1997.12.28~29
定刻の午前8時を5分遅れ、富士急行の観光バスは横浜駅東口にある「そごうデパート」駐車場を出発した。今年で3年目となるワイフと2人の「年末バス旅行」の出発だ。去年は仙台・塩釜港、一昨年は静岡県・焼津の魚センター、と正月用の「魚貝類買い出し」ツアーであったが、今年はなぜか「木曽路」の散策ツアーである。
今回のツアーも近畿日本ツーリストの「ジャパネスク」、年末も本当に押し迫った28日~29日の1泊2日でお一人様¥16,800なりのバスツアーである。宿は長野県・飯田温泉、中山道の宿場町を散策することになっている。
今年最後の日曜日の朝8時の横浜市内はすいていて、バスは首都高速から保土ヶ谷バイパス、町田街道と順調に走って40分ほどで町田駅前へ。このツアーは集合場所が横浜駅と町田駅の2ヶ所あって、どちらからでも参加ができるようになっている。
町田駅前の集合時刻は午前9時20分、道路が空いていたせいでまだ8時40分、出発まで時間がありすぎる。
やがて出発時刻となり、ツアー参加者40名を乗せたバスは中央高速・八王子インターを目指して走りはじめた。
最初の休憩は中央高速の「談合坂SA」、何てったって12月28日の日曜日なんで帰省ラッシュの渋滞が心配だった中央高速は、信じられないほどのガラガラ状態。みんな賢くなって「大渋滞」にハマっての帰省はもう過去の話なのだろうか。
バスは八ヶ岳を右に見ながら中央道を快調に飛ばす。
そして12時15分、諏訪湖SAに到着。ここで各自昼食となった。天気は快晴、眼下に広がる諏訪湖が美しい。今年は暖冬傾向だそうで、ここまでの道中も「雪」を見ていない。途中、車窓から見た八ヶ岳の山頂もほとんど雪がない。
午後1時、バスは再び走りはじめた。バスのツアーって目的地もあんまり調べないし、お互い見知らぬ同士が参加してる雰囲気がとっても不思議。
30分ほど走って、飯田ICで中央高速を降り、今日の最初の目的地「水引工芸館」へ向かった。
着いた所は飯田ICから30分ほどの所にある「せきじま」という水引の実演・展示・即売をしている観光工芸館。
ここの水引職人「関島さん」はこのあたりで水引を広めた方だそうで、実演中の手先の動き、話術もさる事ながら、併設されている美術館に展示されている作品の精緻さと豪華さは活字で表現し尽くせないほど、みごとであった。(写真は実演中の関島さん)
つぎに行ったのが「天竜川下り」、今回のツアーでは約30分の川下りに挑戦だ。どこでもそうだが、こんな暮れの押し迫った日に訪れる観光客などいなくって、ほとんど貸切り状態であちこち回ることになるのだが、ここの舟下りも例外ではなく、「弁天港」の割と立派な建物にいるのは我々のツアーの団体だけ…。もしかして今年最後の船になるかも知れない川下り用の船2槽の内の、後ろの船に乗り込んだ。
夏の間と違って、今の時期は温室のように透明なアクリル板で囲まれた「船室」の中からの見物となる。まァ、直接しぶきがかからなくって良いのだが、その分迫力には欠けてしまうが仕方が無い。船頭さんは前と後ろに2人つく。後ろの船頭さんは時折ガイドをしながらの舵取り役なので、そうでもないが、大変なのは前の船頭さんだ。流れの穏やかな場所へ差し掛かるとギーコギーコと音をさせながら全体重をかけて櫓を漕ぐ。船を下り際にワイフから「暑い時と寒い時とどっちが大変ですか?」と聞かれて、前を担当したまだ若い船頭さんは「暑い時は立っているだけでもシンドイです」と答えていたが、確かにあまり楽な商売ではなさそうだ。
30分の川下りで「時又港」といっても単なる岸壁に到着して、回送されてきたバスに乗り込み、今夜の宿である飯田温泉「よし乃亭」へ向かった。
「よし乃亭」は5年前に改装されたそうで、まだ設備は新しく、全体にとってもきれい。お風呂はナトリウムを多く含むせいで、肌がツルツルになる温泉である。匂いはほとんど無い。旅館に4時に着いたので一風呂浴びて冷蔵庫から冷えたビールを取り出しキューッと飲み干す。
一夜空け、翌朝は一面真っ白な霜の朝。やはりここは信州の山の中、冷え込みは横浜の比ではないようだ。
7時20分から朝食で、8時に出立というあわただしいスケジュールであったが、とにかく飯田温泉を後にした。今日の最初の目的地は「妻籠(つまご)」。国道153号線から256号線に入り、途中、漬物屋さんでお土産タイムの寄り道をして、9時半に妻籠に到着。
