリへ行ったら、
         肉が無いと言うので、又東宝グリルへ引返してロールキャベツなど食べて座へ。
         超満員。今日は日曜、この成績はアテになるまいが、大入りは嬉しい。三時開演、
         序幕終り、次は順序を変更して「幡随院」これはナベ・ロク大あばれ、松平もまあ
         まあで大受け。長兵衛の気持ちのいゝのには驚いた。役者とはこれかなと思ふ位。
         次が「雛妓」だ。京都でテスト済みだから安心、よく受けた。幕切に、又幕をあげて、
         白川道太郎出征の挨拶をし、客に万歳を三唱して貰った。壮観。幕間四十分、
         いよいよ「歌えば天国」。流石に古賀政男は偉いと思った。歌の一々に手が来るのだ。
         きく歌でない歌、歌う歌を作る人だ。稽古を随分やったのに、井田一郎の指揮ぶりと
         いふものは全く、いやんなっちまった。サグリサグリで行くので殆んど歌へない、センス
         の悪いこと無類。その悪条件の下に、これだけ受けるのだから、結局古賀が偉いと言
         ひたいのだ。ハネ九時半、女房見物で、感想「歌えば」は上出来とのことだ。今日より
         料理屋はすべて昼二円五十銭夜五円以上の食事まかりならぬこと々なる。

開演時間は日によって変わったようです。それにしても井田一郎氏はロッパに相当怒られたでしょうね。
  

横須賀海軍人事部 部報 第八十二號

2012-03-05 12:05:24 | 日記
昭和16年9月15日発行
発行者 横須賀海軍人事部
印刷所 帝国文武學會印刷部
    
    

  「人事部要報  海軍志願兵に就いて」には次のように書かれています。

 然しながら人的方面の擴充強化は何者よりも先決問題である。就中海軍兵力の中核を
構成維持する海軍志願兵は諸般の擴充に伴ひ益々質量共に増強を要するは当然で明
十七年の採用員数は従来に其の例を見ざる激増である。
 然るに事變以来の志願趨勢は年々減少の一途を辿り十六年の選兵に際しては合格者
数は漸く採用者を充足したる程度にして之を上海事變の翌年たる昭和八年に一人の採用
者に對し受験者十二人・七二であったのに對比すれば昨今の志願兵が如何に素質が低
下せるかを想像し得らるると同時に過去の志願兵が如何に擇り抜きの優秀者でありしやも
了解し得らるる所と信ず。          (6頁)


 志願年齢低下に就て
現行規則にて乙種飛行兵(通称少年飛行兵)水中測的兵、電信兵は満十四年(十七年三
月一日調にて)から結局「七ツ就学」の者も国民学校卒業の年に志願し得ることとなる。
                                     (8頁)

日本海軍は人手不足の状態でアメリカとの戦争を開始したようです。