大豆の畑。草が刈られた土手きれいですね。
私が子供のころ小豆、大豆は田んぼの畔に植えてありました。
最近は見たことがありません。
8月のある日西原村に帰る途中、立ち止まったのは。
いつもの川のほとり。
東の阿蘇から流れてきた白川。
白川は、ほぼまっすぐ西の有明海にそそいでいます。
地震後初めて、川のそばに立って立野方面を眺めました。
立野は阿蘇大橋が崩落したところ。
地震に詳しい人がこの風景を見たら、断層地形を見つけるのでしょうね。
迂回路として西原村の道が使われるようになって、
写真を撮るために、橋の上で車を止めることが不可能になりました。
交通量が増えました。
正面のU字の谷は1万年前に地震でカルデラ湖が決壊した時できたもの。
中腹に見える丘の上のドーム型の白い建物は地震研究所です。
大きなエネルギーが直撃したでしょうね。
活断層の亀裂が多く見つかった場所でもあります。
山が適度に隠していますが、正面の立野や南阿蘇村の長陽あたりは、ずたずたに崩れています。
熊本空港に降りる飛行機からは数十カ所のがけ崩れが見えます。
その真ん中に、谷深くに白川が流れています。
白川にかかった橋。
西原村に向かうには必ず渡ります。
1年以上たっているのに、まだ杉の木が橋に架かっていました。
この橋も昭和29年の水害の時に流されたのでした。
あれから60年以上たち、橋は老朽化しています。
数年前にはこの橋の近くの護岸が水害で崩れ、修復したばかりだったのでした。
この橋を渡る時、いくつもの物語と情景が浮かんできます。
橋が流されて、新しい橋が完成するまで渡し船がありました。
大きな石の間を船が行き来していたと記憶しています。
今では小石ばかり、昔の大石はどこに行ったのでしょう。
夏の暑い日船の時間を待って入るあいだ、母と「ところてん」を食べたのでした。
母は思い出しては「おいしかった」と言っていました。
たぶん汗だくでここまで歩いてきたのです。
その店がどこだったのか、跡形もありません。
大石も船もところてんも私の記憶の中から消えてはいないのに。
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