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ただいま冷温停止中! d( ̄ ̄;)

メメント・モリ

2006-11-22 00:22:39 | 雑感
 増田明美さんの横で仁王立ちする、柔和な表情のこの男性に、思わず釘付けになってしまった。その表情とは不釣合いなくらい、ギミックでガジェットな足元。この足でフルマラソンを走ると言うのだから、私は言葉を失った。

 両足義足のフルマラソンランナー

 島袋勉さん



 島袋さんと元マラソンランナーの増田明美さんの対談記事(「論座」11月号 (訂正)12月号)は大変興味深いものだった。私はそこで、はじめて島袋さんの存在を知った。簡単にプロフィールを紹介すると、1963年生まれ。20歳で自動車メンテナンス会社を創業して、社長として忙しく働いていたのだが、2001年4月、踏み切りを横断中に転倒して頭を打ち、ちょうど通過した電車に轢かれて両足を切断してしまう。しかもこの事故が原因で、高次脳機能障害(日常、一部の記憶がスポッと抜けてしまう)や複視(ものがダブって見える)の障害も背負ってしまうことになる。ここから島袋さんの物語が始まるのだ。対談の一部を再録する。


増田:最初に走った距離は、どのくらいだったんですか?
島袋:トリムマラソンというのがあって、3キロでした。それも、練習してやっと走れた3キロです。
増田:島袋さんのようなケガをされた方はふつう、マラソンの「車いすの部」とかにチャレンジするんでしょうけど、そういうことは考えなかったのですか?
島袋:やっぱり「車いすマラソン」をすすめられました。一番になるのが目標ではなく、どんなに遅くてもゴールまで走り続けることが目標なので、ふつうの人と一緒に走りたかったんです。
増田:でも、トリムマラソンの1ヵ月後にはホノルルマラソンに挑戦されたんですよね。
島袋:トリムでゴールしたあと新聞記者から「次の目標は?」と聞かれたんです。そのとき、会場の垂れ幕に「ホノルルマラソン2名さまご招待」とあったのがたまたま目に入ったので、「いつかホノルルマラソンに出たいですね」と答えてしまった(笑い)。さすがに、「いつか」と強調して言ったんですけど、それが新聞に掲載されたあと、読んだ人たちが次々に「次のホノルルマラソンにでるんですか?」と聞いてくるんですよ。私、この人たち、アタマがおかしいんじゃないかと思いました。やっと3キロ走れた人に、「42キロ走るんですか?」と聞くんですからね。それでも、「いい義足ができて、もっと練習をしてからでます」と答えていたんですが、もしかしたら自分は言い訳をしているかもしれないと思ったのです。「両足がないから今すぐにフルマラソンには出られない」と。足がないぐらいであきらめちゃいけない、言い訳をしてはいけないと気がついて、それでホノルルに出ようと決意しました。


 義足と簡単にいうが、義足さえつければ歩ける、走れるという、生易しいものではないらしいのだ。はじめのうちは立っていることすら大変で、ずっと痛みを伴うものらしい。だから、いくらなんでも、家の中では車椅子で生活せざるをえないのだという。しかし、高次脳機能障害のためには、歩いたり、走ったりするのが良い効果をもたらすので、義足によるランニングをはじめたんだとか。それでも努力して、やっと3キロ走れた次が、いきなり42キロのフルマラソンというのは、誰が見ても無謀すぎる。いくら良い作用をするからと言って、ものには加減がある。どう考えてもフルマラソンを走る理由が見つからない。それでも、うっかり口走ってしまうのは、この人の持つ骨太な楽天的性格によるものでしょう。結局、この人をフルマラソンに駆り立てたのは、次の目標を煽って書きたてた新聞記者でも、その記事を読んで早とちりした人でもなく、島袋さん自身ではないか。言い訳する自分に疑問を持ち、いまの義足の性能では「両足義足でマラソンは無理」と断言する医者や義肢装具士、家族の言葉に反発し、世界で誰一人、両足義足でマラソンを走った人がいないのなら、工夫してでも走ってやろうと考える前向きさによるものだと思うのだ。

