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ただいま冷温停止中! d( ̄ ̄;)

十円玉

2007-06-29 12:46:42 | 雑感
その十円玉がいつから手元にあったのかは分からない。
ただ、その存在に気付いたのは今から三週間ほど前だった。
駅の券売機で切符を買おうと投入した十円玉が無情に吐き出されてしまう。
二度、三度繰り返してもやはり同じ。
急いでいる時に限って得てしてありがちなことだ。
「この役立たずめ!」と睨みつけてから、代わりの硬貨を投入してその場はやり過ごす。
誰もがたまに経験する日常の瑣末な出来事である。
そんなありふれている経験は、すぐに記憶から遠ざかるもの。

数日後、今度は別の自販機で同じようなことを繰り返した。
やはり、何度投入しても吐き出されてしまう。
すぐにこの前の十円玉だと思った。
「まだ財布に残っていやがったか」と舌打ちした。
日常、繰り返し経験することはリアクションまでルーチン化されている。
だから条件反射的に財布にしまいこんで、別の硬貨でやり過ごした。
ただ、しまいこむ直前、しばし十円玉を眺めてみた。
大丈夫、偽造硬貨の類ではなさそうだった。
ただ、見るからにかなり使い込まれている、年季の入った十円玉ではあった。
全体的に使い減りしていて、「昭和四十?年」の「?」の部分は、よーく目を凝らして「八」だと分かるくらいだった。

こういう硬貨でも貨幣価値にいささかの目減りもない。
人とやり取りする分には何の支障もなく使える硬貨である。
だから、こんな硬貨でも一旦財布に入ってしまえば、知らないうちに人から人へと渡っていってしまうものである。
なのでそれ以上、とりたてて気に留める必要もないのだ。
ふたたび財布に戻ったその十円玉は、私の記憶と同様、いつしか消えていくはずだった。
まさか、三度目のご対面がくることなど思ってもみなかった。

三度目は翌日だった。
自販機にいままさに十円玉を投入しようとした瞬間、その十円玉の記憶がよみがえってきた。
手にした十円玉を確認してみた。なるほど、その十円玉に違いなかった。
そして、投入した直後、その十円玉は案の定吐き出されてきた。
「また、お前か」
今度ばかりは笑いがこみあがるようだった。

よくよくその十円玉を観察してみた。
大きさ自体は他の十円玉と寸分違わないが、凹凸のエッジはメリハリを欠いて全体に丸みを帯びていた。
特に表裏にある外周の競り出た縁の部分の磨り減りが著しく、横から見ると厚みがすこしだけ薄いように見受けられた。
もしかしたらこの厚みが自販機に規格外の烙印を押させているのかもしれない。

こうも自販機が溢れていると十円玉もつらい時代だと思った。
場合によっては、日に何度も「真贋判定」にかけられる。
この「判定」のメカニズムは素人には良く分からない。
重さ、大きさ、厚みのチェックはいいとして、それ以外にもチェックをしているのかどうか。たとえば刻印模様のパターン照合、電気抵抗、熱伝導率、超音波共鳴……。
「判定」の精度を上げようと思えばいろいろ手はあるのだろうけど、百円、二百円の商品を売る自販機に大そうなメカニズムが入っているとは思えない。
せいぜい、シンプルなメカニズムを使いながら、あとは「判定」の閾値を上げることで切捨てを図っているような気がする。
世界一、自販機が普及した今の日本というのは、年季の入った十円玉には肩身の狭い生きづらい国かもしれないと思った。

この十円玉君にも若かりし頃があったはずだ、青春を謳歌する時代が。
その頃はきっと今よりエッジを効かせた凛々しい風貌だったろう。
自販機の選別にも苦もなく一発クリアできてた時代。
いつしか時は過ぎ、人から人へ、マシンからマシンへと渡り歩き、働き続けて、身をすり減らせた時、その凛々しさは手垢に染まっていったのだろう。
そして、気がつけば「ふぞろいの個性」だけが残った。
でも、それが彼にとっての勲章。人一倍頑張ってきたことの証しなのだ。
ただ、時代のほうがそれを許さなくなっていた。
たとえ貨幣価値に目減りはなくとも、自販機に認めてもらえない限り、不良品の烙印を押されてしまう世の中だ。
この十円玉が、また違う人の手に渡ったとき、また同じように「怨み節」を浴びるのだろう。
そして、いつか特定の機関にたどり着き、選別機にかけられて「不良」の烙印を押されて、回収されて廃棄されて、そして最後は原料に帰する運命をたどるのだろう。
そう考えたとき、なんだかとても不憫に思えてきた。
「昭和四十八年」製といえば中村豊と同じである。
十円玉にシンパシーを感じた私は、この十円玉に「ユタカ」と名づけた。
もしも「昭和四十四年」だったら迷わず「ひーやん」だったのだけど。
それからというもの、「ユタカ」は私の財布の硬貨入れとは違う場所に移動することになった。

それ以来、自販機に硬貨を投入する機会があれば、まず「ユタカ」を取り出して、自販機に投入することが私の日課になってしまった。
もちろん、ことごとく吐き出されてしまうのだが。
でも、「ユタカ」を受け入れてくれる自販機を見つけてみたいと思った。
偶然でも誤動作でも何でもいいから、投入後にディスプレイに「10」と表示させてみたかった。
彼の価値を分かってくれる自販機に巡りあいたかった。

