庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

白川   阿蘇から熊本市まで流れる   

2017年09月04日 | 西原村の昔

大豆の畑。草が刈られた土手きれいですね。

私が子供のころ小豆、大豆は田んぼの畔に植えてありました。

最近は見たことがありません。

 

8月のある日西原村に帰る途中、立ち止まったのは。

いつもの川のほとり。

東の阿蘇から流れてきた白川。

白川は、ほぼまっすぐ西の有明海にそそいでいます。

地震後初めて、川のそばに立って立野方面を眺めました。

立野は阿蘇大橋が崩落したところ。

地震に詳しい人がこの風景を見たら、断層地形を見つけるのでしょうね。

 

迂回路として西原村の道が使われるようになって、

写真を撮るために、橋の上で車を止めることが不可能になりました。

交通量が増えました。

正面のU字の谷は1万年前に地震でカルデラ湖が決壊した時できたもの。

中腹に見える丘の上のドーム型の白い建物は地震研究所です。

大きなエネルギーが直撃したでしょうね。

活断層の亀裂が多く見つかった場所でもあります。

 

山が適度に隠していますが、正面の立野や南阿蘇村の長陽あたりは、ずたずたに崩れています。

熊本空港に降りる飛行機からは数十カ所のがけ崩れが見えます。

その真ん中に、谷深くに白川が流れています。

白川にかかった橋。

西原村に向かうには必ず渡ります。

1年以上たっているのに、まだ杉の木が橋に架かっていました。

この橋も昭和29年の水害の時に流されたのでした。

あれから60年以上たち、橋は老朽化しています。

数年前にはこの橋の近くの護岸が水害で崩れ、修復したばかりだったのでした。

 

この橋を渡る時、いくつもの物語と情景が浮かんできます。

橋が流されて、新しい橋が完成するまで渡し船がありました。

大きな石の間を船が行き来していたと記憶しています。

今では小石ばかり、昔の大石はどこに行ったのでしょう。

夏の暑い日船の時間を待って入るあいだ、母と「ところてん」を食べたのでした。

母は思い出しては「おいしかった」と言っていました。

たぶん汗だくでここまで歩いてきたのです。

その店がどこだったのか、跡形もありません。

 

大石も船もところてんも私の記憶の中から消えてはいないのに。

 


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