著者 丸谷才一
1980年2月29日 初版発行
発行所 大和書房
装釘 山藤章二
一般的に雑文集といわれる本ですが、著者はあとがきで次のように書いています。
普通この手の文章は雑文と軽蔑的に呼ばれますが、私としては楽しんで書きました。
書く以上、おもしろがって書くのでなければ意味がないからです。おもしろがることがで
きそうもないときは断る。どんなに義理を欠くことにならうと断る。それが文筆業者として
のわたしの基本的な心得なのです。 (286頁)
この本も著者が楽しんでいる雰囲気がいつも感じることができます。
第1章、「過去への散歩」の最初の文章は「桜と御廟」、京都の円山公園のしだれ桜見物で始まり、
御霊信仰に及んでいきます。
私はかねがね崇徳院という帝に関心をいだいている。この人は歴代の天皇の中で、後鳥羽院
と並ぶ歌の名手だと思っているのである。保元の乱に敗れて四国に流されたこの人には、怨霊
の総大将みたいな趣があってすこぶる貫禄があるが、和歌がいいのでいっそう立派に見える。
(中略)
ところが円山公園のしだれ桜を見た翌日の午後、都をどりをちょっと覗いて、それから歌舞練場
(つまり都をどりの劇場)の近くをぶらぶら歩いていると、まったく偶然に崇徳院の墓と出合ったの
である。そこには「崇徳天皇御廟」と書いてはあるけれど、さういうおごそかな感じはまつたくなか
つた。間口二間半ばかり、奥行も同じくらいの埃っぽい一劃で、錠のかかつている格子戸からの
ぞいてみると、七本ばかりの不景気な樹木の中央に石碑が二つある。そして、そのまはりは近所
の人々の植木鉢その他の置き場所、つまり物置になつているのだ。
天皇御廟といふいかめしいものが市井の真只中にあって、しかもこんなにみすぼらしく親しみや
すいのは、いかにも京都らしい。わたしはそのことを京都の人々とそれから崇徳院のために祝福
して微笑した。すると、その微笑を合図にしてのやうに、崇徳院の一首が心に浮かぶ。和光同塵
を読んだ神祇歌である。
道のべのちりに光をやはらげて神も仏と名のるなりけり
(22~24頁)
第3章「イギリス文学知つたかぶり」の「芝居のなかの芝居」では『ハムレット』が論じられています。
このことについては、ドーヴァー・ウィルソンの考へ方がすぐれている。かれは、シェイクスピアの
時代の芝居が、現在の芝居とは非常に違ふ約束の上に作られていたことを指摘する。彼によれば、
当時の観客には、ハムレットの悲しみがじつによくわかった。それは一言にして言へば、王である
べくして不当に王位を奪われた者の悲しみである。そしてその背後には、王は国家の秩序の象徴
であるといふ、古代的な(あるいは民俗学的な)信仰があるわけなのだ。 (119頁)
これはまるで、怨霊信仰のようです。『ハムレット』がこんなに人気があるのはこの古代的な、民族を超えた
信仰のせいでしょうか。そういえば、シェイクスピアにはキリスト教的な作品はないですね。
丸谷さんの著作には怨霊信仰がよくでてきます。崇徳院とハムレットというのはなかなかおもしろい組み合わ
せではないでしょうか。
1980年2月29日 初版発行
発行所 大和書房
装釘 山藤章二
一般的に雑文集といわれる本ですが、著者はあとがきで次のように書いています。
普通この手の文章は雑文と軽蔑的に呼ばれますが、私としては楽しんで書きました。
書く以上、おもしろがって書くのでなければ意味がないからです。おもしろがることがで
きそうもないときは断る。どんなに義理を欠くことにならうと断る。それが文筆業者として
のわたしの基本的な心得なのです。 (286頁)
この本も著者が楽しんでいる雰囲気がいつも感じることができます。
第1章、「過去への散歩」の最初の文章は「桜と御廟」、京都の円山公園のしだれ桜見物で始まり、
御霊信仰に及んでいきます。
私はかねがね崇徳院という帝に関心をいだいている。この人は歴代の天皇の中で、後鳥羽院
と並ぶ歌の名手だと思っているのである。保元の乱に敗れて四国に流されたこの人には、怨霊
の総大将みたいな趣があってすこぶる貫禄があるが、和歌がいいのでいっそう立派に見える。
(中略)
ところが円山公園のしだれ桜を見た翌日の午後、都をどりをちょっと覗いて、それから歌舞練場
(つまり都をどりの劇場)の近くをぶらぶら歩いていると、まったく偶然に崇徳院の墓と出合ったの
である。そこには「崇徳天皇御廟」と書いてはあるけれど、さういうおごそかな感じはまつたくなか
つた。間口二間半ばかり、奥行も同じくらいの埃っぽい一劃で、錠のかかつている格子戸からの
ぞいてみると、七本ばかりの不景気な樹木の中央に石碑が二つある。そして、そのまはりは近所
の人々の植木鉢その他の置き場所、つまり物置になつているのだ。
天皇御廟といふいかめしいものが市井の真只中にあって、しかもこんなにみすぼらしく親しみや
すいのは、いかにも京都らしい。わたしはそのことを京都の人々とそれから崇徳院のために祝福
して微笑した。すると、その微笑を合図にしてのやうに、崇徳院の一首が心に浮かぶ。和光同塵
を読んだ神祇歌である。
道のべのちりに光をやはらげて神も仏と名のるなりけり
(22~24頁)
第3章「イギリス文学知つたかぶり」の「芝居のなかの芝居」では『ハムレット』が論じられています。
このことについては、ドーヴァー・ウィルソンの考へ方がすぐれている。かれは、シェイクスピアの
時代の芝居が、現在の芝居とは非常に違ふ約束の上に作られていたことを指摘する。彼によれば、
当時の観客には、ハムレットの悲しみがじつによくわかった。それは一言にして言へば、王である
べくして不当に王位を奪われた者の悲しみである。そしてその背後には、王は国家の秩序の象徴
であるといふ、古代的な(あるいは民俗学的な)信仰があるわけなのだ。 (119頁)
これはまるで、怨霊信仰のようです。『ハムレット』がこんなに人気があるのはこの古代的な、民族を超えた
信仰のせいでしょうか。そういえば、シェイクスピアにはキリスト教的な作品はないですね。
丸谷さんの著作には怨霊信仰がよくでてきます。崇徳院とハムレットというのはなかなかおもしろい組み合わ
せではないでしょうか。