妻籠の宿は慶長6年(1601年)、江戸幕府により「宿駅」が定められた折り、江戸から42番目の宿場として整備された中山道の宿駅で、昭和43年からの歴史的町並み保存事業により、往時の宿場の景観をよみがえらせ、51年には国の重要伝統的建造物群保存地区第1号に選定された。と、観光案内図に載っている。
「妻籠の宿」は約500mの街道沿いに当時を彷彿とさせる建物が並び、思わずタイムスリップした…。と、思いきやアスファルト舗装された街道が妙に「現代」していてチョット残念。それでも一軒一軒は味わい深いたたずまいを良く残していて、澄んだ冬の青空の下で当時の雰囲気を伝えてくれている。
1時間ほどブラブラと散策して、バスはつぎの目的地「寝覚の床」へと向かった。
妻籠から木曽川に沿って国道19号線を北上。「寝覚(ねざめ)の床」には11時15分過ぎに着いてしまった。まだあまりお腹は空いていないけど、ここで昼食となった。
龍宮城から帰ってきた浦島太郎は家の周りが知らない人ばかりなので旅に出て、たまたま木曽路の「寝覚の床」に来た時に付近の美しい風景がすっかり気に入り、この里に住むようになりました。そして毎日「寝覚の床」に出かけて好きな釣りを楽しんでいたある日、太郎は里の翁に昔の思い出話をしていて、話のついでに忘れていた玉手箱を取り出して開いて見ました。すると中から紫の煙が立ち昇り、太郎の顔にふれるやいなや太郎はたちまち三百歳の翁になってしまいました。
太郎は、近くの池に姿を写してみてたいそう驚きました。それを見ていた人々も共に驚きました。それ以後この池を「姿見の池」と呼ぶようになったそうです。
太郎はその後人々に霊薬を授けていましたが、いつのまにか、どこへともなく立ち去ってしまいました。
里人が太郎の立ち去った跡へ行ってみると、弁才天の像が「寝覚の床」の岩の上に残されていました。これを祠に祀って寺を建立したのが、現在の臨川寺だということです。
ここには現在でも姿見の池や浦島太郎の物だと伝えられている釣竿などが残されています。
「寝覚の床」にはこんな浦島太郎の伝説の一つがあるそうだが、我々夫婦は食後の自由時間にたまたまこの伝説に出てくる臨川寺の境内へ足を踏み入れてしまった。
そして、その境内にあった無料の宝物館で見たものは…。そこには伝説の浦島太郎の釣竿が展示されていた。
「寝覚の床」を12時15分に出発し、バスは国道19号線をさらに北上、このツアー最後の見学場所「奈良井の宿」を目指して走りはじめた。「寝覚の床」から「奈良井の宿」までは約30分。
奈良井宿は、文字どおり奈良井川に沿ってつづく宿場である。標高1300メートルの鳥居峠越の手前であるためか、「奈良井千軒」とうたわれ、宿場の町並みは、1.2キロもつづく。現在も宿場時代の姿をよく残しているので1978年(昭和53)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
ツアーの一行は木曽大橋と呼ばれる木造の太鼓橋でバスを降ろされ、ここから1時間自由行動となった。が、正月の準備なのであろう、この宿でも開けている店は少なく閑散としている。また残念ながら、ここの街道もアスファルト舗装されており、ひどいことに車の往来も結構ある。街道の両脇に並んでいる昔風の建物は、それでも「妻籠(つまご)」よりも当時の面影を良く残しているようだ。江戸の時代にここを通った多くの人々の面影が浮かぶような宿場町である。
街道の途中に「大宝寺」という臨済宗のお寺があって、その中にマリヤ地蔵という隠れキリシタンの信仰の対象となった地蔵があるというので立ち寄ってみた。江戸時代はキリシタン禁制であったため、胸に抱いた子供に「クルス」を持たせた石像を作ったのだそうである。拝観料は100円であった。
1時間の自由行動ではこの宿場町はすべてを見てまわるには時間が足りないが、ツアーでの団体行動であるので仕方がない。早々に切り上げてバスの待つ駐車場へと戻った。
そして午後1時50分、ツアーで予定されていた場所をすべて見終わって、バスは一路横浜を目指して帰路についた。
国道19号線の北上を続け、約30分で塩尻ICから長野自動車道へ入り、岡谷JCTから中央道へ入ったのが午後2時30分、そのままガラ空きの中央道を一気に飛ばして、談合坂SAに着いたのが午後4時であった。15分トイレ休憩の後、八王子ICを午後4時40分に出て、町田街道を通って町田駅に着いたのが午後5時40分。暮れの町田駅界隈は正月用の品を買いに来てるのか、大混雑であった。
そして保土ヶ谷バイパスから首都高速経由で横浜駅西口に戻ってきたのが午後6時20分。これで今年の年末旅行の日程はすべて終了した