 『義足の性能が向上してから走ろうと思っていると、いつまでもスタートできないので、いま与えられた環境でできるだけのことをやろうと思っています。』と島袋さんは言う。そのポジティブさには驚かされる。結局、杖をついてでも前人未到の両足義足でのフルマラソン(ホノルルマラソン)に挑戦することになる。


増田:――島袋さんはホノルルマラソンを12時間59分で見事完走されたんですね。ゴールまで遠かったでしょう。
島袋:スタートして2キロぐらいで後悔しました(笑い)。足に痛みが出て、傷ができ始めたので、どうしてこんなことを始めたんだろうかって。
増田:でも、まだ40キロ残って……。



島袋:――足の痛みや苦しさを意識するとつらいので、あと100メートル先へ進んで、そこでどうするか考えよう、あと100メートル、あと100メートル……、ずっとそう考えて、ゴールをめざしたんです。
増田:それを12時間も続けたわけですか?
島袋:両足義足だと、足に血がまわらなくなってしびれてしまうんです。もう立っていられなくなるので、途中からロフストランドクラッチという杖をついて体を支えていました。


 かかとのない足で支えるのだから、義足のソケットに接触する個所の痛みは避けられない。片足義足の人は、義足でないほうの足に重心をかけている間、義足の足を休めることができるから、まだよいほうなんだとか。その点、両足義足だと、つねにどちらかに重心がかかるため、痛みは間断なく襲ってくるらしい。長時間、義足で歩き続けると、ソケットに接する部分に血がにじんで、下手するとそこから皮膚が壊死する危険もあるというのだから。

 ホノルルマラソンで自信をつけた島袋さんは、その後、全部で8回のフルマラソンを走りぬき、走るたびに記録を更新させて、ニューヨークシティマラソンでは、ついに8時間を切って7時間台で走れるようになったんだという。


増田:ところで、来年東京マラソンがありますけど、ご存知ですか。
島袋:もう申し込みしました。(笑い)
増田:あれは制限時間が7時間ですけど。
島袋:7時間で大丈夫だろうと思っています。
増田:また一つ、大きな目標ができましたね。パラリンピックは目指さないんですか?
島袋:今のところありません。一番を目指して走ることよりも、ふつうの人と一緒にスポーツしたいんです。短距離なら両足義足でも走れます。100メートル、200メートル走は競技としてよくおこなわれていて、私も障害者の大会に出たことがあります。出ると金メダル間違いなしなんですよ。でも、それじゃ楽しくありません。



島袋:マラソンもそうなんですけど、ケガをしてから新しい目標をつくったわけではなく、どんな状況でも夢をあきらめたくなかったので、もともとやりたかったことを続けているんですよ。小学校で話をする機会があったときに、2年生の生徒から「小さいときの夢は何ですか」って質問されて、そういえばマラソンのほかに山に登りたいという夢があったな、と思い出しました。そのとき思い描いていた山がエベレストだったので、今度はエベレストに挑戦つもりです。


 マラソンに飽き足らず、スキューバダイビングや岩登りにもチャレンジして、いつの日かエベレストにも挑戦する気でいるらしい。いやはや恐れ入る。
 また、こんなことも話している。


島袋:子どものころからやりたかったことをやっているだけですから。状況が悪いからと言って目標を変えるのは、よくないことです。学校や企業に呼ばれてお話しすることが多いんですけど、「あきらめない」「言い訳をしない」ということを強調しています。私は「足があれば」という言葉を使わないようにしてますし、「足がないからできない」「記憶障害があるから覚えられない」「目が悪いからできない」と自分の障害で言い訳しないようにしています。


 私には、まがりなりにも、きちんと動作する二本の腕と二本の足が備わっていると言うのに。(ああ、穴があったら入りたい心境・・・)

 そして、最後にこう付け加えている。


島袋:こんな大きな事故にあって、運が悪かったと考えるか、助かって運が良かったと考えるか、それだけで人生は大きく変わってくると思います。私がケガをして変わったとすれば、人はいつ死ぬか分からないんだから、やりたいことを先延ばしにしてはいけない、ということを強く感じるようになったことですね。




メメント・モリ(Memento mori)
ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句である。
「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせるために使われた言葉。