それから10日くらいの期間に50台くらいの自販機、券売機で延べ100回くらい投入を試みただろうか。
にべもなく吐きだされ続けた。
100打数0安打。打率.000である。
そろそろ私も諦めかけていた。
もう、このへんにしておいてもよいと思うようになっていた。
とりあえずこの十円玉は、私の財布のお守りとして手元にずっと置いて隠居してもらうつもりだった。

仕事で訪れた、近鉄・四日市の駅前には自販機が4台ほど並んでいた。
ちょうど、人との待ち合わせで時間を持て余していた。
手持ち無沙汰にかこつけて、つい、いつものように端から1台ずつ「ユタカ」を試していった。
左から2台目に投入したときだった。

「10」

自販機にそうディスプレイされた。
ついに「ユタカ」を受け入れてくれた自販機が現れた。
私の胸は高鳴った。うれしい反面、予想外の結果に激しく動揺した。
そして、「ユタカ」をとられたくないという思いで慌てて返却レバーを引いた。
が、しかしそこから返された十円玉は「ユタカ」とは違う十円玉だった。

「え?そんな……」

てっきり、投入した硬貨が返却レバーで返ってくると思っていた。
よく知らなかったのだが、どうも返却されるのは投入した硬貨とは限らないようだった。
私は返却された十円玉を再投入しては返却レバーを引くことを繰り返した。
だが、5回、6回繰り返しても「ユタカ」は戻ってこなかった。
私は諦めた。
あれだけ捜し求めた自販機に巡りあいながら、受け入れられた途端、その自販機に激しい嫉妬を抱いてしまった。
手放したくないという情念が渦巻いた。
なんだか、タイガースの選手のトレードが決まった瞬間、急に名残惜しさが湧いてくる心情に似ている。

「おい、行かないでくれよ!」そんな心情だった。

                  ◇

こうして、この十円玉はは私の手元を去っていった。
私と「ユタカ」の交流も終わりを告げたのだった。
それからしばし時間が経って、私には反省の気持ちが湧き上がってきた。
なぜなら、私の独りよがりの哀愁と寂寥感で、もうちょっとで「ユタカ」を引退に追いやるところだったからだ。
本人の意思とはかかわりなく。

私は常々こう思っている。
人生を評価することは、自分自身にしか許されていないんじゃないかと。
だから今では、こんな結果でよかったと思っている。


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5 コメント

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帰ってきましたYO (KEN)
2007-06-29 17:51:51
ハートウォーミングなほっこりエントリーでした。
「まさかほんまにユタカのトレードがあったんでは!?」
と思わず探していまいましたが、
見つかったのはいにしえのF-1セブンのトレードだけでした。

僕は早生まれのなんで49なんですけど、学年で言えばユタカ世代。
常々、初対面の方とお会いするときは、
「阪神で言えば、ユタカ世代なんですけどね」と言っております。
ええ、ないですとも。
イチロー世代とか、中村紀世代なんて言ったことはないですとも。

でも、1つだけ疑問が。
……ユタカはそんなに吐き出されるのwww?
  
これが44年の人のお話だったら、笑顔でうんうんと頷いてますが(笑)
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四十八年といえば・・・ (pixy)
2007-06-30 16:08:43
ご無沙汰しております。
四十八年・・・シーズン129試合だった年ですね、確か。
六十年に優勝するまでは、その話ばかりしていました。
そうか、中村豊はその年に生まれたのですね。
返信する
ユタカ (いわほー)
2007-06-30 22:44:20
どうしてるんでしょうか?
気になるこの頃です。

⇒山形KENさん
お帰りなさい。
私のオヤジもほぼ、KENさんとこと同じくらいの年齢で亡くなりました。お互い、オヤジの年齢だけは越せるようにしたいものですなあ。w
「ユタカ世代」といっても、世間じゃだれも「尾崎」としか思わないでしょうなあ。でも、我々だけでも言い広めていきましょう。
目を閉じると瞼のウラに見えてきませんか?
盗んだバイクで甲子園球場を走り回り、窓ガラスを割って回る「中村ユタカ」の姿が……。

⇒pixyさん
こちらへはお久しぶりです。
昭和四十八年は村山実が引退して、江夏が延長十回をノーヒットノーランして「野球は一人で出来る!」で物議を醸して、シーズン最終戦の甲子園球場で巨人に大敗して優勝を逃した、あの昭和四十八年です。
よくよく見るとタイガース史に刻まれる、すごい年でした。タイガースではユタカだけなんですよね、四八生まれは。早く一軍でみたいものです。
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ええ話~。 (tacoco)
2007-07-02 09:50:50
日常の瑣末な出来事から派生されたショートストーリー。ナイスタッチですねぇ。
う~ん、「心に残るいわほー妄想物語」ベスト3にランクインです!
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⇒tacocoさん (いわほー)
2007-07-02 22:02:02
こつこつと自分の役割を全うしてきた武骨で愚直な昭和のアナログ世代が、いつしかIT化の波にのまれて、身の置き場を失いつつある現実と重ねてしまいました。たかが十円玉に。

「ユタカ」も「ひーやん」も結果が途絶えると、すぐにファンは引退と結び付けたがりますが、あくまで決するのは本人自身。どんな結論を出そうとも私は応援し続けますよ。武骨で愚直な昭和のアナログオヤジ頑張れ!って。
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