定刻の午前8時を5分遅れ、富士急行の観光バスは横浜駅東口にある「そごうデパート」駐車場を出発した。今年で3年目となるワイフと2人の「年末バス旅行」の出発だ。去年は仙台・塩釜港、一昨年は静岡県・焼津の魚センター、と正月用の「魚貝類買い出し」ツアーであったが、今年はなぜか「木曽路」の散策ツアーである。
今回のツアーも近畿日本ツーリストの「ジャパネスク」、年末も本当に押し迫った28日~29日の1泊2日でお一人様¥16,800なりのバスツアーである。宿は長野県・飯田温泉、中山道の宿場町を散策することになっている。
今年最後の日曜日の朝8時の横浜市内はすいていて、バスは首都高速から保土ヶ谷バイパス、町田街道と順調に走って40分ほどで町田駅前へ。このツアーは集合場所が横浜駅と町田駅の2ヶ所あって、どちらからでも参加ができるようになっている。
町田駅前の集合時刻は午前9時20分、道路が空いていたせいでまだ8時40分、出発まで時間がありすぎる。
やがて出発時刻となり、ツアー参加者40名を乗せたバスは中央高速・八王子インターを目指して走りはじめた。
最初の休憩は中央高速の「談合坂SA」、何てったって12月28日の日曜日なんで帰省ラッシュの渋滞が心配だった中央高速は、信じられないほどのガラガラ状態。みんな賢くなって「大渋滞」にハマっての帰省はもう過去の話なのだろうか。
バスは八ヶ岳を右に見ながら中央道を快調に飛ばす。
そして12時15分、諏訪湖SAに到着。ここで各自昼食となった。天気は快晴、眼下に広がる諏訪湖が美しい。今年は暖冬傾向だそうで、ここまでの道中も「雪」を見ていない。途中、車窓から見た八ヶ岳の山頂もほとんど雪がない。
午後1時、バスは再び走りはじめた。バスのツアーって目的地もあんまり調べないし、お互い見知らぬ同士が参加してる雰囲気がとっても不思議。
30分ほど走って、飯田ICで中央高速を降り、今日の最初の目的地「水引工芸館」へ向かった。
着いた所は飯田ICから30分ほどの所にある「せきじま」という水引の実演・展示・即売をしている観光工芸館。
ここの水引職人「関島さん」はこのあたりで水引を広めた方だそうで、実演中の手先の動き、話術もさる事ながら、併設されている美術館に展示されている作品の精緻さと豪華さは活字で表現し尽くせないほど、みごとであった。(写真は実演中の関島さん)
つぎに行ったのが「天竜川下り」、今回のツアーでは約30分の川下りに挑戦だ。どこでもそうだが、こんな暮れの押し迫った日に訪れる観光客などいなくって、ほとんど貸切り状態であちこち回ることになるのだが、ここの舟下りも例外ではなく、「弁天港」の割と立派な建物にいるのは我々のツアーの団体だけ…。もしかして今年最後の船になるかも知れない川下り用の船2槽の内の、後ろの船に乗り込んだ。
夏の間と違って、今の時期は温室のように透明なアクリル板で囲まれた「船室」の中からの見物となる。まァ、直接しぶきがかからなくって良いのだが、その分迫力には欠けてしまうが仕方が無い。船頭さんは前と後ろに2人つく。後ろの船頭さんは時折ガイドをしながらの舵取り役なので、そうでもないが、大変なのは前の船頭さんだ。流れの穏やかな場所へ差し掛かるとギーコギーコと音をさせながら全体重をかけて櫓を漕ぐ。船を下り際にワイフから「暑い時と寒い時とどっちが大変ですか?」と聞かれて、前を担当したまだ若い船頭さんは「暑い時は立っているだけでもシンドイです」と答えていたが、確かにあまり楽な商売ではなさそうだ。
30分の川下りで「時又港」といっても単なる岸壁に到着して、回送されてきたバスに乗り込み、今夜の宿である飯田温泉「よし乃亭」へ向かった。
「よし乃亭」は5年前に改装されたそうで、まだ設備は新しく、全体にとってもきれい。お風呂はナトリウムを多く含むせいで、肌がツルツルになる温泉である。匂いはほとんど無い。旅館に4時に着いたので一風呂浴びて冷蔵庫から冷えたビールを取り出しキューッと飲み干す。
一夜空け、翌朝は一面真っ白な霜の朝。やはりここは信州の山の中、冷え込みは横浜の比ではないようだ。
7時20分から朝食で、8時に出立というあわただしいスケジュールであったが、とにかく飯田温泉を後にした。今日の最初の目的地は「妻籠(つまご)」。国道153号線から256号線に入り、途中、漬物屋さんでお土産タイムの寄り道をして、9時半に妻籠に到着。