 島袋さんを、ここまで突き動かす原動力は何だろう。生来、前向きな性格で、子どものころからやりたかったことをやっているんだというのだが、その根底にあるものは、この「メメント・モリ」(「死を想え」「死を忘れるな」)ではなかろうか。一命を取り留めたとはいえ、大きな代償を支払わされた彼の人生。死と対峙して初めて覚醒するものがあったはず。島袋さんの言葉の端々に、「自分がいつか死すべきものである」ことを覚醒し続けようとする強い意志が感じられる。その意志こそが、貪欲なチャレンジ精神を生んでいる源ではなかろうか。近頃、死に急ぐ人々が急増している。その人たちに、島袋さんのメッセージを伝えてあげたい。逆説的かもしれないが、「メメント・モリ」を問うてあげたい。そんな思いを強くした。

 この対談で語る島袋さんは、内容から想像する重さとは裏腹に、実に淡々と語っているのがすがすがしい。中でも島袋さんに向けられる視線について、日本と外国のお国柄に言及している個所はとても興味深い。島袋さん曰く、『日本では障害者は見てはいけないと思っているみたいで、道で通りかかるときも見てない振りをしながら、すれ違った後で振り向くのに対して、アメリカ人だと、近寄ってきて「クール!」と声をかけたり挨拶してくる』のだという。

 また、マラソンのとき、『日本ではゴールしたときはすごく拍手してくれるのに、スタート時は反応しないのに、アメリカだと、走り始めから声援がすごい。日本は結果評価を重んじるのに対して、アメリカ人はチャレンジすることを評価するからではないか』と分析する。なるほどと思わせる。
 増田明美さんのインタビューは、とても謙遜ながら、島袋さんから話の本質を引き出すことに成功している。良い仕事ぶりです。


 ホノルルマラソンで知り合ったアメリカ人は、平気でこんなジョークを言うらしい。
 「君はいいな。足がないから足がつることがなくて」

 機会があれば、こちらの方も読んでみたいと思った。
 「義足のランナー~ホノルルマラソン42.195Kmへの挑戦」栗田智美・島袋勉共著 文芸社



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24 コメント

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素晴らしい! (tacoco)
2006-11-22 12:12:48
ランナーでありながら、彼の存在を知りませんでした。
不勉強を恥じます。
いわほーさんの記事に、ぐいぐいと引き込まれてしまいました。
ジョギングを始めた5~6年前、「地球が四角になってもフルマラソンなんか走れないよ!」と豪語していた私が、初めてフルマラソンを走ったのもホノルルマラソンでしたから。
マラソンは、可能性を追求していく事によって、誰にでも応分にこの上ない達成感が与えられる稀有なスポーツです。
走る事は誰でも出来る。障害者でも高齢者でも運動オンチでも。
だから、すべての人に可能性はあるわけです。
ブラインドランナーの伴走もしている私は、島袋さんに限らず、障害をものともせず、明るく逞しくランニングを楽しむ人たちから、いつもたくさんの勇気をいただいています。
ご紹介の本、早速読んでみます。
「メメント・モリ」、深い意味のある言葉だったのですね。
今、死に急ぐ子供達に敢えて送りたい言葉です。
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メメント・モリ (gavi)
2006-11-22 21:56:17
2002年に友人が32歳で亡くなったとき、一度きりの人生だから精一杯やりたいことをやって前向きに過ごそう、と決めた事を久々に思い出しました。
忘れかけていたことを思い出させてくれてありがとうございます!
今できる事は先延ばしせずにやらなきゃね!
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ステキな生き方ですね。 (yu)
2006-11-23 01:02:09
この方知りませんでした。

>マラソンもそうなんですけど、ケガをしてから新しい目標をつくったわけではなく、どんな状況でも夢をあきらめたくなかったので、もともとやりたかったことを続けているんですよ。

ここ一番好きです。自然体ですよね。
障害者になったからがんばるじゃなく、子どもの頃言ってた夢をそのまま実現ってステキじゃないですか!
もちろん想像を絶する努力があったことは言うまでもないのですが。

>メメント・モリ
私は河合隼雄さんが大好きなんですけどこの思想よく出てきます。「よく生きることはよく死ぬこと。」・・・そんな言葉も浮かんできました。
ぜひ読んでみますね。
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届きました (でんまん)
2006-11-23 15:47:38
アカン!こうゆう話を聞くと、自分が恥ずかしくなってしまいます。
この歳になっても、明日できる事は、今日やらずに明日やる主義です。