妻籠の宿は慶長6年(1601年)、江戸幕府により「宿駅」が定められた折り、江戸から42番目の宿場として整備された中山道の宿駅で、昭和43年からの歴史的町並み保存事業により、往時の宿場の景観をよみがえらせ、51年には国の重要伝統的建造物群保存地区第1号に選定された。と、観光案内図に載っている。
「妻籠の宿」は約500mの街道沿いに当時を彷彿とさせる建物が並び、思わずタイムスリップした…。と、思いきやアスファルト舗装された街道が妙に「現代」していてチョット残念。それでも一軒一軒は味わい深いたたずまいを良く残していて、澄んだ冬の青空の下で当時の雰囲気を伝えてくれている。
1時間ほどブラブラと散策して、バスはつぎの目的地「寝覚の床」へと向かった。
妻籠から木曽川に沿って国道19号線を北上。「寝覚(ねざめ)の床」には11時15分過ぎに着いてしまった。まだあまりお腹は空いていないけど、ここで昼食となった。
龍宮城から帰ってきた浦島太郎は家の周りが知らない人ばかりなので旅に出て、たまたま木曽路の「寝覚の床」に来た時に付近の美しい風景がすっかり気に入り、この里に住むようになりました。そして毎日「寝覚の床」に出かけて好きな釣りを楽しんでいたある日、太郎は里の翁に昔の思い出話をしていて、話のついでに忘れていた玉手箱を取り出して開いて見ました。すると中から紫の煙が立ち昇り、太郎の顔にふれるやいなや太郎はたちまち三百歳の翁になってしまいました。
太郎は、近くの池に姿を写してみてたいそう驚きました。それを見ていた人々も共に驚きました。それ以後この池を「姿見の池」と呼ぶようになったそうです。
太郎はその後人々に霊薬を授けていましたが、いつのまにか、どこへともなく立ち去ってしまいました。
里人が太郎の立ち去った跡へ行ってみると、弁才天の像が「寝覚の床」の岩の上に残されていました。これを祠に祀って寺を建立したのが、現在の臨川寺だということです。
ここには現在でも姿見の池や浦島太郎の物だと伝えられている釣竿などが残されています。
「寝覚の床」にはこんな浦島太郎の伝説の一つがあるそうだが、我々夫婦は食後の自由時間にたまたまこの伝説に出てくる臨川寺の境内へ足を踏み入れてしまった。
そして、その境内にあった無料の宝物館で見たものは…。そこには伝説の浦島太郎の釣竿が展示されていた。
「寝覚の床」を12時15分に出発し、バスは国道19号線をさらに北上、このツアー最後の見学場所「奈良井の宿」を目指して走りはじめた。「寝覚の床」から「奈良井の宿」までは約30分。
奈良井宿は、文字どおり奈良井川に沿ってつづく宿場である。標高1300メートルの鳥居峠越の手前であるためか、「奈良井千軒」とうたわれ、宿場の町並みは、1.2キロもつづく。現在も宿場時代の姿をよく残しているので1978年(昭和53)に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
ツアーの一行は木曽大橋と呼ばれる木造の太鼓橋でバスを降ろされ、ここから1時間自由行動となった。が、正月の準備なのであろう、この宿でも開けている店は少なく閑散としている。また残念ながら、ここの街道もアスファルト舗装されており、ひどいことに車の往来も結構ある。街道の両脇に並んでいる昔風の建物は、それでも「妻籠(つまご)」よりも当時の面影を良く残しているようだ。江戸の時代にここを通った多くの人々の面影が浮かぶような宿場町である。
街道の途中に「大宝寺」という臨済宗のお寺があって、その中にマリヤ地蔵という隠れキリシタンの信仰の対象となった地蔵があるというので立ち寄ってみた。江戸時代はキリシタン禁制であったため、胸に抱いた子供に「クルス」を持たせた石像を作ったのだそうである。拝観料は100円であった。
1時間の自由行動ではこの宿場町はすべてを見てまわるには時間が足りないが、ツアーでの団体行動であるので仕方がない。早々に切り上げてバスの待つ駐車場へと戻った。
そして午後1時50分、ツアーで予定されていた場所をすべて見終わって、バスは一路横浜を目指して帰路についた。
国道19号線の北上を続け、約30分で塩尻ICから長野自動車道へ入り、岡谷JCTから中央道へ入ったのが午後2時30分、そのままガラ空きの中央道を一気に飛ばして、談合坂SAに着いたのが午後4時であった。15分トイレ休憩の後、八王子ICを午後4時40分に出て、町田街道を通って町田駅に着いたのが午後5時40分。暮れの町田駅界隈は正月用の品を買いに来てるのか、大混雑であった。
そして保土ヶ谷バイパスから首都高速経由で横浜駅西口に戻ってきたのが午後6時20分。これで今年の年末旅行の日程はすべて終了した