ちょっとした怪我をした時、ウチのオカンは「それくらいで済んで、運が良かった思わなあかんで~」と、よく言います。

PS 親分!例のブツ届きやした! ありがとうごじぇ~ますw
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九州出張中 (いわほー)
2006-11-23 22:40:19
お返事はまとめ明日。
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Unknown (でんまん)
2006-11-24 12:55:50
先輩、勝手にブログに貼らせてもらいました。
事後承諾お願いします。
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驚嘆 (かんさいや)
2006-11-24 19:11:27
ブログに貼るかもしれません
(ちょっと阪神の状況もあれだからすぐではないけど)
生きると言うことはそういうことなのかと思いました。
そして行き続けると言うことは。

友達に30の誕生日の直後に死なれました。
その親御さんが「阪神が強いのを見て救われた」と言っていました。
その友達のために生きているとは言いませんが、生きなくては。
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二泊三日の九州出張 (いわほー)
2006-11-24 23:27:11
シーズン中なら福岡ヤフードームにでも立ち寄ったのですが。(残念)

⇒tacocoさん
島袋さんに「足がないぐらいであきらめちゃいけない、言い訳をしてはいけない・・・」と言われてしまっては、もはや走れない理由がこの世には存在しないことになりますね。凄いメッセージです。それ以外にも多くの示唆にとんだ話が詰まっています。ぜひ、読んでみてください。おすすめします。
福知山マラソン、お疲れ様でした。自己ベストちゅうのも凄い。その話は明日、ゆっくりと聞かせてもらいましょか。w

⇒gaviさん
>今できる事は先延ばしせずにやらなきゃね!

そのとおり!でもこれが結構難しいんだな。一歩踏み出すのに大きなエネルギーが必要だったりする。まあ一歩と言わずとも、半歩でも10cmずつでも前に前に足を繰り出す気持ちでいきましょう。続きは明日?(すっかり説教オヤジと化した私・・・)

⇒yuさん
人も社会も「死」をネガティブに捉えるがために、視野や意識から遠ざけて隔絶することばかりに走っている気がします。本当は「死」を意識してはじめて「生」への渇望が生まれるはずなのに。「メメント・モリ」なる言葉は、そのことを強烈にメッセージしてくれるキーワードではないでしょうかね。あ、yuさん、オフいらっしゃるんですよね。楽しみにしてます。

⇒でんまんさん
偉そうに能書きたれる私を許してけれ(笑)。でもなんか近頃の世俗を意見したくなるんですわ。

>事後承諾お願いします。

ノープロブレムだっせ。

⇒かんさいやさん
人それぞれに「あ、痛い」思い出のひとつやふたつや三っつや四っつ・・・。(いくつあんねんてか)
友の死が最も「メメント・モリ」にリアリティを与えてくれるんだと思います。これからもお互い、生きていきましょう(笑)。

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お疲れでした (Ryuhey)
2006-11-27 09:14:55
女性陣独占状態でしたなwww
まさしく「いわほーを囲む会」でしたw

次回はぜひ三次会のディープさも覗いてみてくださいなw
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⇒Ryuheyさん (いわほー)
2006-11-27 15:54:47
土曜日はお疲れ様でした。

>女性陣独占状態でしたなwww
>まさしく「いわほーを囲む会」でしたw

女性陣独占とは、またまたー・・・。
いや、あそこにいたのは全員「オッサン会」の面々でっせ。ーー;)もちろん、私もそのオッサンの一人ですが・・・。w


>次回はぜひ三次会のディープさも覗いてみてくださいなw

今年の春先の「寒いオフ会」(そうそうRyuheyさんが東京にとんずらしはった時ですわw)、トラのしっぽさん、カレイドさん他数名でオールしましたがな。オールならではのディープでパラノイヤな話に朝の5時まで花が咲きました。途中10分ほど意識が飛んだ時間帯ありましたが。ホンにオモロかったです。トラのしっぽさんの記憶力はすごかったし、カレイドさんの知識のなんと濃いこと。(わたしはついていけませんでした。orz)
ただ、その時自覚したんですわ。
「もうオールできる年やない」って。^^ゞ
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